2024年3月19日火曜日

健康づくりに適した運動とは、血管や筋肉の老化を予防し、心肺機能や筋力を維持する運動です。「より速く・より高く・より遠くへ」という運動ではありません。

【運動】 今日から始めませんか?プラス10分の運動 より

 適度な運動は骨を丈夫にし、筋肉を強化することはもちろん、運動により消費エネルギーが増えるので、余分な体脂肪が減り、肥満の予防・改善につながります。また、適度な運動には、高血圧や糖尿病、動脈硬化に対する直接的な予防・改善効果もあります。まずはしっかり運動することが重要です。

 毎日まとまった時間をつくって運動することは難しいかもしれませんが、体を動かす機会は日常生活のあちこちにたくさんあります。運動不足を解消するために、まずは毎日、今より10分多く体を動かすことを心がけてみましょう。例えば、10分歩くと約1000歩になります。無理しない程度に毎日続けましょう。

〈通勤中や職場で〉

・自転車で通勤する

・1駅手前で下車して歩く

・駅や職場ではエレベーター・エスカレーターを使わず階段を使う

〈家庭で〉

・歩いて買い物に行く

・窓ふきや風呂掃除などをこまめに行う

・テレビを見ながら筋トレ・ストレッチをする

引用ここまで

習慣的に運動しよう より

運動量の目安

 健康づくりのための運動量の目安(18~64歳)は、息がはずみ、汗をかく程度の運動を週合計60分、毎週続けることです。例えば、1回20分程度を週3回や1回30分程度を週2回、あるいは平日に時間が取れない場合は、週末に1回60分の運動を取り入れても効果が得られます。好きなスポーツがある人は定期的に続けるとよいでしょう。強度が高めの運動を無理して行うとけがやストレスにつながることもあります。決して無理せず、「息がはずみ、汗をかく程度」を意識しましょう。

 筋力トレーニングは、レジスタンス運動といわれ、筋肉へ抵抗(レジスタンス)をかけて筋力や筋量の向上を図ることが目的です。トレーニング方法としては、自分の体重を利用した自重負荷が身近に行える方法で、スクワットや腹筋などがあります。またダンベルやトレーニングマシンなどを利用した方法などもレジスタンス運動です。自重負荷は1セットを10回として行うと無理なく実践できます。

 ストレッチは伸張(伸ばす)という動作のことです。筋肉や筋肉を取り巻く筋膜は動作や運動の後に、また姿勢の維持で、いずれも縮みます。筋肉や筋膜が縮んだ状態をそのままにすると関節の動き難さを生じたり、血液の流れにも悪影響を及ぼします。これが筋肉痛やコリにつながります。ストレッチングは運動後に行うと疲労が残らず、じっと座っていた後などに行うと動きやすい体につながります。ストレッチングのコツは息をこらえないように声に出してゆっくり10~20秒カウントすることです。 

引用ここまで

 健康づくりによい運動と、は「より速く・より高く・より遠くへ」という、いまある能力をさらに伸ばす運動ではありません。

 健康づくりに適した運動とは、血管や筋肉の老化を予防し、心肺機能や筋力を維持する運動です。つまり、いまある能力を活かす運動なのです。

☆大阪ワークショップ

3月21日(木)→ 詳細

 

☆名古屋ワークショップ

3月22日(金)→ 詳細

 

☆神戸ワークショップ

3月23日(土)→ 詳細

 

新宮校ワークショップ(休日)

3月24日(日)→ 詳細

 

☆新宮校ワークショップ(平日)

3月25日(月) → 詳細  

2024年3月18日月曜日

人に認められたくて行動しているうちは、承認されることはありません。

 満たされない承認欲求という化け物を心の中に宿している人は、とにかく人に認められて、自分の価値を認めさせたい、と悪あがきを繰り返します。

 皮肉なことに、人に認められたくて行動しているうちは、承認されることはありません。なぜなら、承認されるのは、その人の行動ではないからです。

 その人の在り方、つまり生き方そのものだからです。

 一昔前は、舞台にあがることで承認欲求を満たそうとあがく人がたくさんいました。ほとんどの場合、心身を病んでしまう結果になっていました。関節を壊したり、メンタルをやられたり。そもそも論として、華のない人が舞台にあがったところで、華のなさが顕わになるだけなのです。

 現代は、舞台の人気が衰え、SNSや動画投稿サイトが盛り上がるようになりました。気軽に参加できる分だけ競争も苛烈ですが。あと、みんなすごいレベルなので、少々何かができるという程度では、まったく通用しません。

 身体を壊しながら、求められてもいないのに舞台にあがりたがる中年期クライシスな人たちが、舞台の経営を支えていたんだなと感じることが多くなりました。各地で、劇場が閉鎖になり、劇団が解散していっているのを見ていると、時代の流れには逆らえないなと思います。

 「何をやるか」ではなく「誰がやるか」という言葉を、よく耳にするようになりました。

 ここ数年、人気のない人を観察していて気がついたことがあります。「何をやるか」に対するこだわりが強いのです。「誰がやるか」という視点で考えれば、選ばれる人になればいいのですが、「何をやるか」に対するこだわりが強いために「技術」「内容」にばかり目がいって、視野狭窄に陥っているように見えます。

 そして、本人の自己評価の高さとは裏腹に、実際には評価されていないどころか、関心すら持たれていないという残酷さ。必然的に、しつこくアピールを繰り返すことになり、満たされない承認欲求が肥大化していくという展開に。

 若いときに認めてもらえなかった人が、老いて認められるなんて可能性は限りなく低いわけで、「私がやってきたことは間違っていなかった!」と自分で発言しなければならないというのは、それこそ間違いでしかなかったことの証になってしまっているような気もします。

 むしろ、「いやー、ろくな人生じゃなかったなー(笑)」とか言ってる人たちの方が、実は他者に認められ、他者を認め、和気あいあいと生きてきたというのが現実なんだなと思います。

 何かをやるときに、「楽しいからやる」という人は、その生き方に惚れる人も出てくるので、結果的に認められる人生になるのだと思います。

 他者に認めてもらうために必死になる(文字通り「命をかける」)人は、その思いとは裏腹に、惚れてくれる人は現れず、ヨイショしてくれる太鼓持ちに囲まれるだけの人生になるのかもしれません。

 なので、中年期以降は、「本当にやりたかったこと」を、自分自身のためにやっていくのがいいんじゃないかと考えています。

「地道な努力を否定して、一発逆転を狙いたがる人」は「楽して~詐欺」に騙されがち。大事業は、長い間の努力なしには完成されない。「これまで興味があったけど後回しにしていたこと」を、新たに始めてみる

「世界的業績」を生み出すアーティストはなにが違うのか? 「ひとりでの練習量」と「練習する時間帯」に秘密があった。 より

 何が上達の差をつくるのか?

 その答えはそれまでの練習時間にあった。18歳に達するまで最上位のグループは平均で7410時間練習しており、2番目のグループは5301時間、3番目のグループは3420時間練習していた。これらの差異は統計的に大変意味のある違いだ。

 加えて、この数字が示している意味はもっと深い。お気づきのとおり、累計の練習量が多いほどより業績が上げられるのだ。

 しかし、ここで次世代のアンネ=ゾフィー・ムターあるいはジョシュア・ベルをめざして国際的に活躍するソリストになろうと、18歳で決意した第3グループのバイオリニストの状況を想像してみよう。

 しかしこのバイオリニストは、これまでにすでに自分の2倍以上の累積した練習量を積み上げている同年齢で最高のバイオリニストの実力と同等かあるいはそれ以上の能力を身につけなければならないのだ。

 現状でもライバルの一人での練習時間は週あたり24時間で自分は9時間というはるかに少ない練習時間であるにもかかわらず、追いつくには彼らよりも長く練習しなければならないのだ。

 老人になる前に追いつこうと思えば、何倍もの量に練習時間を増やさなければならない。そしてちょうど成人としての責任をもち、経済的にも自立を始める時期にこうした自らを消耗させる活動を行わなければならないのだ。

 要するにこの若者が、今からバイオリンのソリストの世界に飛び込むことは理論上可能でも、事実上はほとんど不可能だということだ。こうした状況に内在している問題は、個人および組織にとっても大変重大なものになっているのだ。

引用ここまで

【20代特に注意!】簡単に稼げるという副業 より

【20代特に注意!】簡単に稼げるという副業[PDF形式](930KB)

 「簡単に稼げる」「もうかる」ことを強調する広告やランキングサイトをうのみにしない

 作業内容や利益が出る仕組みがよくわからなければ契約しない

引用ここまで


 定番詐欺において、詐欺師がターゲットにするのは「楽して儲けたがる、知性が乏しく余裕がない人」です。

 「地道な努力を否定して、一発逆転を狙いたがる」という特徴があります。

 何らかのスキルを習得して伸ばしていき、経験を積んで結果を出し、実績を積み重ねていき、運よくブレイクできてはじめてうまくいくというのが、この世の理です。

『ローマは一日にして成らず(大事業は、長い間の努力なしには完成されないというたとえ)』なのです。立派なことやものは、長年の積み重ね=不断の努力があってはじめて完成するのです。

 地道な努力が必要だとわかっている人は、「楽して~」「~するだけで~」という詐欺に引っかかることはありません。

 40歳を過ぎて、ふと自分の人生について振り返ってみて、「自分の人生って何だったのだろう」「自分の本当にやりたかったことって何だったんだろう」と生きる意味を問い始め、「中年の危機」に陥っていくことがあります。自分自身の限界が見えてきて、これからどう頑張ってみてもたいした成長はできないことを実感してしまうのです。

 おすすめは、「これまで興味があったけど後回しにしていたこと」を、新たに始めてみることです。視野も広がり、気持ちが前向きになります。

 ここで、「楽して~」「~するだけで~」の方向へ進むのではなく、「この先、寿命いっぱいいっぱいまで努力しても、たいしたレベルには到達できないこと」を選ぶのが良いと思います。結果を出さなくていいことを選ぶと、純粋に楽しむことができるからです。

 他者に認めてもらって糠喜び(あてがはずれて、あとでがっくりするような一時的な喜び)するのではなく、自分がやりたかったことを純粋に楽しめる人はしあわせだと思います。

 「承認欲求が満たされていない」「他人軸で生きている」「自己肯定感が低い」「他者評価で自分の価値を測っている」をフルコンボした状態の人は、傍目に不しあわせそうに見えます。

 自分が本当に大切にやりたかったことを明確に自覚することで、自分の人生の方向性を持たせることができます。やりたかったことをやれている人は、同じくやりたかったことをやっている人とつながっていき、人生が充実していくのです。

2024年3月17日日曜日

シンセサイザーがたとえ生物学的な意味で生きていないとしても、何らかの意味で私たちと疎通できる意識がある。

 

Moog

 シンセサイザーに限らず、家などの建物や車などのモノと、私たちは意思の疎通ができると感じています。意思とは「あることを行いたい、または行いたくないという意向」の意味です。

 「感情の波」とか「波長が合う」とか、私たちは何らかの振動を感じ取っています。感情の起伏が激しい人や波長が合わない人と一緒にいると、疲労しませんか?

 固定した弦を同じ強さではじくと、何度はじいても同じ音が聞こえます。この決まった音の振動数のことを 「固有振動数」と言い、すべてのモノには「固有振動数」があります。

 固有振動数とは、振動している物体が、1秒間に繰り返し運動する回数で単位は「Hz(ヘルツ)」です。

 ただモノが存在するだけでは、モノ固有の振動数はモノに何の影響も及ぼしません。しかし、モノには何らかの外からの振動が加わると、その振動の影響を受けます。

 固有振動数解析をすると、固有振動数と「固有モード形状」がわかります。固有モード形状とは、固有振動数でどのようなカタチで振動するかを表したものです。あるモノの固有振動数が、外部の振動の特徴的な周波数近辺になると、そのモノは共振を起こします。

 まとめると、あるモノが自由振動した際に現れる、そのモノが持つ固有の周波数があって、外部からモノに強制振動を与えた際に、外部振動が固有振動数と一致すると、モノは共振(この時の周波数を共振周波数とも言います)して振幅が大きくなるということです。

 共振は物体の固有振動数と同じ周波数の振動を受け続けることで起こるので、数値上は共振周波数=固有振動数と言えます。

 振子などの振動するモノに外から周期的な力を加えると、その振動数がモノの固有振動数に近いほど外力のする仕事が有効に吸収されてモノの振動が激しくなります。共鳴ということもあります。

 振動数の等しい音叉を二つ並べておいて、片方の音叉を鳴らすと、もう一方の音叉も鳴り始めるのはその一例です。バイオリンなどの弦楽器では,胴が弦の振動に共振することによって音のひびきを良くしています。また地震のとき、地震波の振動数が建物などの固有振動数と一致すると共振して激しく振動して、大きな損害を生ずることがあります。

 振動をするということは、繰り返し変形するということです。繰り返し変形するということは、疲労するということです。振動はモノの疲労を引き起こす根本原因ということになります。 

 話を戻して、「シンセサイザーがたとえ生物学的な意味で生きていないとしても、何らかの意味で私たちと疎通できる意識がある」という確信を、私も持っています。

 そんなわけで今月から、シンセサイザーの力を借りております。

 「オシレータ(電圧制御発振器)で合成した波形を、フィルターでカットして音色を調節する」のが、シンセサイザーにおける周波数領域の基本的な音づくりになります。シンセサイザーは、生楽器より高音域の倍音成分が多いので、ローパスフィルターがよく使われています。電圧制御発振器(Voltage Controlled Oscillator)は電圧で発振周波数を制御する発振器です。

 シンセサイザーには「レゾナンス(Resonance)」というパラメーターがあります。ピーク(PEAK)やエンファシス(EMPHASIS)などと表記している機種もあります。共鳴、共振の意味があり、指定したカットオフ周波数付近の帯域を強調してくれます。レゾナンスは周波数帯域を持ち上げるだけでなく、フィルターで出力した音をフィルターの入力に戻して共鳴状態をつくっているのです。

 レゾナンスをあげていくと、音の一番高い周波数帯域(カットオフした帯域)を強調することになり、倍音も加わって、わかりやすいクセのある音に変化します。どんどんクセが強くなっていきます。それに合わせてカットオフの指定値を動かすことで、特有の「ミョーン」「ビョーン」という音が生まれます。

 シンセサイザーの音づくりにおいて、レゾナンスとカットオフはとても重要なパラメーターなのです。

 詳細はこちらで → 音色を変化させる装置=フィルター - シンセサイザー入門

 具体的に身体づくりに応用していくかは試行錯誤の最中です((笑))。

2024年3月16日土曜日

問題解決アプローチとして集合知を選択すると、特に個人の専門知識や視点が制限される可能性のある複雑で動的な環境において、多くの利点が得られます。

集合知性理論とは

 集合知の理論とは、個人のグループが協力して協力して、グループの単一メンバーの能力を超えるレベルの知性と問題解決能力を達成できるという考えを指します。この概念はいくつかの重要な原則に根ざしており、心理学、社会学、ビジネス、コンピューター サイエンスなどのさまざまな分野で研究されています。

定義と概念的枠組み

 集合的知性とは、多くの場合テクノロジーの助けを借りて、人々が協力して複雑な問題を解決するときに現れる共有またはグループの知性です。これは創発的な特性であり、個人の活動間の相乗効果から生じるが、個人の能力だけからは予測できないことを意味します。

集合知の原則とは

①専門知識の多様性

 幅広いスキルと視点を持つグループは、同質のグループよりも効果的に問題を解決できることがよくあります。

②分散化

 意思決定と問題解決は、1 人のリーダーに集中するのではなく、グループのメンバー間で分散されます。

③情報の集約

 集合的知性は、さまざまなソースからの情報を集約および合成する能力に依存しており、多くの場合テクノロジーによって促進されます。

機能のメカニズム

①コラボレーションとコミュニケーション

 効果的なコミュニケーションとコラボレーション戦略は、集合知にとって不可欠です。

②調整

 グループメンバーの努力と貢献を調整することは、効果的な集合知を実現するために重要です。

③テクノロジーの促進

 多くの場合、テクノロジー (AI、インターネット プラットフォームなど) は、情報共有と意思決定を促進することにより、集合知を実現および強化する上で重要な役割を果たします。

なぜ集合知を選択する必要があるのか

 問題解決アプローチとして集合知を選択すると、特に個人の専門知識や視点が制限される可能性のある複雑で動的な環境において、多くの利点が得られます。集合知を選択する主な理由は次のとおりです。

1.視点の多様性

①より広範な洞察

 集合知は、多様な視点、スキル、専門分野をまとめます。この多様性は、単一の個人が提供できるよりも革新的で包括的なソリューションにつながる可能性があります。

②偏見の軽減

 さまざまな視点を組み込むことで、集合知が個人の偏見や盲点を打ち消し、よりバランスのとれた客観的な結果をもたらすことができます。

2. 問題解決能力の向上

①複雑さの処理

 複雑な問題には多くの場合、学際的なアプローチが必要です。集合的知性は、グループの集合的な知識とスキルを活用し、そのような複雑な問題に取り組むのに適しています。

②相乗効果

 集合知における共同作業は、総成果が個人の貢献の合計よりも大きくなる相乗効果を生み出すことができます。

3. 意思決定の改善

①アイデアの豊富さ

 集合的なアプローチにより、より幅広いアイデアとソリューションが生成され、意思決定のためのより多くのオプションが提供されます。

②重要な評価

 グループ設定により、アイデアの重要な評価と洗練が可能になり、より堅牢な意思決定につながります。

4. 適応性と学習性

①動的適応

 グループは個人よりも変化する状況に動的に適応できます。集合知は、新しい情報に応じて戦略やソリューションを進化させることができる継続的な学習環境を促進します。

②知識の共有

 集合的知性により、グループのメンバー間での知識と経験の共有が促進され、グループ全体の学習曲線が向上します。

5. 包括性とエンゲージメントの向上

①利害関係者の関与

 意思決定プロセスに多様な利害関係者を参加させることで、選択した行動方針への賛同とコミットメントを高めることができます。

②民主的な参加

 集合知は、問題解決に対するより民主的なアプローチを促進し、複数の意見が耳を傾け検討されます。

6. スケーラビリティとリソース使用率

①集合的なリソースの活用

 集合的な知性は、個人の努力よりも人的および物的両方のリソースをより広範囲に活用できます。

②スケーラブルなソリューション

 集合知を通じて開発されたソリューションは、さまざまなコンテキストや視点からの入力を使用して作成されるため、多くの場合、よりスケーラブルです。

7. テクノロジーとイノベーション

①技術統合

  AI、ビッグデータ、オンライン コラボレーション プラットフォームなどの最新テクノロジーは集合知を強化し、より革新的なソリューションを生み出すことができます。

②変化に歩調を合わせる

 急速に変化する技術環境では、多くの場合、集団的なアプローチのほうがイノベーションや新たなトレンドに追いつくことができます。

8. 世界的な課題への取り組み

①地球規模の問題への取り組み

 気候変動や世界的な健康危機など、今日の課題の多くは複雑すぎて、単一の組織では解決できません。集合的インテリジェンスにより、これらの問題に対処するために世界的な専門知識とリソースをプールすることが可能になります。

 本質的に、集合知は単により多くの情報を蓄積することではありません。多様なスキル、経験、視点を統合して、より効果的で包括的で適応性のあるソリューションを作成することが重要です。課題がより複雑になり、相互に関連し合うにつれて、集合知の必要性がますます明らかになってきています。

集合知の課題

集合知はさまざまな課題に対処するための有望なパラダイムを提示しますが、独自のハードルも伴います。

1. 情報過多

 集合知システムに貢献する人が増えるにつれて、情報過多のリスクが高まります。膨大な量のデータを選別して有意義な洞察を抽出するのは困難な作業であり、高度なフィルタリング ツールや分析ツールが必要です。

2. 品質管理

 集合知システムへのすべての貢献が同等に価値があり、正確であるわけではありません。品質管理のための信頼できるメカニズムを確立することは、集合的な成果物が信頼性があり実用的なものであることを保証するために非常に重要です。

3. 集団思考と集団心理

 集団という概念自体がある程度の同調性を示唆しており、それが集団思考や集団心理につながることもあります。これにより視点の多様性が損なわれ、革新性が低下したり、欠陥のある結果にさえつながります。

4. 認知バイアス

 集団的な環境においても、確証バイアスや利用可能性バイアスなどの認知バイアスがグループの意思決定プロセスに影響を及ぼし、最終結果の品質と客観性に影響を与える可能性があります。

5. 調整の課題

 集合知システムが複雑で分散すればするほど、効果的に調整することが難しくなります。調整が不十分だと、作業の重複、矛盾、意思決定の遅れが生じる可能性があります。

6. 倫理的懸念

 データプライバシー、同意、公平な参加に関する問題は、集合知への取り組みにおいて倫理的な課題を引き起こす可能性があります。これらのシステムの信頼と完全性を維持するには、透明性と倫理的な実践を確保することが不可欠です。

7. 技術的障壁

 テクノロジーは集合知を増幅させることができますが、同時に障壁になることもあります。テクノロジー、デジタル リテラシー、インフラへのアクセスの違いにより、集合知の取り組みの範囲と有効性が制限される可能性があります。

8. 権力関係と不平等

 慎重に設計しないと、集合知システムは既存の権力関係や不平等を意図せず増幅させ、特定の個人やグループに不均衡な影響を与える可能性があります。

9. 文化と言語の壁

 グローバルな集合知の取り組みでは、文化の違いや言語の壁に関連した課題に直面することが多く、効果的なコミュニケーションやコラボレーションが妨げられる可能性があります。

10. 複雑さの管理

 集合知がますます複雑化する問題に取り組むにつれて、システム自体もより複雑になり、複雑さを効率的に管理するための高度なモデルとアルゴリズムが必要になります。

 

2024年3月15日金曜日

心身の疲れを癒す、「いつどこででも楽曲制作や演奏ができるポータビリティーに優れたキーボード」について。

 

Akai MPK Mini PLAY mk3

 今月から、アンビエントミュージック(環境音楽)を一緒につくる活動をしております。

 アンビエントミュージック(環境音楽)とは、作曲家や演奏者の意図を主張したり、聴くことを強制したりせず、空気のように存在し、それを耳にした人の気持ちを開放的にすることを目的にした曲です。シンプルで静かなメロディーを繰り返します。スローテンポで、ダイナミクスさなく、落ち着いた雰囲気です。

 作曲手法としては、繰り返しを多用するミニマルミュージックやドローンのようなアプローチが多く、シンセサイザーなど電子楽器を多く起用する傾向にあります。

 軽量で堅牢なつくりで、音楽ができない人でも操作が簡単なドローンマシン(同じ音高のまま長く持続される音が出せる機材)を探していたのですが、いろいろな機材を買って試した末に、Akai MPK Mini PLAY mk3がコスパに優れているという結論に達しました。もちろん、完全五度のドローンもやれます。

Akai MPK Mini PLAY mk3 より

 どこでも音楽制作や演奏が楽しめる

 ひらめいたアイディアを逃さず、いつどこででも楽曲制作や演奏ができるポータビリティーに優れたキーボードです。約14時間のバッテリー駆動が可能なので電源アダプターや充電の心配はありません。また、スピーカーが内蔵されているため外部スピーカーへの接続を必要としません。新たにデザインされた内蔵スピーカーは音量や低音域の出力がより強力になり、演奏やジャムセッションをより楽しむことができるようになりました。アコースティック・ピアノやエレクトリック・ピアノ、シンセリードやパッドなど、128種類以上の楽器やドラムキットを含む内蔵音源と新たな内蔵スピーカーの組み合わせにより、さらに充実した音楽体験を提供します。また、リアパネルにはヘッドホン接続端子(3.5mmステレオミニプラグ)を搭載。深夜のプライベートな練習も気兼ねなく行うことができます。

 引用ここまで

 大阪・名古屋・神戸でのワークショップに持参します。

☆大阪ワークショップ

3月21日(木)→ 詳細

 

☆名古屋ワークショップ

3月22日(金)→ 詳細

 

☆神戸ワークショップ

3月23日(土)→ 詳細

 

新宮校ワークショップ(休日)

2月24日(日)→ 詳細

 

☆新宮校ワークショップ(平日)

2月25日(月) → 詳細  

2024年3月14日木曜日

「できることはもちろん望ましいが、できなくても気にせずまたやればいい」という風に考える合理的な信念で生きていくのが自然なのです。

 こちらの記事に、共感しました。

→ 多趣味は中途半端?悪いこと?メリットとデメリット3選

 趣味が多いのはそれだけ興味関心の幅が広いということですが、なんだかまるでそれが悪いことであるかのような風潮がありますよね。

 多趣味ということは、興味関心のアンテナがあちこちに向いているということ。

 そのため、一度やり始めたことを途中でやめてまた違うことをし始めるという傾向のある人が、私自身も含めて多いように思います。

 そして、このことこそが「多趣味は中途半端」といわれてしまう原因になっているのではないでしょうか。

 結論から申し上げるなら、多趣味は決して悪いことではありません。

 「趣味」とは、「仕事や職業としてではなく個人が楽しみとしている事柄」というのが本来の意味です。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」点が、必ずしも好意的に受け取られるばかりではないところに、「多趣味は悪いことなのか」の答えがあります。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」と言えば聞こえはいいですが、逆に見るなら「すぐに飽きてしまう」、「お金や時間にだらしない」というようにも取れるのです。

 「いろんなことにチャレンジしたくなる」と考えて何かをやり始めた結果、すぐに別の物事に興味が移り、結局どれも中途半端なままに終わってしまう・・・。

 こういった点がマイナスなイメージに結び付き、多趣味を良しとしない考えとして定着してしまったのではないでしょうか。

多趣味のメリット

・知識の幅と経験値が広がる

・人脈ができる

・時間を上手く使える

多趣味のデメリット

・人よりお金がかかる場合がある

・時間がどれだけあっても足りない

・大切な人と過ごす時間が取れない


 趣味の時間を充実させることで人生にハリが生まれ、毎日を楽しく過ごすことができるのも、多趣味な人によく見られる特徴ではないでしょうか。

 もちろん、多趣味であるがゆえのデメリットもあります。

 形から入ることにこだわるならやはりその分だけお金がかかりますし、趣味が多ければ多いほど、どんなに時間があっても足りません。

引用抜粋ここまで


 多趣味とは、「多くの方面に趣味があること。趣味が豊かなこと。また、そのさま。」という意味です。多趣味な人は、退屈で平凡な毎日を過ごすことはありません。楽しそう・面白そうと感じたものに対して敏感に反応します。さまざまな分野に挑戦するため、おのずと知識や経験が増えていきます。

 趣味の種類によっては必要な道具・機材を揃えるための費用や練習費・地代・移動費などで多額のお金が必要になりがちです。なので、ある程度自由にできる経済力がないと、多趣味を継続することはできません。

 多趣味の最大のメリットは、「趣味と趣味の掛け算」ができることだと思います。「趣味と趣味の足し算」ではないのがポイントです。つまり、倍々ゲームで楽しみが増幅するということです。複数の趣味を掛け合わせて新しい楽しみ方を生み出すことができるのです。

 個人的に、「特定の何かで一流になるより、いろいろな趣味で二流になる方がよい」と考えています。身体操作の勉強をすればすぐにわかりますが、特定の何かに特化すると身体や考え方が歪むという結果になりがちです。中途半端な状態というのは、実はバランスが良いのです。

 「とりあえずやってみる」という姿勢で、いろいろな趣味に挑戦することで、その趣味が自分に合うのか合わないが体感でわかります。やったからことではじめて見えるものがあるのです。これは、「何かひとつの趣味を徹底する」というスタンスでは見えてこない世界です。

 そもそも、趣味とは、「熱中して楽しむ」ものだと思います。そんな本質を忘れて、何かに急き立てられるように「元をとらなくては」とか「中途半端はだめだ」とか息苦しくなってしまうのは本末転倒だと思います。

 無条件に認めてもらえずに生きてきた人が、無条件に認めてもらって生きてきた人に「そんなことしていて、恥ずかしくないの?」という言葉を投げていることがあります。親が多趣味だった場合、ひとつのことを極めなければならないという「べき思考」に侵食される可能性は低くなります。なので、「中途半端でもいいから、とりあえずやってみて、つまんなかったらやめればいい」という楽しみの掛け算ができるようになります。「べき思考」は非合理的な信念のひとつなのです。

 非合理的な信念とは平たく言えば極端な思い込みのことです。「事をなすには、完全無欠であらねばならない」とか「ものごとはうまく運ぶべきで、直ちに最良の解決策を見出さねばならない」とかですね。

 「常に~でなければならない」などの硬直した考え方にこだわり過ぎると、そうならなかったときに落ち込んだり、自分のことが許せなくなったりして、うつや不安な気分になりがちです。自分に制限をかける「べき思考」があると、苦しい状況に陥りやすいのです。

 「~であることはもちろん望ましいが、できなくても気にせずまたやればいい」という風に考える合理的な信念で生きていくのが自然なのです。

 前提として、べき思考の人は「本来の自分を許していない」という状況にあります。周りの社会や状況に適応するためであったり、自分を守るためであったりするわけですが、そんな自分を制限している状況が続くと、自分を制限していない人に対して「恥ずかしくないの?」という気持ちになってしまうのだと思います。

 私たちは自分が経験する出来事や状況をありのまま受けとめるのでなく、自分の「信念」で色づけして受け取っているのです。言ってみれば、「信念」という色眼鏡を通して、自分自身を、そして周りの世界を見ているのです。自分の信念に合うようなことばかりを拾いあげて作り出した信念や、他の考え方をゆるさないような信念は、不合理な信念です。

 自分を生きづらくさせている「不合理な信念」に気づき、それを現実に即した「合理的な信念」に変えていくことで、息苦しくないゆとりのある生き方ができるようになります。