2018年9月23日日曜日

いまあるもの、すべてに出会うこと。それが壊れているなら、なおさない

「いまあるもの、すべてに出会うこと。それが壊れているなら、なおさない」プライス

自分自身の偏った考えや行動を、中立的に修正すること。

相手の偏った考えや行動は、そのままにしておくこと。

線引きをし、課題を分離すること。

他人の人生に、余計な口出しをしないこと。

対話というものが本来もつ、共感的で統合的な側面を大切にすること。

→「人を動かす対話術 心の奇跡はなぜ起きるのか 岡田尊司」より

2018年9月22日土曜日

パートナー組みたくない問題

開校当初から存在する「パートナー組みたくない問題」。

解決の糸口が見つかりません。

組んだパートナーに、あれこれ意見するのは難しいそうです。

なので、組みたくない相手とは離れて座るというような対処をしているそうです。

タッチが荒いというようなわかりやすい理由の他にも、さまざまな理由があるようです。

いわゆる「侵害される行為のすべて」が、組みたくない理由にあげられます。

いま流行りの、マウンティングも、理由のひとつにあがります。

この感じ、どこかで同じような感覚があったなあって考えることが多かったのですが、今朝わかりました。

学校に行ってたとき、フォークダンスの授業で感じたアレです。

学期はじめの、班分けなんかもそうですね。

「パートナー組みたい」

「パートナー組みたくない」

ある意味で、人生の根幹に関わる問題です。

ボディワークのパートナーすら拒絶されるというのは、深刻な問題だと思います。

パートナーになってと懇願されるのが、デフォルトですから。

そして、解決の糸口が見つかりません。

私にできることは、

「相手の体を尊重して触れること」

「相手の上に立とうとしないこと(対等)」

「自分の思い込みを、相手に押しつけないこと」

「自分の感情を自覚すること」

など、基本的な指導だけです。

現実世界で自分が引き起こしている問題に、現実的に向き合って欲しいと思います。

目の前にいる相手にパートナーワークを拒否されている時点で、深刻に受けとめる状態なのです。

パーソナリティ(人柄)に問題があるわけですから、謙虚に改善していかないと詰んでしまうと思います。

が、やはり、解決の糸口が見つかりません。

本人の問題であり、本人の責任ですから。

居場所を自ら潰していくスタイルに無理があります。

来月から、初歩的なパーソナリティ診断をやっていくことにしました。

診断結果に基づいた改善方法も提案していく予定です。

下関の四周年記念講座までに、ある程度カタチにしたいと思います。

解決の糸口は、まったく見えませんが、足掻き続けると誓いました。

耐えられなくなった場合は、追いかけません。

しかし、耐える覚悟を決めた人を、私は見捨てません。

きついことしか言いませんが、一緒に足掻き続けると誓える人に、私は力を注ぎ続けます。

2018年9月21日金曜日

慢性痛のメカニズム

菊地一臣先生推薦本です。

痛みを抑制する脳内機構。

侵害受容性の慢性痛。

神経障害性の慢性痛。

非器質性の慢性痛(慢性腰痛など)。

筋運動による痛みの軽減。

骨格筋は分泌器官。

記憶のメカニズム。

……等々。

慢性痛を理解しないと、脳がヤバイ😱💧

塾生講座で解説している内容が満載です。

12月の安部塾開校4周年記念講座は、下関のウズハウスで、この本の解説をしたいと思います。

4年目にしてようやく本題に入るというね(笑)。

先日のトリガーポイントの講座で、慢性痛の人たちが、侵害刺激と適正圧の区別がつかないのは、感覚ではなく理屈で圧力をとらえているからだと気づきました。

つまり、慢性痛のサイエンスを理解していないと、生きづらさ満載になってしまうということです。

今日から東京集中講座でトリガーポイントをやりますが、心を鬼にして(元々ですが)、侵害刺激を与えようとする人には厳重注意をしていきます。

相手の体にアザをつくるような手技、帰りの電車で辛くなるような手技は、相手に対する暴力でしかありません。

体調を良くしに参加した講座で、体を傷つけられるなどという事態は、あってはなりません。

主催者として、真剣に学科の内容を聴くこと、そして、注意事項を厳守することを求めます。

触れる者は、最大限の愛情と集中力を発揮し、適正なポイントに適正な圧を与えてください。

決して、勝手な自分の思い込みで相手を侵害しないでください。

話を戻して、慢性痛のサイエンスの解説が楽しみです。

2018年9月20日木曜日

性格が丸くなるということ~魅力的なパーソナリティとして円熟する~信頼や愛情に恵まれる

この本のエピローグが素敵です(昨日の記事のつづきです)。

パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著


パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著より

 パーソナリティ障害は、大きなエネルギー源ともなれる。創造的な仕事であれ、奉仕的な仕事であれ、自らが抱える傷や歪みゆえに、パーソナリティ障害の人は、ねじりが利いたバネが強い力を発揮するように、ツボにはまれば途方もない力を生むのである。そうした力が活かされるように、現実的な適応力をつけ、あるいは、そうできるように周囲が支えることは、とても大切だと思う。

 パーソナリティ自体は、その人の人柄であり、そう簡単には変わらないし、変える必要もない。しかし、パーソナリティ障害は、パーソナリティの度が過ぎて社会に適応して生きていくのを邪魔している部分なので、変える必要があるし、実際、変えることができる

 パーソナリティ障害を克服した人は、とても魅力的なパーソナリティとして円熟する年々、周囲の評価も高まり、信頼や愛情に恵まれるだろう。それに反して、パーソナリティ障害を引きずったまま年取った人は、周囲から煙たがられ、見せかけだけの関係で結びついた人ばかりに取り囲まれることになる。本当に信頼できる人は離れていき、次第に孤独になっていく。

 どんなに世間的に成功しても、パーソナリティ障害が克服されていなければ、その人の人生は空虚である。その人は、生涯かけて、心の根本的な空虚が、成功や金や欲望の満足によっては、満たされないことを証明しただけで終わるだろう。

 若い頃は、パーソナリティは、生まれ持ったものや育ってきた環境によって大きく左右される。しかし、ある程度の年齢になれば、自分の弱点を克服しようと努力した人と、問題に向かい合わずに過ごしてきた人との差は歴然となる

 そこそこの年になれば、人は自分のパーソナリティに責任があると思う。その年になれば、親や不遇な環境のせいにばかりはできないのだ。いかに生きてきたかが、その人のパーソナリティには、顔に刻まれた皺のように刻まれている。中年になっても、子供のように自分勝手に振舞い、自分を顧みることもない。情けない大人にならないように、自分のパーソナリティと生き方を描き続けて欲しい。

 重いパーソナリティ障害を抱えていた人も、問題や困難にぶち当たりながらも必死に生き抜いてきた人は、三十代半ばくらいから落ち着いてくることが多い。そうすると、とてもいい持ち味を発揮するようになる。

 年齢とともに、多くのパーソナリティ障害は改善されていく。性格が丸くなったという言い方があるが、年を重ねることは、極端な偏りを修正してくれ、適応力を高める。ただし、逆の場合もある。若い頃はそうでもなかったのに、年とともに、性格がいやらしく、捻じ曲がってくることもあるし、傲慢になったり、横暴になったり、横暴になったりすることもある。結局、その人の生きてきた人生が、表れるのである。

引用ここまで(283-285P)


人生の前半は、母親次第です。

遺伝子と環境で決まるからです(遺伝子が70~80%)

しかし、後半は、自分次第です。

引用元にあるように、パーソナリティ障害を克服した人は魅力的になるからです。


人生の前半は、全部母親のせい。

人生の後半は、全部自分のせい。

前半が理不尽だった人は、後半にボーナスステージが待っています。

ただし、前半で「中立的修正」に成功した場合に限りますが。


若い頃は、パーソナリティは、生まれ持ったものや育ってきた環境によって大きく左右される。しかし、ある程度の年齢になれば、自分の弱点を克服しようと努力した人と、問題に向かい合わずに過ごしてきた人との差は歴然となる


大切なことなので、2回引用しました。


そう。自分の弱点・問題に向かい合っていくことが大切なのです。


自分のパーソナリティ障害を直視し、改善していくことに集中するのです。

そうすれば、認知の中立的修正に成功し、信頼と愛に満たされます。


筋肉と関節の状態には、パーソナリティの状態がそのままあらわれています。

魅力的なパーソナリティとして円熟している人の筋肉や関節は機能的です。

性格が丸い人の関節の機能は精密で、その動きの美しさは見惚れるほどです。

一貫して書いていますが、筋肉や関節には感情が記憶されているのです。


今日の塾生講座で、パーソナリティの解説をします。

パーソナリティの理解がない状態で運動をして、効果をあげるのは難しいものです。

明日からの東京集中講座では、手技の解説をします。

手技こそ、パーソナリティがモロに反映しますので、ご参加ください。

2018年9月19日水曜日

対等で信頼し合った人間関係を築くこと~愛すること・信じること

この本のプロローグ~第1章は、身体操作指導者やボディワーカーの心を打つはずです。

パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著


パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか 岡田尊司著より

なぜ、こんなにも人と人の関係が難しく、社会が住みづらい場所になってしまったのだろうか。一体、人々の心に、何が起きているのだろうか。
 こうした生きづらさや社会に蔓延する問題の背後には、実は、ある共通する原因が垣間見えるのである。それは、現代人の間に広く浸透しつつある「パーソナリティ障害」という問題である。19P

 パーソナリティ障害は、自らも苦しむと同時に、周囲を巻き込みやすいという性格を持っている。パーソナリティは、単なる個人の「性格」に留まるものではない。対人関係のパターンや生き方そのものとして現れることで、人とのつながりや、さらには社会のあり方に影響するのである。
 最近連日のように報道されている児童虐待にしろ、ストーカー犯罪にしろ、些細な理由で親子が殺し合う事件にしろ、そこには一つの共通項がある。それは、思い通りにならない他者を、別の意志と感情を持った存在として認められないということである。その人の心に、本来の意味での他者との関係が育っていないため、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は攻撃の対象となってしまうのである。こうした独りよがりな他者との関係は、パーソナリティ障害の人の一つの特徴である。19-20P

 身近な家庭や対人関係の問題、学校や職場への不適応の問題の背後にも、パーソナリティ障害がしばしば潜んでいる。パーソナリティ障害の別の特徴として、過剰な自分への期待と、それゆえに生じる傷つきやすさを挙げることができる。バランスの悪いパーソナリティが、無理な生き方をしてきて、あるいは、そうすることを強いられて、その結果として陥っている面もあるのだ。20P

 どうすれば、自分をうまく活かせる生き方ができるのか。どうすれば、もっと楽に人とつながれるのか。
 そのためには、まず自分を知ることである。そして、相手を知ることである。パーソナリティについて理解を深めるということは、自分に合った生き方や人とのつながり方を知る助けになるだろう。自分に合わない生き方や人間関係のスタイルをいくら追及したところで、結局うまくいかないし、迷路に入るだけだ。また、相手のタイプを見極めずに、自分の流儀を押しつけたところで、成果は望めないし、下手をすれば、ひどく嫌われてしまったり、思わぬ攻撃を受けたりする。22P

 人は、与えられた環境によって、壊されもすれば、生かされもするということだけでなく、人はつまづいても立ち直っていけるということを、私は子供たちから教えてもらった。25P

 パーソナリティ障害とは、バランスの問題であり、ある傾向が極端になることに問題があるということである。パーソナリティ障害かどうかのポイントは、本人あるいは周囲が、そうした偏った考え方や行動で困っているかどうかということである。ただし、本人は案外困っていないことも少なくないので、いっそう周囲は困ることになる。33P

 パーソナル障害の人の特徴は「自分に強いこだわりを持っている」ということである。自分に囚われている。自分という強迫観念から逃れられないのだ。自分のことばかり語りたがる人も、自分のことを決して他人に打ち明けない人も、どちらも、自分へのこだわりという点では同じである
 もう一つの共通する特徴は、「とても傷つきやすい」ということである。健康なパーソナリティの人には、何でもない一言や些細な素振りさえ、パーソナリティ障害の人を深く傷つける。軽い冗談のつもりの一言を、ひどい侮辱と受け取ってしまったり、無意味な咳払いや、雨戸を閉める音にさえ、悪意を感じて傷つくこともある。
 この二つの特徴は、現実の対人関係の中で、もう一つの重要な共通点となって現れる。つまり、「対等で信頼し合った人間関係を築くことの障害」である。それは、さらに、愛すること、信じることの障害にもつながる。どのタイプのパーソナリティ障害でも、愛し下手という問題を抱えている。そのタイプはさまざまだが、愛の歪みやバランスの悪さが、当人を、あるいはパートナーや家族を、安定した幸せから遠ざけるという点では、同じである。35P

 パーソナリティ障害の人は、傷つきやすい自己愛に由来する生きづらさの中で暮らしている。それは、本人が自覚する、しないに関わらず、本人や周囲の生活、人生に困難をもたらす。だが、どんな状況でも、人は生きねばならない。人は本来、どういう環境にあろうと、死ぬ瞬間までは生き抜くように作られているのである。生きようとする命の力と、抱えている生きづらさは、せめぎ合いながら、その人特有の適応パターンを織り成している。つまり、パーソナリティ障害とは、生きづらさを補うための適応戦略だともいえる。37P

 誤った生存戦略は、まだ幼かった頃、満たされなかった欲求を、紛らわすために不適切にも身につけてしまったものなのである。
 パーソナリティ障害の人は、たいていどこか子供っぽい印象を与えることが多い。それは、彼らが子供時代の課題を乗り越えておらず、大人になっても、成し遂げるべき課題を達成して、はじめて次の段階に進めるのである。パーソナリティ障害の人は、その意味で、いまだに子供時代を終えていないともいえるだろう。38P

 人の心を揺さぶる、傑出した能力を持つ者は、しばしば、恵まれない幼年期や屈折した子供時代を過ごしていることを知った。彼らが後年の人生で発揮する能力は、生きづらさを抱え、生き残りを賭けた日々の戦いの中で、知らず知らずのうちに、発達させたものといえる。
 こうした能力を活かすことは、彼らが生き延びていく上で欠かせない。しかし、同時に注意も必要だ。しばしば、こうした能力を、自覚的、無自覚的に乱用して、その力に溺れ、他の能力を発達させることを怠ってしまう場合もあるのだ。その結果は、完全な自立ではなく、操作できる他者に依存したり、寄生することで終わってしまうことになりかねない。偏った能力ばかりを肥大させることは、多くの場合、幸福にはつながらないのである
 自立に向けた、バランスのとれた生き方を身につけることが、大切なのである。40P

引用ここまで


ここからの内容が素晴らしいので、ぜひ本を購入にして熟読してください。

失調型パーソナリティ障害でオカルト好きな人とかは特に。

ちゃんと対策も書いてあります。

オカルトでどうにかなるほど、現実の人間関係は甘くはありません。


ときどき私が発揮している能力も、屈折した子ども時代に発達させた生き残り戦略の残骸です。

なので、瞬間風速的には効果が期待できますが、持続的にはまったく役に立ちません。


引用元の、「対等で信頼し合った人間関係を築くこと」と「愛すること・信じること」。

この力を育てないと、依存や寄生で人生が終わってしまいます。

依存や寄生で終わる人生は、ふしあわせです。

人は、信頼によって覚醒し、愛によってその力を得る生き物なのです。


対等で信頼し合った人間関係を築くこと


大切なことなので、3回書きました。


愛のない小手先のテクニックでほぐれるほど、筋肉は甘くありません。

全人格を、タッチングできるレベルに高めましょう。

岡田先生の本には、そのヒントが宝石のごとく散りばめられています。

オカルトに走らず、真っ当に学びましょう。

愛さない人は愛されない~不幸な人は一生不幸でありつづける傾向~愛を必要とするがゆえに人々から愛されなくなってしまう。

愛されなかった時どう生きるか・44のヒント
リンク先の記事をお読みください。

愛さない人は愛されない

愛を求めても愛されない人

自分を“愛されるに価する存在”と感じているか


「やさしさ」と「冷たさ」の心理

愛さない人は愛されないという事実を認識すると、人生が楽しくなります。

愛を必要とするがゆえに、他人から愛されない人は、愛について学ぶ必要があります。

「あなたのタッチ(触れ方)は、相手の身体に対する尊重意識が欠けています」

某歯科クリニック院長様より、こんなコメントをいただきました。
FBコメント

ちなみに → https://www.keepup.jp/


コメントを読みながら、「身体各部」って、パワーワードだなって感じました。


で、2013年を振り返っております。

腸腰筋手技 2013

腸腰筋手技 2013
私の自宅で指導していた頃(安部塾新宮)の写真ですが、美しいです。


ついでに、筋肉質な私(笑)。南野サイズの胸w。

鹿児島 2013
で、そっち系の男性にモテてた体型(笑)。

2013
ついでに、2014の風浪宮裸ん行の可愛いお尻。

2014 裸ん行


当時も現在も、子どもには好かれます。
子どもと私 2013

子どもと私 2013

体型の変化が自由自在なので、数か月おきに全然違う体型の写真があって、我ながら面白いです。

あ、本題の話をしないと。

2015年6月5日の記事です。


レッスンにおいて、受講者にケガをさせてしまうということは、あってはならないことです。

ケガをさせるような危険な指導をするのは問題外として、機能解剖的に問題がある力まかせで無理な矯正(アジャスト)は大問題です。

派手なパフォーマンス(特殊な技術のひけらかし)も危険です。


なので、危険だと塾長が判断した行為は、すべて禁止することにしました

地味だけれど、安全に身体機能を改善できる基本技術の徹底』をしていきます。

それが、受講者の信頼を得ることにつながると信じています。

身体に優しい技術を提供してください。

引用ここまで


まさか、2018年現在、同じ内容の記事を書くことになるとは思いませんでした。


さきほどのコメントの、「身体各部の筋肉が硬いため」というパワーワードが刺さります。

私はこの数年間、一体何を教えてきたのだろうと。


途方に暮れながら考えに考えて、ようやくわかりました。

粗雑で乱暴なタッチの人たちは、相手の身体に対する尊重意識が欠けているのです。

そしてそれは、自分自身の筋肉が硬いということとイコールなのです。

それはつまり、他人の身体にやさしく触れる能力がないということを意味します。


筋肉が硬いということはどういうことなのか?

筋の収縮の程度・腱にかかる張力・関節の位置・頭部の傾き・頭部の位置などの固有感覚を発する受容器が壊れてるということです。

そんな壊れた筋肉で、繊細で美しいタッチを生み出せるはずがないのです。

なにより、情報が脳にいかないので、思考が偏ります。


身体の情報を伝えるセンサーが壊れているから、適正な圧で触れることができないのです。

当然、破壊力は自分の身体にハネ返ってきますから、自身の身体も壊れます。

それが、一向にひく気配のない痛み=慢性痛となっていきます。

難しいのは、バックファイヤー効果で、他人からの情報が耳に入らなくなるということです。


※バックファーヤー効果とは
自分が信じるものを否定する情報を突き付けられると、その考えを中立的に修正するのではなく、さらに自分の考えを盲信する。


そう。

さらに自分の考えを盲信する。

なんです。


そんなわけで、情報を出す度に、離反者が相次ぎます。

私の仕事は、相手が信じているものを否定する情報を伝えることです。

そこで、中立的に修正する人は、改善していきます。

さらに自分の考えを盲信する人は、離反していきます。


それは仕方がないことなのだと、思えるようになりました。



認知的不協和は、心理学者のレオン・フェスティンガーが1956年に記した「予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する」に記されるもの。この本の中では、あるカルト集団が信じていた「この日時に宇宙船がやってくる」という予言が外れた時、カルト集団は間違いを認めるのではなく、躍起になって信仰を布教しだし、自分たちの認識の不一致を削除すべく次から次へと予言を行いだした、ということが述べられています。

認知的不協和の例としてはイソップ物語の「すっぱい葡萄」が挙げられることもあります。物語の中でキツネは「甘そうなブドウがある」「ブドウは食べられない」という2つの事実を認識しますが、「ブドウは食べられない」という事実が変えられない時に、キツネは「甘そうなブドウがある」という認識をねじ曲げて「あのブドウはまずそうだ」と考えるようになります。喫煙者が「喫煙者で長寿の人もいる」と考えるのも、同じ認知的不協和によるものです。このことが「ある物事を深く信じる人」にも言えます。ある人が「自分の世界観」と「それを支える事実」という2つの要素を持っていたとして、後に「事実」が否定された場合、そこに認知的不協和が生じますが、自分の持つ世界観は簡単に変更できないので、人は事実に対する認識をねじ曲げてしまうというわけです。

何かを深く信じる人々に対して、その根拠となる事実を誤っていると指摘することは、その人の世界観そのものを脅かすものとして見なされてしまうわけです。そのため、例え本当に誤っていることであっても誰かが信じる「事実」を否定する時は、「指摘が世界観を脅かすものではない」ということを示す必要があります。

引用ここまで

で、対策はなさげです(引用元には6つほどポイントが書いてありますが)。


某マニュアルに、「バックファイヤー効果を起こす人に関わらないこと」と書かれています。

私も最近、事実に対する認識を捻じ曲げない人たちと一緒にやっていくことにしました。


引用元の、

間違いを認めるのではなく、躍起になって信仰を布教しだし、自分たちの認識の不一致を削除すべく次から次へと……

的な人たちは、どうしようもないのだと思います。


認知的不協和とバックファイヤー効果について、明日の塾生講座で解説します。