君の周りにもいるだろう?
力や体格をもって人を威嚇し、見下し、嘲笑う者が。
バルクアップ(筋肉量増加)とともに、エゴまで肥大させてどうするのだ?
筋肉はその限界まで肥大させ、エゴはその限界まで縮小させる
これでこそワークアウト(トレーニング)が、真の人間修行の道となり得るのだ。
C・パウエル
共に鍛え、共に喜び、共に笑い、共に泣く、
いついかなる時も決して裏切ることのない唯一無二の親友、
それが筋肉さ。
D.ブレーカー
指導者がフォームを教える場合、とりあえず「この種目は姿勢はこうしなさい、腕をこう動かしなさい」となるケースが多いと思います。
そして、指導者自身、それがなぜなのか、そもそもそのフォームが本当に正しいのかを分かっていないことも多いと思います。
でも本来は「この種目ではこの筋肉に負荷をかけて動作しなさい(だから姿勢や腕の動きはこうなります)」というのが本質であって、それが伝わらないのであれば「姿勢や腕の動きが云々」というアドバイスに価値はありません。
OneH
明日が地球最後の日だとしても、俺はスクワットをやる。
ウエイクフェルド
キプトヴァさんの美しい開脚ポージング |
キプトヴァさんの美しい背中 |
体をコントロールするヨガをやっていると、エゴが増幅して肥大してしまうことがある。
他人をコントロールしようとしたり、感情の起伏が激しくなってイライラしたりという展開。
他人をコントロールしようとすればするほど、人は離れていく。
相手の意見(自分と異なる考え)を、きちんと聴けなくなってしまうから。
アクロバティックなポーズの修得に励んでいると、いつのまにかそうなってしまう。
激しいポーズを練習しているときほど、他人の話をしっかり聴く必要が出てくる。
僕はポーズの練習中、コントロールを手放して『観察』するようにしている。
自分自身の身体感覚と正面から向き合い観察することで、エゴは縮小する。
肥大化さえしなければ、エゴは強い味方となってくれる。
他人との関係においても、双方納得いく折衷点を見つけれるようになる。
目先のことしか見えないのがエゴ。
視野が狭いので、他人をゆるすことができない。
自分のためにならない誘惑に、あっさり負けてしまう。
そんなエゴに振りまわされなければいいのだ。
他人をコントロールしようとしていると、私生活がうまくいかなくなりがち。
他人の自由意志を、最大限に尊重できないといけない。
他人は僕の期待に応えるために存在しているわけではないのだから。
そんな気持ちで練習していきたい。
なんにせよ、リアルの充実なくして生きる喜びもへったくれもない。
数々のへんてこりんなポーズをマスターしても、何の意味もない。
自分を尊重して大切にしてくれる人たちに囲まれているということ。
それが、自分の方向性が間違っていないことを確認できるリトマス試験紙みたいなもの。
最近気づいたことがある。
何か企画を立てて、すぐに人が集まってくれるかどうか?
それが、自分のエゴの大きさの指標。
適度なエゴの大きさならば、たくさんの参加者に囲まれて楽しい時間を過ごせる。
いろいろ課題が見つかったので、ぼちぼちと取り組んでいきたい。