好ましくない習慣を好ましい習慣に修正するとき、いきなり変えようとすると、高確率で失敗に終わります。人間には恒常性(ホメオスタシス=生体の内部や外部の環境因子の変化に関わらず生理機能が一定に保たれる性質)があり、急激な変化を嫌うためです。
こころの情報サイト 国立精神・神経医療研究センター(NCNP) より
ストレスとはなんでしょうか? ストレスと聞くと、嫌なことやつらいことを連想される方が多いかもしれません。しかし、実はうれしいことも楽しいこともストレスの原因になります。毎日を快適に過ごすために、まずはストレスを正しく理解しましょう。
ストレスの原因
そもそもストレスとは、外部から刺激を受けたときに生じる緊張状態のことです。
外部からの刺激には、天候や騒音などの環境的要因、病気や睡眠不足などの身体的要因、不安や悩みなど心理的な要因、そして人間関係がうまくいかない、仕事が忙しいなどの社会的要因があります。
つまり、日常の中で起こる様々な変化が、ストレスの原因になるのです。
たとえば、進学や就職、結婚、出産といった喜ばしい出来事でも、変化であり刺激ですから、ストレスの原因になることもあるのです。
引用ここまで
好ましくない習慣を好ましい習慣に修正することは変化そのものなので、ストレスになります。ストレスを回避しようとするため、好ましくない習慣を継続するという選択をします。
これが、好ましくない習慣を好ましい習慣に修正できないシンプルな理由です。
「継続は力なり」という言葉があります。「わずかなことでも、続けて行えば成果となってあらわれる。小さな努力も、続けてやれば成功する」というような意味です。「継続することはやがて力となる」というのは実感としてよく理解できます。
実用日本語表現辞典に、「物事を成し遂げるまで諦めずに取り組み続けるということは、それ自体、優れた能力のひとつである」と書いてあります。「継続することはそれ自体、力の証である」という意味です。
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler) |
アドラー先生ブームも、すっかり下火になってしまいましたが、私なりに先生の説をまとめてみます。
「目的論」 では、「現在の自分が、なぜこうなったのか?」 という問いに対して、過去の出来事は関ないと考えます。過去の出来事は単なる事実に過ぎず、その出来事に 「どんな意味づけをしたのかによる」のす。 同じ出来事を経験しても、その事実に対して 「よい意味づけ」 をするか「悪い意味づけ」をするかは本人次第ということです。
「何があったか」ではなく「どう解釈したか」を問題にします。 「意味づけ」 は、本人が何らかの目的を果たすために行ったものなのです。その目的を果たすために、過去の出来事に対して、本人が 「悪い意味づけ」 を、行ったのだそうです。現在の自分に対して、不満があったとしても、過去や他人のせいにしないことです。現在の自分がこうなったのは、自分が選んだ結果だということを認める必要があります。
自分がこれまでやってきた「意味づけ」に責任を持つことで、自分の人生に対する主体性を取り戻せます。それはつまり、自分の意思で自分の人生を変えられるということです。自分が原因であることを認めてしまうことで、他責による人生の拗らせから解放されます。被害者ポジションに自分を置いて、すべてを他者からの加害のせいにしていると、大切なものを次々に失ってしまうことになります。
アドラー先生によれば、人は10歳までに自分のライフスタイル (人生のあり方) を決めるとされます。そのときの人間関係などから、自分が思う最適なキャラ設定を選ぶということです。その後の人生がうまくいっているのであれば、最初のライフスタイルの設定のままで生きていけばよいと思います。人生がうまくいかないのであれば、ライフスタイルを変更し、自分のキャラ設定を変える方が賢明です。目的論にそって、事実に対する意味づけを変えることで、ライフスタイルを変更することができます。
少し考えればすぐにわかることですが、自分の問題の原因はすべて自分自身にあります。問題のある思考回路でどんなに考えても、そもそもの意味づけが間違っているので、好ましい結果につなげることはできません。考え方や価値観そのものを見直さなければならないのです。優れた考え方に学ぶ必要があります。
これからの人生をどのように生きていくかについて、過去は関係ありません。これからの自分の人生を決めることができるのは、「現在、ここに存在している自分自身」だけです。この瞬間に強い決意を持って(肚を決めて)、自分を変えていくことです。肚を決めなければ、これまでの自分を、これまでのまま続けていくことになります。
もうおわかりかと思いますが、ライフスタイルを変えない人は、「変わらない」という強い決意を持っているのです。これまでの自分のままでいる方が楽だからです。本音でやりたいと思っていることができず、本音でなりたい自分になることもできないまま、自分を誤魔化して、これまで通りの意味づけのままで生きていくのです。傷つきたくないという理由で。
「物事を成し遂げるまで諦めずに取り組み続けるということは、それ自体、優れた能力のひとつである」「継続することはそれ自体、力の証である」という言葉の重みがよくわかります。
好ましい習慣も、好ましくない習慣も、継続すればするほどに力を持ちます。継続するのは、好ましい習慣にすべきですし、そのための学びが不可欠だと思います。