2019年1月18日金曜日

深層筋で姿勢を正すということ

姿勢を正すと、肌が綺麗になり、精神的に安定し、体幹が使えるようになり、末端(手足)の力が抜け、存在そのものが美しくなります。

姿勢を正すとは、どういうことでしょうか?

体の構え方や心構えなどを改めてきちんと整えることと定義されています。

改まった態度で物事に面することです。

座位姿勢では、「居住まいを正す」などとも言います。

基礎の基礎として、姿勢を正すということが大切です。

姿勢を正さずに考えたり行動すると、道を外します。

姿勢と肌の状態はリンクしているので、肌の状態で姿勢を診断するといいかもしれません。

よくある勘違いとして、関節可動域で判断するというのがあります。

多くの場合、結合組織を過伸張してしまい、関節がゆるくなって、固有受容感覚に障害をきたすというパターンです。

関節がゆるくなると、筋が過緊張します。

いわゆる「関節がゆるくて、筋肉が硬い」という状態です。

柔軟性自慢の人たちが関節の痛みを訴える理由です。

また、浅(表)層筋で姿勢をつくろうとするのもまずいことになります。

浅層筋には持久力がないので、固まってしまうのです。

姿勢は深層筋で正すようにデザインされています。

浅層筋でつくった姿勢を続けていると、筋から脳への信号がノイズまみれになります。

言動がおかしくなってくることになります。

特に、眼つきがおかしくなります。

手も、固まってしまい、動きが乱暴になります。

深層筋で姿勢を正すと、心身が整います。

顔つきが柔和になり、手がやわらかくなります。

手の動きがなめらかでやさしく、見惚れてしまいます。

浅層筋で姿勢をつくっている人は、すぐに疲れてしまいます。

なので、できるだけ行動せずに結果を出そうとします。

他人を思い通りに動かしたくなるのです。

深層筋で姿勢を正している人は、行動しながら学びます。

身体を動かすのが楽しくて仕方がないのです。

よく、他人軸と自分軸といいます。

他人軸の人は浅層筋で姿勢をつくろうとした結果そうなっているということです。

首肩を固めて、「痛い痛い」って言うのが特徴です。

深層筋で姿勢を正している人は、そもそもが自分に軸があるのです。

首肩がやわらかく、痛みはありません。

古来より、姿勢を正してから考えるように促されている理由です。

浅層筋でつくった姿勢で考えるのは、最初から破綻に向かっていくようなものです。

初速も出ないうちに失速します。

宣言しては達成せずに撤回して、次の宣言をするということの繰り返しとなります。

基礎の基礎として、深層筋で姿勢を正すということを学び実践していくことをおすすめします。

今日からの安部塾東京講座で、熱く解説いたします。

1月24日(木)大阪集中講座の御案内

1月24日(木)は、大阪集中講座です。

→ 詳細

内容は、腹部・背部の機能的筋トレ・ストレッチングです。

背部の筋群

背部・腹部を使いこなすためには、手足(腕脚)の余計な力を抜かなければいけません。

「体幹を使える動きとは?」という感じで、解説していこうと思います。

合わせて、やわらかく引き締ったボディラインのつくり方についても。

深層の筋肉と浅層の筋肉の違いを中心に、熱く語ろうと思います。


御参加お待ちしています。


1月26日(土)は、神戸集中講座です。

来週火曜日に、詳細をお知らせ予定です。

スケジュールを空けておいてくださいね。

2019年1月17日木曜日

『しょぼい起業で生きていく』が、全文無料公開中です。誰も来ない店には誰も来ませんし、たくさんの人が来る店にはさらに人が集まってくる。

全文が無料公開されています。


書籍はこちらです。買いましょう。

しょぼい起業で生きていく 著者: えらいてんちょう


安部塾も、謎に経営が成立しています。

どうして成立するのか、僕には説明ができませんでした。

『しょぼい起業で生きていく』を読んでもらえば、わかってもらえると思います。

ちっちゃい仕事をいっぱい重ねて、小さいものを重ねてきたところに、人が集まってきたのです。


引用します。

誰も来ない店には誰も来ない

店というのは不思議なものでして、誰も来ない店には誰も来ませんし、たくさんの人が来る店にはさらに人が集まってくるという現象があります。

人が来なくなってつぶれる店は、少し前に訪ねるとすぐわかります。本当に閑散として、空気が淀んでいる。いわゆる「死臭」がするんですね。反対に盛り上がっている店は、どんなに外観がボロかろうが、店の一部が壊れていようが、活気というか生命力にあふれています。

引用ここまで


これは、店に限らず、人もそうだと思います。

人が離れていく人の周りの空気は、よどんで死臭がします。

人が集まる人の周りの空気は、活気にあふれています。

その人の声を聴けば、活気があるかないかはすぐにわかります。


この本を読んでいくと、ナルシシズムの克服とテーマが同じであることがわかります。

ナルシシストは、この本を面白いとは思わないでしょう。


この数年、「マウントをとる」という言葉が流行っています。

本来は、人(哺乳類も)が、相手の上に乗りかかる行為を指します。

マウントをとるという行為は、自分の優位性をアピールすることを意味します。

容姿や収入、職業や恋愛などにおいて、お互いに格付けし合って、相手よりも上に立とうとする行為・言動全般をあらわすようになりました。


マウントとりたい系の人には、何の魅力もないかもしれません。

が、生きるのがつらいとか、生きることに意味が見いだせない人には、救いとなると思います。

生存戦略を学ぶことが、生きがいを得ることにつながります。

生きるということは行動することであり、仲間と友好関係を築くことですから。


あとがきに、こう書いてあります。

私たちがよく使う「やっていきましょう」という言葉は、「やってあげますよ」でもなければ「あなたがどうやろうが、私は知らない」でもありません。「あなたが何かをやろうとして、自分なりのアクションを起こすのであれば、私は精いっぱい応援しますよ」という意味です。最終的にやるもやらないもあなた次第ですが、まずは動き出し、何かをやってみませんか。その最初の一歩がいちばん難しいことを私はよく知っています。

引用ここまで


えらてんさんのTwitterを読んでいると、ほんとに精一杯応援されているのが伝わってきます。

だからこそ、いざというときに、みんながえらてんさんを支えるのだと思います。


この数年、口先の言葉だけで指導する人たちを見てきました。

実際に応援するわけでもなく、「あ~しろ。こ~しろ」いう人たちです。

指導された人が、その通りにやっても、何ひとつ良くはなりません。

なぜなら、指導する本人が、うまくいっていない(空気がよどんでいる)からです。


指導に名を借りたマウンティングでしかないのです。

だから、見た目に常闇(とこやみ)なのです。


活気がある人たちは、実際に応援します。

応援されると、「あ、こうすればいいんだ」と応援の仕方を学べます。

応援された人は、他の誰かを応援します。

応援し合う=お互いに欠けているところを補う=陰陽和合で、うまくいきます。


見た目にカオスですが、明るくて居心地がいいのです。


僕は、『天岩戸ひらき』の場面が大好きで、ずっと舞のテーマにしてきました。

いわとひらき

あめのうずめの舞は、リアルに似ている智美さんの定番になっています。




明るくて、空気が澄んでいます。


岩戸ひらきの舞は、全国で舞われています。

神楽を観るのが好きなので、各地の岩戸ひらきを観てきました。

「面白可笑しい」から、岩戸がひらくという展開。

どの地域の岩戸ひらきも素敵です。


しょぼい起業の要は、『謎に面白可笑しい』ことだと思います。

えらてんさんのポジションが、オモイカネに見えてなりません。


今日13:30~の塾生講座と、明日からの東京の講座で、『しょぼい起業で生きていく』の感想を語り合おうと思います。

らいとんがしょぼい喫茶店に行くようなので、それも楽しみです。

2019年1月16日水曜日

堅実に、地道に、コツコツと、正しい努力を継続するということ。俯瞰して正しく自ら考え、正しく自ら行動する。姿勢を正す。

感謝の正拳突き ネテロ HUNTER×HUNTER

Twitterより







儚(はかな)く消えていった人たちを振り返る。

みんな、短期間、間違った努力を鬼継続して散っていった。

当たり前のことだけど、『正しい努力』を継続しないと結果は出ない。

自分が正しいと思い込んでしまった『間違った努力』を鬼継続したら、散るのが当然なのだ。


儚く消えていく人たちに、共通してみられる傾向。

『突然できるようになるという根拠のない思い込み』

やるべきことを何もしないで、突然できるようになることはあり得ない。

正しい努力を積み重ねてきた者だけが、できるようになるのが現実。


そして、うまい話にとびつく。

積み重ね続けた積み上げによって得られる果報(しあわせ)を、いきなり得ようとする。

果報は思考の結果ではなく、行動の結果である。

生きるということは、行動することなのだ(アンリ・ラコンデール)。


的確な状況判断をするためには、「俯瞰(ふかん)する」ことが大切だ。

高い視座でから見て得た情報を基礎に、いますべきことを正しく考える。

正誤の座標軸を身につけるためには、どうしたらいいのか?

基礎となる正しい『型』を身につけておくのがボトムライン。


そう。

『姿勢を正すこと』

つまり、躾(しつけ)。

姿勢を正すことが、正しい行いの基礎となる。


姿勢を正すという、人として当然のことをきちんとやる。

そうすると、何が正しいくて、何が正しくないのかわかる。

自分の座標軸が確立できるから。

姿勢を正すという基礎の積み上げを、堅実に、地道に、コツコツと継続するのが基本。


2019年の安部塾は、姿勢を正すことにこだわる。

1月18・19・20日『動ける身体をつくる』東京集中講座~りきみのない動き~力を抜く感覚を磨く

1月18・19・20日(金・土・日)は東京集中講座です。


今回は、機能的筋力トレーニングと機能的ストレッチングを中心に解説します。

運動連鎖における動きのリンクについての解説をします。

『動きが悪い=運動連鎖不全』という考え方です。

動きがリンクしなければ衝撃を吸収できませんし、パワーの発揮もできません。

OKCとCKC

解放系運動連鎖(OKC)と閉鎖系運動連鎖(CKC)。

末端が解放されているのか、固定されているのか?

どっちが動くかで、身体の使い方が変わります。

このときに、余計な力(りきみ)があると動きがうまくつながりません。


力が抜けた感覚がわからないと、力を抜くということがどういうことかわかりません。

動きが悪い人の特徴として、熟睡できないというのがあります。

力が抜けない=緊張がとれないので、疲れが取れません。

精神集中ができず、判断力が低下します。


この現実世界で、りきんでうまくいくことはありません。

不要な力を入れてうまくいくことなど、何ひとつないのです。

自分のりきみ癖に気づくこと。

気づいたら、力を抜く練習をすることが大切なのです。


りきみをなくすためには、『軽く動く』というのが基本です。

静止状態は、りきみを悪化させがちです。


りきんでいるかどうかは、発声でわかります。

りきみのある声は、濁(にご)っています。

いわゆる喉声です。

VoicyやYoutubeで人気配信者の声を聴いてみればわかりますが、りきみがありません。


フットワークが軽い人には、りきみがありません。

りきんでうまくいくことがないということは、フットワークが軽い人はうまくいくということになります。

動きが軽いということは、運動連鎖がうまくつながっているということです。

そんなわけで、運動連鎖がうまくつながっている人は、美声です。


りきみのない人は、身体の動きと声だけで、他者を魅了します。

運動連鎖がうまくいっている人は、人気者になります。


……というような感じの解説をします。

御参加、お待ちしております。

筋肉連鎖と贈与の連鎖(互酬的贈与)~お返しをしたいという反応

身体機能解説や身体操作法の解説を仕事にしている人は、この本の内容を理解するといいかもしれません。

贈与論 (ちくま学芸文庫) マルセル モース


贈与論 より

『贈与論ーアルカイックな社会における交換の形態と理由』 は、フランス出身の社会学者、文化人類学者であるマルセル・モースによる社会学、文化人類学の書籍。

モースは本書において、贈与の仕組みと、贈与によって社会制度を活性化させる方法を論じた。

贈与の義務

物を与え、返すのは、互いに敬意を与え合うためである。人は自分自身や自分の財を他者に負っており、何かを与えるのは自分自身を与えることにつながる。贈与は双方的なつながりを作って他者を受け入れることにつながり、集団間の戦いを防ぐ。また、集団間の贈与で獲得した財は構成員に再配分される。このため、贈り物は与えなくてはならず、受け取らなくてはならず、しかも受け取ると危険なものになり得る。モースは贈与を構成する3つの義務として、与える義務、受け取る義務、返礼の義務をあげた。

1)与える義務:与えるのを拒んだり、招待をしないのは、戦いを宣するに等しい。ヨーロッパの伝承にもあるように、招待を忘れると致命的な結果となる。
2)受け取る義務:贈り物を受け取らなかったり、結婚によって連盟関係を取り結ばない、といったことはできない。受け取りを拒むのは、返礼を恐れているのを表明することにもつながる。
3)返礼の義務:この義務を果たさないと、権威や社会的な地位を失う。権威や社会的地位が財や富に直結する社会では、返礼が激しい競争をもたらす場合がある。

贈与と霊的な力

モースは、贈り物は人に対してでありつつも、神々や霊、自然の存在を念頭になされている点を指摘した。この世にある物の真の所有者は神々や霊であり、したがって交換が必要な相手、交換が危険な相手、そして交換が容易な相手も彼らだという思想にもとづく。

贈り物には霊的な力が宿っており、贈り物はもとの所有者や聖所に戻りたがるという性質も持つ。

引用ここまで

わかりやすくまとめてあります → 1507夜『贈与論』マルセル・モース|松岡正剛の千夜千冊

おそらく本当の価値観の互酬性を、今日の社会はほしがっているのである。それはポイントカードでは得られない。グルナビでも得られない。価値観の相当と充当は収入だけでも得られない。

 ポリネシアの「マナ」(大切にするもの)についての記述をあらかた了えて、モースはこう、書いていた。「贈与がもたらすもの、それは存在の名誉というものなのである」。

引用ここまで


筋肉連鎖と贈与の連鎖のシステムはよく似ています。

筋肉連鎖が感情をベースに行われることを考えたら、似ていて当然です。


思い出してみましょう。

1)贈与する義務
贈らないことは礼儀に反し、リーダーのメンツは丸つぶれに
2)受け取る義務
たとえ「ありがた迷惑」でも拒否する権利はない
3)返礼する義務
お返しは絶対。

これ、筋肉連鎖の初動と同じです。

与えられた動きを受けとないわけにはいかないし、返さないといけません。

末端から動きを始めるにせよ、中心から動きを始めるにせよ、原則は同じです。

末端から中心へ、中心から末端へ、動きという贈り物が連鎖していく。

それが、運動連鎖です。


翻って、身体操作法で生きていくということは、どういうことか?

これがわからない人は、体験レッスンやキャンペーンをうちます。

わかっている人は、ごにょごにょします(笑)。

贈与の連鎖を理解できていれば、筋肉連鎖も容易く理解できるのです。


現実社会の方がわかりやすいので、生活ネタで書いてみましょう。

『上から目線でアドバイスしてくる人(見下し感満載)』の人。

『まわりからアドバイスを求められる人(愛され感満載)』の人。

前者は憎まれ、後者は愛されます。


贈与の連鎖です。


上から目線で語られるアドバイスなど、誰も受けとりたくはありません。

結果的に、視ない・聴かないという返礼に出ます。

悪意には悪意が返ってくるのです。

シンプルです。


リキんだ動きを贈ると、故障(ケガ)が返ってくるのと同じです。


この理由で、リキみがある人は互酬的贈与の感覚が狂います。

結果、身体操作法の指導で食べていけないという事態に陥ります。


と、ここまで書いてみて、これは文章では伝わらないなと思いました。

明日の塾生講座で解説します。

2019年1月15日火曜日

2月11日(月・祝)薬院校集中講座は、安部塾身体操作技法『Kagachi』の解説をします。

2月10日(日)に予定していた薬院校集中講座ですが、月曜開催にして欲しいという意見があり、11日(月・祝)で開催することにしました。

→ 詳細

1月のKagachiの解説では、混乱を避けるため筋肉連鎖の解説はしませんでした。

2月のKagachiでは、みっちり解説します。


『身体を中心軸でコントロールする』

『手足(腕・脚)と首を固めない』

薬院校での4年間の活動の集大成的な内容になるかと思います。

合理的・効率的で美しい身体操作の基本を、お伝えしたいと思います。