クズスパイラルってのがあって、本人がクズだから周りにクズしか集まらず、周りがこんだけクズなら仕方ないよねっていらん事した結果ますます評価が下がって、更に酷いクズに囲まれるようになる現象な— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月30日
逆に良い人は、周りに良い人が集まってくるので「みんな良い人だからもっと良くならなきゃ」と頑張った結果、もっと良い人が集まってくるみたいな状態で生きてる— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月30日
この二者から見た世界はまあ同じじゃないわな
富かな暮らしを享受しているのは概ね「何も考えず女の要望を全部叶える男」と「何も考えず男の要望を全部叶える女」のペアで、余計なことを考える奴は豊かにも幸福にもなれない— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月29日
「脳死テンプレ」は強い、ゲームやってる奴なら体で分かってるだろ
ゲームで負ける原因には「何も考えない」と「余計なことを考える」ってのがあって、弱いプレイヤーが永遠に弱いままなのは、余計な事を考えて試合の現状に集中しないからなんですよ— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月29日
非常に重要なことなんですが、考える事は人生を一切幸福にしません、行動だけが人生を幸福にします— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月29日
「計画を立ててその通りに動く」という行動のために思考があるのであって、思考だけで行動を決めるのって、感覚で動いてるのと同じ結論にしかならないし、動きが遅い分だけ結果悪くなるから
俺が思うに「何も考えず相手の要望を叶える夫婦」が強いのは、お互いに叶える労力を理解しているから、感謝し合うし、限度も弁えるようになる、繰り返される経験が人格を育てるという事だろうな— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年5月29日
身体操作が下手な人は、余計なことばかりを考えている。
現在ここにある自分の身体に集中できていない。
頭で考えて身体を動かそうとするが、不自然な動きを繰り返して壊れていく。
そして周りに、壊れた人たちが集まってくる。
身体操作が上手い人は、余計なことを考えない。
現在ここにある自分の身体に集中できている。
身体構造に従い、身体機能を活かし、自然な動きを繰り返して美しくなっていく。
そして周りに、美しい人たちが集まってくる。
昨日、娘が旅立っていった。
2年間くらい合わないことになりそうだ。
何も考えずに僕の要望を叶えてくれる稀有な存在。
僕も、何も考えずに要望を叶えてあげたいと思える。
しばらく一緒に過ごせたお陰で、これから自分がどうしたいのかがよくわかった。
後ろ脚の形が親子過ぎw |
何も考えずに要望を叶えてあげたい人と思える人たちと活動していきたいということだ。
そして、何も考えずに僕の要望を叶えてくれる人たちと協力していくということだ。
余計なことを考える人たちとは距離を置く。
そしてそのために、もう余計なことを考えない。
『叶』という字については、この記事が面白い。
→ 「叶」は葉のこと 「葉」(叶)の起源と由来は
「協の本義は協力、協作、協商等の様に共同して力を出し合うことと知るべし。」とあるようだ。
協は古文の中では睦まじく打ちとけ合う、調和がとれているの意味も表わす。中国語で「叶」と書いて、Yeと読むときは「葉」、Xieと読むときは、協力するの意味に使うようである。
引用ここまで
今日は、13:30から新宮校実技室で昼のグループレッスンだ。
『余計なことを考えずに、淡々と機能的に正しく身体を動かす時間』
6月からの『立ち稽古』に向け、棒(バー)稽古の基本をやろうと思う。
『立つということ』に、こだわっていきたい。
Sylvie Guillemさまも、毎朝の自宅でのバーレッスンを欠かしていないそう。
シルヴィ・ギエム |
桁が違いすぎだが、うちでも欠かさずやっていく。
身体操作技法を学ぶ者にとって、棒(バー)は神具みたいなものだと思う。
バーに寄りかかってはならない=依存してはならない。
バーという存在は支持脚が使えているか確認するものだ。
バーをつかんで動作するためのものではないのだ。
正しい位置に身体のパーツがあるか?
重心はどこにあるのか?
ひとつひとつ確認し、改善していく。
バーは神聖な棒なのだ。
バーによりかかったり、登ったり、ぶら下がったり、粗雑に扱う人は出禁にする。
今日の練習が楽しみだ。