2024年3月30日土曜日

生きづらさを忘れさせてくれ、楽しませてくれるエンターテイナー。無条件にパフォーマンスを楽しんでくれる人たち。

 エンターテイメントとは、「他者を楽しませる娯楽」 です。多くのファンを集めることができるエンターテイナーは「売れている」と言われます。売れていないエンターテイナーは、その意味を理解せずに活動しています。

 売れているエンターテイナーは、生きづらさを忘れさせてくれ、楽しませてくれます。場合によっては、悲しい気持ちを和ませて癒してくれます。本来の娯楽は利他的な行為なので、返報性の原理がはたらいてファンが増えていくという流れが生まれます。自分らしい、唯一無二の存在として生きていくことができます。唯一無二の存在なので、他の誰かに真似されることもありません。「何をやるかではなく、誰がやるか」なのです。

 一方で、売れていないエンターテイナーは利己的です。動機は「有名になりたい」であり、「輝いている自分を見て欲しい」というエゴであり、自分のことを過大評価した利己的な行為であることがよくわかります。そんな押し売りエンターテイナーの利己的メッセージが観客に届くはずもなく、売れることはありません。人が集まっている場所に押しかけていって、迷惑がられるのが関の山となります。奇抜なことをやって一発逆転を狙いますが、そんなに甘くはないので、徐々にジリ貧となります。

 コロナ禍以降、エンターテイメントのサブスク化が進んだり、物価高で課金してくれる人が減ったり、世代交代で高齢化によってファンが減少したりと、売れないエンターテイナーにとっては集客が難しい状況になってきています。利己的なエンターテーナーにとっては、生きづらい環境だと思います。エンターテイナー本人が生きづらいので、パフォーマンスも重くて暗いものになってしまいます。闇≒病み的な。

 昨日の記事で書きましたが、パフォーマンスをしてみせたときに、10人のうち2人は無条件にパフォーマンスを受け入れてくれる人たち、7人は受け入れてくれたり受け入れてくれなかったりする人たち、残りの1人は何をしても受け入れてくれないしない人です。受け入れてくれない1割の困難な人たちのために無駄なエネルギーを注ぎ込むことは損失になります。受け入れてくれたり受け入れてくれなかったりする7割の人たちに受け入れてもらわなけばと考えがちですが、大切にすべきは2割の「無条件に受け入れてくれる人たち」です。

 この意味で、「有名になりたい」という輝いている自分を見て欲しいという劣等コンプレックスまみれのエゴイスティックなパフォーマンスは無用なのです。すでに喜んでくれている人たちに向けて楽しさを与えることができていれば、それで経済は成り立ちます。不特定多数にアピールするために活動実績を書き連ねて、本来つながるべきでない人たちとつながろうとしてしまうと、本来つながるべき人たちが離れていってしまうのが現実です。

 見た目の活動の派手さと、活動が経済として成り立っているかどうかというのは別の問題で、地味にやっている人たちの方が実は成り立っていたりしていて、面白いなと思います。昨年から、エンターテイメント界の縮小が著しくなってきており、誰が生き残っていくのか見守っています。

2024年3月29日金曜日

気が合わない人と頑張って仲良くなる必要はない

カール・ロジャースの2:7:1の人間関係の法則

 「10人いれば、2人は気の合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人」

Suppose you have 10 people around you.

•Two of them like you (you like them).

•Seven people neither like you nor dislike you (don't care about you).

•One person does not like you.

 自分の考え方や行動について、2人は無条件で賛成してくれる肯定的な人、7人はその時その時で変わるどちらでもない人、そして最後の1人は何をしてもどんなことをしても自分の事を嫌ったり気が合わない人という分類になります。

 誰かに説明をしたり、パフォーマンスをしてみせたときに、10人のうち2人は無条件に考えを受け入れてくれる人たち、7人は受け入れてくれたり受け入れてくれなかったりする人たち、残りの1人はどんなに説明しても賛同しない人です。

 決して賛同しない1人に関しては、どんなに努力しても賛同を得ることはできないわけですから、「どんなに説明しても受け入れられない人だ」と考えて、1割の困難な相手のために無駄なエネルギーを注ぎ込むことは損失になります。無条件に嫌う人に時間や労力を割くのは無駄ということです。

 「全員みんなで仲良く」にこだわるのは無意味であり、必ずいる相性の合わない人に嫌われてしまうことは仕方のないことなのです。「別に私が悪いわけではなく、この人とは何をやっても合わないのだ」と考えると楽になります。気が合わない人と頑張って仲良くなる必要はないのですから。

 むしろ、みんなに好かれようと思って八方美人的に振舞っていると、かえって誰からも好かれなくなってしまいがちです。

 「自分とすごく気が合う人は、そんなに多くはない。わずか2割なのだ。なので、気が合う人たちを大切にしよう」と考えておいた方が、多くの人たちから好かれることになります。

 ちなみに、どちらでもない7割の人たちとは、しっかりとした信頼関係は築けないそうです。自分のことを好いてくれているわけでも嫌ってるわけでもないのですから、それはそうでしょう。無理して迎合する必要はないし、期待して何かを求めるのもどうかしているということだと思います。

 気の合わない人のために時間や労力を割くのをやめて、気の合う人(好きな人)に関わっていくと、楽しい人生になります。

2024年3月28日木曜日

生きるのがつらい理由とその対策について考えてみた

  この世に完璧な人は存在しません。自分も他者も完璧ではないので、失敗するのは当たり前だし、うまくいかないのも当たり前なのです。自分に過度に期待するのも、他者に期待するのも意味がないので、すっぱり諦めて期待するのをやめた方がいいのがわかります。自分の失敗を気に病むのも、他者の失敗を責めるのも、結局は自分が苦しむことになるだけなのでやめておいた方がいいことも。

 失敗して当たり前なので、非難されるのも当たり前、ダメで当たり前と思うと、ずいぶん楽になると思います。

 他者から良く思われようとコントロールしようとする人、上から目線でアドバイスしたがる人、マウントをとりたがる人、イライラして怒ってばかりの人、人の嫌がることばかりする人……基本的に、みんな、不しあわせな人たちなのだということも、すぐに理解できると思います。

 他者を攻撃する人というのは、自分の人生がうまくいっていなくて、不満やストレスを抱え込んでいるものです。本人は自覚してなくても、家庭を含めた対人関係がうまくいっていないのが透けて見えるはずです。うまくいかないストレスを攻撃という形で他者にぶつけているだけだったりします。うまくいっているしあわせな人は、他者を攻撃しようとか思いません。

 そもそも、よく思われたいなんて気持ち自体、ただのエゴイズム(自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式)そのものでしかありません。よく思うか悪く思うかは相手次第なのです。コントロールできないことをコントロールしようとしてみても、うまくいくはずがありません。

 自分と他者の境界を明確にできたら、生きるのが楽になります。

 他者からの評価を気にせずに、楽しいこと(やりたいこと)を優先する。他者に期待せず、他者の期待に必要以上に応えようとしない。ほんとにやりたいことなら、「頑張る」なんて発想は湧いてはきません。やりたいからやってるだけですから。他者に評価されようなんてエゴイズムで動いているからこそ、「認めてもらうために頑張る」という発想に陥って苦しむことになるのです。

 認知的不協和(矛盾する認知を同時に抱えた状態、またその際に覚える不快感やストレス)に陥るので、「自分のやってきたことは間違いではなかった」とか「頑張ってきてよかった」という定番のコメントを連発し始めたら、かなりまずい状況だと思います。多くの場合、認知的不協和に耐えきれずに、長文で長々と自分語りが始まります。

 やりたいことをやった後の感想は、「楽しかったなあ」とか「夢のような時間だったなあ」みたいな感じです。やりたいことをやっているときは、失敗という概念がなくなります。何もかもが思い出に残る貴重な体験となるのです。


 「白黒思考とは、状況を連続体ではなく、たった2つの極端なカテゴリーで捉えること」ジュディス・ベック

 白黒思考(物事を白か黒かと二分して捉える思考)はやめた方がいいです。 「スプリッティング(分裂)」「全か無か」「0か100か」というスタンスをやめて、グレーであったり、中途半端であったり、50であったり、バリエーション豊かな捉え方ができるようになる方が楽しい人生になります。極端に走れば走るほど、生きるのがつらくなります。白黒思考が強すぎると、不適切な行動選択をしやすくなるからです。

 ひとつの考えに固執する、好きと嫌いが両極端、あいまいな状況に耐えられない。人の好き嫌いが激しく、敵か味方かに分け、勝つか負けるかをはっきり考えたり、自分か相手のどちらかが悪いと決めつけがちなときは、白黒思考に陥っています。正義の味方と悪者のいる勧善懲悪的なストーリーを好む幼稚な発想は、最終的に自分の首を絞める展開になります。

 白黒がはっきりしない状況でも、結論を急がずに自然に身を任せ、曖昧なままにしておく「塩漬け能力」を研磨すると、生きるのが楽になり、楽しい時間を過ごせるようになります。

2024年3月27日水曜日

中年の危機に陥り、自分を表現することに重課金してしまう人たち。

 40代~50代=成人後期(人生が上り坂から下り坂に入っていく時期)は、心身の問題を抱え込みやすいとされています。「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」とか「第二の思春期」と呼ばれています。

 社会生活を営む中で、これまでの自分の人生に葛藤を覚え、アイデンティティに不安を感じたりします。能力や体力の限界と共に老いを感じてくる時期です。

 女性ホルモンは40代から急激に減少するといわれており、心身の不調が起きやすくなります。疲れやすくなり、焦燥感、不安、怒り、憂鬱などの症状が頻発します。肌の透明感がなくなってくすみ、ハリがなくなり、しわやたるみが出てきます。容姿面での老いを実感することになります。

 そんな中、「自分の人生は、これでよかったのだろうか」という疑問を感じることになります。自分がほんとにやりたかったことを、やってみたくなります。思春期に好きだったことや楽しかったこと振り返って、未完の行為を完結したくなります。後悔したくないと、考えるようになります。

 そんな、「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」な人たちを巧みに誘惑して、舞台にあがれると重課金させたり、アートの名の元に写真撮影やMV制作で重課金させたりするビジネスがあります。

 傍目には、「何を血迷ってるんだか」という感じなのですが、本人は積年の願いが叶った感動に浸っていたりします。

 当たり前のことですが、ブサイクに生まれ育つと、スポットライトを浴びる=注目される機会はほとんどありません。浴びたところでブサイクなので、まったく評価してはもらえません。ルッキズムをどんなに否定してみたところで、ほとんどの場合は見た目がすべてです。

 「称賛を金で買うのは是か非か?」という議論は、ブサイクにとっては酷な話です。金で買わない限り、称賛されることはないからです。とはいえ、称賛されているのは本人の存在ではなく金なわけですが。

 冷静に考えてみると、40~50代というのは、容姿端麗だった人たちが老化による容姿の衰えを感じて引っ込み始める時期です。そんな中、ブサイクが前に出てアピールしてみたところで、結果は火を見るより明らかです。

 自己完結していればまだ救いはあるのですが、全世界に向けて発信したりしだすので、痛々しい展開となります。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいというのはわかりますが、それ、ほんとにやりたいことなのかと。

 そもそも論、重課金してまでスポットライトを浴びる=注目される必要があるのか考えてみる方が良いのではないかと思うのです。

 元知人が、ひとり、またひとりと、カモになっていくのをSNSで知る度に、そんなことを思います。

見栄を張っても、本物にはなれません。無理に良く見せようとせず、自然体で楽に生きていた方が楽しい時間を過ごせます。

見栄

(他人によく見られるように)うわべを飾ること。他人の目を気にして不相応な体裁をつくろうこと。

見栄を張る

 ことさらに外観を飾る。うわべをとりつくろう。うわべを飾る。外観を繕う。


 「見栄を張っても、本物にはなれませんよ」的なことを、たまに口にします。見栄を張っている時点で、自分で自分が偽物であると実感することになるからです。見栄を張ることで、なりたい自分やあるべき姿に近づくことができると信じているわけですが、現実はそんなに甘くはありません。

 そもそも、なぜ見栄なんて張ってしまうのかというと、「他人から一目置かれたい」という潜在的な願望があるからだと思います。

 少し観察すればすぐにわかりますが、見栄を張る人は自分に自信を持てていません。だから、自分の外観やうわべを飾ることで、なんとか自信を得ようとしているのです。自分の評価がマイナスにならないように足掻く行為であることが理解できます。他者からの評価がマイナスになることは、自分は価値のない人間だと認めることになるので、見栄を張るわけです。

 見栄を張っている姿は、コンプレックスの裏返しに映ります。自分に自信がなく劣等感を抱えているのが透けて見えます。マウンティングをする人は、相手を見下すことで優越感に浸ろうとします。自己肯定感の低さと異常なまでの「褒められたい」という気持ち(強い承認欲求)が透けて見えます。

 あたたかいコミュニティ(家族や仲間たち)に恵まれて生きてきた人たちは、わざわざ褒められたり認められたりしなくても、もう十分に満足しているので、「褒められたい」という理由で見栄を張る人のことが理解できません。

 劣等感を抱えているがゆえに、「みんなの注目を集めていたい」という欲求から奇行に走るわけですが、周囲の人たちは関心をもちません。むしろ、「なるべく関わらないでおこう」と、敬遠されることになります。

 当たり前のことですが、偽りの自分を演出して褒めてもらおうとするよりも、ありのままの姿でいるほうが好かれます。同じく、ありのままに生きている人たちとの友好な関係を築くことができます。

ありのまま(有儘)

実際にあるとおり。事実のとおり。ありてい。あるがまま。ありのまにまに。


 この記事がわかりやすいです → 森田療法における「あるがまま」とは


 目の前で起こっていることに対して、良いことか悪いことかを判断せず、「いま、こういうことが起こっている」と受け入れること。ものごとを「あるがまま」に受け入れること。「こうでないといけない」という固定観念を持たないこと。自分のことを、無理やり良く見せようとしないこと。

 無理に良く見せようとしなくても、自然体で楽に生きている人は、意外と素敵に見えるものです。自分の気持ちに正直に、素直でいる方が、実はずっと楽しい人生になると思います。

2024年3月26日火曜日

自己完結している人は、自分の世界を大切にしています。自分ひとりだけで楽しむことができるため、安定しています。

自己完結的コミュニケーション

 コミュニケーションの機能の一分類。相手に情報や意思を伝え、これに了解を求めるというより、発信人ないし発信集団がこれを表現すること自体を目的とし、そのことによって、自己 (発信人) の心理的緊張を解消し満足させるようなコミュニケーションをさす。意思伝達を目指す道具的、手段的コミュニケーションに対し、,表出的コミュニケーションといってもよい。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

自己完結

 物事について、自分自身の中だけで納得したり決着したりしている様。すべて自分で考えて結果を出すこと。


 自己完結している人は、自分の世界を大切にしています。自分ひとりだけで楽しむことができるため、安定しています。他者や社会にどう見られるかということに対して、極端に興味関心が乏しいために、「そんなことやって、何の役に立つの?」と問われても困惑します。やってるのが楽しいからやってるだけですから。

 自分の世界で完結しているため、他人のどうのこうのとかがあまり気になりません。視点が独自過ぎるため、基本的にマイノリティです。なので、理解してもらえることは稀で、評判はよくありません。

 他者に依存している人は、他者との関係や見られ方、他者に承認されるかどうかに振り舞わされるため、不安定です。自分がどうみられているかが最優先なため、コミュニティの中の立ち位置をとても気にします。他者に依存しているため、自分の軸を見出すのが困難です。

 楽しそうにはしていますが、あまり楽しそうではありません。他者に認めてもらうためにやっているからです。

 当然のことですが、自己完結している人と、他者依存している人の相性はよくありません。お互いに理解ができないからです。「あ~楽しかった」という人と、「褒めてもらえてよかった」という人が楽しみを共有するのは難儀なのです。

 自己完結している人は、ハプニングが起きて失敗をしても「新鮮な体験」と感じるため、それを「恥ずかしいこと」だとは考えません。むしろ、派手に失敗したときにこそ、最高に楽しそうな表情になります。

(ノ≧ڡ≦)テヘペロ!

 他者依存の人は、失敗することは恥ずかしいことだと感じるため、綿密な計画を立てて、失敗することのないように身体を壊すほど練習します(本人は、それもアピールポイントだと感じて、身体を壊すくらい頑張った自慢をします)。ノーミスでスタンディングオベーション的な展開に憧れがちです。

 厄介なことに、他者依存型の人は、自分以外の他者依存型の人を認めません。自分が認められたいからです。面白いことに、自己完結型の人は、自分以外の自己完結型の人を認めることがよくあります。自分が認められることに関心がないためです。さらに面白いことに、自己完結型の人は、他者依存型の人も認めることがよくあります。

 周りに相談せずに自分の考えで決断するなど、自分自身のなかで物事を終わらせるために、他者依存型の人からすれば「必要としてもらえなかった」と感じることが多いのですが、俯瞰してみると自己完結型の魅力がわかってくるはずです。

2024年3月20日水曜日

今日は、国立民族学博物館(みんぱく)に行く予定です。

  今日は、これから大阪府吹田市千里万博公園にある国立民族学博物館(みんぱく)に行く予定です。

運良く開館日になっている

 施設のご案内

国立民族学博物館(みんぱく)は、民族学・文化人類学に関する調査・研究をおこなうとともに、その成果に基づいて、民族資料の収集・公開などの活動をおこない、これらを通して、世界の諸民族の社会と文化に関する情報を人々に提供し、諸民族についての認識と理解を深めることを目的として、1974年(昭和49年)に創設され、1977年(昭和52年)11月に開館しました。

本館展示は、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアに大きく分けた地域展示と、音楽・言語などの展示があり、ビデオテークでは、世界の人びとの生活や技術などを記録したビデオ番組を見ることができます。また、年に数回、特定のテーマにそった特別展や企画展をおこなっています。

オセアニアから始まり、東周りで地球を一周することができます。旅行気分でじっくりどうぞ。
実際にさわることのできる資料がたくさんあり、さまざまな民族の息吹が伝わってきそうです。

引用ここまで

 以前から、いつか行きたいと思っていたので、じっくりと時間をかけて観てまわりたいと考えております。

 時間があれば、図書館とショップにも行きたいです。
図書館とショップ


2024年3月19日火曜日

健康づくりに適した運動とは、血管や筋肉の老化を予防し、心肺機能や筋力を維持する運動です。「より速く・より高く・より遠くへ」という運動ではありません。

【運動】 今日から始めませんか?プラス10分の運動 より

 適度な運動は骨を丈夫にし、筋肉を強化することはもちろん、運動により消費エネルギーが増えるので、余分な体脂肪が減り、肥満の予防・改善につながります。また、適度な運動には、高血圧や糖尿病、動脈硬化に対する直接的な予防・改善効果もあります。まずはしっかり運動することが重要です。

 毎日まとまった時間をつくって運動することは難しいかもしれませんが、体を動かす機会は日常生活のあちこちにたくさんあります。運動不足を解消するために、まずは毎日、今より10分多く体を動かすことを心がけてみましょう。例えば、10分歩くと約1000歩になります。無理しない程度に毎日続けましょう。

〈通勤中や職場で〉

・自転車で通勤する

・1駅手前で下車して歩く

・駅や職場ではエレベーター・エスカレーターを使わず階段を使う

〈家庭で〉

・歩いて買い物に行く

・窓ふきや風呂掃除などをこまめに行う

・テレビを見ながら筋トレ・ストレッチをする

引用ここまで

習慣的に運動しよう より

運動量の目安

 健康づくりのための運動量の目安(18~64歳)は、息がはずみ、汗をかく程度の運動を週合計60分、毎週続けることです。例えば、1回20分程度を週3回や1回30分程度を週2回、あるいは平日に時間が取れない場合は、週末に1回60分の運動を取り入れても効果が得られます。好きなスポーツがある人は定期的に続けるとよいでしょう。強度が高めの運動を無理して行うとけがやストレスにつながることもあります。決して無理せず、「息がはずみ、汗をかく程度」を意識しましょう。

 筋力トレーニングは、レジスタンス運動といわれ、筋肉へ抵抗(レジスタンス)をかけて筋力や筋量の向上を図ることが目的です。トレーニング方法としては、自分の体重を利用した自重負荷が身近に行える方法で、スクワットや腹筋などがあります。またダンベルやトレーニングマシンなどを利用した方法などもレジスタンス運動です。自重負荷は1セットを10回として行うと無理なく実践できます。

 ストレッチは伸張(伸ばす)という動作のことです。筋肉や筋肉を取り巻く筋膜は動作や運動の後に、また姿勢の維持で、いずれも縮みます。筋肉や筋膜が縮んだ状態をそのままにすると関節の動き難さを生じたり、血液の流れにも悪影響を及ぼします。これが筋肉痛やコリにつながります。ストレッチングは運動後に行うと疲労が残らず、じっと座っていた後などに行うと動きやすい体につながります。ストレッチングのコツは息をこらえないように声に出してゆっくり10~20秒カウントすることです。 

引用ここまで

 健康づくりによい運動と、は「より速く・より高く・より遠くへ」という、いまある能力をさらに伸ばす運動ではありません。

 健康づくりに適した運動とは、血管や筋肉の老化を予防し、心肺機能や筋力を維持する運動です。つまり、いまある能力を活かす運動なのです。

☆大阪ワークショップ

3月21日(木)→ 詳細

 

☆名古屋ワークショップ

3月22日(金)→ 詳細

 

☆神戸ワークショップ

3月23日(土)→ 詳細

 

新宮校ワークショップ(休日)

3月24日(日)→ 詳細

 

☆新宮校ワークショップ(平日)

3月25日(月) → 詳細  

2024年3月18日月曜日

人に認められたくて行動しているうちは、承認されることはありません。

 満たされない承認欲求という化け物を心の中に宿している人は、とにかく人に認められて、自分の価値を認めさせたい、と悪あがきを繰り返します。

 皮肉なことに、人に認められたくて行動しているうちは、承認されることはありません。なぜなら、承認されるのは、その人の行動ではないからです。

 その人の在り方、つまり生き方そのものだからです。

 一昔前は、舞台にあがることで承認欲求を満たそうとあがく人がたくさんいました。ほとんどの場合、心身を病んでしまう結果になっていました。関節を壊したり、メンタルをやられたり。そもそも論として、華のない人が舞台にあがったところで、華のなさが顕わになるだけなのです。

 現代は、舞台の人気が衰え、SNSや動画投稿サイトが盛り上がるようになりました。気軽に参加できる分だけ競争も苛烈ですが。あと、みんなすごいレベルなので、少々何かができるという程度では、まったく通用しません。

 身体を壊しながら、求められてもいないのに舞台にあがりたがる中年期クライシスな人たちが、舞台の経営を支えていたんだなと感じることが多くなりました。各地で、劇場が閉鎖になり、劇団が解散していっているのを見ていると、時代の流れには逆らえないなと思います。

 「何をやるか」ではなく「誰がやるか」という言葉を、よく耳にするようになりました。

 ここ数年、人気のない人を観察していて気がついたことがあります。「何をやるか」に対するこだわりが強いのです。「誰がやるか」という視点で考えれば、選ばれる人になればいいのですが、「何をやるか」に対するこだわりが強いために「技術」「内容」にばかり目がいって、視野狭窄に陥っているように見えます。

 そして、本人の自己評価の高さとは裏腹に、実際には評価されていないどころか、関心すら持たれていないという残酷さ。必然的に、しつこくアピールを繰り返すことになり、満たされない承認欲求が肥大化していくという展開に。

 若いときに認めてもらえなかった人が、老いて認められるなんて可能性は限りなく低いわけで、「私がやってきたことは間違っていなかった!」と自分で発言しなければならないというのは、それこそ間違いでしかなかったことの証になってしまっているような気もします。

 むしろ、「いやー、ろくな人生じゃなかったなー(笑)」とか言ってる人たちの方が、実は他者に認められ、他者を認め、和気あいあいと生きてきたというのが現実なんだなと思います。

 何かをやるときに、「楽しいからやる」という人は、その生き方に惚れる人も出てくるので、結果的に認められる人生になるのだと思います。

 他者に認めてもらうために必死になる(文字通り「命をかける」)人は、その思いとは裏腹に、惚れてくれる人は現れず、ヨイショしてくれる太鼓持ちに囲まれるだけの人生になるのかもしれません。

 なので、中年期以降は、「本当にやりたかったこと」を、自分自身のためにやっていくのがいいんじゃないかと考えています。

「地道な努力を否定して、一発逆転を狙いたがる人」は「楽して~詐欺」に騙されがち。大事業は、長い間の努力なしには完成されない。「これまで興味があったけど後回しにしていたこと」を、新たに始めてみる

「世界的業績」を生み出すアーティストはなにが違うのか? 「ひとりでの練習量」と「練習する時間帯」に秘密があった。 より

 何が上達の差をつくるのか?

 その答えはそれまでの練習時間にあった。18歳に達するまで最上位のグループは平均で7410時間練習しており、2番目のグループは5301時間、3番目のグループは3420時間練習していた。これらの差異は統計的に大変意味のある違いだ。

 加えて、この数字が示している意味はもっと深い。お気づきのとおり、累計の練習量が多いほどより業績が上げられるのだ。

 しかし、ここで次世代のアンネ=ゾフィー・ムターあるいはジョシュア・ベルをめざして国際的に活躍するソリストになろうと、18歳で決意した第3グループのバイオリニストの状況を想像してみよう。

 しかしこのバイオリニストは、これまでにすでに自分の2倍以上の累積した練習量を積み上げている同年齢で最高のバイオリニストの実力と同等かあるいはそれ以上の能力を身につけなければならないのだ。

 現状でもライバルの一人での練習時間は週あたり24時間で自分は9時間というはるかに少ない練習時間であるにもかかわらず、追いつくには彼らよりも長く練習しなければならないのだ。

 老人になる前に追いつこうと思えば、何倍もの量に練習時間を増やさなければならない。そしてちょうど成人としての責任をもち、経済的にも自立を始める時期にこうした自らを消耗させる活動を行わなければならないのだ。

 要するにこの若者が、今からバイオリンのソリストの世界に飛び込むことは理論上可能でも、事実上はほとんど不可能だということだ。こうした状況に内在している問題は、個人および組織にとっても大変重大なものになっているのだ。

引用ここまで

【20代特に注意!】簡単に稼げるという副業 より

【20代特に注意!】簡単に稼げるという副業[PDF形式](930KB)

 「簡単に稼げる」「もうかる」ことを強調する広告やランキングサイトをうのみにしない

 作業内容や利益が出る仕組みがよくわからなければ契約しない

引用ここまで


 定番詐欺において、詐欺師がターゲットにするのは「楽して儲けたがる、知性が乏しく余裕がない人」です。

 「地道な努力を否定して、一発逆転を狙いたがる」という特徴があります。

 何らかのスキルを習得して伸ばしていき、経験を積んで結果を出し、実績を積み重ねていき、運よくブレイクできてはじめてうまくいくというのが、この世の理です。

『ローマは一日にして成らず(大事業は、長い間の努力なしには完成されないというたとえ)』なのです。立派なことやものは、長年の積み重ね=不断の努力があってはじめて完成するのです。

 地道な努力が必要だとわかっている人は、「楽して~」「~するだけで~」という詐欺に引っかかることはありません。

 40歳を過ぎて、ふと自分の人生について振り返ってみて、「自分の人生って何だったのだろう」「自分の本当にやりたかったことって何だったんだろう」と生きる意味を問い始め、「中年の危機」に陥っていくことがあります。自分自身の限界が見えてきて、これからどう頑張ってみてもたいした成長はできないことを実感してしまうのです。

 おすすめは、「これまで興味があったけど後回しにしていたこと」を、新たに始めてみることです。視野も広がり、気持ちが前向きになります。

 ここで、「楽して~」「~するだけで~」の方向へ進むのではなく、「この先、寿命いっぱいいっぱいまで努力しても、たいしたレベルには到達できないこと」を選ぶのが良いと思います。結果を出さなくていいことを選ぶと、純粋に楽しむことができるからです。

 他者に認めてもらって糠喜び(あてがはずれて、あとでがっくりするような一時的な喜び)するのではなく、自分がやりたかったことを純粋に楽しめる人はしあわせだと思います。

 「承認欲求が満たされていない」「他人軸で生きている」「自己肯定感が低い」「他者評価で自分の価値を測っている」をフルコンボした状態の人は、傍目に不しあわせそうに見えます。

 自分が本当に大切にやりたかったことを明確に自覚することで、自分の人生の方向性を持たせることができます。やりたかったことをやれている人は、同じくやりたかったことをやっている人とつながっていき、人生が充実していくのです。

2024年3月17日日曜日

シンセサイザーがたとえ生物学的な意味で生きていないとしても、何らかの意味で私たちと疎通できる意識がある。

 

Moog

 シンセサイザーに限らず、家などの建物や車などのモノと、私たちは意思の疎通ができると感じています。意思とは「あることを行いたい、または行いたくないという意向」の意味です。

 「感情の波」とか「波長が合う」とか、私たちは何らかの振動を感じ取っています。感情の起伏が激しい人や波長が合わない人と一緒にいると、疲労しませんか?

 固定した弦を同じ強さではじくと、何度はじいても同じ音が聞こえます。この決まった音の振動数のことを 「固有振動数」と言い、すべてのモノには「固有振動数」があります。

 固有振動数とは、振動している物体が、1秒間に繰り返し運動する回数で単位は「Hz(ヘルツ)」です。

 ただモノが存在するだけでは、モノ固有の振動数はモノに何の影響も及ぼしません。しかし、モノには何らかの外からの振動が加わると、その振動の影響を受けます。

 固有振動数解析をすると、固有振動数と「固有モード形状」がわかります。固有モード形状とは、固有振動数でどのようなカタチで振動するかを表したものです。あるモノの固有振動数が、外部の振動の特徴的な周波数近辺になると、そのモノは共振を起こします。

 まとめると、あるモノが自由振動した際に現れる、そのモノが持つ固有の周波数があって、外部からモノに強制振動を与えた際に、外部振動が固有振動数と一致すると、モノは共振(この時の周波数を共振周波数とも言います)して振幅が大きくなるということです。

 共振は物体の固有振動数と同じ周波数の振動を受け続けることで起こるので、数値上は共振周波数=固有振動数と言えます。

 振子などの振動するモノに外から周期的な力を加えると、その振動数がモノの固有振動数に近いほど外力のする仕事が有効に吸収されてモノの振動が激しくなります。共鳴ということもあります。

 振動数の等しい音叉を二つ並べておいて、片方の音叉を鳴らすと、もう一方の音叉も鳴り始めるのはその一例です。バイオリンなどの弦楽器では,胴が弦の振動に共振することによって音のひびきを良くしています。また地震のとき、地震波の振動数が建物などの固有振動数と一致すると共振して激しく振動して、大きな損害を生ずることがあります。

 振動をするということは、繰り返し変形するということです。繰り返し変形するということは、疲労するということです。振動はモノの疲労を引き起こす根本原因ということになります。 

 話を戻して、「シンセサイザーがたとえ生物学的な意味で生きていないとしても、何らかの意味で私たちと疎通できる意識がある」という確信を、私も持っています。

 そんなわけで今月から、シンセサイザーの力を借りております。

 「オシレータ(電圧制御発振器)で合成した波形を、フィルターでカットして音色を調節する」のが、シンセサイザーにおける周波数領域の基本的な音づくりになります。シンセサイザーは、生楽器より高音域の倍音成分が多いので、ローパスフィルターがよく使われています。電圧制御発振器(Voltage Controlled Oscillator)は電圧で発振周波数を制御する発振器です。

 シンセサイザーには「レゾナンス(Resonance)」というパラメーターがあります。ピーク(PEAK)やエンファシス(EMPHASIS)などと表記している機種もあります。共鳴、共振の意味があり、指定したカットオフ周波数付近の帯域を強調してくれます。レゾナンスは周波数帯域を持ち上げるだけでなく、フィルターで出力した音をフィルターの入力に戻して共鳴状態をつくっているのです。

 レゾナンスをあげていくと、音の一番高い周波数帯域(カットオフした帯域)を強調することになり、倍音も加わって、わかりやすいクセのある音に変化します。どんどんクセが強くなっていきます。それに合わせてカットオフの指定値を動かすことで、特有の「ミョーン」「ビョーン」という音が生まれます。

 シンセサイザーの音づくりにおいて、レゾナンスとカットオフはとても重要なパラメーターなのです。

 詳細はこちらで → 音色を変化させる装置=フィルター - シンセサイザー入門

 具体的に身体づくりに応用していくかは試行錯誤の最中です((笑))。

2024年3月16日土曜日

問題解決アプローチとして集合知を選択すると、特に個人の専門知識や視点が制限される可能性のある複雑で動的な環境において、多くの利点が得られます。

集合知性理論とは

 集合知の理論とは、個人のグループが協力して協力して、グループの単一メンバーの能力を超えるレベルの知性と問題解決能力を達成できるという考えを指します。この概念はいくつかの重要な原則に根ざしており、心理学、社会学、ビジネス、コンピューター サイエンスなどのさまざまな分野で研究されています。

定義と概念的枠組み

 集合的知性とは、多くの場合テクノロジーの助けを借りて、人々が協力して複雑な問題を解決するときに現れる共有またはグループの知性です。これは創発的な特性であり、個人の活動間の相乗効果から生じるが、個人の能力だけからは予測できないことを意味します。

集合知の原則とは

①専門知識の多様性

 幅広いスキルと視点を持つグループは、同質のグループよりも効果的に問題を解決できることがよくあります。

②分散化

 意思決定と問題解決は、1 人のリーダーに集中するのではなく、グループのメンバー間で分散されます。

③情報の集約

 集合的知性は、さまざまなソースからの情報を集約および合成する能力に依存しており、多くの場合テクノロジーによって促進されます。

機能のメカニズム

①コラボレーションとコミュニケーション

 効果的なコミュニケーションとコラボレーション戦略は、集合知にとって不可欠です。

②調整

 グループメンバーの努力と貢献を調整することは、効果的な集合知を実現するために重要です。

③テクノロジーの促進

 多くの場合、テクノロジー (AI、インターネット プラットフォームなど) は、情報共有と意思決定を促進することにより、集合知を実現および強化する上で重要な役割を果たします。

なぜ集合知を選択する必要があるのか

 問題解決アプローチとして集合知を選択すると、特に個人の専門知識や視点が制限される可能性のある複雑で動的な環境において、多くの利点が得られます。集合知を選択する主な理由は次のとおりです。

1.視点の多様性

①より広範な洞察

 集合知は、多様な視点、スキル、専門分野をまとめます。この多様性は、単一の個人が提供できるよりも革新的で包括的なソリューションにつながる可能性があります。

②偏見の軽減

 さまざまな視点を組み込むことで、集合知が個人の偏見や盲点を打ち消し、よりバランスのとれた客観的な結果をもたらすことができます。

2. 問題解決能力の向上

①複雑さの処理

 複雑な問題には多くの場合、学際的なアプローチが必要です。集合的知性は、グループの集合的な知識とスキルを活用し、そのような複雑な問題に取り組むのに適しています。

②相乗効果

 集合知における共同作業は、総成果が個人の貢献の合計よりも大きくなる相乗効果を生み出すことができます。

3. 意思決定の改善

①アイデアの豊富さ

 集合的なアプローチにより、より幅広いアイデアとソリューションが生成され、意思決定のためのより多くのオプションが提供されます。

②重要な評価

 グループ設定により、アイデアの重要な評価と洗練が可能になり、より堅牢な意思決定につながります。

4. 適応性と学習性

①動的適応

 グループは個人よりも変化する状況に動的に適応できます。集合知は、新しい情報に応じて戦略やソリューションを進化させることができる継続的な学習環境を促進します。

②知識の共有

 集合的知性により、グループのメンバー間での知識と経験の共有が促進され、グループ全体の学習曲線が向上します。

5. 包括性とエンゲージメントの向上

①利害関係者の関与

 意思決定プロセスに多様な利害関係者を参加させることで、選択した行動方針への賛同とコミットメントを高めることができます。

②民主的な参加

 集合知は、問題解決に対するより民主的なアプローチを促進し、複数の意見が耳を傾け検討されます。

6. スケーラビリティとリソース使用率

①集合的なリソースの活用

 集合的な知性は、個人の努力よりも人的および物的両方のリソースをより広範囲に活用できます。

②スケーラブルなソリューション

 集合知を通じて開発されたソリューションは、さまざまなコンテキストや視点からの入力を使用して作成されるため、多くの場合、よりスケーラブルです。

7. テクノロジーとイノベーション

①技術統合

  AI、ビッグデータ、オンライン コラボレーション プラットフォームなどの最新テクノロジーは集合知を強化し、より革新的なソリューションを生み出すことができます。

②変化に歩調を合わせる

 急速に変化する技術環境では、多くの場合、集団的なアプローチのほうがイノベーションや新たなトレンドに追いつくことができます。

8. 世界的な課題への取り組み

①地球規模の問題への取り組み

 気候変動や世界的な健康危機など、今日の課題の多くは複雑すぎて、単一の組織では解決できません。集合的インテリジェンスにより、これらの問題に対処するために世界的な専門知識とリソースをプールすることが可能になります。

 本質的に、集合知は単により多くの情報を蓄積することではありません。多様なスキル、経験、視点を統合して、より効果的で包括的で適応性のあるソリューションを作成することが重要です。課題がより複雑になり、相互に関連し合うにつれて、集合知の必要性がますます明らかになってきています。

集合知の課題

集合知はさまざまな課題に対処するための有望なパラダイムを提示しますが、独自のハードルも伴います。

1. 情報過多

 集合知システムに貢献する人が増えるにつれて、情報過多のリスクが高まります。膨大な量のデータを選別して有意義な洞察を抽出するのは困難な作業であり、高度なフィルタリング ツールや分析ツールが必要です。

2. 品質管理

 集合知システムへのすべての貢献が同等に価値があり、正確であるわけではありません。品質管理のための信頼できるメカニズムを確立することは、集合的な成果物が信頼性があり実用的なものであることを保証するために非常に重要です。

3. 集団思考と集団心理

 集団という概念自体がある程度の同調性を示唆しており、それが集団思考や集団心理につながることもあります。これにより視点の多様性が損なわれ、革新性が低下したり、欠陥のある結果にさえつながります。

4. 認知バイアス

 集団的な環境においても、確証バイアスや利用可能性バイアスなどの認知バイアスがグループの意思決定プロセスに影響を及ぼし、最終結果の品質と客観性に影響を与える可能性があります。

5. 調整の課題

 集合知システムが複雑で分散すればするほど、効果的に調整することが難しくなります。調整が不十分だと、作業の重複、矛盾、意思決定の遅れが生じる可能性があります。

6. 倫理的懸念

 データプライバシー、同意、公平な参加に関する問題は、集合知への取り組みにおいて倫理的な課題を引き起こす可能性があります。これらのシステムの信頼と完全性を維持するには、透明性と倫理的な実践を確保することが不可欠です。

7. 技術的障壁

 テクノロジーは集合知を増幅させることができますが、同時に障壁になることもあります。テクノロジー、デジタル リテラシー、インフラへのアクセスの違いにより、集合知の取り組みの範囲と有効性が制限される可能性があります。

8. 権力関係と不平等

 慎重に設計しないと、集合知システムは既存の権力関係や不平等を意図せず増幅させ、特定の個人やグループに不均衡な影響を与える可能性があります。

9. 文化と言語の壁

 グローバルな集合知の取り組みでは、文化の違いや言語の壁に関連した課題に直面することが多く、効果的なコミュニケーションやコラボレーションが妨げられる可能性があります。

10. 複雑さの管理

 集合知がますます複雑化する問題に取り組むにつれて、システム自体もより複雑になり、複雑さを効率的に管理するための高度なモデルとアルゴリズムが必要になります。

 

2024年3月15日金曜日

心身の疲れを癒す、「いつどこででも楽曲制作や演奏ができるポータビリティーに優れたキーボード」について。

 

Akai MPK Mini PLAY mk3

 今月から、アンビエントミュージック(環境音楽)を一緒につくる活動をしております。

 アンビエントミュージック(環境音楽)とは、作曲家や演奏者の意図を主張したり、聴くことを強制したりせず、空気のように存在し、それを耳にした人の気持ちを開放的にすることを目的にした曲です。シンプルで静かなメロディーを繰り返します。スローテンポで、ダイナミクスさなく、落ち着いた雰囲気です。

 作曲手法としては、繰り返しを多用するミニマルミュージックやドローンのようなアプローチが多く、シンセサイザーなど電子楽器を多く起用する傾向にあります。

 軽量で堅牢なつくりで、音楽ができない人でも操作が簡単なドローンマシン(同じ音高のまま長く持続される音が出せる機材)を探していたのですが、いろいろな機材を買って試した末に、Akai MPK Mini PLAY mk3がコスパに優れているという結論に達しました。もちろん、完全五度のドローンもやれます。

Akai MPK Mini PLAY mk3 より

 どこでも音楽制作や演奏が楽しめる

 ひらめいたアイディアを逃さず、いつどこででも楽曲制作や演奏ができるポータビリティーに優れたキーボードです。約14時間のバッテリー駆動が可能なので電源アダプターや充電の心配はありません。また、スピーカーが内蔵されているため外部スピーカーへの接続を必要としません。新たにデザインされた内蔵スピーカーは音量や低音域の出力がより強力になり、演奏やジャムセッションをより楽しむことができるようになりました。アコースティック・ピアノやエレクトリック・ピアノ、シンセリードやパッドなど、128種類以上の楽器やドラムキットを含む内蔵音源と新たな内蔵スピーカーの組み合わせにより、さらに充実した音楽体験を提供します。また、リアパネルにはヘッドホン接続端子(3.5mmステレオミニプラグ)を搭載。深夜のプライベートな練習も気兼ねなく行うことができます。

 引用ここまで

 大阪・名古屋・神戸でのワークショップに持参します。

☆大阪ワークショップ

3月21日(木)→ 詳細

 

☆名古屋ワークショップ

3月22日(金)→ 詳細

 

☆神戸ワークショップ

3月23日(土)→ 詳細

 

新宮校ワークショップ(休日)

2月24日(日)→ 詳細

 

☆新宮校ワークショップ(平日)

2月25日(月) → 詳細  

2024年3月14日木曜日

「できることはもちろん望ましいが、できなくても気にせずまたやればいい」という風に考える合理的な信念で生きていくのが自然なのです。

 こちらの記事に、共感しました。

→ 多趣味は中途半端?悪いこと?メリットとデメリット3選

 趣味が多いのはそれだけ興味関心の幅が広いということですが、なんだかまるでそれが悪いことであるかのような風潮がありますよね。

 多趣味ということは、興味関心のアンテナがあちこちに向いているということ。

 そのため、一度やり始めたことを途中でやめてまた違うことをし始めるという傾向のある人が、私自身も含めて多いように思います。

 そして、このことこそが「多趣味は中途半端」といわれてしまう原因になっているのではないでしょうか。

 結論から申し上げるなら、多趣味は決して悪いことではありません。

 「趣味」とは、「仕事や職業としてではなく個人が楽しみとしている事柄」というのが本来の意味です。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」点が、必ずしも好意的に受け取られるばかりではないところに、「多趣味は悪いことなのか」の答えがあります。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」と言えば聞こえはいいですが、逆に見るなら「すぐに飽きてしまう」、「お金や時間にだらしない」というようにも取れるのです。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」と考えて何かをやり始めた結果、すぐに別の物事に興味が移り、結局どれも中途半端なままに終わってしまう・・・。

 こういった点がマイナスなイメージに結び付き、多趣味を良しとしない考えとして定着してしまったのではないでしょうか。

多趣味のメリット

・知識の幅と経験値が広がる

・人脈ができる

・時間を上手く使える

多趣味のデメリット

・人よりお金がかかる場合がある

・時間がどれだけあっても足りない

・大切な人と過ごす時間が取れない


 趣味の時間を充実させることで人生にハリが生まれ、毎日を楽しく過ごすことができるのも、多趣味な人によく見られる特徴ではないでしょうか。

 もちろん、多趣味であるがゆえのデメリットもあります。

 形から入ることにこだわるならやはりその分だけお金がかかりますし、趣味が多ければ多いほど、どんなに時間があっても足りません。

引用抜粋ここまで


 多趣味とは、「多くの方面に趣味があること。趣味が豊かなこと。また、そのさま。」という意味です。多趣味な人は、退屈で平凡な毎日を過ごすことはありません。楽しそう・面白そうと感じたものに対して敏感に反応します。さまざまな分野に挑戦するため、おのずと知識や経験が増えていきます。

 趣味の種類によっては必要な道具・機材を揃えるための費用や練習費・地代・移動費などで多額のお金が必要になりがちです。なので、ある程度自由にできる経済力がないと、多趣味を継続することはできません。

 多趣味の最大のメリットは、「趣味と趣味の掛け算」ができることだと思います。「趣味と趣味の足し算」ではないのがポイントです。つまり、倍々ゲームで楽しみが増幅するということです。複数の趣味を掛け合わせて新しい楽しみ方を生み出すことができるのです。

 個人的に、「特定の何かで一流になるより、いろいろな趣味で二流になる方がよい」と考えています。身体操作の勉強をすればすぐにわかりますが、特定の何かに特化すると身体や考え方が歪むという結果になりがちです。中途半端な状態というのは、実はバランスが良いのです。

 「とりあえずやってみる」という姿勢で、いろいろな趣味に挑戦することで、その趣味が自分に合うのか合わないが体感でわかります。やったからことではじめて見えるものがあるのです。これは、「何かひとつの趣味を徹底する」というスタンスでは見えてこない世界です。

 そもそも、趣味とは、「熱中して楽しむ」ものだと思います。そんな本質を忘れて、何かに急き立てられるように「元をとらなくては」とか「中途半端はだめだ」とか息苦しくなってしまうのは本末転倒だと思います。

 無条件に認めてもらえずに生きてきた人が、無条件に認めてもらって生きてきた人に「そんなことしていて、恥ずかしくないの?」という言葉を投げていることがあります。親が多趣味だった場合、ひとつのことを極めなければならないという「べき思考」に侵食される可能性は低くなります。なので、「中途半端でもいいから、とりあえずやってみて、つまんなかったらやめればいい」という楽しみの掛け算ができるようになります。「べき思考」は非合理的な信念のひとつなのです。

 非合理的な信念とは平たく言えば極端な思い込みのことです。「事をなすには、完全無欠であらねばならない」とか「ものごとはうまく運ぶべきで、直ちに最良の解決策を見出さねばならない」とかですね。

 「常に~でなければならない」などの硬直した考え方にこだわり過ぎると、そうならなかったときに落ち込んだり、自分のことが許せなくなったりして、うつや不安な気分になりがちです。自分に制限をかける「べき思考」があると、苦しい状況に陥りやすいのです。

 「~であることはもちろん望ましいが、できなくても気にせずまたやればいい」という風に考える合理的な信念で生きていくのが自然なのです。

 前提として、べき思考の人は「本来の自分を許していない」という状況にあります。周りの社会や状況に適応するためであったり、自分を守るためであったりするわけですが、そんな自分を制限している状況が続くと、自分を制限していない人に対して「恥ずかしくないの?」という気持ちになってしまうのだと思います。

 私たちは自分が経験する出来事や状況をありのまま受けとめるのでなく、自分の「信念」で色づけして受け取っているのです。言ってみれば、「信念」という色眼鏡を通して、自分自身を、そして周りの世界を見ているのです。自分の信念に合うようなことばかりを拾いあげて作り出した信念や、他の考え方をゆるさないような信念は、不合理な信念です。

 自分を生きづらくさせている「不合理な信念」に気づき、それを現実に即した「合理的な信念」に変えていくことで、息苦しくないゆとりのある生き方ができるようになります。

2024年3月13日水曜日

有害で空虚な人間関係は時間の無駄。良い雰囲気や温かいエネルギーを与えてくれない人に時間を費やさない。

 内向性と外向性は、カール ユング氏によって開拓された性格理論の一部です。内部の感情に焦点を当てることを特徴とする性格タイプです。約 25 ~ 40% の人が内向的です。

 内向型の人については、反社交的、無愛想、内気、孤独、奇妙さ、退屈さ、社交スキルの欠如などの誤解が多くあります。しかし多くの場合、実際には長所がたくさんあります。 内向的な人はひとりで時間を過ごすことでエネルギーを得る人々だそうです(ジェニファー・カーンワイラー博士)。 

■外向的態度

 人々が外の世界、他者との交流、環境に集中するように導きます。

■内向的態度

それは、内なる刺激、つまり、内省や熟考などの内なるプロセスに対する強い関心と関係しています。

 外向的な人は、内向的な人の体質的予備力を、無関心、回避的、反社会的、または批判的であるなど、軽蔑的に評価する傾向があります。

 内向的な人は、独自の基準を構築する傾向があるため、流行や外部の影響に対してより耐性があります。

 他人と一緒にいることでエネルギーが得られる外向型とは対照的に、内向型は他人と一緒にいることでエネルギーが消耗されると感じるため、友達を選びます。大規模な知人ネットワークよりも、時間とエネルギーを投資できる、信頼できる親密な友人関係を少数持ちたがります。友人関係においてより選択的になる傾向があり、その結果、社会的関係は少なくなりますが、より深いものになるのです。

 有害で空虚な人間関係は、疲れ果てて時間の無駄のように感じられます。内向的な人はこれを理解しており、良い雰囲気や温かいエネルギーを与えてくれない人に時間を費やしません。

 内向的な人は、スポットライトを浴びてグループの成功をすべて自分の手柄にする必要性を感じていません。彼らは権力を掌握するのではなく、指導、励まし、知恵、インスピレーションを通じて静かに周囲の人々を導き始めます。

 内向的な人がその性質に従って行動しない場合、さまざまなことが起こり得ます。怒り、不安、憂鬱、または自分の人生で起こっているすべてのことに圧倒されている場合、より衝動的に行動し、他の人に注意を払うことができなくなる可能性があります。つまり、特定のストレスの多い状況は、彼らが生来持っている社会的利点を妨げたり、無効にしたりしてしまう可能性があります。混乱した精神状態や頑固な防衛システムに圧倒されると、社会的にうまく機能しなくなってしまうのです。

 内向的な人は、信頼できる友人の親密なグループを好み、大規模な知人ネットワークがないことを好みます。 自分の友人関係を振り返って、自分の人生に誰を望んでいるのかを振り返って考えてみましょう。時間は有限であり貴重なので、あなたに喜びをもたらしてくれる人たちと時間を過ごしましょう。

2024年3月12日火曜日

自分に期待しない≒自分がやったことの結果に期待しない

 生きていれば、苦しみがあり、うまくいかないのが当然です。期待して裏切られたと感じ、絶望して生きることに疲れ果ててしまうのは、非合理的なのです。何ごとにも期待しないで生きている人は、「期待を裏切られた」という感覚がありません。

  期待して、それが叶わなかったがゆえにストレスを感じてしまうのです。「~という展開になって欲しい」と期待して行動した結果、実際には思い通りにいかなかったときに嫌な気分になるのです。他者に対して「~してくれたらなぁ」とか「~してくれるはず」と身勝手に期待して、それが叶わなかったときに相手に対して不信感や憤りを感じてしまうのです。

 自分自身に対しても、「もっとよい自分」を期待しているからこそ、その期待と一致しないことに嫌悪感を抱き、勝手に傷ついてしまうことになります。

 うまくいかない人を少し観察してみると、その人の裏側には「自分に期待しすぎてる」という問題が隠れてることがあります。「自分はこれくらいできるはず」と無自覚に思い込み、自分に求める基準が高くなりすぎています。自己評価が高すぎるのだから、うまくいかないのが当然です。自分に対する期待値が高すぎるため、客観的には滑稽な言動を重ねていくことになります。

 自分の人生に期待する人は、「人生は楽しくてしあわせなものであるべき」というイメージを持っていると思います。人生への期待が強すぎると、つらいことが起きる度にふしあわせに感じ、楽しいことがない日々をつまらないと感じてしまうようになります。期待が強すぎるために、ごく些細なことで裏切られたように感じてしまうのです。

 少し冷静になってみると、生きることがつらいのではなく、自らつらくなるような生き方を選択しているだけなのかもしれません。

 「自分に期待をしない」というのは、「自分なんてどうせ何もできないつまらない存在だし」と自己卑下するような否定的な考え方ではありません。自分が何か失敗して、見下されたり笑われたりしても、「自分大好き」という自己肯定感を持てている状態です。自分がやったことの結果に期待しないということです。

 「自分を見てほしい」「話を聞いてほしい」「誰かに褒めてほしい」「高く評価してほしい」「自分の考えを肯定してほしい」といった「他者から認められたい」という欲求に支配されている人は、めんどくさいと思います。

 他者からどれだけ認められても、自分で自分を認めることができなければ、結局は幸福感には満たされません。自分で自分を認めるということは、他者から認められることよりも大切なのです。自分で自分を認めることができないために、自分以外の人から認めてもらおうとするのです。結果、他者から認めてもらおうとするめんどくさい人と化してしまうのです。

 そもそも論、いつも他者から認められている人は、それほど強く他者から認められることを必要としませんし、認めてアピールもしません。すでに満たされているからです。一方、他者から認められた経験があまりない人は、承認欲求不満の状態にあり、より強く認められることを求め、認めてアピールを繰り返します。

 自分の成果や実績について積極的にPRしたり、自慢話ばかりします。褒めてもらえると、モチベーションが上がり頑張ります。地位・名声といったステータスを得たいと願います。

 一方で、自分が高く評価されず、他者が自分より高く評価されたりすると、強く嫉妬します。自分を高く評価しなかった人たちに対する不平不満や愚痴が止まりません。自分の考えが否定されると強い怒りを覚えたり、否定されることを強く恐れたりします。なので、いつも不機嫌な顔をしています。

 他者を認めると、相対的に自分の評価が低くなると感じます。自分の評価が低くなることに抵抗を覚えるために、素晴らしい他者を素直に認めることが難しくなります。

 そもそも論、現実的に考えて、すべての人から認めてもらうなんてことは無理なのです。自分を認めてもらえなくても執着せずに、世の中とはそういうものなのだと価値観の多様性を認めた方が合理的です。

 そんなわけで、自分に期待しないで生きていくと、幸福感が高まります。失敗しても、ネタが増えたくらいにしか感じませんので、楽しみが加速度的に増えていきます。自分で自分を認めることができれば、自分のやっていることの結果に対する執着は消えてなくなります。

 自分にも他者にも期待しない人は、一緒にいて居心地がいいので良縁に恵まれます。

2024年3月11日月曜日

「地雷と呼ばれている人たち」と距離を置く

 春節が明けて以降、「地雷と呼ばれている人たち」と距離を置くようにしています。

 「地雷と呼ばれる人」とは、「パッと見は、普通っぽく見えるのだけれど、実際には内面的に問題がある人」を意味するそうです。

 「実際の人間性に難あり」と定義されているようです。

 まずは、ナルシシズム。自信に満ち溢れていているように見えますが、実際のところはとても不安定です。自分は外見も良く、選ばれし人間で価値のある人間だと思い込んでいる傾向が強いのが特徴です。

 そして、メンヘラ。「心に何らかの問題を抱えている人」「精神状態が不安定な人」を意味するようです。

 ちょっとしたことで不機嫌になり、うつモードに入ります。かと思えば、躁モードに入って、全能感に浸ったり。

 一方通行的な物の見方をしていて、他者の言動に対する謎の「言い切り」「決めつけ」とともに、自慢話が多いのが特徴的です。自尊心過大なため、発話のほとんどが自慢話となります。

①常に上から目線(マウントをとって、自分の存在をアピールしようとする)

②頑張っている自分アピール

③ポエマー(聞いていて恥ずかしくなるような詩的な表現を頻繁に使用する)

④不機嫌(構ってほしい、気に掛けてほしい)

⑤弱い立場の人に対するの態度が悪い(威張る)

……あたりがわかりやすい特徴だそうですが、身体的不健康や金銭的行き詰まり、対人関係の寒冷化なども地雷と呼ばれる人たちに共通しているそうです。

 私の友人たちのたまわく、「あべちゃんは地雷踏みまくり過ぎ。もういい年齢なんだから地雷は避けなさい」ということで、春節明けは気をつけているという次第です。

2024年3月7日木曜日

重ねた失敗こそが財産であり、良き思い出となります。

 できないこと自体は、決して恥ではありません。 むしろ、みんな、できないのですから。 できなくて当たり前なのです。

 失敗することもは、決して恥ではありません。失敗したことで落ち込んでしまって、クヨクヨ思い悩んで、本来の力を発揮できない弱さこそが恥なのです。

 失敗したら、そこから何かを学べばよいのです。何度でも同じ失敗をしてもいいから、何かを学んで、成長を遂げていけれればよいのです。

 重ねた失敗こそが財産であり、良き思い出となります。

 ネガティブな感情を抱えている質(たち)の悪い人は、他者の過去の失敗に対して、罰しようとします。「失敗するなんて恥ずかしい」という謎の思い込みを押しつけます。

 最近よく言われるようになりましたが、「質の悪い人とは関わらない」の一択です。

 大事なことは「罰」ではなく、「どうやったらできるようになるか」を考えることです。罰により追い込まれた人は、失敗を恐れない思い切った行動をとることができなくなります。本来、人生のイベントは「楽しむ」ものです。失敗したからといって罰を与えることは「楽しみ」を奪う質の悪い行為なのです。

 あと、単純に他者の失敗を責める(怒る)と、責めている人の心身の調子まで狂ってしまうのもあります。これはかなり重要な現象で、責められている人は気分が良くないのが当然ですが、責めている人は確実にそれ以上に気分が悪くなるのです。

 いわゆる「自分の言葉を一番身近で聞いているのは自分」だからです。

 この記事を思い出しました → カメムシは、自分たちの臭いで死んじゃう!?

 カメムシが嫌われるのは、なんといってもあの臭いでしょう。

 この臭い、タイ料理によく使われるパクチーに似ているともいわれます。パクチーの臭いがダメで食べられない人は、この臭いを不快・危険と感じる遺伝子を持っていて、カメムシの臭いにも同じように反応するのだそうです。パクチー好きな私は、カメムシの臭いもけっこう大丈夫。

 でもこの臭い、カメムシ自身も耐えられないらしく、密閉容器に入れておくと、自分たちの臭いで死んでしまいます。研究員に頼まれて直径10センチほどの密閉容器に4〜5匹入れて渡したところ、1時間もせずに死んでしまったんです。

 普通、この容器に昆虫を入れて酸欠になることはありません。その後、臭い成分の中に毒性のあるアルデヒドが含まれているとわかって、自分の臭いで死んでしまったことが判明しました。

引用ここまで

 他者の失敗を責めている人を観察していると、本人自身が耐えられなくなって、いろいろよろしくない展開になっていくのがわかります。カメムシの自家毒中毒に似てますね。

 というか、見た目もカメムシに似てるような……。

状況によって「正しい姿勢」の定義は変わります。必要な動きによって、「良い姿勢」の定義が変わります。

  826asukaさんの一人二役の【 旅立ちの日に 】 エレクトーン演奏。絶賛の嵐。


 こんなコメントが。

演奏する姿勢

 まったく同じことを感じていたので、「おおっ!」ってなりました。

 というか、新旧を比較してみて思うのですが、ほんとすごい人だと思います。

   

 鍵盤楽器をやってみようという気になったのは、826asukaさんのパフォーマンス時の姿勢や動きの意味を体感的に理解してみたくなったためだったりします。実際にやり始めて、改めてすごいことやってるよなと実感しています。

 同時に、その動きをするために必要な姿勢のつくり方について、さまざまな知見を得ることができています。

 様々なことをやってみると、「どの動きにも対応できる正しい姿勢」というものは存在していないことがわかります。「その動きに最も適した姿勢」というものが存在し、それを昔は「構え」と名付けていたのだなということが体感として理解できます。

 人は往々にして、自分ができないことを「間違っている」と否定しがちです。実はそうではなくて、能力が足りなくて「それができない自分」がそこに存在しているだけなのです。能力が足りない人の目には間違っているように見える姿勢や動きが、じゅうぶんな能力を持っている人の目には正解として映るということは、よく見られる現象です。

 以前は、頭部前方位姿勢の人が頭部中間位姿勢の人をバカにする状況が理解できなかったのですが、ダニングクルーガー効果(Dunning–Kruger effect)がブームになった時に、なるほどなと思いました。能力の低い人や経験の浅い人が、自分の能力を正しく認識できず、自分を過大評価し、現実の評価と自己評価にズレが生じている状態に陥っているということなのです。実際の能力以上に自分を過大評価してしまっているわけです。

 少し学んだ段階で全てを理解した気になっている人が散見されるのはこのためだとされています。身体操作の世界でも、ほんの少し動き方を覚えた人ほど「だいたいわかりました。ここで学ぶことはもうありません」と、自主的に卒業してしまうことがよくありますが、これも、実際の能力以上に自分を過大評価してしまったことによるものだと思います。

 自分の知識や経験が十分だと錯覚しているため、学習意欲が向上しません。これ以上学ぶことがないと思い込んでいますが、もちろんそんなレベルには全然達してはいません。自分には高い能力があると思い込んでいるため、他者に高圧的な態度を取ったり上から目線で接したりしてしまいます。

 そもそも自分自身を正しく評価できていないために、比較する相手の評価もズレておかしくなります。相手の能力を低く見積もったり、能力のない人のことを根拠なく高く評価したりしてしまいます。

 自分以外に原因があると考えているために自己評価が下がることはありませんが、それは成長のチャンスを失ってしまうということでもあり、現状よりも能力が向上することはないということでもあります。

 たくさんのチャレンジの場を与えられると、根拠のない自信だけではやっていけなくなります。失敗を自覚できれば自己の過大評価をやめることができ、適切な自己評価ができるようになるかもしれません。が、実際は、妄想力によぅて失敗を失敗ととらえることができないために、現状よりも能力が向上することはありません。

 というか、ケガや故障で、さらなる能力低下というオチがつくようです。

 逆の効果として、「インポスター(詐欺師)症候群」があります。周りからは高く評価されているにもかかわらず、自分を過小評価してしまう現象です。成功を自己肯定できず「周りの助けがあったから成功できた」「運が良かっただけ」と思い込んでしまいます。周りからの高評価に対して、素で周囲をだましているように感じてしまいます。

 日常の様々な場面において極端な失敗や間違い、あるいは他人からの否定的な意見を恐れる傾向があるために、新しい経験や探求にチャレンジする勇気を自ら制限する傾向があると指摘されています。自らの能力があることを示す実績や証拠があるにもかかわらず、自分は詐欺師であり、他人より劣っていて成功するに値しない人間だというネガティブな判断をしてしまいます。

 対処として、自分が果たした成功体験に関して否定的な表現を使用しないなどの対応が重要であると考えられています。自分よりも優秀なメンバーがいる環境下に身を置いて周囲に頼りやすい環境をつくることで、改善が期待できます。

 話を戻して、姿勢にはその人の内面の状態が如実に反映されます。正しい姿勢づくりに欠かせないのが「適切な自己評価」だと考えています。様々な動きを経験し、「その動きに最も適した姿勢」というものを体得し、状況に応じた「構え」をつくれるようになることが大切だと思います。

最もよくないことのひとつは過緊張です。無駄な力が加わるとすぐに筋肉が硬くなり、可動域が狭くなります。その結果、思うように動けなくなります。

 フリースタイルのダンスの基礎練習のひとつに「アイソレーション(分離・孤立)」というテクニックがあります。アイソレーションを上手に実行することで身に着く身体操作技術は、ダンスを上達させるための最も重要な力のひとつとされています。

  アイソレーションとは、身体の 1 つの部分、場合によっては 2 つの体の部分のみを動かす技術です。 その部分を動かすときに、身体の残りの部分が分離されることです。

 分離を実行する際に、動いている体の部分と動いていない体の部分をはっきりと確認できるように、できるだけクリーンにすることが大切です 。動く部分と動かない部分の違いを明確にして示すことができれば、分離がきれいに見え、適切な効果が得られます。 

 最初のアプローチは、動かしたくない体の部分を 1 つ選択し、ほぼ同じ場所に置いておこうと思うことでます。そして、体の残りの部分を動かし始めます。たとえば、腕が動かしたくない部分である場合、これは体の他の部分から隔離したい部分になります。

 そして、動き始めますが、腕は同じ場所に留まります。目標は、できるだけきれいに保つように努めることです。観ている人たちは、どの部分が孤立しており、どの部分が動いているかを正確に理解できます。 

 考えすぎないでください。フリースタイルは自然でなければなりません。考えれば考えるほど、フリースタイルではなくなっていきます。プロセス(過程)を考えすぎると、良好なパフォーマンスができなくなる可能性があります。  

 たとえば、「頭と肩を動かさなければいけない」と強く思えば思うほど、それはあまりにも計算的で、あまりにも機械的になってしまいます。 

 動きは本能的に行うものでなければなりません。 動きの原理を理解したら、考えすぎないでください。

 どの部分が動いているのか、どの部分が動いていないのかの違いを示すことができた瞬間、観客がそれを見て本当に理解できるほどじゅうぶんにアイソレーションを行っていることになります。

 アイソレーションの練習で最もよくないことのひとつは過緊張です。無駄な力が加わるとすぐに筋肉が硬くなり、可動域が狭くなります。その結果、思うように動けなくなります。

 筋肉をできるだけ遠くに押し出すのではなく、人形のように考えてください。あなたは一本の糸に支配され、体の一部がそっと引き離されます。リラックスした感覚で練習してみましょう。

 この最初のハードルを乗り越えたら、さらに細かく分離して各部の可動範囲を最大限に高めていきます。基礎的なトレーニングは長期的には必ず効果をもたらします。それがなければ、中級以上のスキルを習得することはほぼ不可能になります。

 以前、首のアイソレーションのやり方について質問があったので簡単に紹介します。

 胸の前で腕をクロスして、肩が一緒に動かないように固定します。大きく動かそうとりきんでしまうと顎ばかりが動いて、顎が出た変な動きになります。前後左右に壁があるイメージで、無駄な力を抜いて練習しましょう。左右のアイソレーションを行うときは手を頭の上で合わせて、二の腕に耳を付ける感覚でやってみるとやりやすいかと思います(インド風なイメージ)。

首のアイソレーションの手順

前に動かす→鼻を前方の壁につけるイメージ

後に動かす→後頭部を後ろの壁につけるイメージ

右に動かす→右の耳を右の壁につけるイメージ

左に動かす→左の耳を左の壁につけるイメージ


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2024年3月6日水曜日

人生には意味がないという事実が、生きる理由、しかも、唯一の理由なのです。生きるということは特に意味もなくただ尊重すべきことでしかないのです。肝心なことはひとつしかありません。敗者たることを学ぶだけです。

 

生まれてきたことが苦しいあなたに 大谷 崇 (著)


 「ペシミストたちの王」シオラン。この陰鬱な思想家の思索と執筆は、つねに厭世的なことがらに捧げられてきた。怠惰、死、自殺、憎悪、衰弱、病気、人生のむなしさ、生まれてきたことの苦悩……。ことほどさように、シオランは「暗い」。しかし、あるいはだからこそ、彼の清々しいほどに暗い言葉の数々は、生まれ生きることに苦しみを抱く私たちが人生を楽にし、生き延びるために役に立つ。


生誕の災厄 E. M. シオラン (著) 出口 裕弘 (翻訳)

 生誕こそ、死にまさる真の災厄である。ただひとつの、本物の不運は、この世に生まれ出ることだ。──「暗黒のエッセイスト」が放つ、独特のユーモアと強烈な皮肉に満ちたアフォリズム(散文)に、読者は一瞬にして呑みこまれる。

Emil Mihai Cioran

「人生には意味がないという事実が、生きる理由、しかも、唯一の理由なのです。」

「肝心なことはひとつしかない。敗者たることを学ぶ ー これだけだ」

「どの道に進んでも、他の道よりも優れているわけではありません。何かを達成しようがしまいが、信仰を持っていようがなかろうが、泣いていても黙っていても同じなのと同じです。」

「なぜ私たちがこの世界で何かをしなければならないのか、なぜ友人や願望、希望や夢を持たなければならないのか、私にはわかりません。騒音も複雑さも一切聞こえない世界の片隅に退却したほうがよいのではないだろうか?そうすれば、私たちは文化や野心を放棄できるでしょう。私たちはすべてを失い、何も得られないでしょう。この世界から何が得られるというのでしょうか?」

「どこに行っても同じような所属感のなさ、虚しさの感覚。自分にとって何の関係もないものに興味があるふりをして、機械的に、あるいは慈善心から自分自身を奮い立たせますが、決して捕らわれず、どこかにいることもありません。私を惹きつけるものは他のところにありますが、それが他のどこにあるのかはわかりません。」

「私はほとんどの場合、すべてのことには根拠も結果も正当化も欠けていると確信しているので、もし誰かがあえて私に反論しようものなら、たとえ私が最も尊敬する人物であっても、私にはその人はペテン師か愚か者に見えるだろう。」

「野生の生息地でゴリラを観察したある動物学者は、彼らの生活の均一性と彼らの広大な怠惰に驚きました。何時間も何もせずに。彼らは退屈を知らなかったのでしょうか?これは確かに、忙しい猿である人間によって提起された質問です。動物たちは単調さから逃げるどころか、単調さを切望しており、彼らが最も恐れているのは単調さが終わるのを見ることだ。なぜなら、それは終わりを迎え、すべての活動の原因である恐怖に取って代わられるだけだからです。何もしないことは神聖である。しかし、人間が反逆したのは不作為である。人間だけでは、本質的に単調さに耐えることができず、人間だけが何としてでも何かが起こることを望んでいる――何か、何でも……。それによって人間は自分が祖先にふさわしくないことを示している。目新しさへの欲求は疎外されたゴリラの特徴である。 」

「無力感を「治療」するために、できる限り努力してください。服従、撤退、主権の不在という道教の教祖の教義について瞑想すること。彼らのように、ひとたび意識が世界との関わりを失い、彼らのお気に入りの要素である水のように物の形と結びついてしまうと、その流れに従うことは、決して成功しないでしょう。彼らは私たちの好奇心と苦しみへの渇望の両方を軽蔑します。そこでは、彼らは神秘家、特に中世の神秘家とは異なり、ヘアシャツ、災難、不眠症、無欲、嘆きの美徳を推奨する傾向があります。
 
「激しさの人生はタオに反する」と、普通の人がいたとしても老子は教えます。しかし、キリスト教のウイルスは私たちを苦しめます。鞭打ち犯の後継者である私たちは、耐え難い苦痛を和らげることによって、自分自身を意識することができます。宗教は衰退しているのでしょうか?私たちは、昔の浸軟と独房の金切り声を永続させるのと同じように、その贅沢を永続させ、全盛期の修道院のそれに匹敵する苦しみを味わう意志を持っています。教会がもはや地獄の独占を楽しんでいないとしても、それにもかかわらず、教会は私たちをため息の連鎖、試練の崇拝、爆発的な喜びと歓喜の絶望の連鎖に釘付けにしました。

 体と同様に心も「激しさの生活」の代償を払うのです。自分自身に対して考える技術の達人であるニーチェ、ボードレール、ドストエフスキーは、私たちに自分の危険に味方し、病気の範囲を広げ、自分という存在から分割して存在を獲得することを教えてくれました。そして、偉大な中国人にとって失敗の象徴、不完全さの証拠であったものが、私たちにとって所有の唯一の方法、つまり自分自身と接触する唯一の方法を構成します。」

「私たちは死に向かって急ぐのではなく、出生時の大惨事から逃げ、それを忘れようともがいています。死の恐怖は、人生の最初の瞬間にまで遡る恐怖の未来への投影にすぎません。
もちろん、私たちは出産を災いとして扱うことには抵抗があります。出産は主権的善であると教え込まれていなかったのでしょうか。最悪の事態は人生の初めではなく終わりに来ると教えられてきたのではありませんか? しかし、悪、本当の悪は私たちの前にあるのではなく、後ろにあります。イエスが逃れたものは、ブッダを逃れることはできませんでした。…”そして彼は老いと死よりも先に、あらゆる病み、あらゆる災害の根源である出生の事実を置く。”」

「バッハの音楽は、宇宙の創造が完全な失敗であるとは考えられないことを証明する唯一の議論です。バッハがいなかったら、神は完全な二流の人物になってしまうだろう。」

「自殺するのはいつも遅すぎるのだから、わざわざ自殺する価値はない。」

「自殺するのは楽観主義者だけであり、楽観主義者でいることに成功しなくなった楽観主義者だけだ。他の人たちは生きる理由がないのに、なぜ死ぬ必要があるのでしょうか?」

……シオランの言葉ここまで

 「人生とは、自殺の遅延である」という考え方は、「人は何のために生きるのか?」と考えてしまうとき、「生きるということには何の意味もない」という明確な答えを与えてくれます。

 鬱の研究では、健康な人は楽観的で、うつ状態に陥った人は悲観的になるそうですが、実際のところ、この世界を客観的に見ているのはうつ状態の側の人間なのだそうです。生きるということは特に意味もなくただ尊重すべきことでしかないのです。

 健康な時に読むと「?」という本ですが、生きている意味がわからなくなるくらい不健康な時に読むと死のうとは思わずに済むと思います。

2024年3月5日火曜日

人は、やり終えてしまった事柄よりも、途中で挫折してしまったり中断してしまったりした事柄のほうがよく記憶に残ります。

 ツァイガルニク効果

 ツァイガルニク効果(Zeigarnik effect)とは達成できた事柄より達成できていない事柄・中断している事柄を意識している状態。ツァイガルニック効果、ゼイガルニク効果、ゼイガルニック効果とも表記する。

 ドイツのゲシュタルト心理学者クルト・レヴィンの「人は欲求によって目標指向的に行動するとき 緊張感 が生じ持続するが、目標が達成されると緊張感は解消する」という考えに基づき、リトアニア出身で旧ソビエト連邦の心理学者ブリューマ・ゼイガルニクが「目標が達成されない行為に関する未完了課題についての記憶は、完了課題についての記憶に比べて想起されやすい」との事実を実験的に示した。

 (ルビンシュテイン『一般心理学の基礎2』 1982)には、「明らかに逆のこと、つまり、やり終え、完結し、現実性を失ったことは、なによりもはやく忘れるという傾向もある」との付言がある。

引用ここまで


 人は、やり終えてしまった事柄よりも、途中で挫折してしまったり中断してしまったりした事柄のほうがよく記憶に残ります。「最後までやり遂げたい」という気持ちになるのです。「達成できなかったこと」が気になってしまうのです。

 ある課題を完了する前にやめてしまった場合、課題が頭の中に残り続け、それを完了することが強く求められます。達成されなかった未完了の課題の記憶は、完了した課題の記憶に比べて想起されやすいからです。

 短期記憶は容量と持続時間の両方に制限があります。通常、私たちが記憶に留められるものは限られています。それでも、情報を保持するにはリハーサル(個々の場面を本番と同様に進行させて、進行を確認する行為)を続ける必要があります。このプロセスにはかなりの精神的な努力が必要です。短期的に記憶に留めておこうとすればするほど、記憶に留めておくのに苦労する必要があります。

 データの過負荷に対処するために、人々は多くの場合、大量の情報を記憶するのに役立つ精神的なトリックに依存します。ツァイガルニク効果も、そのひとつです。私たちは、常に情報を意識の中に引き戻すことで、短期的に情報を保持します。未完了の課題について頻繁に考えることで、完了するまでその課題を思い出し続ける可能性が高くなります。

 ツァイガルニク効果は、短期的に記憶に影響を与えるだけではありません。まだ達成したい目標などの未完了の課題が、長期間にわたって私たちの思考に入り込み続けることもあります。

 そのため、その課題を意識の最前線に保つためには、より多くの精神的な努力とリハーサルが必要になります。しかし、それが完了すると、私たちの心は余分な努力を手放すことができます。


 一般に、教育者は、学習課題を中断して後で再開すると、その課題中に学習した情報が記憶される可能性が高くなると考えています。短い間隔で科目を勉強し、概念を暗記する途中で休憩を取ると、よりよく思い出すことができる可能性があると推奨する場合があります。

 無関係な活動を伴う適切な休憩を挟んだ学習セッションを設計することで、学生は自分が扱うトピックについてより侵入的な考えを経験する可能性が高く、それらの考えを熟考して統合することができる可能性があります。休憩なしで長時間勉強すると、一般に情報を思い出す効果が低くなります。

 たとえば、先延ばしを避けるために、後で再開する前に、できるだけ早く課題を完了するための最初の一歩を踏み出すことができるかもしれません。

 先延ばしにする傾向がある人は、  課題を早めに開始すること、または可能な限りどこからでも始めることの重要性を学ぶかもしれません。ツァイガルニク効果に伴う認知的緊張は、仕事が時間通りに完了するまで、これらの人々を仕事に引き戻すのに役立ちます。

 仕事は迅速だけれどもマルチタスクに問題がある人にとっても、生産性が向上する可能性があります。未完了の課題に伴う認知的侵入を徹底的に理解することで、新しい課題がそれぞれ本質的に以前に行われていた作業の中断であることを労働者が理解できるようになります。したがって、労働者は、マルチタスクの量に合理的な制限を設定するよう動機付けられ、それによって認知的な過負荷とフラストレーションを軽減しながら作業パフォーマンスを向上させることができます。


  ツァイガルニク効果は必ずしも有益であるとは限りません。課題が完了しないと、その課題が心に重くのしかかり、ストレスを引き起こす可能性があります。不完全な課題、特にマイナスの結果を伴う課題は、頻繁で ストレスの多い 侵入思考につながることがよくあります。こうした考えは睡眠を減らし、 不安を助長し、人の精神的および感情的リソースをさらに枯渇させ、場合によっては不適応行動につながる可能性があります。

 逆に、ツァイガルニク効果は、個人が課題を完了し、より良い習慣を身につけ、長引く問題を解決するよう動機づけることによって、精神的な幸福を促進する可能性があります。

 割り当てられた課題を無事に完了すると、達成感が得られ、自信と自尊心が高まります。生産的な仕事と学習習慣の開発は、個人の成熟感と自己成長にも貢献します。さらに、ストレスを引き起こす出来事に終止符を打つことができる人は、心理的健康に長期的なプラスの影響を経験する可能性が高くなります。

いまやるべきことがあったとしても、目の前に気になるものが現れると、ついそっちに気を取られてしまう。

 なにかやるべきときに、「あとで」と考えてやめてしまう。後回しにしていいことであればいいのですが、大切な課題は先延ばしできません。やるべきことができないと、いろんな場面で困った展開になりがちです。

 予定通りに動くことが困難で、準備するのが遅れ、結果的に時間を守れない。遅刻するのが常習で、なかなか約束を守れない。

 物事の優先順位を決めるのが苦手で、大切な予定までも後回しにしてしまう。課題の優先順位を考えて先に片づけることが苦手で、とりあえず目の前にあることや、先に片付けられそうなことから片付けてしまうため、なかなか課題を達成することができません。

 今現在の目の前のことにばかりに集中してしまいがちで、過去の経験から得た教訓を元にして、これから起こることを予想して動かない。「これは先にやるべき」と判断するのが苦手で、「いまこれをやらないと大変なことになる」という未来の結果を、予測することができません。


 原因について考えてみましょう。

 過去に同じようなことをして失敗をしている場合、「また失敗するのではないか」という恐れを感じ、「後まわしにしよう」と、いまやるべきことを先延ばしにしてしまいがちです。

 「自分には上手くできないのではないか」とストレスを感じ、その重圧(プレッシャー)から逃避したくて後まわしにしてしまう。白黒思考の完璧主義者や自己肯定感が低い人にありがちです。

 課題が面白くない。、嫌なこと、やりたくないことだと認識しているため、やるべきことに手をつけることができません。

 やるべきことが複数ある場合、何から手をつけていいか分からず、悩んでいるうちに時間が経ってしまう。急ぎでやったほうがいいこと、重要なことなど、やらなければならないことの優先順位う決めることができず、気力が萎えてしまって、何もかもを先延ばしにしてしまいます。

 いまやるべきことがあったとしても、目の前に気になるものが現れると、ついそっちに気を取られる。


 対策は、まず、目標を細かく分解して、直近の目標だけに目を向けるようにします。いまやるべきことがはっきりさせて、それぞれをいつまでにやるか決めることで、少しずつですができるようになってきます。

2024年3月4日月曜日

自分の実態に見合った、分相応の生き方をしていると、だいたいのことはうまくいきます。

 自分の実態に見合った、分相応の生き方をしていると、だいたいのことはうまくいきます。無理をせずに暮らしていれば、心身を損なう可能性は低くなります。「ありのままの自分」を受け入れて、身の丈に合った選択をしていけば、幸福度は自然に高まっていきます。

 自分をよりよく見せようとして、はったりをかけたり、虚栄心を張り続ける必要なんてありません。自分のことを偽って見せようとしても、メッキは簡単に剥がれてしまいます。現在の自分の状況に見合った選択をしていけば、ボロが出ることはありません。心に余裕も生まれてきます。

 無理をして身の丈以上のことをしても、良い結果には導かれません。無理をしても、長くは続かないからです。

 実際の自分のレベルにあった行動を選択することで、素直に生きられるようになり、心穏やかに暮らすことができます。自分のペースで、自分のスタイルでやっていくのが基本だと思います。

 現状そのままの自分を認めることができていれば、他者を見て羨ましいと感じることはなくなります。自分に対する信頼感があれば、他者と自分を比べて、劣等感や優越感を感じることがありません。周囲の意見に振り回されなければ、穏やかで落ち着いた暮らしができます。

 自分に合った人たちに囲まれて、自分にできることをして生き延びてゆくのは、とてもしあわせなことだと思います。


 ……というようなことを、無理して背伸びして自分を大きく見せようとして、身体をボロボロにして生きている某自称すごい人のSNSを見ていて思いました。実際の能力以上に自分を過大評価して突っ走ってみたところで、実際はたいしたことはないのだから、良い結果にはつながらないということを教えてくれる反面教師的存在です。

 自惚れ(うぬぼれ)……実際以上に自分が優れていると思い込み、得意になること。

 上から目線でアドバイスしてくるとか、リアクションが大げさで、目立ちたがるとか……自分の能力や価値を実際以上に高く感じ過大評価を抱く妄想世界に生きていると、異常なほどの気分の高揚が持続し、「自分はえらい」「自分はすごい」という万能感が強くなり、体中がエネルギーに満ち溢れたように錯覚してしまいがちです。

 相手をバカにしたような態度をとったりしているうちに、質の良い人たちが離れていってしまい、身体も壊してしまうわけですが、質の悪いイネイブラー(enable:嗜癖その他の問題行動を陰で助長する人たち)だけは周りに残っていくので、厄介な展開になります。

 問題行動を起こす人のそばには、その問題行動を続けることを可能にする人たちがいるということです。

 

 実際の自分のレベルにあった行動を選択するようにしていきたいと思います。

2024年3月3日日曜日

まだ経験もしていないことを、理論で説明することなんてできない。

 身体操作の理論とか、解剖学用語はよく知っているのに、身体がうまく動かせなかったり、感覚的なことがまるでできなかったりする大人をたまに見かけます。過緊張状態で脱力ができず、正しい姿勢がつくれないのに正しい姿勢について語ったり、正しい動きができないのに正しい動きについて語ったりします。

 理論の解説だけ聞いて、「だいたいわかった」と言い、「もうここで学ぶことは何もない」と言って、卒業(自称)してしまうという特徴があります。何ひとつ、実際の動作はできるようになっていないのにも関わらずです。

 逆に、ただ長く通っているというだけで、自分よりはるかに姿勢が正しく、正しく動けている人に対して、上から目線でアドバイスして、マウントをとろうとする人もいます。やはり何ひとつ、実際の動作はできていないのにも関わらずです。

 いろいろ謎だったのですが、野口幸太先生のこの動画でのやり取りを聴いていて、いろいろと腑に落ちました。

 

「音楽を理解する、自分のものにするために、まず必要なことは歌ってみる、聴いてみるってことだったりとか、あと指を動かしてみるとか、すごく人間の本能的なところ? 本能的なところで経験をしたうえで、楽譜というものがあって、それっていうのはこういう風に書き表すことができるんだよっていう、この手順……順序なのかなって思うんだけれども、どうしても大人って、早く理解したがるから、理論のところで、先にしがみついちゃう。」

「理論大事なんだよ。僕ね、散々ディスられてんのこの動画で(笑)。理論は大事ですよ。そんなことわかってんの。そんなこと言ってないの(笑)。あまりにもそこにしがみつきすぎちゃって、そこから理解しようとする。まだ経験もしていないことを、理論で説明することなんてできないんだよね。後から言葉になって……言葉というのは理論そのものじゃないですか。だから、後から説明がついていくのでいいんだけれども、もうとにかくだから、ゆみ先生の素直さ、と後、めいこ先生のできない姿をさらけ出す(笑)……この、ハート(笑)。」

「理論って、めっちゃ大事なんです。理論って、ピラミッドの頂点ですからね。ピアノ始めたいって人は、ピラミッド飛び越えていきなり頂点に行けないじゃないですか。やっぱりその土台が大事だからね。そこがあった上での理論だね。」

「私は逆に、大人から始めることの利点というのは、理論がわかるということなんだと思うんです。ただね、理論がわかるんだけど、感覚的なことができないことの言い訳が理論になってちゃダメなの。大人の人って、割とそれ、しがちなの。ゆ、指が動かないから……でもこれはわかるぞみたいな……それじゃあダメ。理論は理論で、それを言い訳にしないで、やっていかないと、両方楽しめないよと思いますよね。」

引用文字起こしここまで

 なるほどたしかに。

 正しい姿勢をつくれる正しい動きができる人に対して、正しくない姿勢しかつくれない正しくない動きしかできない人がやれることは、理論武装して言い訳に使うということなのかもしれません。

 実際に頭部中間位姿勢がつくれ、各関節を中間位にでき、りきまずに動ける人を、強度の頭部前方位姿勢で、各関節が中間位から変位してガチガチにりきんでいる人が謎の理論で否定している構図の一端がわかったような気がします。

「まだ経験もしていないことを、理論で説明することなんてできはしない」のです。

 経験していない(実際にはできない)ことを、理論を学ぶことで理解しようとするのは無理があります。まずはできるようになって、後付けで理論的に説明するのが自然です。

 というわけで、安部塾塾生講座やレッスンのスタンスを変えたいと思います。「とりあえず、まずはできるようになる。理論はそれからだ。」的な。これまでのやり方では、理論だけ学んで、わかったような気になってしまうという状況をつくりがちですから。

 ドリル(特定の技能・能力を向上させるための反復練習)によって、実際にできるようになってから、それに言葉を当てていくという手順です。

 いろいろ試行錯誤したいと思います。

2024年3月2日土曜日

彫りの深い腹筋や吸引されすぎた腹部は、横隔膜の動きを妨げ、呼吸効率を低下させる可能性があります。

 腹横筋は腹部の「腹部」の筋肉です。すべての腹筋の中で最も深く、通常見られる上から下に向かう腹筋ではなく、左右に向いています。この筋肉は、腰痛を防ぐために最も重要な腹筋の 1 つと考えられています。

腹横筋

 オーストラリアの理学療法士グループが、腕や脚の筋肉を動かすことを考えただけでも、腹横筋が収縮して腰を安定させていることを発見しました。

 「腹横筋は、背中を締め付けてサポートすることによって背骨を収縮させ、安定させます。歯磨き粉のチューブの一端を絞ると、チューブのもう一方の端がまっすぐになるのと同じように、腹横筋は背骨と腹部を締め付けます」

 理学療法士グループは、腰痛のある人は腹横筋が収縮して背骨の圧力を取り除く能力を失っていることを発見しました。これが、腹横筋が腰痛対策に重要である大きな理由の 1 つです。 

腹横筋はどこにあるのか?

 腹横筋は腹部の内腹斜筋のすぐ内側にあります。これは腹部の最も内側の筋肉の 1 つで、鼠径靱帯、腸骨稜、下部 6 つの肋骨の内面、および胸腰筋膜から生じています。

 基本的に、腹横筋は背骨の両側から始まり、胴体を包み込み、胸郭につながり、腹部の中央線で終わります。

腹横筋の役割は?

 他のコアマッスルと同様に、腹横筋の主な役割は、内臓を所定の位置に保持して保護することと、手足が動く前に腹壁の張力を維持して背骨と骨盤を安定させることで胴体をサポートすることです。

腹横筋の機能

 腹横筋は体幹の一部であるため、特に機能的な動きに関しては多くの機能があります。体の動きに関して、この腹筋の主な機能は 2 つに分類できます。

①静的コア機能

 これは、変化しない力に抵抗するために骨格を調整する腹横筋やその他の体幹の筋肉全般の能力です。例は、プランク運動をするときにこの腹筋が体の位置を調整するのにどのように役立つかです。

②動的なコア機能

 静的なコア機能とは異なり、腹横筋の動的なコア機能は体が動いているときに機能し、腱、靱帯、筋肉などのいくつかの部分と連携して抵抗を吸収し、動作面に合わせて調整します。例は、坂道を登るときに姿勢が常に変化するのがその好例です。

 腹横筋のその他の主な機能には、排便を我慢すること、分娩中の収縮や出産時のいきみを促進すること、息を止めたときに胸部が締め付けられるバルサルバ法(声門を閉じた状態で呼気を行う方法)を支援して、押したり持ち上げたりするなどの活動を無意識のうちに実行できるようにすることなどがあります。

腹横筋に効果的なエクササイズは?

 腹横筋やその他の体幹の筋肉全般を鍛える効果的な方法はたくさんあります。これらには次のものが含まれます。

ストリング(弦)バキュームエクササイズ

 腹横筋を発達させるのに良い方法です。この方法を使用して運動すると、タスクを実行するときにバキュームを使えます。

 バキュームエクササイズの一般的なバリエーションは、ストリングメソッドを使用することです。最大吸引能力の 4 分の 3 で、へその位置で胴体の周りに弦(紐)をしっかりと結び付けることで機能します。

 その後、お腹をバキュームしながら一日を過ごすことになります。リラックスするたびに、弦(紐)がお腹の周りを締め付けて、吸引力を維持する必要があることを思い出させます。

プランク(板)エクササイズ

 プランクは、体幹の筋肉を鍛えるために多くの人が使用する人気のあるエクササイズです。このエクササイズでは、まず地面にうつ伏せになり、腕立て伏せの姿勢に体を持ち上げますが、手のひらの代わりに前腕を使って体を支えます。

 ほとんどの人はプランク エクササイズを 1 分間行うことができます。整っている人は、 2 ~ 4 分間続けることができます。

サイドプランクエクササイズ

 通常のプランク エクササイズと同様に、サイド プランクも体幹の筋肉を鍛える人気のエクササイズです。このエクササイズにはさまざまなバリエーションがありますが、最も一般的なものは、腕立て伏せのポーズをとり、片方の腕に体重を移しながら体全体を横に向け、もう一方の腕を空中に持ち上げます。

 腕を切り替えるのは約 30 秒ごとです。

デッドバグ(死んだ虫)エクササイズ

 このエクササイズは、仰向けに寝て腕と脚を空中に伸ばすことから始まります。脚の膝を90度に曲げ、すねをできるだけ平らにして床と平行にします。

 このポーズになったら、左手を床に下ろしながら、右足をゆっくりと伸ばします。腕がまっすぐであることを確認してください。両方の手足を開始位置に戻し、交互の手足で繰り返します。

レッグレイズ

 レッグレイズは、最も簡単で最も一般的なコアマッスルトレーニング方法の 1 つです。このエクササイズを行うときは、まず平らな場所に仰向けに寝てください。腕を腰までまっすぐ床に置きます。

 この休息位置から、両脚を揃えてゆっくりと上げ、腰の角度が 90 度になるようにします。脚がまっすぐで、膝が曲がっていないことを確認してください。

スクワームヒールタッチ

 このエクササイズでは、仰向けに寝て膝を上に曲げ、両足を床にぴったりとつけることから始める必要があります。

 この安静姿勢から肩甲骨を持ち上げ、右手で右かかとに触れます。安静姿勢に戻り、左手で左かかとに触れます。

 体の右側と左側がシーソー効果をシミュレートするように、これを素早く連続して行う必要があります。

激しい運動は腹横筋を損傷する可能性があります

 トレーニングしすぎると、コアマッスルシステム全体を傷つけたり、緊張させたり、合併症を引き起こしたりする可能性があります。腹横筋やその他の体幹の筋肉全般に負担がかかりすぎると、次のような合併症が発生します。

①腹横筋を意識しすぎると、自発的な動きや背骨の調整が低下する可能性があります。これが硬直の原因となります。

②腹横筋を頻繁に鍛えすぎると、腰椎間の基礎圧縮レベルが上昇する可能性があります。これも凝りの原因となります。

③彫りの深い腹筋や永久的に吸引された腹部は、横隔膜の動きを妨げ、結果として呼吸効率を低下させる可能性があります。

④腹横筋の緊張は前弯を引き起こす可能性があります。

⑤腹横筋を酷使すると、骨盤底が膨らんで弱くなる可能性があります。腹部の緊張は、運動後に体幹の筋肉を休めなかったり、ストレッチをしなかったり、ジャンプ、ランニング、水泳を必要とする作業やスポーツをするときに不適切なテクニックを使用したり、突然体をひねったり、速い動きをしたりするなど、他の原因によって引き起こされることもあります。

結論

 腹横筋は体幹に欠かせない部分です。腹横筋には動きを補助し、内臓を保持したりその他の作業を行うのに必要な圧力を与えたりする上で重要なさまざまな機能があります。

 したがって、定期的に運動することで、この筋肉と体幹全体を健康で機能的に保つことが重要です。

 ただし、運動しすぎると体幹の筋肉に負担がかかり、凝りや背中の痛みなどの合併症を引き起こす可能性があることに注意してください。


機能運動学大牟田サークル

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2024年3月1日金曜日

ことばがあるから認識や思考ができる。ことばが違うと認識や思考にも差がでる。国が違えば生活様式も違い、生きるために必要な物や行動も異なる。ことばが違う者同士でコミュニケーションを取るときは、前提や概念がそもそも違うことを念頭に置く必要がある。

言葉と世界 今井むつみ                                            

 言葉は世界への窓であるとは、言葉を通して世界を見たり、物事を考えたりしていることである。言葉は私たちの世界の見方、認識の仕方と、どのような関わりを持っているのか。例えば、「水」「緑」「左」を、大人と子どもは同じように理解しているのか、言語が違う人々は同じように理解しているのか。言葉による世界の切り分けとは多様である。

 「言葉によって世界を切り分ける」とは、カテゴリーに分けることである。カテゴリーとは、「同じ種類のモノの集まり」である。個体の名前である固有名詞ばかりでは、個体としての区別しかつかない。カテゴリーの名前を持つことの利点は、無限に存在する個体を意味があるまとまりとしてまとめ、「同じモノ」に共通の特徴のみを問題にして、世界を整理していけることである。カテゴリーは「モノのカテゴリー」だけでなく「動作のカテゴリーもある。

 モノとモノとの空間の位置関係を、言葉がどのように表現するか。言語は三次元空間上に無限に存在する二つのモノの位置関係を、非常に限られた数の「位置関係のカテゴリー」に区分けし整理している。例えば、「前」「後」「右」「左」について考える。「前」と言う言葉は、視点に依存し、相対的に決まる。自己中心枠とモノ中心枠の二つの視点がある。

 自己中心枠は、話し手の体を中心にして目のある方を「前」と言う。モノ中心枠は、モノにもともとある顔や進行方向などを「前」として中心にする場合である。

 「ボールは木の前にある」と言う場合、日本人は、木が自分と対面し自分の方に向いていると思うので、ボールは木と自分の間にあると認識する。ところが、ハウザの言語は、正面(顔)のないモノは自分と同じ方向に向いていると思うので、ボールは木の向こう側にある。

 私たちが「見ている」世界は、言葉が切り分ける世界そのものなのか、言葉が切り分ける世界は、私たちが「見ている」世界とは別のものだろうか。

引用ここまで

ことばと思考

 ことばがあるから認識や思考ができる。ことばが違うと認識や思考にも差がでる。国が違えば生活様式も違い、生きるために必要な物や行動も異なる。だから語彙群に濃淡が生じる。このような状況で異なる言語間でディスカッションしたら確かにズレは起きやすい。

 ことばは、思考や認識のフィルターとなって、あらゆる事象の歪みとなる。ことばが違う者同士でコミュニケーションを取るときは、前提や概念がそもそも違うことを念頭に置く必要がある。

こちらの記事が面白いです → 「言語が世界を分節する」の具体例での解説と考察

多裂筋は腰椎の重要な安定装置です。腹横筋や骨盤底筋と連携して背骨の安定性を高めます。

多裂筋

 多裂筋は背中の深層筋に由来し、半棘筋および回旋筋とともに脊髄横筋群を形成します。多裂筋は半棘筋の深部、回旋筋の表面に存在します。 

 横脊椎筋群は横突起から側方に伸び、棘突起の内側に付着して棘突起の両側の溝を埋めます。

 多裂筋は脊柱の全長に広がっていますが、腰部で最も発達しています。多裂筋は局所的なコアスタビライザーであり、静的および動的脊椎の安定性に重要な役割を果たします。多裂筋の筋力低下は腰痛と関連しています。

 腰部多裂筋は細いながらも丈夫な筋肉で、腰の層の奥深くに存在し、筋肉や靱帯の複雑なネットワークと絡み合っています。鏡ですぐに気づく筋肉ではありませんが、長期的な脊椎の安定性と強度のために注意を払うべき筋肉です。

 腰部多裂筋は腰椎を安定させる上で基本的な役割を果たし、体を直立姿勢に維持し、個々の椎骨の動きを正確に制御できるようにします。腰部多裂筋は独特の構造を誇ります。繊維が格子状に交差して配置されており、強度と柔軟性を兼ね備えています。この配置により、ダイナミックな活動中であっても、制御された動きを生成し、脊椎の安定性を維持することができます。

 私たちの現代の座りっぱなしのライフスタイルは、腰部多裂筋の弱体化に関係しています。身体活動の不足や長時間座っていると、多裂筋が正常に機能しなくなり、筋肉のコンディションが低下する可能性があります。

 姿勢は重要であり、悪い姿勢を長期間維持すると、腰部の多裂筋やその他の脊椎の支持構造に過度のストレスがかかる可能性があります。悪い姿勢が長く続くと、腰部多裂筋の機能不全が生じ、慢性腰痛を発症するリスクが高まります。

起始

腰部多裂筋は、いくつかの起始点を持つ長い筋肉です。

仙骨の背面

上後腸骨棘

腰椎の乳頭突起(腰椎の背側上面にある骨の隆起)

胸椎の横突起

停止

腰椎5番から 胸椎8番までのすべての椎骨の棘突起の基部、原点から 2 ~ 4 レベル上。

多裂筋は胸腰筋膜を介して腹横筋とつながっています。

活動

①両側の収縮により脊柱が伸展します。

②片側の収縮は反対側に脊柱を反対側に回転させます。

③多裂筋が直立姿勢で継続的に活動します。おそらくあらゆる反重力活動において活発です。

④多裂筋は、脊椎が動くときに椎骨を安定させます。多裂筋のユニークなデザインが、多裂筋にさらなる強度を与えていると考えられています。

⑤腹斜筋が収縮して体幹の回転が生じると、体幹のある程度の屈曲も発生します。多裂筋は、純粋な軸方向の回転を維持しながらこの体幹の屈曲に対抗し、体幹の回転中にスタビライザーとして機能します。

臨床的関連性

 多裂筋は腰椎の重要な安定装置です。腹横筋や骨盤底筋と連携して背骨の安定性を高めます。

 多裂筋の筋力低下と萎縮は慢性腰痛と関連しています。コア安定化プログラムは、多裂筋の断面積を増加させ、腰痛を軽減するために提案されています。

 多裂筋のトリガーポイントは、相互抑制の減少により腹横筋の収縮効率を低下させます。多裂筋トリガーポイントの乾式針治療により、収縮中の腹筋の厚さが増加し、多裂筋乾式針治療が腰痛の治療に使用できることが示唆されました。

長さの張力の関係

 多裂筋は断面積が大きいため、力の発生能力が高く、線維長が短いため、筋の可動範囲は小さくなります。

 最も深い層は、表層よりも脊椎の強度と安定性に貢献しているようです。おそらく、深層は(他の層では最大 4 つであるのに対し)脊椎分節が 2 つしか広がっていないためと考えられます。その結果、多裂筋の深層の「可動域」が短くなることは、筋肉が収縮するときに、他の背部伸筋や多裂筋のより表層に比べて、影響を受ける脊椎関節でのより多くの圧縮タイプの動きに寄与することを意味します。

理学療法

 腰部多裂筋が弱い人の場合、理学療法が第一選択の治療となることがよくあります。この非侵襲的アプローチには、腰部の多裂筋とその周囲の筋肉をターゲットとするカスタマイズされた運動プログラムを設計できる訓練を受けた理学療法士との協力が含まれます。理学療法の目的は次のとおりです。

①腰部多裂筋を強化する

 特定のエクササイズや筋力トレーニングを通じて、理学療法は筋肉の強度と機能を向上させるのに役立ちます。

②柔軟性を高める

 ストレッチ運動により腰椎の柔軟性が向上し、硬さや不快感が軽減されます。

③正しい姿勢と体の仕組み

 理学療法士は、多裂筋へのさらなる負担を防ぐために、日常の活動において適切な姿勢と体の仕組みを維持する方法を指導します。

 コアの安定化筋肉の再トレーニングは一連のステップで行われます。最初のステップは、筋肉を分離する方法を学ぶことです。第 2 のステップは、体幹の他の筋肉と連動して収縮することを学ぶことです。最後のステップは、機能的活動中により大きな表在筋と協調して体幹全体を共収縮させる(骨盤底、腹横筋、多裂筋に同時に接続する)ことです。

 通常の生活活動中に体幹を使うことを忘れないことです。椅子から立ち上がったり、持ち上げたり、かがんだり、手を伸ばしたりするたびに、この局所安定化システムは低いレベルで機能しているはずです。目標は、動きを始める前に体幹に接続するという通常の安定化戦略を再開するように体に教えることです。

良い姿勢を維持する

①脊椎の調整

 脊椎を中立的な位置に維持すると、腰部の筋肉や周囲の構造への負担が軽減されます。

②筋肉疲労の軽減

 正しい姿勢により筋肉が効率的に機能し、使いすぎや疲労のリスクが軽減されます。

③脊椎の健康状態の改善

 正しい姿勢は、脊椎にかかる力を均等に分散し、過度の磨耗を防ぎます。


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