昨日の記事のつづき。
まず大切なことは、ミラーニューロンは高次の運動ニューロンだということである。高次の運動ニューロンは、これから行う行為を指定して、その運動を実行するための指令を発する。ところがミラーニューロンは、自分が何かの物体を割るときに、割るという少し前に活動する(したがって運動ニューロン)が、他者が物を割るところを見ただけでも活動する。このように、このニューロンは他者の行為を鏡で見ている自分の行為のように反応するため、ミラーニューロンと名づけられた。たとえば、ボールを投げている人の動きを見るだけで、自分がボールを投げるときに使うミラーニューロンが活動することになる。つまり、行為の理解は、視覚だけではなく、自分の運動、つまり身体で理解しているということである。
さらに2002年に、視聴覚ミラーニューロンとよばれるニューロンが発見されたが、これは、物を割る動作を見るだけでなく、割る音を聞くだけでも活動する。つまりミラーニューロンは、視覚だけでなく聴覚とも運動指令信号が統合されているニューロンだということである。
実際に何かをつまんでいる行為者の脳内では、つまむ動作に関わる運動ニューロンが活動する一方で、その様子を観察している観察者の脳内でもつまむ行為に対応する運動ニューロンが活動するという形で共鳴が生じていると言える。最近になり脳活動の共鳴は、コミュニケーション場面にある二者間の脳の実際の活動として観測されている。行為を理解する背景には、行為者と観測者の脳の同じ部位が活動し、ある種の共鳴状態になっていることがある。52-54P
like-meシステムは、自己と他者を同一視することにより、他者の行為の意図や感情をオンラインで推測するシステムである。つまり、観測した他者の動作からその人の行為の意図や感情を読み取るものである。このシステムはミラーニューロンシステムによって支えられている。すなわち、ミラーニューロンシステムによって自己と他者を同一視することにより、他者の行為(の視覚情報)を理解するのである。ミラーニューロンシステムが働くことにより、自己と他者の脳活動が共鳴していると言うこともできる。これらの部位にあるミラーニューロンが他者の行為を理解するミラーニューロンシステムとして働くためには、後部上側頭溝も機能しなければならない。この部位は、他者の動作の視覚情報(バイオロジカルモーション)の処理に関わる。この部位が下頭頂小葉と相互結合し、さらに下頭頂小葉が下前頭回と相互結合することで、他者の動作を自分自身の運動に対応させることが可能となり、理解へとつながるのである。54-55P
実は、下前頭回にあるミラーニューロンは島を介して扁桃体と相互に結合していることが知られている。これによって他者の行為を自己の運動と同一視するだけでなく、その運動に伴って生じる感情と結びつけられて、共感という機能が実現されることになる。自己が痛みを伴う刺激を受ける場合にも、同じ刺激を親しい友人が受けているのに共感する場合にも、前島および吻側前帯状皮質が活性化し、さらに活性化の強さは共感スコアと相関していた。また自己が痛みを伴う刺激を受けるときのみに活動したところは後方島や二次性体性感覚野であった。共感に関する経路は、顔の表情から他者の感情を推測することにも同様に関与すると考えられている。共感は、他者の行為に伴う心的状態(感情)に関する情報が提供されるという意味で、コミュニケーションを円滑に進める上で重要となり、協調的で向社会的な行動の動機付けとしても重要となる。以上のような脳内ネットワークを基盤としたlike-meシステムによって、他者の行為の意図を理解したり他者の感情に共感したりすることができるのである。55-57P
引用ここまで
ミラーニューロンシステムが、行為の意図を理解したり、他者の感情に共感したりするのを支えている。
ということは、ミラーニューロンの機能に問題があると、他人の脳活動と共鳴できないということになります。
他人の動作の模倣が苦手な人が、対人コミュニケーションで問題を起こしやすい理由かもしれません。
実際、相手の行為の意図をまるで理解できない人もよく見られます。
相手の表情を読めないばかりか、自分の表情を偽ろうとする人もいます。
表情と扁桃体の関係を考えてみると、辻褄があります。
眼が怖いのも、説明ができます。
「よく相手を視て、よく話を聴く」ということは「ミラーニューロンを機能させる」ということなのだと思います。
うまくいかない人は、相手のことを視ていません。
そして、相手の話を聴いていません。
ミラーニューロンシステムが機能していないからなのだと思います。
だとしたら、ミラーニューロンシステムを磨きあげるしか選択肢はないような気がします。
と、ここまで書いていて気がつきました。
元々ミラーニューロンシステムが機能していない人って、生きていくこと自体がハードゲームなのだと。
相手の行為の意図が理解できないからこそ、一方通行になるのです。
自分に対して過度に集中し、自分のことばかり話すというワンサイドゲーム。
自分に対して過度に集中するからこその、消えることのない慢性痛と慢性疲労。
オキシトシンレベルが低いがゆえに、他人といると疲れ果ててしまう。
愛情をホルモンレベルではなく、理屈で考えてしまうがゆえの嘘くささ。
幸福感がないのに、しあわせそうに振舞うがゆえの眼の怖さ。
扁桃体の過活動・過覚醒が問題であるのに、他に原因を求めるがゆえの破綻。
そして、これらの事実を、身体で理解できないという問題。
……ハードゲームです。
他者の動作を、自分自身の運動に対応させることができないために、理解ができない。
この状態で生きていくというのは、本当に大変なことなのかもしれません。
脳で何が起きているかは、現代の検査機器の発達でわかるようになりました。
しかし、実際に問題を起こしている人の脳は、この事実を理解することができません。
古今東西の賢者が、「仕方がないことなのだよ」と書き残しているのは、こういうことなのかもしれません。
度し難し……理屈を聞かせてもわからせようがない。どうしようもない。
どの時代の賢者も、一様にそう書き残しています。
元々の脳の構造なのですから、度し難いのかも仕方がないのかもしれません。
同じ解説をしても、瞬時に正確に理解できる人と、自分勝手に解釈をする人がいます。
まったく理解できていないのに、他人に言葉でアドバイスを始めます。
理解できている人は、自らの身体で体現します。
ミラーニューロンシステムが使えているかどうかは、身体で表現できるかどうかでわかるのです。
そして、システムが機能している人は、機能していない人を見て負の影響を受けます。
機能していない人は、機能している人からの正の影響を、あまり受けません。
これが、理解させるための努力の決末に待っている破綻の原因なのだと思います。
双方ともに、疲れ果ててしまうのです。
ミラーニューロンシステムが機能していない人に対して、私は無力です。
この本は、私が学んできた方法論が、システムが機能していることが前提のものであることを再認識させてくれたように思います。
今日の下関集中講座の小話で、この話をします。