ショーペンハウアーが掲げる生き方の指針は、「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」というものです。より多くの幸福を求めるのではなく、「できるだけ」苦しみを少なくすることを心がけて生きていくことです。いわゆる、「思慮分別のある賢者は、快楽ではなく、苦痛なきをめざす」ということです。
アルトゥール・ショーペンハウアー |
私はあらゆる生きる知恵の最高原則は、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でさりげなく表明した文言「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」だと考える。幸福論は、幸福論という名称そのものがいわば粉飾した表現であり、「幸せな人生」とは、「あまり不幸せではない人生」、すなわち「まずまずの人生」であると解すべきだという教えから始めねばならない。
「どうすれば欲望を満たすことができるか」ということばかりを考えて、「より幸せになろうとする」よりも、「できるだけ苦しみを少なくする」して、穏やかな気持ちで生きていくことが幸福感を味わい続ける基本的なスタンスであると思います。苦痛がない落ち着いた状態を目指します。
①快楽は幻のように直ぐ消えてしまいます。しかし、苦痛は具体的で継続します。なので、快楽の多い人生を追うのではなく、苦痛の少ない人生を追うべきです。
②ある人が幸福かどうかを判定するには、何を悲しんでいるかを問うべきです。気に病んでいる事柄が取るに足らぬものであればあるほど、その人は幸福なのです。
③もしいま現在、大きな苦痛がなく、まずまず耐えうる人生を送っているのであれば、あなたは幸福です。病気になったり、苦しくなったりすれば、現在が失われた楽園のごとく思い出されることになります。
④凡人は外的刺激に反応し続け、快楽を追う人生を送ります。一方、賢者は物事を客観的に把握する知性を持って、より高次な精神的充足を追う人生を送ります。
⑤他人を変えようとしても無駄です。世間を生きていこうとするなら、他人を変えるのではなく、それをうまく利用しようと考えるべきなのです。
幸福について (光文社古典新訳文庫) | Arthur Schopenhauer |
他人の意見には反駁しないほうがよい。相手が信じ込んでいる不合理をいちいち説得して思いとどまらせようとしたら、時間がいくらあっても足りない。
また会話の際に、よかれと思ってしたことでも、相手を矯正する論評はひかえたほうがよい。相手の心を傷つけるのはたやすいが、翻意させるのは、不可能とまではいかなくても、難しいからである。
現在、直接的に自分を幸せにしてくれるのは陽気さに他ならないのだから、陽気さこそが幸福の実体、いわば幸福の正貨であり、他のものはみな幸福の単なる兌換紙幣にすぎない。
したがって私たちは、他のいかなる努力よりも、この財宝の維持増進を最優先すべきであろう。