ネガティブ情報(暗い情報)を見聞きすればするほど、不安や心配が生まれ、ストレス反応が起き、心身の状態が悪くなります。身体が固まっている人を観察すると、ネガティブ情報ばかり拾っているのがわかると思います。
ウィリアム・ジェームズが、「無意識の領域は意識の領域よりもはるかに広く、無意識の領域で処理される刺激は、意識の領域で処理される刺激よりもはるかに大きな影響を及ぼす可能性がある」と提唱したスプラミナル効果という考え方があります。
スプラリミナル知覚(subliminal perception)
刺激が意識の閾値を下回る程度であっても、無意識のレベルで認識や影響を及ぼす現象。視覚的な刺激だけでなく、聴覚的な刺激や触覚的な刺激においても起こる。通常、ヒトは意識的に認識できる範囲の刺激に対して反応・認識をする。
ネガティブな情報を拾えば拾うほど、不安になったり、心配になっていくわけです。ネガティブなスプラリミナル知覚を減らすためには、ネガティブ情報は できるだけ見ない聞かないようにするとよいとされます。
古代の日本には言霊思想というものがあって、忌み言葉(忌みはばかって使用を避ける語)を使わないように工夫していました。忌み言葉が使われていたのは、「言葉には力がある」と信じられていたためです。
「神代より 言伝て来らく そらみつ 倭の国は ~ 言霊の 幸ふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり」万葉集 巻五 八九四番 山上憶良
「神代から言い伝えてきたことには、日本の国は、~言葉に宿る霊力が幸いをもたらす国であると語り伝え、言い伝えてきた。(中略)」という感じです。
日々の生活で、必要以上にネガティブ情報を拾うのをやめると、ストレスホルモンの過剰な分泌が抑制され、筋肉の質がよくなると考えています。
アルトゥル・ショーペンハウアー |
ショーペンハウアーは、『幸福とは苦痛の不在を意味する』と考えました。
あらゆる幸福は消極的な本性のものにすぎず、積極的な本性のものではない。まさしくこのゆえに、持続する満足やしあわせというものはありえず、常にただ苦痛とか欠乏とかから救い出されてきただけであり、そのあとに続かざるをえないのは、新たな苦痛であるか、そうでなければ、ものうさ、むなしい憧れ、退屈ですらある。 『意志と表象としての世界』
一生の総決算を幸福論的な見方に立って引き出そうとする場合、自分の享楽した喜びによって勘定を立てるべきでなく、のがれた災厄によって勘定を立てるべきである。むしろ幸福論という名称そのものが粉飾的な表現なのであって、「幸福に生きる」ということは「あまり不幸でなく」すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであるということから、幸福論の教えが始まるのでなければならない。もとより人生は本来、楽しむべきものでなく、克服し始末をつけるべきものなのである。『幸福についてー人生論』
自己に満足し、自己にとって自己がすべてであり、「私のものは私がいっさい身につけてもっている」(ギリシアの賢者ビアスの言葉)と言うことができれば、それこそ幸福にとっては最も好ましい性質であるにちがいない。だから「幸福は自己に満足する人のものである」というアリストテレースの言葉は、何度でも繰り返してみるがよい。『幸福について』
だから善事につけ悪事につけ、特別な災難はともかくとして、自己の生涯にどういうことが起きるかということよりも、その起きたことをどう感ずるかということ、すなわち自己の感受力の性質と強度とが問題なのである。人の内面のあり方と人の具有するもの、つまり人柄と人柄の価値とが、人の幸福安寧の唯一の直接的な要因である。それ以外のものはすべて間接的である。『幸福について』
……「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきをめざす」~より多くの幸福を求めるのではなく、できるだけ苦しみを少なくするという考え方は、身体の過緊張をゆるめるのに適していると考えています。苦痛から遠ざかれば退屈に近づき、退屈から遠ざかれば苦痛に近づくというように、私たちの生活は、苦痛と退屈の間の振り子運動になっています。苦痛から逃げれば退屈が待っていて、退屈から逃げれば苦痛が待っているのです。
自分の欠点に気づくには、その同じ欠点を他人が持っているのに気がつき、それを心の中で非難・批判するのが適切なやり方。自分を矯正するには鏡が必要となる。アルトゥル・ショーペンハウアー
人は善良であればあるほど、他人の良さを認める。だが愚かで意地悪であればあるほど、他人の欠点を探す。 レフ・トルストイ
人間はしばしば、他人の欠点をほじくることによって、自分の存在をきわだたせようと考える。レフ・トルストイ
自分が不幸なとき、他の人たちを非難するのは無教養者、自分自身を非難するのは教養の初心者、そして他人をも自分をも非難しないのが本当の教養人である。エピクテトス
人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、きわめて身勝手な生き物です。アルフレッド・アドラー
他者の期待を満たすように生きること、自分の人生を他人任せにすること、これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。アルフレッド・アドラー