2014年8月25日月曜日

感じたことを伝えれると、体調が良くなる~善悪の議論をはじめると、体調が悪くなる

あくまで私見ですが・・・・・・

『議論』をすると具合が悪くなります。


もちろん、議論の定義にもよるんですが。

「正しさを主張すること」という定義の場合です。

「あなたは間違っている~」という、よくある展開です。

犯人探しをしても問題が解消しないのとよく似た現象です。


具合が良くなるのは、感情を表現し合った場合です。

「あなたに~って言われて悲しくなった」

「かまってくれなくて寂しかった」

「大切にしてもらえなくて腹が立った」

そこには「正しさ」なんてなくて、「感じたこと」だけがあります。


自分が勝手にそう感じているということを伝えるだけです。

「だからあなたにこうして欲しい」という希望は伝えます。

しかし、「だからこうしなさい」とは言いません。

自分の感じたことを素直に伝えれる人は、他人にからみつきません。


感情表現をしないでいると、「ありもしない正義」を振りかざし始めます。

身勝手な理屈を相手に押しつけます。

相手は、そんな理屈を望んでいないのに。

そうして、欠乏感を強めていきます。


「謝罪を要求する」という行為が習慣になっていると、心がやすまりません。

謝罪を要求する心の根っこには、罪悪感があるからです。

善悪で他人を裁こうとしているとき、実は自分で自分を裁いているのです。

なので、ゆるせない人は、自分の心を壊してしまうことになります。


体調が悪いと訴える方とお話しをしていると、ひたすら「正しさ」の話が続きます。

以前の僕もそうでしたが、「正しさ」の話をすると、自分の感じていることがわからなくなります。

感じれなくなると、具合が悪くなってきます。

周りに当り散らすと、誰も相手にしてくれなくなります。


体調と連動して対人関係が悪化します。

よく、対人関係のストレスで体調が悪くなるということがありますが、逆もあります。

誰だって、陰鬱だったり攻撃的・防衛的だったりする人と関わりたくはありませんから。

やさしくて朗らかな人と、人生の貴重な時間を共有したいのが本音だと思います。


一緒にいて楽しい人と一緒にいたいというのは、自然な想いです。

それは多分、お互いに、素直に感情を伝え合える関係がもてる人とつながりたいということ。

そんな相手に出会いたいのなら、善悪の議論をやめる決意が必要なのかもしれません。

そして、自分が感じていることに気づいて、素直に伝えることも。