2013年6月18日火曜日

スティーブ・ジョブズさんと禅 

スティーブ・ジョブズと禅より

「ハングリーであれ、愚か者であれ」

「死は、生命の最高の発明だ」

「内なる声を聴け」――。

11年10月5日、56歳の若さでこの世を去ったアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏の生き方は、禅道そのものだった。2005年に米スタンフォード大学での講演で残した言葉には、仏教の教えが色濃く漂う。

「『ハングリーであれ、愚か者であれ(Stay hungry, Stay foolish)』は、(曹洞宗の祖、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師が説いた)『愚の如く、魯ろの如く、よく相続するを主中の主と名づく』を訳したものだろう。『よく相続するを主中の主と名づく』は、コツコツと1つのことを続ける人が最も強い、という意味である。形あるものは必ず滅びる。だからこそ、命ある間にたゆまず精進し、一瞬一瞬の生を最大限に発揮せよ、という教えだ」

カリフォルニア州オークランドに住む曹洞宗の北米国際布教総老師、秋葉玄吾は、妻のローレンさんとともに、気軽に他の人たちと話していたという。

「シンプルであることは、複雑であるより難しい」

不世出のイノベーターと禅との出合いは、1970年代にさかのぼる。ジョブズ氏は、生後すぐに養子に出されたが、養親が裕福でなかったため、大学を中退。73年に友人とインドを旅し、聖者と呼ばれたニーム・カロリ・ババに出会ったことで、人生観が一変する。

カリフォルニアに戻ったジョブズ氏は、頭を丸め、インドの伝統装束に身を包み、「仏教徒」に変身していた。ジョブズ氏が知野老師と出会ったのは、このころだ。仏教心に目覚めた同氏は、禅センターにいた知野老師の下に足しげく通うようになる。当時、仏教は若者の間で人気があった。ジョブズ氏が「バイブル」と呼んでいたヒッピー文化を代表する雑誌『Whole Earth Catalog』も、仏教を「覚醒ツール」と評している。

サーマン教授は言う。

「彼が生み出した製品には、仏教の精神が漂っている。その天才的な能力のおかげで、世界中にコンピュータが普及し、何十億という人々の頭脳が、ニューロン単位でつながった。“宝玉をちりばめたインドラ網”の創造といえる」

インドラは、インド最古の聖典『ベーダ』の主神であり、“宝玉をちりばめたインドラ網”とは、1つ1つの宝玉の輝きは他の宝玉に映し出され、また全体の輝きは各宝玉に反映されるという意味だ。つまり、人間も含め、形あるものは、すべて他とのつながりで成り立っており、人という存在も、空気や大地など、自分を取り巻くものによって成り立っているという、仏教の根幹を成す概念である。

また、ジョブズ氏は、アップルの基本理念を「フォーカスとシンプルさ」と定義し、「シンプルであることは、複雑であるより難しい」と語っていたが、これも禅の教えそのものだ。ジョブズ氏の徹底したミニマリスト志向も、世界を変えた「iPhone」や「iPad」などの機能やデザインも、禅の理念を彷彿させる。

サーマン教授は、「仏教学者の鈴木大拙や(禅を欧米人に広めた)哲学の京都学派を通し、米国でも、素朴でシンプル、かつシャープな禅の審美眼は広く知られているが、ジョブズ氏の製品は、まさにその投影だ」と分析する。

一方、秋葉老師は、ジョブズ氏がガンを宣告されてから数々のヒット作を飛ばした理由をこう考察する。

「仏教では、死を背負って生きていくことが最強とされる。短い人生、生あるうちに精進し、人の利益になるよう働けば、それが自分にも返ってくる。(道元禅師が説いた)『利行は一法なり』だ」

知野老師は「禅の修行の真の目的は、自分のなかにある知恵を見いだすこと」と説いた。亡き師の教えどおり、ジョブズ氏も、死と直面したことで、自らの内なる声を悟ったのか。そして、真実は日常のなかにあるという禅道にのっとり、生き急ぐかのように、誰もが生活の一部として簡単に使える製品の開発に全力を注いだのかもしれない。

引用ココマデ




素敵なエピソードでしょ?


有名なお話なので、ご存知な方も多いと思う。

最近では、安倍首相が禅寺通いで復活したエピソードが紹介されている。

日本の禅は、ホントに素晴らしい。

最近の僕のエクササイズも、日本の禅の影響をモロに受けている。


たまに僧侶に間違われてしまうくらいにね。

2012年9月8日 下関 耕雲寺 『お寺deヨガ』

下関にある、「幸運」にめぐまれるお寺 曹洞宗福田山耕雲寺。

昨年、『お寺deヨガ』の講師をさせていただいた。

最近の僕が「幸運」にめぐまれてるのは耕雲寺さんのお陰なのかも。

今年は、9月13・14日に講師をさせていただく予定。


いまから楽しみでしかたがない。


先日の下関ヨガWSに参加してくれた田中晴菜さんのコメント。

一つ一つのポーズを行うごとに正しいフォームを簡潔に指示してくださる。
ヘ〜、なるほど〜ってのがいくつも。
さすがにコアヨガ!翌日にはインナーマッスルというやつが筋肉痛に!
無駄なく簡潔に正しく!
タイ式を行う上での勉強にもなった!
無駄だと思う施術を取り払って、手技は少なく、
一つ一つを的確にキメれるようにしたいと思った(≧∇≦)

無理させない・無駄させない・欲張らせない・簡潔にさせる……

そんな僕の気持ちが伝わっていて嬉しかった。

ポーズの完成を目指すより、いまの自分の身体状況を実感する。

それが、僕が大切にしている姿勢。


だってさ、変てこりんなポーズができるようになっても仕方ないじゃん。

いいことなんてただのひとつもありはしないわけだし。

そもそも、手段が目的化するってどうよ。

ポージングは手段であって、目的はシアワセな気持ちで生きていくことじゃん。


ポーズの完成を目指しすぎてる人たちを、一歩引いて観察してみよう。

なんだか重くて暗くてフシアワセそうじゃない?

少なくとも、天真爛漫な明るい笑顔はこぼれてないでしょ?

座禅同様、威儀を正してただひたすらにポージングしてればいいのだよ。

※威儀=立ち居振る舞い


『いまの自分にできる範囲』でね。

その『いまを受けいれた姿勢』が、自己肯定感情を高めてくれる。

高まった自己肯定感情は、肉体を内側から穏やかに変えていく。

外側から無理やり体を変えようとするからケガや故障に悩まされる。


肉体には、感情の状態が正確に投影されている。

感情面が安定すると、肉体が安定する。

肉体を安定させるために、威儀を正して感情の動きを見つめる。

それが、僕のエクササイズの真髄(のつもり)。


不必要な柔軟性の追求をしない理由。

穏やかで豊潤な気持ちになれたらそれでいい。

欲張るからおかしなことになる。

まあ、結果的に柔軟性も高まっちゃうけどね。


『笑いが絶えない』という感想をいただけてるのが嬉しい。

僕の気持ちが通じているということだから。