2024年1月21日日曜日

その人の活動能力を増大させるものが善であり、減少させるものが悪。「形としての本質」を目指すのではなく、それぞれの特性にあった「力」ののばし方を考えるべき。

名著82 スピノザ「エチカ」:100分 de 名著 より

 「エチカ」を直訳すると「倫理学」。つまりこの本は「人はどうやって生きればよいか」を問うた本である。それは、要するに「生きていく上で、「善い」「悪い」の区別をどうするかという問題だ。スピノザは音楽を例にして説明する。「音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない」。

 すなわち、すべては組み合わせ次第であり、そのもの自体に善悪はないという。その視点から善悪を再定義すると、その人の活動能力を増大させるものが善であり、減少させるものが悪だととらえることができる。

 人間が自由になるとは、何の制約もなくなることではなく、その条件にうまく沿って生きることで活動能力が増大させることなのだ。

 あらかじめ決められた「形としての本質」を目指すのではなく、それぞれの特性にあった「力」ののばし方を考えるべき。

引用ここまで

はじめてのスピノザ 自由へのエチカ(講談社現代新書)著:國分 功一郎

 「存在している個体は、それぞれがそれ自体の完全性を備えている。自然の中のある個体が不完全と言われるのは、単に人間が自分の持つ一般観念、つまり『この個体はこうあるべきだ』という偏見と比較しているからであって、それぞれはそれぞれにただ存在しているのである。すべての個体は、それ自体は一個の完全な個体として存在している」スピノザ

 「自然界にはそれ自体として善いものとか、それ自体として悪いものは存在しない。私にとって善いものとは、私とうまく組み合わさって私の『活動能力を増大』させるものである」スピノザ

 「おのおのの物が自己の有(存在)に固執しようと努める努力(Conatus)は、その物の現実的本質にほかならない」

 「たとえば、この人は体はあまり強くないかもしれないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな仕事が合っているだろう……。活動能力を高めるためには、その人の力の性質が決定的に重要です。一人ひとりの力のありようを、具体的に見て組み合わせを考えていく必要があるからです」

 「必然性に従うことが自由だ

 「魚には水の中で泳いで生きるという条件が課されています。それは確かに制約であり必然性です。ですが魚が自由になるとは、その必然性を逃れることではありません。魚は水の中で泳いで生きるという必然性にうまく従って生きることができた時にこそ、その力を余すことなく発揮できる」

 「一つの行為は実に多くの要因のもとにあります。それらが協同した結果として行為が実現するわけです。つまり、行為は多元的に決定されているのであって、意志が一元的に決定しているわけではないのです」

 「スピノザは力が増大する時、人は喜びに満たされると言いました。するとうまく喜びをもたらす組み合わせの中にいることこそが、うまく生きるコツだということになります」

 「自由であるとは能動的になることであり、能動的になるとは自らが原因であるような行為を作り出すことであり、そのような行為とは、自らの力が表現されている行為を言います。ですから、どうすれば自分の力がうまく表現される行為を作り出せるのかが、自由であるために一番大切なことになります。もちろんそれを考えるためには、これまでも強調してきた実験が大切です」

引用ここまで

 スピノザは、何を善か悪かとみなしていたか?

悪とは、あるものに対して別のなにかが害をもたらすような組み合わせだとされます。すべての個物には、自分を維持しようとする「コナトゥス」という力があります。コナトゥスを強め、促進してくれるものが善とされます。

 これに対し、「なすべきこと」を善として押し付ける「なさねばならない」という威圧的な命令は、力を失わせることになります。正しさの押しつけは活動能力を阻害し減少させる悪という結果になる可能性が高いと考えています。

「我々の活動能力を増大、減少あるいは促進、阻害するものを善悪と呼ぶ。善悪の認識は、我々の意識した限りにおける喜び、悲しみの関係に他ならない。良いものというのは自分との組み合わせが良いもの。それは自分の楽しさや喜びを高めてくれる。そして、自分がどうすればそうなるかを分かっていれば、よりよく生きられる。賢者はいろいろな楽しみ方を知っている人」スピノザ