この三つのどれひとつを欠いても他のふたつは成り立たない。
『身・息・心は、三即一であり一即三』なのだ。
坐したときの不安定感と不快感。
それは、姿勢の乱れと息の不整がもたらしている結果にすぎない。
心がいろいろな物事に引きずられて鎮まらない状態。
心が沈んで活気がなくなって働かなない状態。
そんな心理上の諸問題を心だけでなんとかできるはずがない。
姿勢や息を無視している限り、事態を悪化させるだけである。
蓮華坐 法界定印 |
息が整い、姿勢が安定すると、心が鎮まり、醒めて澄み切っていく。
そして、その心の状態が坐相に正確に投影される。
正身端坐といわれる身心がそこに現前する。
煩悩と戦うのをやめて、煩悩とともに坐ることができる。
先月、僕は覚悟を決めた。
否定され、批判され、誹謗中傷されても、大丈夫であろうと。
そして、『坐』に回帰した。
思えば、僕の方法論はすべて『坐』から生まれてきたのだ。
来週末は、下関の『お寺deヨガ』で講師をさせていただく。
『坐は端厳(たんげん)ならんことを欲す』
『肩は円、項(うなじ)は正、体は平、起坐(きざ)は縵(まん)』
『坐は山の如し』
そんな言葉を、姿勢でもって体現していきたい。