2017年10月18日水曜日

IBUKI(安部塾身体操作技法)を、HPで紹介しました。11月23日(木)の薬院校集中講座で、2017年版IBUKIの解説をします。

安部塾独特の身体操作技法=IBUKIを、少しだけHPで紹介しました。

→ IBUKI(安部塾身体操作技法)

■IBUKIとは?

塾長が1985年以降に研究してき各種身体操作技法の集大成です。名称は、塾長が愛してやまない伊吹山(伊富岐山)と「息吹(呼吸・活気があること」をかけて名付けました。呼吸と姿勢と動きを調和させ、ナルシシズムを克服して自己実現していく技法です。安部塾では、「呼吸をするということ(The Art of IBUKI.)」を大切にしています。

■IBUKIの基本原則(一部を紹介)

◇姿勢
おでこは前に・あごは下に・脊柱は長く・鎖骨は広く・肩甲骨はお尻に・首を自由に・関節をなめらかに
☆吸う
頭うなづく・胸反る(脊柱伸展)・肋骨ひろがりあがる・各関節は基本的に屈曲(足首は背屈)・外旋
★吐く
頭のけ反る・背中丸まる(脊柱屈曲)・肋骨せばまりさがる・各関節は基本的に伸展(足首は底屈)・内旋

2017年版 IBUKI
◇動きは、屈曲連鎖・伸展連鎖・対角線連鎖など目的に応じた筋肉連鎖を用い、らせんの動きを意識します。

※現在、2018年版IBUKIの教本を製作中です。


11月23日(木)の薬院校集中講座で、2017年版IBUKIの解説をします。

御参加お待ちしております。

11月17・18・19日(金・土・日)東京集中講座『セルフケア・ボディタッチ』『やわこを使いこなす』『身体操作技法IBUKI』の御案内

201711 東京集中講座 ゴリラの型w

11月の安部塾東京集中講座は、17・18・19日(金・土・日)です。

3日間連続開催が普通になってきました。

セルフケア・ボディタッチ~側頭筋の解放


■11月17日(金)夜
・夜 集中講座 「セルフケア・ボディタッチ~やさしく触れて身体の声に耳を傾ける」

■11月18日(土)
・朝 集中講座 「やわこを使いこなす~筋緊張の解放」
・昼 集中講座 「セルフケア・ボディタッチ~やさしく触れて身体の声に耳を傾ける」
・昼 集中講座 「身体操作技法IBUKIで、呼吸と動きと姿勢を整える1」
・夜 塾長レッスン 「リクエスト応答」

■11月19日(日)
・朝 集中講座 「やわこを使いこなす~筋緊張の解放」
・昼 集中講座 「セルフケア・ボディタッチ~やさしく触れて身体の声に耳を傾ける」
・昼 集中講座 「身体操作技法IBUKIで、呼吸と動きと姿勢を整える2」
・夜 塾長レッスン 「リクエスト応答」

というような予定でいこうと思います。


詳細が決まったら、御案内します。

予定を空けておいてくださいね(^^♪

2017年10月17日火曜日

10月26日(木)大阪集中講座「筋ほぐし~『やわこ』を使いこなす」

10月26日(木)の大阪集中講座で、「筋ほぐし~『やわこ』を使いこなす」をやります。

安部塾では、定番中の定番の道具です。

La-VIE(ラ・ヴィ) やわこ

ほぼほぼ無敵の効果を誇ります(笑)。

今回は、安部塾奥義『うつぶせやわこ』も投入します♡。

うつぶせやわこ
あとはまあ、定番のこのあたり。

尻責めやわこ

まあ、体験してみたらわかりますが、最高ですよこれ♡

スティルポイントインダクター的にも使います。

スティルポイント・インダクター

塾生絶賛です(ほぼほぼ寝てます)。


「うちももやわこ」もやります。

うちももやわこ

これ、呼吸~舌にからむ必須技です。


至福ですよ♪


御参加、お待ちしております。

10月26日(木)の大阪集中講座で、「コーピング」の解説をします。

10月26日(木)の大阪集中講座で、「コーピング」の解説をします。

ストレスから心と体を守る技術のひとつです。

慢性的にストレスを受け続けると、脳が破壊されてしまうのです。

ストレスをなめてはいけません。

ストレスの種類

当日の予定です。


はじめに、「自己観察(セルフモニタリング)」について。

ストレスに気づいて、観察して、理解します。

そして、「ストレッサー(ストレスを生物に与える何らかの刺激)」の書き出し。

それから、「自動思考」を書き出します。

さらに、「感情・気分」の書き出し。

最後に、「行動」について書きだします。

仕上げに、観察結果をまとめます。

これらを、ワークシートに記入します。


・楽しめることを考える
 ↓
・ストレス対処法100個の書き出し
 ↓
・イメージと行動を分けて考える
 ↓
・ストレス対処法のレパートリーを増やす
 ↓
・自分を励ましてくれる言葉や人を可視化
 ↓
・ストレスとの相性を確認する


という感じで、一般的なやり方を安部塾的に解釈する予定です。


御参加、お待ちしております。

2017年10月16日月曜日

小さな子供の頃に愛着行動が必要ないほど母親に理解され、愛育された人は、この人生を生きていく力を与えられている。

自立するためには、母親という存在を理解する必要があります。

この本がおすすめです。
[新版]自立と孤独の心理学 不安の正体がわかれば心はラクになる

P4
 小さい頃の自分の「愛着行動」に対して、誰もそれに報いる「愛育行動」をとってくれなかった。それゆえに大人になっても形を変えて自分は、他人にしがみつく「愛着行動」をとりつづけているのかもしれない。しがみつきながらもその人を信頼できない。だからこそ、しつこくなる。
P5
 その人が本当に求めているもの、それは愛情の絆から自分が分離されている不安や苦悩を和らげるものである。あるいは分離によって生じた喪失感を生めるものであることがある。しかしその人自身が自分が本当に求めているものを理解していない。あるいは心の底で理解してもそれを認めることを拒む、そんなことがある。そうである限り、その人の苦悩は続く。
 不必要に悩み苦悩している者は心の奥底に何か欠陥を持っている。心の奥底に何か欠けているものがある。それは想像以上にその人にその人に対して破壊的な力を持ち、想像以上に治療しがたい。
P14
 小さな子供は一人でいることを楽しめない。母親が離れれば後を追い、母親にしがみつく。母親に接近しようとする。このように母子間のつながりを密接にしようとする行動は愛着行動といわれる。
 肉体的には大人になっても一人でいることを楽しめない人がいる。一人でいることを楽しめるようにならないと心理的に成長した人間とはいえない
 不安な人は一人でいることが楽しめない。不安な人が楽にできる行動は基本的に愛着行動しかない。心理的に不安な人が生き生きとしている時は本質的に愛着行動をしている時である。
 愛着行動とは小さな子供が親の後を追いかけたり、しがみついたり、泣き叫んだり、ほほえんだりすることである。
P22
 不安な人は何かによって安心しようとしている。それが強迫性である。強迫性とはそうしないではいられないということである。
 強迫的に名誉を求めたり、富を求めたりする人は小さい頃からいつも愛着行動を終わらせることができなかったのではなかろうかつまり母親によって不安を解決してもらえなかったあるいは母親自身によって不安にさせられた
 子供が愛着行動を必要としている時、母親が逆にそれを妨害する。そのような経験を積み重ねるうちに子供は不安を心の底にこびりつかせるのではなかろうか。
 手のかからない良い子は、実は良い子になることがしがみつきなのである。親の拒絶を感じとって、良い子になるということで間接的にしがみついているのである。それ以外のしがみつきの形は怖くてとれない。
P23
 すねるというのは間接的に甘えているのと同じ考え方である。手のかからない良い子は、膝の上に乗れないから良い子になって誉めてもらうことで代償的満足を得ている。しかしこれでは本質的に不安が和らぐことはない。
P24
 小さな子供の頃に愛着行動が必要ないほど母親に理解され、愛育された人は、この人生を生きていくうえで、巨万の富を与えられるより、もっともっと比較にならないほどの力を与えられている。
 あるいはそこまでの母親に恵まれなくても愛着行動をとる時にそれを理解し、その不安な緊張を和らげるための行動をとる母親に恵まれた人は、生きていくうえで、この上ない力を与えられたといえる。
P35
「過剰依存を示す少年群のほとんどすべての家庭について、両親のけんかと相互非難が報告されていた」
 子供は愛されれば親から、家から離れていく。愛されれば自立性ができるからである愛されれば心理的に成長できるからである。愛されれば情緒的に成熟できるからである
 しかし愛されなかった子供は親からなかなか離れていくことができない。愛されない子供には、自立性は期待できない。いつまでも依存心が強くて誰かに心理的にいつも支えていてもらわなければならない。心理的に人に絡みついて生きなければならない。
P37
 人間の場合も拒否されれば拒否されるほど子供は母親から離れにくい。人間の母は他の動物よりも拒否の仕方が複雑である。意識の上で良き母を演じながら無意識で拒否するいうようなことが行われる
 「過剰な拒否の愛」という表現もあるくらいである。自分の心の冷たさを隠して過度の愛情のあるふりをするということもしばしば起きる。拒否する親に子供はしがみつくということが起きる。
 子供のほうも自分が愛されいると思い込もうとする。親のほうが愛していると思い込み、子供が愛されていると思い込み、いつまでも親子関係が深く閉じられているとことがある。子供の側からすると愛されていると思い込む心理的必要性がある。愛情飢餓感を埋めるためである。心の不安から逃げるために愛されていると思い込むことに逃げるのである
P38
 これが欺瞞に満ちた親子関係が発生するプロセスである。不安で親から離れられないのに、それをたとえば親孝行と合理化する
 親の側も同じように子供が自分から離れられないことを喜ぶ。そして子供は親孝行だと解釈する。お互いに不安でしがみつきあっているのである。お互いに不安でしがみつきあっているのである。お互いに相手を愛する能力を持ち合わせていない。恐怖ほど愛する能力を破壊するものはない。

引用ここまで


私が子供の頃の、父と祖母の関係はまさに「お互いに不安でしがみついている状態」でした。

お互いに相手を愛する能力を持ち合わせていないのは、子供心にもわかりました。

祖母が他界した後、追うように父親も他界しました。

しがみつく相手をなくした父は、脳を壊してしまったのです。


私の母親も、愛する能力を持ち合わせていないので、父の助けにはなりませんでした。

というよりむしろ、父の死を早めてしまったのではないかと思います。


私の家族は「親孝行」という言葉が好きで、いつも口にしていました。

愛情なんて微塵も存在しないのに(笑)。


そんな私は、自立と孤独の心理学にあるように、

「些細なことで怒るのは愛情に飢えている証拠」
「心の支えがないから人からの評価を求める」

そんな大人になりました。


私は、ほんとに些細なことで怒り狂っていました。

愛されていなかったからです。

運よく、たくさんの人たちから愛されるようになって、怒らなくなりました。

私という存在そのものを愛してもらえたことで、評価なんてどうでもよくなりました。


愛育の大切さを、生身で感じています。


出雲の旅で、「愛育」について語りたいと思います。

毒親の子は毒親を許す必要などない! どんな親にも醜い部分はあるし、誰もが毒親になる恐れがある今日、謙虚にわが子に与えた毒を認める親が求められてる。

日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?




毒親 より

毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉やネグレクトなどによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。「鬼親(おにおや)」ともいう。母の場合は鬼母(おにはは、きぼ)、毒母(どくはは、どくぼ)、毒ママ(どくママ)と称される。また、父の場合は鬼父(おにちち、きふ)、毒父(どくちち、どくふ)、毒パパ(どくパパ)と称される。毒母の別名として、モラ母(モラはは)と称されることもある。

日本では2013年ごろより、この言葉をタイトルに含めた本が出版されるようになった。主な意味としては「子の人生を支配する親」のことを指し、一種の虐待親として扱われることもある。「毒親に育てられた子は、毒親からの児童虐待によって苦しみ続ける」が主なケースとなっている。なお、スーザン・フォワードは『毒になる親』にて、「毒親の子は毒親を許す必要などない」と述べている。

子供に悪影響を与える母親については、母原病など、以前から語られることはしばしばあった。母と娘に限って述べたものとしては、信田さよ子が書いた『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』などが比較的初期に当たる。作家や芸能人など、名の知られた女性たちが経験談を本や公共の場で語ったことで、反響を呼んだ。

母による同性間ならではの娘への束縛や虐待(分身としての過度な私物化やコントロール、夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用など)を受けるも、娘は「母性」神話によって母親を悪者に出来ず、又は気付かずに苦しみ自身の人生を生きられなくなるとされる。支配型の毒母の場合、娘の世話を熱心にみることから、周囲からは愛情深い母親の行為として見られたり、母親の愛を得んがために、その期待に沿って猛進するため、社会的には成功する場合もあり、そのため周囲に苦しみを理解されない娘の苦悩はより深い。母を負担に感じる娘の場合、摂食障害や鬱といった精神的症状が表れる事例が多いといわれている。

心理学や精神医学では昔から、親が子に心理的に悪影響を与えるパターンとしては、共依存の研究は行われている。しばしば、「自分自身の世界が無く『ただひたすらに子供だけが生きがい』というような女性が、子供が自分から成長して自立することを良しとせず、子が親に依存せざるを得ないような状況を作りだしそれを保ち、子も子でそれを利用して自分の成長や自立をいつまでも遅らせようとしつづけ、双方が様々な理由づけをしてその関係性を無理やりでも正当化し、二人だけの閉じた世界ができていて外部にそれを見せることも少ないので、それが不健全だと気付いたり指摘してくれる人も滅多にでてこず、やがて心理的な歪みが子供の人生の意外な面から意外な形で噴出する」というパターンが挙げられることが多い。

引用ここまで


毒親の子は毒親を許す必要などない!
毒親の子は毒親を許す必要などない!!

大切なことなので2回言いました。

こちらも → 【毒親の12の特徴】美奈子さんは「毒親育ち」の典型

リンク先の下の方にあるチェックリストやってみてください。

きっと、3分の1以上チェックがつきます。

どんな親にも、毒があるのがわかると思います。


私も毒親です。

私の両親も毒親です。

私の両親の両親も毒親です。

毒にまみれた醜い家系です。


どこかで、毒の連鎖を断ち切らないといけません。

そして毒は、この世界に蔓延しています。


『毒になる親』スーザン・フォワード著 より

1.親は私の行動しだいで幸せに感じたり感じなかったりする。
2.親は私の行動しだいで自分を誇らしく感じたり感じなかったりする。
3.親にとって私は人生の全てだ。
4.親は私なしには生きられないと思う。
5.私は親なしには生きられないと思う。
6.もし私が本当のこと(例えば、離婚する、充実した、同性愛である、フィアンセが外国人である、等々)を打ち明けたら、親はショックで(または怒りのあまり)倒れてしまうだろう。
7.もし親にたてついたら、私はもう永久に縁切りだと言われるだろう。
8.彼らがどれほど私を傷つけたかを話したら、私はきっと縁を切られてしまうだろう。
9.私は親の気持ちを傷つきそうな事は何一つ言ったりしたりするべきではない。
10.親の気持ちは自分の気持ちよりも重要だ。
11.親と話をすることなど意味がない。そんなことをしたところで、ろくな事は無いからだ。
12.親が変わってさえくれれば、私の気分は晴れる。
13.私は自分が悪い息子(娘)であることについて親に埋め合わせをしなくてはならない。
14.もし彼らがどれほど私を傷つけたか分からせることができたら、彼らも態度を変えるに違いない。
15.彼らがたとえどんなことをしたにしても、親なんだから敬意を払わなくてはならない。
16.私は親にコントロールなどされていない。私はいつも親とは闘っている。

引用ここまで


毒親の子は毒親を許す必要などない!
毒親の子は毒親を許す必要などない!!

大切なことなので繰り返しました。


「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」を読んでください。



2017年10月13日金曜日

対話にゆだねる~言葉だけでなく、身体が訴えるものを見る~年寄りの気持ちが分かるような若者は、人生の問題を次々に解決できます。

Frederick Salomon Perls


Frederick Salomon Perls

クレイジーな人は『私はリンカーンである』という。
ノイローゼの人は『私がリンカーンだったらなー』という。
健康な人は『私は私、リンカーンはリンカーン』という。
フレデリック・パールズ

川を押すな。川は自ずと流れるもの。
(川の自然な流れに乗っていれば、ワークをする人の心の流れが、必ずいい所に連れていってくれます)
ローラ・パールズ

Fritz and Laura-Perls

■対話にゆだねる

相手と接する中で、「~してあげる」とか「~のために」などの目的を持たない。
自然と湧き起こる気持ちにただ服従し、そのままを伝え合い反応し合う。

言葉だけではなく、身体が訴えているものを見る。

今日から始まる、東京集中講座「愛するということ2」で、お話します。

2017年10月12日木曜日

息をするということ(The Art of Breathing)

10月14・15日(土・日)の東京集中講座で、息をするということについて解説します。

横隔膜

す・う〔すふ〕【吸う】の意味1 気体や液体を、口や鼻からからだの中に引き入れる。「大きく息を―・う」「タバコを―・う」「蚊が血を―・う」「蜜 (みつ) を―・う」 2 口に引き入れるようにして含む。また、接吻 (せっぷん) する。「赤ん坊が指を―・う」「口を―・う」 3 引き付けるようにして中に取り込む。吸引する。「この掃除機はよくごみを―・う」 4 水分などをしみ込ませて取る。吸収する。「地面が水を―・う」 5 引き寄せる。引き付ける。「磁石が鉄を―・う」

は・く【吐く】の意味
1 口の中のものを外に出す。「つばを―・く」 2 胃や肺の中のものを口・鼻から外へ出す。「血を―・く」「息を―・く」 3 中にたまったものを外部へ出す。「煙突から煙を―・く」 4 心の中のことを言葉に出す。「本音を―・く」「弱音を―・く」 5 人に知られたくないことをありのままに打ち明ける。白状する。「容疑者が泥を―・く」

 引用ここまで

呼吸

息をするのはアート(人間の研ぎ澄まされた感覚を見識を統合させる技)です。

テクニック(機械的方法論)ではありません。

フロム先生的に表現してみました(笑)。


姿勢も動きも、呼吸でつくられています。

なので、息ができないと、美しい姿勢も動きもできません。

当然、コミュニケーションもうまくいきません。

呼吸と姿勢と動きと人間関係は相関するのです。


息ができるようになると、全部がよくなります。

それはもう驚異的に。


安部塾身体操作技法IBUKIとは、「息をするということ」です。

「吸う」「吐く」という言葉の力を使って呼吸を導きます。

お楽しみに!

2017年10月11日水曜日

見るよりも聴く~人としての感情を伴いながら接することを通して、自分には操作できない他者の最奥の根源、「その人の本質を丸ごと、あるがままに見る」

ひさしぶりに読み直してみたら、フロム先生の凄さに圧倒されています。

聴くということ エーリッヒ・フロム

聴くということより。

P333~335

転移も逆転移も、いわば色眼鏡を通して相手を見ることだが、フロムはそれがすべてはないと強調する。

人間と人間がリアルに出会い、相手をあるがままに見ることは可能だと主張する。

なぜなら、すべての人間の体験、人間的体験は、自分自身の中に潜在しているからである。

もちろん、人はそれぞれ違うのだから完全に理解することなどできないという批判も成り立つ。

だがフロムなら、こう反論するだろう。

にもかかわらず、共通している部分があるからこそ対話も分析も成立する。
ならば、その共通性を最大限に生かせばよい。

いわば同時的で相互的な自己分析が起こるセラピーでは「人間への関心」と「人間らしさ」を失った語りのなかに、「人間なるもの」が感情移入と追体験を通して聴き取られ、分析者と被分析者とがすべての人間的体験に開かれ、自分自身の内面に聴くという構え、自己分析し続ける構えが、分析者から被分析者に移るような形で習得され、技として結実する。

それを通して、被分析者は、「人間の関心」と「人間らしさ」とを回復する

それがフロムにとって真の意味での回復~十全に人間として存在すること~ということになる。

P338

フロムは見えないものに耳を澄ますという「聴くこと」の本来のあり方を強調する。

可視化されない内面的本質を聴き当てようとする。

それは、「見ていることと違うものの可能性に開かれる」ということである。

分析者に求められているのは、「自己と他者の内面的本質」への開かれである。

フロムは、見ることには二つの種類があると言う。

第一は、操作の対象として見ることで、第二は「主体的に見る」こと、「主体を通して見る」ことである。

フロムは第二の見方を肯定する。

人としての感情を伴いながら接することを通して、自分には操作できない他者の最奥の根源、その人の本質を丸ごと、あるがままに見る」ことである。

表面に見えないことを知覚することであり、「聴くこと」に近い。

P339

聴くことの核心は、主体として他者に接して「聞こえたことを言う」ことである。

これは単なるおしゃべりとは違う。

引用ここまで


薬院校で身体操作技法の指導をしてきたことで、5年前に読んだ時と感じ方が違います。

この本の解説は、とてつもなく楽しそうです。

10月13・14・15日(金・土・日)は、東京で集中講座~安部塾身体操作技法「IBUKI」の2017年バージョンを公開します~親のお話

10月13・14・15日(金・土・日)は、東京で集中講座やります。

→ 安部塾東京集中講座詳細

安部塾身体操作技法「IBUKI」の2017年バージョンをまとめています。

私自身が納得がいく次元の仕上がりに達しました。

身体操作技法としての完成度には、とても満足しています。

と同時に、呼吸や姿勢や動きを見直すだけでは限界があるという気持ちが強くなっています。


体調不良や人間関係がうまくいかない原因が醜い親にある場合は、どうにもならないのです。


私はこの本を、何度も読み返しています。

日本一醜い親への手紙
そんな親なら捨てちゃえば?

醜い親は、心から謝罪するべきだと思います。

そうしないのが醜い親なのですが。


体の不調を訴えてこられる方のほとんどは、親に自尊心を破壊されています。

親から離れ、やさしい人たちの中で自尊心を育て直す必要があります。


いつもお話していますが、愛のない人間関係の中で生きていたら心身ともに壊れてしまいます。

3日間にわたり、「愛するということ2」で解説したいと思います。


こちらも、 → 毒家脱出日記~親が苦手じゃダメですか?~/春キャベツ

どのように壊れていくか、よくわかります。

真の毒親に、自分が毒親であるという自覚はありません。

第8話は、私も同じ体験をしたことがあります。


あるんですよね。

世の中には、普通に仲の良い家庭が。


そんなこんなで……

フロム先生の最も重要な遺稿「聴くということ」を、読み直しています。

聴くということ エーリッヒ・フロム

フロム先生は、「ナルシシズム的人間とは、現実が主観的に進行する人」だと書いています。

自分の感情や受け取り方だけを事実と感じてしまう人です。

自分と関係がない世界は現実味を帯びなくて、何の意味も感じる事ができません。

他者に関心がないのです。


まれに、とても魅力的に見えたりします。

ナルシシズム人間は、ナルシシズムを傷つけられると激怒します。

自分のナルシシズムを傷つけられることには耐えられません。


ナルシシズム的人間は、自分のことすら愛していないのです。

なので、他人のことはなおさら愛せません。



「自分自身への過剰な関心をやめることです。」

「人類が創造してきた偉大なものから学ぶのを放棄することは、基本的に無教養なことです。」

このふたつの言葉は、私もよく口にします。

元ネタはフロム先生なのです(笑)。


P363に「フロムは、人間の変化の可能性に関しては、後期になるほど悲観的になっており、変えられないほどの『悪性』の状態も直視すべきだという現実主義に傾いている」とあります。

本人が本気で変わろうとしなければ、変わらないのが現実なのだと思います。

「自分自身への過剰な関心をやめることです。」

ほんとにね。


ただね。

マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編

アドラー先生的には……

自分が変われないでいるのは、「自分に対して変わらない」という決心を下しているからです。

変わるのに必要なのは強い意志です。

目的があってそれに基づき原因を捏造するのです。

目的しかなく、原因は存在しないのです。

「変わる」という強い意志をもてば、「変われない」原因なんて存在しないのです。

「トラウマ」なんて存在しないのです。

いまこの瞬間から変わることができるのです。

必要なのは「強い意志」であり、変わるための「勇気」なのです。

……ってことなのです。

Alfred Adler

東京集中講座、お楽しみに!!

2017年10月10日火曜日

「落ち着いていること」が身体操作指導者の基本的な姿です

Frederick Matthias Alexander


妙にテンションが高い人は、身体操作指導者ではありません。

抑制が効いた動きを導くのが、身体操作指導者のあるべき姿です。

不必要な習慣(癖)をやめるのが、正しい身体操作です。

テンションが高いというのは、不必要な習慣そのものです。


正しい身体操作とは、不必要な緊張をしないように「ちょっと待つ」ことを心がけることです。

テンション=緊張を高めてならないのです。


長年続けてきた「間違った習慣」をやめることから、改善が始まります。

慣れ親しんできたやり方が間違っていることを認めることが大切なのです。


正しいやり方=新しいやり方を、自分の身体に教えこみましょう。

落ち着いて。

余裕を失わないように。



Frederick Matthias Alexander




妙にテンションが高いのは、反動形成かもしれません。


反動形成(reaction formation)

抑圧されて無意識になっている欲求が,意識や行動に現れないよう,それと正反対の意識・行動に置き換えられる機制をいう。防衛機制の一種で,たとえば,攻撃性が抑圧されている場合には極端に親切になったりする。大げさなこと,強迫性などを特徴とする。

引用ここまで


心の奥底では、正反対の気持ちだったりするのです。

無意識に抑圧した気持ちが意識にあがってこないようにしているのです。

本心と裏腹なことを言ったり、実際の気持ちとは正反対の行動をとってしまうのです。

嫌いな人を尊敬していると思いこんでしまったりするのです。


そう。

本当はおかしいと感じていることを、素晴らしいと思いこんでしまってしまいがちなのです。


落ち着きましょう。


己の心の中にあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、という心掛けが必要なんです。

天風先生の御本を読んでいます。

盛大な人生・心に成功の炎を

盛大な人生を送りたいとき、この御本が役に立ちます。


Twitterより





























言葉というのは、一度口にすると、もう一度その言葉を口にする状況に陥ります。

次々に、発した言葉通りの状況が起きるのです。

どんな言葉を使うか、間(ま)をとって考えましょう。

人生は、姿勢と同じく、ディレクションで決まります。

2017年10月9日月曜日

正しい身体操作とは、愛するということです。

Frederick Matthias Alexander


昨日の集中講座で、「間(ま)をとること」の大切さの解説をしました。

いまを生きる=現実を生きる=愛の技術です。

正しい身体操作ができる=落ち着いている=集中・忍耐・規律です。

フロム先生の愛の技術そのものです。





当たり前のことなのですが、私たちは愛の力で生きています。

マインドワンダリング(心のさまよい)をやっているときは、愛がありません。

いまこの瞬間に集中することが愛です。

習慣で動くのではなく、愛の基づいて動くのです。





正しい身体操作は、自分を客観視する=現実の自分を見ることから始まります。

それにはまず、相手の現実の姿を見ることから始めるといいと思います。



自分自身を客観的に知ることができれば、愛することができます。

愛することができない人に、正しい身体操作はできません。

ナルシシズムを克服しないといけません。

愛の技術を学ぶのです。









教師とは、どんな存在なのでしょうか?


先生を選ぶときは、人間としてのあるべき姿を伝えているかどうかを基準にしましょう。

2017年10月7日土曜日

ひとりっ子・第一子・中間子・末っ子の性格~親から愛されるための戦略が性格の形成につながる

Alfred Adler


























安部塾10月のテーマは、「性格=ライフスタイル」です。

10歳くらいまでにつくりあげたライフスタイルのチェックと修正。

現実を捻じ曲げて、自分は正しいと考えていることの理解。

支障をきたしているライフスタイルを捨てるのです。

子ども連れでレッスンOKです~苦労した後にいいことがあるという思い込み

下関 母子像

昨日、「子ども連れでレッスンは受けれますか?」という問い合わせがありました。

もちろん大丈夫です。

そもそもが、私のところに辿り着く人は、子ども時代をこじらせてしまった人が大半です(笑)。

「おっきな子ども」ですね。

なりふりかまわず、夢中になって物事をする様を「おおわらわ」と言います。

漢字表記は「大童」です。

いいんですよ一生子どものままで。

ぜひ、子ども連れでおいでくださいませ。


安徳天皇と二位の尼 下関

苦労した後に良いことが起きると思い込んで、結局一生苦労してしまう。

よくあることです。

苦労している時点で、合理的ではありません。

なので、良いことは起きません。

いますぐに、しあわせな方を向きましょう。

しあわせな方を向かないと、ずっとずっとずっとずぅ~っとふしあわせなままです。

やってみればすぐにわかりますが、苦労し続けていると、ますますふしあわせになります。

いまこの瞬間に、しあわせな方を向きましょう。

しあわせな方を向き続けた結果、しあわせであり続けることができるのです。

定番ネタでした(笑)。

2017年10月6日金曜日

愛の代用としての心理学~歪んだ私的論理に基づく性格では、幸せになることはできない~ナルシスト傾向が強い人は、自分の顔を見ると喜びよりも苦痛の感情に苛まれる

Erich Seligmann Fromm

Twitterより





※コモンセンス=常識









悪について』エーリッヒ・フロムより

集団が生き永らえるには、集団が、その成員からナルシスティックなエネルギーを付与されることが重要となる。

成員の多くに満足を与えられないような社会では、不満を除去するために、悪性のナルシスティックな満足感を彼らに与えなければならない。

経済的に貧しく、精神的にも不満な人びとにとって、その集団に帰属するために生まれるナルシスティックな「誇り」こそが、唯一の満足感となる

人生が面白くなく、また興味をもちうる期待がないからこそ、彼らには強いナルシシズムが発達してくる。

ナルシスティックな傾向が強い集団において、彼らは自己と同一視できるナルシスティックな指導者を持つことを切望する

半ば狂気に近いナルシスティックな指導者は、その集団において最も成功を収める指導者となる例が多い。

そして不満な大衆の要求を満足させる才能を持ったこのような半精神病者は、いつも手近なところにいる。

引用ここまで


フロム先生のたまわく、

「愛を達成するための基本条件は、ナルシシズムの克服である」

個人の成熟は、どれぐらいナルシシズムを乗り越えられるかによります。

集団の成熟は、どのぐらい集団ナルシシズムを乗り越えられるかによります。


毎年、年末になると、各地で108回太陽礼拝が行われます。

私は、集団ナルシシズムに見えます。

なので私は企画も参加もしません。

同じ時間を、愛の技術の修得に費やしたいと考えています。


実生活での真の満足感の不足を、集団ナルシシズムで補うことはできませんから。


フロム先生のたまわく、

「人を愛するためには、ある程度ナルシシズムから抜け出ていることが必要であるから、謙虚さと客観性を理性を育てなければいけない」




優れていることを誇示していても、何ひとついいことなんてありません。

自分の心の奥底の実際の感情と向き合うことが大切だと思います。


身体操作を練習する理由は、実際の自分がどんな人間かなのか感じるためです。

すごいことができる人間になるためではありません。

実際の自分にとっての余計なことをやめるためです。

実際の自分のことが大好きになれるのが、正しい身体操作です。


面白い記事があります → これは意外。実際のナルシストは自分の顔を見るのが嫌いであることが判明(オーストリア研究)

ナルシスト傾向が強い人は、自分の顔を見ると喜びよりも苦痛の感情に苛まれるということがわかった。

スキャンによる脳の活動は、自分の写真を見たナルシシズムの強い複数の男性が、ネガティブな影響や、葛藤のような感情を処理していることを示していた。彼らは自分の顔を見るのが好きではなかったのだ。

特に、前帯状皮質の上部や下部で脳の活動が活発になっていることがわかる。ここは自身に関するネガティブな要素を処理するのに関係する部位だ。

このことから、ナルシストの人は、おそらく潜在意識の中で、自分のネガティブな評価に苦しんでいるのかもしれないことがわかる。

引用ここまで

もうひとつ → 自分撮りを頻繁にネットに公開している男性はサイコパスの傾向あり(米研究)

定期的に自分撮り写真を投稿する男性は、反社会的特質スコアが平均よりも高かった。また、自分の容姿をよく見せるために画像を修正する男性には、ナルシストと自己客観化の兆候も見られた。

ナルシシズムは一般に虚栄心と強く結びついているが、知性や魅力における他人に対する優越感とも関連した心理的な欠陥としても知られる。また、写真を直ぐさま投稿するような場合、サイコパスの兆候である可能性が高く、他人に対する共感や敬意の欠如に加え、衝動的傾向をも示しているようだ。

自分を撮影する際に写真写りがよくなる角度を常に気にかけている人たちは、心の病気である可能性が示されていた。

 たとえば身体醜形障害は、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状がでる。この患者の多くが頻繁に自分撮りを行う。

 精神科医のデビッド・ヴィール氏によれば、カメラ付き携帯の普及以来、身体醜形障害で受診する患者の3人に1人が、繰り返し自分撮りを行ない、ソーシャルメディアに投稿していたという。

 これは自分の容姿を確認したがるこの病気の症状によるもので、身体醜形障害の患者は、自分の容姿の欠陥を隠せる写真を撮るために何時間もかける本人が気にしていても、他人には判らないようなものであることも多い。極端な事例では、自分撮りの写真写りが気に入らず自殺した患者すらいたそうだ。

引用ここまで


自分の身体や美醜にこだわりすぎないように指導しています。

いいことなんて、ただのひとつもないからです。

自分の顔を好きになるように指導しています。

実際の自分が大好きであることが、とても大切だからです。


今日の塾生講座で、この記事の解説をします。

2017年10月5日木曜日

10月8日(日)薬院校集中講座「アレクサンダーテクニーク完全読本の安部塾的解説2」~来年から、安部塾でお芝居やります。

10月8日(日)の集中講座のキャンセルが2名でました。

→ 10月8日(日)安部塾薬院校集中講座

追加申し込みできます。

アレクサンダーテクニーク完全読本

第1回が、とても好評でした。

第2回も、きっと好評です♡


Frederick Matthias Alexander 先生の御姿です。

Frederick Matthias Alexander,

Frederick Matthias Alexander,

美しいですよね♡


「自分の身体が不要な緊張をしていることに気づき、自ら解除する」

現在の安部塾の身体操作は、この考え方の多大な影響を受けています。


アレクサンダーテクニーク完全読本は素晴らしい本です。

テクニークが、「単に首を長く保つ」ということだけではないことが、よくわかります。


懐かしい記事 → 開校式と、ふたりのフレデリック先生


「人は、尊敬する大好きな人に似てくる」といいますが、ほんとに似てきたと思います。


さて、アレクサンダー先生は「俳優」でした。


俳優

わざ‐おぎ〔‐をぎ〕【俳=優】《古くは「わざおき」》
こっけいな動作をして歌い舞い、神や人を慰め楽しませること。また、それをする人。
「吾れ将に汝(いましみこと)の―の民たらむ」〈神代紀・下〉

引用ここまで


来年より、安部塾で「お芝居」をやることになりました。

「俳優(わざおき)」さんを育てます。


こっ‐けい【滑稽】

[名・形動]
笑いの対象となる、おもしろいこと。おどけたこと。また、そのさま。「滑稽なしぐさ」
2 あまりにもばかばかしいこと。また、そのさま。「今さら強がっても滑稽なだけだ」

こっけい【滑稽 comic】

ギリシア語のkōmos(歌と踊りのある祝祭行列)に由来する。言葉によるのであれ,身振りや音や色や形によるのであれ,誇張によって引き起こされる笑いを基本とした表現方法の一つである。

引用ここまで


私は、日本の神楽が大好きです。

そして、大衆演劇も。

さんに「演劇やりましょう」と、誘われました。

で、安部塾の身体操作を基盤にした茶番をやることにしました。


ちゃ‐ばん【茶番】

1 客のために茶の用意や給仕をする者。
こっけいな即興寸劇。江戸歌舞伎の楽屋内で発生し、18世紀中ごろ一般に広まった。口上茶番と立ち茶番とがある。茶番狂言。
3 底の見えすいた、下手な芝居。ばかげた振る舞い。茶番劇。「当人は真剣でも傍(はた)から見ればとんだ茶番だ」

ちゃばん【茶番】

素人が即興に寸劇を行うこと。茶番狂言。元禄(1688‐1704)のころに歌舞伎の三階の大部屋にいる下級の役者たちが茶汲み役を受けもっていたが,これを〈茶番〉といった。この人たちが芝居の千秋楽の日に各自が隠し芸などをして楽しんだところから茶番狂言がはじまったといわれる。また,一説にはこれにあたるものたちは下戸ばかりで,茶を飲みながら隠し芸を演じたともいう。やがてこれが慣習となり,天明(1781‐89)のころには民間にも広まり,文化・文政を経て天保(1830‐44)のころに大流行した。

引用ここまで


何よりも即興が好きなので、茶番です。

安部塾の新しい活動に、ご期待ください。


第一回公演は、UZUハウスでやりましょう(^^♪

2017年10月4日水曜日

愛着と関節~うまくいかない人間関係と、消えない関節の痛み。

私は、安定した愛着が形成されていれば体調がよくなると考えています。

安定した愛着が形成されている人の人間関係は、良好だからです。

そして、人間関係が良好な人は、関節の痛みを訴えません。

活動初期から、関節の痛みと愛着障害の関連が気になっていました。


2015年のNHKスペシャルです。

少年犯罪・加害者の心に何が ~「愛着障害」と子供たち~ より

友田さんは、愛着障害の子供たちとそうではない子供たちで脳の機能に違いがないか調べています。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3613/1.html

6年前には、激しい虐待によって前頭皮質と呼ばれる部位の体積が減少する傾向があることを突き止めました。

前頭皮質は、感情や理性をつかさどり反社会的な行動を抑制する信号を発する場所で、体積の減少はその機能を低下させることにつながります。

さらに、2年前からは線条体という別の部分にも着目しています。

線条体は、前頭皮質からの信号を受け、行動を起こしたり、逆に行動を抑止したりすることに直接関わる部位です。

これは、愛着障害の子供とそうでない子供の線条体を比べたもの。
平均的な子供は刺激を与えると、線条体が大きく反応する傾向を示します。
しかし、愛着障害の子供に同じ刺激を与えても、小さくしか反応しないことが多いというのです。

これがうまく働かないと、良い行いをして褒めても響かない
悪い行いをしたときにフリーズといいますか、行動を変えることを止めてしまう、そういうことがあり得る。
ささいな情報で逆ギレしてパニックをよく起こしてしまう。」

●愛着を形成するにはどれだけ時間が必要?

時間は関係ありません。
短くても大丈夫です。
むしろ子供の行動や気持ちに対して、必ず応えてあげてることがあるかどうか。
私どものことばでは「応答性」と呼びますけれども、応答、すなわち応えてあげてるってことがとても大事なわけです。
(子供のほうから声をかけてきたときに親がきちっと向き合うこと?)
おっしゃるとおりです。
逆にそれを無視してしまいますと、いくら長い時間つきあっていても、それは意味がなくなってきます。

●愛着形成の期間、何歳までが大事?

これはあくまで目安という意味ですけれども、大体3歳ぐらいを過ぎますと、自然にその港から外に行く時間が長くなってきます。
ですから、いくら引き止めようと思っても、自然に3歳ぐらいからは、だんだんだんだん手が離れていくっていう、それが実情だと思います。

引用ここまで


古来より、「親が愛情によって子供に好影響を与えることができるのは3歳まで」とされてきた理由。

経験的なものだったのでしょうが、脳機能の解析と一致しているように思います。


関節の痛みの根源を探し求めていくと、大体1歳くらいまでの親との関係に行き着きます。

安定しない愛着と感情と関節機能。

「脳」でつながります。

愛の不足が脳を壊してしまったというのが、私の考えです。


理不尽なことですが、成人後は「愛の技術」を学ぶことで関節機能が安定します。

「愛されたい」という方向に行くと、関節機能がますます不安定になります。


そして、これです。


自分を愛することを学ぶといいと思います。


明日の塾生講座で、愛着について解説します。

ライフスタイル(=性格)とは、人生の設計図であり、人生という舞台の脚本である。ライフスタイルが変われば、人生はガラリと変わるだろう。

Alfred Adler











Eric Berne

22歳の頃、エリック・バーン先生の影響をモロに受けました。

いまもずっと、受け続けています。


エリック・バーン先生が提唱した人生脚本理論。

「7歳くらいまでに、人は無意識のうちに自分の未来の生き方の脚本を書く」

人は誰でも、人生脚本によって人生を支配されているのです。

自分の意志で判断して生きているという感覚は幻想なのです。

気づかないうちにその方向に向かって生きているのです。


人は7歳くらいまで自分のこれからの生き方の筋書きをつくります。

生き方の脚本を幼児期に自分で書いてしまっているのです。

恐ろしいことに脚本の基盤は親からのメッセージです。

醜い親の醜いメッセージを基盤につくられた人生脚本……始まる前に終わっています。


美しくやさしい親から、やさしい言葉や触れ合いを与えてもらったら、

「私は愛される価値のある人間であり、このままずっとしあわせに生きていてもいい存在なんだ。世の中はやさしい世界なんだ」

なんて脚本をつくります。


醜く冷たい親から、無関心な態度や虐待を受けたら、

「自分はいらない人間なんだ。何をしてもダメなんだ。誰からも愛されないんだ。しあわせになってはいけないんだ。世の中には愛なんてないんだ」

なんて人生脚本をつくります。


そして、それぞれに、自分の人生脚本を証明するように生きていきます。


表面上は、ふしあわせな状況から逃れるために「対抗脚本」をつくります。

他者から認められようとか、必要とされようとか、誰からも愛されようとか。

しかし、意識してつくった「対抗脚本」でどうにかできるほど甘くはありません。

重要な局面において行動を支配するのは「人生脚本」なのです。


一瞬のしあわせの後、よりふしあわせな状態に戻ります。

人生脚本の支配する世界へ。


本人は、どうしてそのような行動を起こしてしまうのか理解できません。

人生脚本どおりの、居心地のよい状態に戻ってしまうことが理解できないのです。


自分の「人生脚本」を理解して書き換えない限り、しあわせに生きることはできません。


過去につくった脚本を捨てて、新しい脚本に書き換える必要があるのです。

『再決断』するのです。

いまの自分がなりたい自分に軌道修正して生きていくのです。

その先に、自分らしい人生が展開します。


醜い親のメッセージが満載の、過去につくった人生脚本にしがみつかないことです。


人生に変化を起こすのは簡単です。


アドラー先生の言葉通り、

「人は3日あれば変われる」

のです。


ライフスタイルは、いまこの瞬間に変えることができるのです。


『過去と他人は変えられない。
 しかし、いま・ここから始まる
 未来と自分は変えられる!』

エリック・バーン先生の言葉です。

子どもが何を切実に求め、何を本気で嫌がっているのかに関心をもつことは、親にとって時に自己否定。子どもと一緒に成長するとは、子どもから否定されても、それを受け入れ、その意味を学ぶこと。

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』
(Create Media編/dZERO刊/1800円+税 ※10月2日発売)


さっきの記事のつづきです。

Twitterより










子どもを自立させるということは、親としての立場が死ぬことを意味します。

そして、それでもなお子どもが親を友だちとして認めてくれたら、子どもに感謝です。

子どもから『尊敬できる友だち』として認めてもらえたら、救われます。

できることなら、最初から『信頼できる友だち』として存在する方がよいと思います。


そうでないと、子どもは依存心まみれのまま生きていくことになってしまいます。

依存心まみれでは、自信をもつことができません。










不機嫌な人は、心の底で憎しみを感じています。

そして、自信をもてないでいます。

醜い親のせいです。

醜い親が憎いことを認めて、自信をもちましょう。


依存心を認め、克服するのです。




いま現在を、しあわせに過ごしましょう。

そうすれば、親に対する不平不満は消えていきます。

愛の技術を学びましょう。

生まれてきただけでも感謝という次元に存在しましょう。


そのために、しあわせな人間関係を築く技術を学ぶのです。




そして、親は子に学ばなければいけません。







きりがないので、このへんで(笑)、

2017年10月3日火曜日

弱かった子どもの自分を支配しようとした親は、愛さなくてもいい。親は、子どもから捨てられるのが仕事。 その責任から目をそらし、子どもから愛されようとする構え自体が虐待なの。

日本一醜い親への手紙
そんな親なら捨てちゃえば?

Twitterより







この本を、小学校1年生の時に読みたかったです。


「自尊心を守ってくれなかった親は、介護しなくていい」

自尊心を守ってくれた親に育てられた人には、わからない感覚かもしれません。


子どものときの自分を支配しようとした親なんて、愛さなくていいと思います。

いま現在も自尊心を守ってくれない親なんて、捨てていいと思います。


他者を支配しようとしない愛情関係。

支配されることに傷ついた経験がある人が、築きたがる関係です。


自分が共同体の長となったとき、支配服従関係を築かないこと。

それが、建設的な親離れだと、私は考えています。


醜い親の元に生まれるメリットは、支配が愛ではないことを実感できることにあります。

醜い親のお陰で、支配的な関係を築くことを自重することができるのです。


それ以外のメリットは、私には思いつけません。


人間関係がうまくいかないとき、親に対する怒りを自覚できていないことがあります。

ほんとうに怒りを向けるべき相手は親です。

親の立場に近い存在=先生でも上司でもありません。

親に対する怒りを自覚できれば、現実の人間関係は円滑になります。


親に壊された脳は、自分で修復するしかありません。

醜い親は、それを全力で阻止しようとするでしょう。

自分がいないといけない状態=必要とされる状態にしておきたいから。

それがただの虐待である自覚は、醜い親にはありません。


醜い親に対する怒りの発散方法は、外の世界の人たちを愛することです。

そして、支配服従関係(偽りの愛の関係)を築かないことです。

愛の技術を学び、他者を愛することです。

醜い親がいない方がしあわせに生きていけるという現実を具現化することです。


それでもなお、醜い親は変わらないかもしれません。

いや、変わらないでしょう。

それくらいで変わるくらいなら、子どもの自尊心を守ってくれたはずですから。

醜い親は、自分にしか関心がないのです。


だから、きれいさっぱり諦めてしまいましょう。


諦めきれない心の弱い人には、この本が救いになるかもしれません。


日本一醜い親への手紙
そんな親なら捨てちゃえば?


醜い親は、死ぬまで子どもに関心を持てません。

それはそれでかわいそうなことではあるのですが、巻き込まれる必要はありません。

醜い親の人生の責任は、醜い親自身にあるのですから。

罪悪感など、感じる必要は1ミクロンもありません。


醜い親が美しい親になるのは、醜い親自身の課題です。

子どもの課題ではありません。


そもそもが、子どもを罪悪感で支配しようとした親が醜いのです。

美しい親は、子どもを罪悪感で支配しないのです。


いま現在の私の醜い性質はすべて、安部家代々受け継がれてきた心の歪みです。

私の課題は、それらの醜い性質を美しくすることです。

死ぬまで取り組んでも解消などできやしませんが、面白いのでやろうと思います。

できる限り、美しく死にたいので(笑)。


こんなにも醜い私ですが、たくさんの人たちから愛されています。

醜い親に育てられるメリットは、ここにあります。

醜い私だからこそ、愛されるのです。

自分の醜さを受けいれることさえできれば、自分の手が届く範囲の世界は変わります。


とはいえ、私は親に甘すぎですが(笑)。