2014年8月16日土曜日

本当のしあわせは、一人でつくれるもんなんかじゃない。みんなが、みんなでしあわせになろうと努力すること自体が、もう、しあわせなのだ。

杉崎君が言っていた。

「みんなと過ごして・・・・・・気づいたんだ」

「本当のしあわせは、ひとりでつくれるもんなんかじゃ、なかったって」

「みんなが、みんなでしあわせになろうと努力すること自体が、もう、しあわせなんだって」

「みんなでそうやって前を向いて、自分本位な提案をしては時にぶつかったりしながらも、どうにか前に向かっていくその行為自体が・・・・・・どうしようもなく、しあわせなんだって」

「俺は、何よりも誰よりも『俺のしあわせ』を最優先とする!」


枯野さんが言っていた。

「すべての人間が、自分の欲望、野望のために生きている」

「他人のしあわせに、欲望に、野望に、願いに、想いに、貴様が必要以上に責任をもつ必要など無いだろう!!」

「他人の人生にまで貴様ごときが必要以上に踏み込むなっ!! おこがましい!」

「それでも相手の人生に責任をもちたいというのなら、せめて、堂々としていろっ! 私はそうしている! なにより貴様がしあわせになればいいことだ! 最悪なのは、結果を得られないという事態だ! 違うか!?」

8/15 姿勢と動きのワークショップの風景

この3日間、『みんなが、みんなでしあわせになろうとする努力』をしました。

それは、杉崎君の言う通り、『もう、しあわせなんだって』ということなのだとわかりました。

そして、枯野さんの言いたいことも、よくわかりました。

もしも、その人がしあわせになりたいのなら、その人は自分で努力すればいい!!


そうなのです。僕たちは、他人のしあわせに責任をもつ必要などないのです。

他人の人生にまで僕ごときが必要以上に踏み込んではいけないのです。


今回、こんな理由での参加者が多数おられました。

『FBで安部さんの記事に友人が「いいね」をしていたから』

なるほど。出会うべき人たちとは、ちゃんと出会うようになっているということのようです。

みんなでしあわせになろうという努力をしようとする人たちが自然に集まったわけです。


僕が自分自身の身体のために学んできたさまざま技術は、みんなに喜んでもらえるものです。

それを惜しみなくすべて伝えることは、そのまま僕自身のしあわせとなります。

その行為のすべてが、僕のワガママから生まれたものなのです。

そして、『ワガママを言い合えるみんながいる』ということ自体が、『本当のしあわせ』なのです。


みんなと過ごしたこの3日間、とってもしあわせでした。

そんなときは僕はいつも、『あぁ、この瞬間のために生きてきたんだなあ』って感じます。

これから、各地で同じようなしあわせな時間を共有していけたらと思います。

いや、そう願えていること自体が、もう、しあわせなんだってことなのかもしれません。