2021年8月25日水曜日

股関節・肩関節を潰(つぶ)さない・詰まらせない身体の使い方

  身体の動きが悪い・きたない人の股関節・肩関節の使い方を観察してみると、潰したり、詰まらせたりして動いているのがすぐにわかると思います。脊柱の伸長と荷重移動ができていないこととが主たる原因であることが多いと思いますが、股関節窩(か)・肩関節窩に大腿骨頭・上腕骨頭を引き込むような過剰緊張状態があるはずです。

 結果として、骨頭が関節窩の正規の位置から外れて動くこととなります。当たり前のことですが、本来の位置に骨頭がないということは、本来の機能を発揮することができなくなり=正しく動くことができなくなり、身体全体の動きのコーディネーション(適切に組み合わせること)ができなくなってしまいます。

 コーディネーションができていない動きは円滑さ(スムーズさ)がありません。ギクシャク(間がきしんで、なめらかに動かないさま。)した動きとなり、姿勢の制御に脳神経系のリソースをとられる結果、さまざまな処理能力の低下をきたし過緊張状態を悪化させることになります。詳細は、松尾佳世子さんのこの記事をお読みください。

→ 常に脳は、体の安定性を優先させたい。より抜粋引用

 ヒトの体は、「物事を認知する」ことよりも「姿勢のバランスを保つ」方を優先させる。歩きながら会話したり、お昼何を食べようかなと考えたりすることはそんなに難しいわけではないと思います。それがもし、安全装置無しで綱渡りしながらだとどうでしょう? 

 会話する余裕もなければ、考える暇もなくなると思います。

 最終的に脳は、認知機能よりも身体的機能を優先させるようになる。しつこいが、常に脳は、体の安定性を優先させたい。だから、姿勢の制御で脳が手一杯のときはいろいろと考えるとか理解するといったことは後回しにされる

 つまり、体がうまく動けなくなればなるほど、相手の話の内容が理解できなかったり、外の世界の状況や環境が把握出来なくなる確率が上がってくる。空気読めず、変な態度とったり、言わなくていいことを言ってしまったり。気まずい雰囲気になっても、認知機能が低下していると気づくのは難しい

引用ここまで

 動きがきたない人が対人関係でやらかすことが多いのは、姿勢の制御でいっぱいいっぱいになってしまう結果であることが多いという推測が成り立つと思います。実際、股関節や肩関節がぴったりとハマって全身のコーディネーションができている動きが綺麗な人は、打てば響く(働きかけるとすぐに反応する。)ものです。動きがきたない人は、まわりの状況にまるで気がついていないことすらあります。

 8月28日(土)の神戸集中講座、8月29日(日)の新宮校集中講座、9月4日(土)の下関集中講座、9月10・11・12日(金・土・日)の東京集中講座で詳しく解説いたします。緊急事態宣言下での開催となりますので、安全な対人距離をとり、感染予防対策いたします。御参加、お待ちしております。

2021年8月22日日曜日

自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。

 「自己肯定感」という言葉がブームになって、かなりの時間が経過しました。自己肯定感は、「自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情」とされています。

 「自己肯定感が高い状態」というのは、「自分に対しても、相手に対しても、世界にたしても、肯定=OKを出している状態」です。なので、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。求められてもいないアドバイスしたがったり、誰かを変えようとしている人の自己肯定感はボトムラインだと私は考えております。

 よくある勘違いに、地道な努力で変えられる部分を変えようとしないというのがあります。変えれることを変えない人の自己肯定感が高くはなることはありません。ダメな自分が嫌いなのに、そんな自分を好きになろうとするとか、そういった努力次第で変えられる自分の嫌いな部分を変えないままで、自分を肯定しようとする人をよくお見かけいたします。ただの現実逃避に過ぎませんし、単に面倒くさいことをしたくないだけです。

 自分のことが嫌いだった人が、地道な努力を積み重ねることで結果を出して自信をつけて自分のことを好きになるという展開が王道だと思います。努力次第で変えられる自分のダメな部分を変えようとせず自己肯定感を高めたいとか土台が無理な話だと思います。そして、やらなければならないことをやるために、しなければならないことがあります。そう。自分は何ができて何ができない人間なのかという、「身のほど・分際を知る」ということです。

 自己肯定感を高めるために私がおすすめしているのは、「諦めなければならないことを諦める」ということです。自分ができないこと=不得意なことを認めて受けいれるということです。これができれば、やらかしをしてしまうことがなくなります。できもしないのに謎の自信をもってステージにあがったらどうなるかは、実際にやらかしている人たちを観察すれば秒でわかります。努力で変えられないほど才能がないのが誰の目にも明らかであるのに、その努力もしないでステージにあがりボロカスに酷評されている姿は、自己肯定感を勘違いした人の末路だなと感じております。さすがに下火になってきましたが、自分の容姿を肯定的に勘違いして自撮りをSNS上に拡散する人たちもいます。これも、ほんとに容姿端麗眉目秀麗であればいいのですが、そうでなければテロ行為と認識されていることが多いようです。

 できていないこと自体は良くも悪くもありません。問題は、できていないことを認めていないという点です。できていない自分を自覚し懸命に努力してステージにあがっていればそれほどひどい目にはあわないでしょうし、支援者もあらわれると思います。見た目がよくないと自覚してSNS上に自分をさらす行為にも、それほど悪意は向かわないような気がいたします。私は最近、拙い粘土細工の舞面をSNS上にアップさせていただいておりますが、ダメな作品だという自覚があるため、怒られが生じずに済んでおります。

 おそらく、自己肯定感を勘違いすると、「私は特別な存在」という得意満面な状態に陥ってしまうのだと思います。無意識に相手を見下したような態度をとってしまうため、相手の反感を買うことになります。「私はすごい人」という盛大な勘違いにより、まわりの人たちを肯定しないというNG行為に及んでしまうことになり、破綻してしまうという展開になりがちです。他の人にできないことができるという能力は、他の人を楽しませるために使うものであり、決して自慢するために使うものではありません。まして、能力的にたいしたことがないのであれば、「見苦しいものをお見せして申し訳ありません」というくらいの気持ちでないと、怒られが発生するように思います。

 なぜだか、やらかす人たちはみな謎の自信に満ちていたりします。妄想の中では、自分が世に出れば注目され絶賛されると感じているからです。妄想は妄想でしかありませんので、現実化することはありません。現実化するのは、ろくに努力をしていないのが誰の目にも明らかなため、まったく評価されないという状況です。妄想に耽っている怠惰な思考に基づく言動による結果が現実化するのであって、妄想が妄想のままに現実化するわけではないのです。

 繰り返しになりますが、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。このことを知っていれば、後者の人たちがいかによろしくない状態に陥っているかが判別できると思います。

2021年8月21日土曜日

8月28日の神戸、29日の新宮校、9月4日の下関の集中講座は、コロナ対策のため非接触にてワークを行ないます。

  9月12日までの緊急事態宣言が発出されました。新型コロナウイルスデルタ株の感染拡大対策のため、8月28日の神戸集中講座、29日の新宮校集中講座、9月4日の下関集中講座は、非接触にて姿勢と動きの改善のテクニックとストレッチングを行ないます。当初は、パートナーワークを予定しておりましたが、デルタ株の感染力の高さとワクチン接種のタイミングを考え、今回は距離をとってのワークといたします。

 現在、私はほぼ自宅に引きこもってステイホームしております。公共の施設が使えないため、各地のレッスンや講座がほとんどお休みとなってしまったためです。使用できる会場が確保できた地域のみで、感染対策をした上でレッスンや講座をやっております。全国的に医療逼迫が深刻化しているため、感染予防を徹底したいと考えております。

 先行きは不透明ですが、自分の身は自分で守るフェーズに入っていると思います。デマ(誤った情報)を信じることなく、正確で基本的な対処を徹底してまいりましょう。



2021年8月18日水曜日

妄想と現実~やらかして後悔することのないように身のほどを知る

 「世界に向かって自分を発信すれば、人生が良い方に変わる」

 そう信じ込んで自己発信した人たちが、次々に行き詰っています。

 ブロガーになりたい→ブログ書く→読んでもらえないor酷評→フェードアウト

 インスタグラマーになりたい→投稿する→見てもらえないor酷評→フェードアウト

 youtuberになりたい→投稿する→観てもらえないor酷評→フェードアウト

 歌手(シンガー)になりたい→歌う→聴いてもらえないor酷評→フェードアウト

 PV出したい→撮影・編集する→観ても聴いてももらえないor酷評→フェードアウト

 ダンサーになりたい→ステージで踊る→酷評→フェードアウト

 舞台に立ちたい→舞台に立つ→観客白けるor凍りつく→フェードアウト

 アドバイザーになりたい→自画自賛宣伝する→依頼者が現れない→フェードアウト

 ……例をあげればきりがありませんが、何をやっても好い反応がないため、いつの間にか消えてしまいます。原因は極めて単純で、才能もなければ努力も足りないということなのだと思います。発信していない=知られていないから廃れているのではないのです。単に「つまらないから関心をもってもらえない」というだけなのです。見る価値も聴く価値もないものをしつこく押しつけられれば、ミュートされるかブロックされておしまいです。

 単なる社交辞令(つきあいをうまく進めるための儀礼的な褒め言葉)を真に受けて、自分に価値があると思い込み、暴走し突き進んでしまった結果がどうなるのかは、「世界に向かって自分を発信すれば、人生が良い方に変わる」と信じ込んで行動した人たちを観察すれば、とてもよく理解ができると思います。求められてもないのに前に出れば、待っているのは残酷な現実だけだと思います。やってダメなら諦めがつくという理由でやるのなら、まだ救われるかもしれませんが。

 私自身は、「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」という考えなのですが、普通に考えてやらない方がいいと思うことはやりません。人が死ぬ間際になると、やってしまった後悔よりも、やらなかったことへの後悔の念が強くなるそうです。ただこれも「やればできたはずなのにやらなかったこと」に限ると思います。やるかやらないかで迷っていることが、自分がやりたいことであればやっておいた方がいいと思いますが、それが「他人に賞賛されたい・チヤホヤされたい」とかいう性質のものだったら、やらない方がいいと思います。

 他者の存在がからむことがらの場合、やると後悔し続ける結果になる可能性が高いと思います。迷惑がられたり、困らせてしまったり、嫌われてしまったり、そんな結果になりがちなのです。他人がからむことで失敗した場合、後悔する余裕もなく逝ってしまうことになります。やって後悔は、メンタルはもちろんのこと、それ以外に色々なものを失うことになるのです。他者を巻き込んでしまった代償は、とても大きくなってしまいます。

 他者の存在がからまない自己完結してしまうことがらの場合は、やって後悔することはほぼ無いように思います。いわゆる趣味領域のことは、むしろ積極的にやるべきかもしれません。自分の努力次第でどうにかなることに全力を注ぐのは充実した好い経験となって、その後の人生を豊かなものにしてくれます。自滅だけで済むのなら、やった方がいいことはたくさんあるように思います。

 得るものと失うものを天秤にかけてみて、失うものの方がはるかに多いとしたらやらない選択をする方がいいかもしれません。やらない選択をする=現状維持を選ぶというのは、後ろ向きなことではないと思います。前向きに無謀なことをやるよりも、好い流れになっていくことが多いように感じます。やって後悔するときの無残な結果が出てしまったという現実の後に残るのは失敗したという残酷な事実しかありません。そう。やった後悔は、後々まで長く引きずることになりがちなのです。

 夢は必ず叶うという精神論を振りかざし、無責任に背中を叩く輩もいますが、彼らは何の責任もとってはくれません。「夢が叶う」という甘言に騙されて人生を棒に振る人たちも多くいるようです。成功の見込みが一切ないのに、思いあがって突撃すれば、結果は火を見るよりも明らかです。夢を追ってはみたたけど叶わなくて哀しいことになってしまうだけです。「人生は一度きり。チャンスは必ずつかむ!!」とかいう安易な煽りに乗ってしまうリスクは大きいように思います。

 他者を大切にし、きちんとした準備・計画をしたにも関わらず、様々な悪条件が重なって失敗した人を嗤う人はほとんどいないと思いますが、他者を大切にせず、ろくな準備・計画もせずに思い込みで突っ走って失敗した人は嗤われます。あまり考えない猪突猛進型の人たちを観察してみればすぐにそれがわかると思います。自分のやることは特別なことだからと、他者をないがしろにして無計画な突撃を繰り返し失敗を重ねています。

 「身のほど知らず(自分の身分や能力などの程度をわきまえないこと。また、そのさまや、その人。)」という言葉があります。自分の分際をわきまえずに、出しゃばった行動をする人のことです。『キーワード「身の程知らず」の四字熟語』を読んでみると、耳が痛い言葉が多くて学びになります。「知小謀大(ちしょうぼうだい)=見識が浅いにもかかわらず、大きなことを企てること。自分の力を考えず、むやみに大きな計略をめぐらすこと。」は、やって後悔でよく見かけるパターンですね。

 現在の自分の状況は、これまで自分が考えてきたことや、やってきたことの結果です。思考が現実化するというよりは、現実は自分の思考の結果だという感じです。何かを妄想したから現実が妄想通りになるのではなく、妄想していると往々にして恐ろしい展開になるから気をつけましょうということなのだと思います。身のほどを知り、きちんと準備・計画を立て、他者を尊重してやっていくことが大切なように思います。

 

2021年8月17日火曜日

9月12日まで緊急事態宣言期間となるため、自由ヶ丘・福津・大牟田のレッスンが中止となりそうです。

 新型コロナウイルス対策で、政府は、緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県を追加し、期間は8月20日から9月12日までとする方針です。東京など6都府県の宣言も延長する方針で、17日、専門家に諮った上で、正式に決定することにしています。

 まだ連絡は受けておりませんが、9月12日までの自由ヶ丘・福津のグループレッスンと、大牟田サークルは中止となる予定です。

 よろしくお願いいたします。

2021年8月16日月曜日

何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。

  

新たな感染者数

 ここのところ、自らの感染予防及びに感染拡大対策のために、ステイホームしております。

 加藤諦三先生の言葉

「寂しい人は、注目を引くためにさまざまな問題を起こします。」

「不安な人ほど思い込みが激しいです。」

「人間は自分の存在に意味を感じなくなると、衝動の罠に落ち込んでいきます。」

「人間は自分の存在に意味を感じなくなると、衝動の罠に落ち込んでいきます。」

「自分に対する他人の態度がおかしい時は、「なんでかなあ」と考えてください。あなたがおかしいのかもしれませんから。」

「不安な気持ちに負けていると、いつまでも不幸と別れることはできません。」

神経症者の要求の特徴4より

 自分がしたいことをして、結果として「恵まれた人生」になった人と、皆が「わー、凄い」と言うことをして、恵まれた人生になった人では、同じように社会的経済的には恵まれていても幸福感は全く違う。皆が「わー、凄い」と言うことをして成功した人は、端から見て恵まれていても、生きるのが辛い。

 「理想の自分」とは要するに、皆から「わー、すごい」と賞賛されるような人間である。もちろん心理的に健康な人も皆から「わー、すごい」と賞賛されたい。しかしそれはあくまで自分が好きなこと、自分の適性にかなったことで成功して褒められたいということで、神経症者の様に自分の適性と関係なく、褒められたいとは思わない

 神経症型の人は現実の自分の実力、能力を無視して、何としても理想の自分になろうとする

 神経症者は失敗を受け入れることが出来ない。受け入れることが出来ないとは、失敗すると失敗を嘆いてばかり居ると言うことである。心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、失敗してもしたことに対する満足はある。失敗に対する態度でその人の神経症の程度は分かる。神経症者は自分を大切にした生き方をしていないから、失敗したら後悔だけの人生である。

 そして成功しても幸せになれない人である。なぜなら何事も自分の意志でしているのでないから。成功しても達成感、満足感がない。

 なぜ思惑がはずれたかを反省していない。相手を見ていないから努力が生きてこない。相手が何を望んでいるかを考えない。自分の世界観だけで努力する。だから「こうなる」と思ってしたことが、「こうならない」。 

 なぜなのだろうと考えないで、「もっと」同じことをする。さらに努力をする。

 神経症者は相手を見ていない。相手を理解していない。ではなぜ人を好きになるのか?なぜ人を嫌いになるのか?それは相手が自分の何かを誉めてくれた、自分のコンプレックスを癒す一言を言ってくれたからである。その一言で好きになる。逆に自分のコンプレックスの部分を逆撫でする一言を言い、傷つけたから嫌いになる。神経症型の人は相手がなんでそれを言ったかも考えない

 神経症者には、見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが最初にあるから、現実の自分には不可能としか考えられない様な大成功を求める。見返すために必要な成功、それが自分に対する非現実的な期待である。もともと無理なことを望んでいるのだから出来るわけがない。そしてそれができないから悩んでいる。現実の自分を無視してしまうのはまず見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが無意識の領域で先行するからである。

 例え望むだけの成功をして見返したと思っても、その時点での屈辱感を癒すものでしかない。その成功は長い人生の収穫になるものではない。自分のコンプレックスを処理しておかなければ、またすぐに惨めになる。

 自分は自分であるということのどうしようもない事実を喜んで受け入れることが出来るか出来ないかに、神経症と心理的に健康な人との分かれ目がある。「見返してやりたい」と努力する人は神経症。自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人。

 自分を受け入れられるようになってみると、自分を受け入れないのは太陽が東から昇ることを受け入れないのと同じくらい滑稽に感じる。つまり神経症型の人は実際の自分の能力を受け入れられないというよりこの世の現実を受け入れられないのである。

 何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。生き方を間違える人は今現在を大切に生きていない。人生を間違える人は毎日毎日することをきちんとしていない。

 とにかく自分の身になることを毎日続けなさい。どんなことでも毎日続けることは大変なことである。そのくじけそうになる気持ちを持続させることが、達成感を生んでくる。神経症的傾向を直したいと思えば、まず日常の生活態度をきちんとすることである。日常のことをきちんとする。毎日の積み重ねのなかで何かを感じる。例えば一年続ける。するとそこに達成感が生まれる。そして「こんな小さなことでもこんな気持ちがいいのだからもっとして見よう」と言う気持ちになるだろう。

引用ここまで(リンク先で全文を読んでみてください)


 行動原理が復讐=見返したい=怨念(うらみに思う気持ち)だと、だいたいうまくはいかないと思います。自分の適性に合わないことを選びがちだからです。これに対して、好きでやっていること=自分の適性に合っていることは続けることができます。期待に応えようとして自分の適性に合わないことをやっても、たいしてうまくはいきません。自分の適性に合ったことであれば、それなりにうまくいきます。

 日常生活をきちんとしている人は、生き方を間違えにくくなります。毎日毎日することをきちんとしているわけですから、そのぶんだけ勘違いをしにくくなるということです。日常生活をきちんとしていない人ほど、魔法のような開運法を探し求めがちですが、すべて役に立ちません。スタート地点から勘違いの連続なので、ずっと間違い続けることになります。

 よくある勘違いに、「ステージにあがりさえすれば、きっと賞賛される」というものがあります。実際に起きるのは、「日常生活をきちんとしていないという積み重ねが姿勢と動きと呼吸にあらわれて酷評される」という現象です。ステージ上では、普段やっていることしかできません。ひとりよがりな人は、ステージ上で文字通り「ひとり」となってしまいます。奇跡は起きません。

 適性がないことを、あると勘違いして行動すると、現実の壁が立ちふさがります。そこで現実を受けいれるか、受けいれないかという選択をすることになります。私は、すぐに現実を受けいれるようにしています。加藤先生の「実際の自分の能力を受け入れられないというよりこの世の現実を受け入れられないのである。」という言葉が脳裏をよぎるからです。

 適性のひとつに、「容姿(すがたかたち。顔だちと体つき。容貌風姿。)」があります。現実問題、容姿の良し悪しというのは大きな影響があります。先天的なものであれ後天的なものであれ、見た目の良し悪しでその後の展開は大きく変わることになります。ルッキズム(外見にもとづく差別)は批判されますが、現実世界からルッキズムが消えることはおそらくないのではないかと思います。もちろん、見た目を気にしない人たちはたくさんいますので、その世界で生きていくのが楽でいいかと思います。

■真の花(まことのはな)

能で、鍛練と工夫の末に得た、芸の真実の面白さ。永久不変の舞台上の芸のうまさ。

■時分の花(じぶんのはな)

能で、年齢の若さによって現れる、芸以前の一時的な面白さ。

 時分の花は、40を過ぎれば失われていきます。それ以降は真の花を咲かせていかねばならないように思います。日常生活をきちんとやることで永久不変の魅力というものが生まれてくるように思います。

「何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。」という加藤先生の言葉を心に刻み、ステイホームに励みたいと思います。

2021年8月14日土曜日

自分の身は自分で守るフェーズに入ったと思います。できる限りの感染対策を講じましょう。

  新型コロナウイルスCOVID-19デルタ株・ラムダ株感染予防のため、自宅に引きこもってステイホームしております。不確実情報ですが、「ラムダ株は、中和抗体を弱める特性があり、ワクチンの効きが悪い恐れがある」との特性が指摘されております。インド由来で感染力が強い「デルタ株」を含む「懸念される変異株」より警戒度は低いとされていますが、脅威には変わりません。感染者数の増加によって医療体制は逼迫しており、迷惑はかけれない状況だと認識しております。

 私の第2回目のワクチン接種予定日は、8月22日です。計算上は、9月の中旬くらいには効果を得ることができそうです。そのくらいから、少しずつ活動を戻していければと考えております。とはいえ、公共施設が借りれないので、以前のような活動に戻すことはできませんが。コロナ禍以前の状態に戻ることはないでしょうから、そろそろ今後の活動内容を見直さないといけません。ただ、先が見えない状況で悪足掻きしても良い結果にはつながりませんので、コツコツ基本動作の反復練習を積み重ねております。 

デルタ株

 いずれにしても、現在はもう「自分の身は自分で守る」というフェーズだと思います。デルタ株には、ヒトの細胞にくっつきやすいという特性があり、肺の細胞に入り込んで感染しやすく、急激な重症化につながるとされております。コロナウイルスのくっつきやすさを変えることはできませんが、人が周りに吐き出したり吸い込んだりするウイルス数は減らすことができます。いままで以上に、人が集まる場での高性能マスクの着用、こまめな換気、t者との距離をとる、手洗いをするなどの基本的な感染予防対策をすることが重要となります。

 何ごとも、基本の徹底が大切だと思います。デルタ株に感染しないために、各自ができることは従来株と同じです。密集、密接、密閉の3密を避け、適切なマスクの着用、手洗いの徹底ができていれば、リスクを低下させることができます。加えて、「飲酒を伴う懇親会等」「大人数や長時間におよぶ飲食」「マスクなしでの会話」「狭い空間での共同生活」「居場所の切り替わり」を最大限に回避することを心がける必要があります。

 後遺症として、倦怠感、頭痛、息切れ、体の痛み、持続性の咳などがあり、一部の方には微熱、胃腸の不調、動悸や心拍数の変化などに加えて集中力の低下や脳の霧(brain fog)、耳鳴り、四肢の感覚の低下などの神経学的な症状が出ているそうです。とにかく、「感染しないためにできることはすべてやる」ようにしていきたいと思います。

2021年8月10日火曜日

日本人の身体操作の要は「小指の使い方」~「日本刀と扇子」

  東京集中講座が中止になったため、8月6日から9日まで自宅で自主練習に励んでおりました。私は元々が引きこもり体質なので、本来の在り方だなと実感しておりました。この間、紫水堂さまで刀をお受けして、日本刀身体操作のお稽古をしておりました。

紫水堂さまでお受けした刀

 一時期、古武術がブームになったこともあり、いまでは和の身体操作ができる人たちがたくさんおられます。私は、機能運動学的な身体操作指導を生業としておりますが、居合術や抜刀術の達人の動きの合理性に学ぶところが大きくあります。特に「刃筋を立てる」という操作には、「刃を中心に据えて自分はそれに従う」という基本姿勢を見ることができ、エゴを肥大させがちな身体操作指導者には、良き戒めになるように感じております。

 そして、「扇子(扇を閉じた状態)」のお稽古の重要性を再認識しております。

白扇

 日本刀も扇子も、「小指」で握ります。残りの指には力を入れません。逆に、曲芸的にぶんまわすときは、「母指と示指」で握り、残りの指には力を入れません。

 日本刀は刃筋を立てて振ると、「ひゅっ」という風斬り音(刃鳴り)が生じます。試してみるとすぐにわかりますが、5本の指でしっかり握りしめて振ると音がしません。扇子は。小指で扇子の要(かなめ)を押さえて握ります。試してみるとわかりますが、この握り方以外の握り方では、上体が崩れてしまいます。

 両手で刀を握るときは、右手が上・左手が下となり、左手の小指で握るとうまく振れます。右手で刀を握るときは、右手の小指で握ります。私は、白鞘の舞踊刀を常用しておりましたが、普段から扇子を小指で握るように習慣化しておりましたので、左右共に片手振りは円滑に行なえます。

 「機能運動学的に正しい動きは美学的に美しい」と、されております。逆に言えば、機能運動学的に正しくない動きは、美学的に美しくないということだと思います。エゴが強くなればなるほど、機能運動学的に正しくない動きとなっていきます。当然の結果として、誰も美しくない動きは見たくありませんので、見てもらえないということになります。厄介なことに、エゴが強い状態のときほど人前で披露したがるため、まずい結果になってしまいがちです。

 「たかが小指、されど小指」なのだと、しみじみ思います。「たか(高)が」は、「問題にするほどの価値のないさま」を意味し、「されど」は、「前述の事柄を受けて、相反する内容であることを表す。そうではあるが。しかし」を意味します。小指は目立ちませんが、目立たない小指が活化されているからこそ、全身の動きがよくなるのです。

 今日の塾生講座で、小指の使い方について解説いたします。有料オンライン塾生講座に内容をアップする予定です。

2021年8月6日金曜日

長い人生のうちには悪いときもあればよいときもある。悪いことばかりが続くものではない。

■雌伏(しふく)

今の状況に身を置きながら、実力を養いつつ、活躍の機会を待つこと。⇔雄飛

■雄飛(ゆうひ)

飛揚するように、勢い盛んに勇ましく活動すること。⇔雌伏

 観阿弥が息子の世阿弥に、「人生には雄(お)とき=何をしてもうまくいく時がある。幸運にのって一生懸命すればいいが、慢心したりすれば、たちまちに何をやってもうまくいかなくなる、雌(め)ときが訪れる。ここで我慢して辛抱していれば雄ときはまたやってくる」と、言ったそうです。

 雄ときは運が良いとき。何をしてもうまくいき調子に乗ってるとき。

 雌ときは運が悪いとき。何をしてもうまくいかず調子に乗れないとき。

 雄ときには驕り高ぶらないこと。油断せずに自分を戒めること。雌ときにはじっと耐え忍ぶこと。そして自分の在り様を見つめ直し自分を改変成長させるときです。

■禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

 わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸は縄をより合わせたように交互に絡み合い表裏をなす。一時のそれに一喜一憂しても仕方がない。

「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨」≒「禍(わざわい)に因(よ)りて福(ふく)と為す。成敗(せいはい)の転ずること、譬(たと)えば糾(あざな)える墨(ぼく)のごとし」。

■塞翁が馬(さいおうがうま)

 人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。「人間万事塞翁が馬」

 昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。「淮南子(えなんじ)人間訓」

■沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

 長い人生のうちには悪いときもあればよいときもある。悪いことばかりが続くものではないというたとえ。

■楽は苦の種苦は楽の種

 楽は苦を、苦は楽を生むもとになる。今の苦労は将来の楽につながるから耐え忍ばなければいけない。


 これから新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延が本格化します。この局面で私にできることは「ステイホーム」だと考えております。自分が感染しないため。そして、他者に感染させないためです。ステイホーム(stay home)とは、「家に居よう」「といった意味の表現であり、2020年春に新型コロナウイルス感染症の拡大・蔓延が危惧される中で提唱された行動様式を示すスローガンです。現在は死語になってしまっておりますが、いまこそ家に居ることが重要だと考えております。

 私たちの仕事は「人を集めること」で成立しています。現在の「人を集めてはいけない」という状況は、文字通りの「雌とき」だと言えます。ここで悪足掻きしても未来は暗くなるように思います。じっと耐え忍び、自分の在り様を見つめ直し自分を改変成長させるときだと認識しております。どういう展開になるか想像もつきませんが、ワクチンに続き治療薬がつくられない限り、いろいろと難しいような気がしております。

 8月中~下旬がひとつのヤマだと感じております。その後どうするか現在の私にはわかりませんが、いまは自分のトレーニングに励もうと思います。

2021年8月3日火曜日

8月の東京・名古屋・大阪の集中講座の開催を中止いたします。

  新型コロナウイルス・デルタ株が蔓延しつつあります。感染予防のため、東京・名古屋・大阪の集中講座を開催を中止いたします。国境を越えた大運動会が開催される中、県境を越えた講座を中止にするのはいささか納得がいかない気持ちですが、人命を第一に考えることにいたしました。

 私自身のワクチン接種(2回目)が8月22日であることもあり、私自身の身を守るためにも、8月はできる限りのステイホームを心がけることにいたしました。9月の日本国全体の状況がどうなっているかを考えてみたとき、どうなっているのか想像がつきませんが、いまはおとなしく命を大切にしたいと思います。

 みなさまも、命を落とさないよう、また、回復したとしても数年にわたる後遺症に苦しむことのないよう、できる限りの感染予防対策を講じてください。やらかして一生後悔するより、いま本気の我慢をするほうがずっといいはずです。デルタ株の次に来る株はさらに強力でしょうから、用心に用心を重ねてください。

2021年8月1日日曜日

8月の「福津グループレッスン」と「宗像グループレッスン」をお休みさせていただきます(福岡県にまん延防止等重点措置が適用されるため)。

  8月2日から再び福岡県にまん延防止等重点措置が適用されることになり、会場の夜利用ができなくなりましたので、8月の「福津グループレッスン」と「宗像グループレッスン」をお休みさせていただきます。なかなか出口は見えませんが、生きていられるだけで尊いことですから、命を大切に、健康を大切に、感染防止を心がけてまいりましょう。深刻な後遺症に悩まされることにならないよう、回避に回避を重ねてまいりましょう。

 私は、本日が第1回目のワクチン接種です。9月中旬にはある程度の抵抗力を得ることができているかと思います。しかしおそらく、COVID-19のほうも変異してワクチンの効果を無効にすることが予想されます。いずれはイタチごっこになるかもしれませんが、とりあえずの安心感を得たいと思います。現在は2回接種ですが、すぐに3回接種となりそうです。

 経済面のダメージは、いまは耐えるしかないと思います。命があるだけでよしとして、何とか乗り切ってまいりましょう。