2018年5月26日土曜日

結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。

「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」

養老孟司先生の、「バカの壁」の言葉です。

「話せばわかる」は大嘘だそうです。

「話してもわからない」

「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている」

本当は何もわかっていないのに「わかっている」と思い込んで言う……

物事は言葉で説明してわかることばかりではない。

知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないことは、日常でよく目にすることです。

引用ここまで。

ここから先は、実際の本を読んでみてください。

私の仕事は、身体の機能についてのあれこれを解説することです。

相手が正しいと思い込んでいることの矛盾点を指摘する日々です。

で、毎日、「現実にうまくいっていない人ほど、話が通じないよなあ」って痛感します。

うまくいっている人は、みなまで言わなくとも、瞬時に話が通じます。

うまくいっていない人は、そもそも話を聴きません(笑)。

下手をすると、「正しい・間違っていない」って言ってくれる人とだけ付き合ってたりします。

そら、うまくいきませんって(  ̄▽ ̄)

そんな人がネット検索すると、自分の考えを肯定してくれる内容ばかり探します。

泥沼です(  ̄▽ ̄)

「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」

ということを理解できないと、ずっと泥沼なのです。

話が通じない人は、相手の話を聴かずにしゃべり続けます。

または、相槌はやたらと打つのですがスルースキル全開だったり(笑)。

やるべきことは、脳力を向上させることです。

ここ数年で、おかしな方向に爆進している人は止まらないということを学びました。

私の課題ではないので分離しています。

「バカの壁」

面白い本なので、御一読を(≧∇≦)




2018年5月25日金曜日

7月16日(月・振替休日)に「ヨガ・アーサナ」の薬院校集中講座を開催します。

7月16日(月・振替休日)の薬院校集中講座の内容は「ヨガ」です。

→ 詳細

暖かい~暑い時期は、ヨガのアーサナを学ぶのに適しています。

なので毎年、この時期だけ解説しています。

6月にやりたかったのですが、忙しすぎて時間がとれません(笑)。

基本的なポーズを、機能運動学的に地味にやりたいと思います。

御参加お待ちしております。


ローランジ解説

7月8日(日)の13:30~16:30に何かやりたいと考えています。

決定したら、御案内したいと思います。

2018年5月24日木曜日

他人に向けた悪意の行き場がなくなると、自分を攻撃しだして勝手に自滅します。

このTweetがお気に入りです。


悪意を向けてくる人間と戦う必要はありません。

放っておけば自滅します。



相手をするかどうかは私が決めます。

「他人を思い通りに動かすことはできない」ということです。







他人に向けるのは善意であっても悪意であっても、受け取ってもらえてなんぼです。

相手にしてもらえなければ、そこで詰みです。


スルメロックさんのマンガは面白いです。

フォローしてみてください。

運動が得意でない=頭が悪い(脳の演算能力が低レベル)

誰からも理解してもらえなかった頃、養老孟司先生の本を読んでいました。

機能解剖に興味を持ったのも、養老先生の影響です。

いくつか、紹介します。

運動選手の動きも、筋肉の動きにダマされさえしなければ脳の働きである。これが脳の働きであることは、卒中の人を見ればすぐわかる。動きがすっかり不自由になってしまう。運動が得意でない人を捕まえて、お前は頭が悪いと言わないのはなぜか、私にはよくわからない。

脳は自己の身体性を嫌う。それは支配と統御の彼方にあるからである。

視覚はコマ送りの形で時間=運動を構成する。それが映画である。したがって、視覚の時間には、いわば量子が存在する。これをわれわれは瞬間と言う。/この「量子」を固定し、それに対して他の感覚を「流せば」、「永遠」という観念が生じる。

視覚はもともと論証には向いていない。だから視覚は直観的に「見てとる」のである。順次論証を「重ねる」のは、まさしく聴覚ー運動系の持つ性質に近い。

状況が変化したから視覚言語が生まれたのであって、ヒトが変わったから、視覚言語ができたのではない。いまでも、強制しなければ、視覚言語のない人がある。/生物学的な能力から言えば、視覚言語は聴覚言語と同時に用意されていた、と考える方を私はとる。

視覚は時間を疎外あるいは客観化し、聴覚は時間を前提あるいは内在化する、と言ってもよいであろう。 この関係は、すでに述べた構造と機能との関係に、じつによく似ている。

こういう(※皮膚、網膜など)二次元平面に同種の受容器が複数分布しているときに、各受容器の相互の位置がどうして知られるかというと、こうした受容器の相互の位置関係が、じつは脳の中まで、つまり神経細胞の配列として、ずっと維持されるからなのである。それが私の解釈である。

視覚とくに擬態について述べたように、感覚系が自身の判断を訂正するためには、異質の感覚にしばしば頼らざるをえない。少なくとも感覚器の末端は、間違うことはほとんどできない。見える以上は「見えて」いるし、聞こえる以上は「音がする」。

舌のはたらきで、いちばん奇妙な点には、多くの人が気がついていない。これは舌が、筋肉だけでできている以上、なぜ「伸びる」かという問題である。筋肉というのは「縮む」のが仕事で、自分で積極的に「伸びる」ことはできない。

機能がじつは意味に関連が深いということは、生理学が客観的科学と考えられるために、しばしばボカされる。しかし、形態学者から見れば、機能はすべて、じつは広義の「意味」の問題なのである。

最細筋も、ネコの解剖図譜では、尾側下腿外転筋といういかめしい名前がついている。しかし、幅二ミリ程度の筋を外転筋とは聞いてあきれる、というのは私のみの偏見であろうか。筋そのものを、こういう場合には、知覚器と考えたほうがましではないのか。

引用ここまで。

まあ、当時の私のまわりで理解できる人はいないはずです(笑)。

現在でも、そんなにいませんから。

アドラー先生の「人は、使いものにならない自分のライフスタイルにしがみつく」という言葉の通りです。

「人は、現実をねじ曲げてでも自分が正しいと思い込む」のです(笑)。

「運動が苦手な人は頭が悪い」

私がよく発するこの言葉の元ネタも養老先生だったりします。

脳の演算能力が低いので、動きが悪いのです。

パソコンやスマホと同じように考えればすぐにわかります。

動きをよくしたいなら、脳の演算能力を上げればよいのです。

加えて、各種センサーの性能も。

頭が悪いと姿勢が悪くなります。

頭が悪いと動けません。

頭をよくしましょう。

2018年5月23日水曜日

姿勢を正さなくてはいけない理由~運動で痩せるのは難しい

「姿勢を正さなくてはいけない理由」

よくまとめられています。




運動で痩せるのが難しい理由も(笑)。




姿勢にしても体型にしても、迷信がまかり通っています。

姿勢や体型が崩壊している人が思いつくことは、的外れなことが多いものです。


基礎代謝も含め、姿勢や体型を改善したいのであれば、機能運動をするのが自然です。

機能的に身体を動かすことで、合理的に効果をあげることができます。

2018年5月22日火曜日

呼吸と脚の開閉(シザース)

これ、明日からの関西~下関で流行らせるあるよ❤️

吸って座骨寄せて、吐いて腸骨寄せて🎵

2018年5月18日金曜日

嫉妬を軸にものごとを考えるのをやめよう~「私は私、他人は他人」という境界線をきっちりと引く

【嫉妬(しっと)】

《名・ス他》やきもち。
他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。 
自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。

嫉妬

嫉妬(しっと、英: Jealousy)とは、一つの感情であり、主として何かを失うこと、または個人がとても価値をおくもの(特に人間関係の領域)を失うことを予期することからくる懸念、怖れ、不安というネガティブな思考や感情に関連した言葉である。嫉妬は、たとえば怒り、恨み、自分とは釣り合わないという感覚、どうにもできないという無力感、嫌悪感といったさまざまな感情との複合から成る場合が多い。嫉妬(jealousy)と羨望(envy)という2つの言葉は、一般的には同じような意味を持つ言葉のように扱われているが、その元来の意味は異なっており、現在では嫉妬という言葉は、従来において羨望という言葉にのみ用いられていた意味をも帯びるようになっている。嫉妬は、典型的には人間関係における経験である。

嫉妬が強い人物は、下に見える人を見て悦に入る、上に見える人を見て反感を抱く傾向がある。

人間以外の動物にも「嫉妬」の感情は存在する。複数のペットを飼っていて、特定の個体だけを可愛がったりするとその個体へ嫌がらせをしたり、部屋をわざと散らかしたりすることもある。

嫉妬の「嫉」も「妬」もともに「ねたみ」を表している(『新大辞典』講談社)。また『広辞苑』(岩波書店)の「嫉妬」の項には、(1)「自分より優れた者をねたみそねむこと」、および(2)「自分の愛する者の愛情が他にむくのをうらみ憎むこと」とある。つまり嫉妬と「ねたみ」とはあまり区別されずに使われてきた。両者を区別したとしても、現象によっては、どちらとも言えない場合もあり、また両者が混在している場合もしばしばある。ときには、その違いをあまり強調しないほうが良い場合もあろう。

たとえば、「嫉妬とは日常的な意味では、他人が自分より物心両面にわたってすぐれていることに対する『ねたみ』であり、また自分が愛している者が、他人に愛情を向けるのを『うらみ憎む』といった、激しい感情である」という研究者もいる。

引用ここまで


「したいことをしていない=我慢している人」は、それをしている人を見ると嫉妬します。

自分で自分に制限をかけている=自尊心が低いのです。

満たされないことで憎しみが生まれ、憎しみが嫉妬を生みます。

嫉妬は「正義」の仮面をかぶります。


やたらと「正義」を振り回す人たちを観察してみましょう。

ただの嫉妬の塊=憎しみと敵意の権化であるのが、すぐにわかると思います。


嫉妬する人とは、受け身の攻撃性に満ち満ちた人だと理解できるはずです。


嫉妬深い人は対象に関心があるのではありません。

優越しているか、優越していないかにのみ関心があります。


結果、他人に過干渉するようになります。


めんどくさいですね(笑)。


嫉妬を軸にものごとを考えると詰みます。

嫉妬を軸にするということは、他人を軸にするということです。

「愛される~になる」という表現は、他人を軸にした表現です。

他者がどう思うかを軸にすれば優劣に惑わされ、嫉妬に狂うしかなくなります。


「バカにされたくない」

「見捨てられたくない」

「嫌われたくない」

そんな、「不安・おそれ」の感情があれば「他人軸」です。


他人に関心が持てない、自分にしか関心がない自己中心的な状態です。

詰みます。


一緒にいても安心できませんから。


「自分はどうしたいのか?」を軸とする=自分を軸とする。

自分が主語なので、嫉妬の生まれようがないのです。

やりたいからやるという人には不安が生じません。

生きたい自分を言いている人に、嫉妬など生じないのです。


自分軸で生きると、人生が感動と喜びで満たされます。

ワクワク感と楽しさが湧きあがります。

他人に関心が持てます。

この理由で、一緒にいると安心します。


自分を大切にできる自分軸の人は、同じように他人を大切にできます。

自分軸の人の周りの人たちはしあわせなのです。


嫉妬を軸にものごとを考えるのはやめましょう。