「三年稽古するより、三年かけて良い師を探せ」— 安部吉孝@身体操作指導者 (@yocchan19681) 2019年1月30日
間違った型を反復練習によって身につけてしまった場合には、その誤りを正すのに膨大な時間がかかる。間違った癖がつく前に、正しい型に出会うことが大切。
身体操作技法では、まず癖を直すことが求められる。型稽古は、個々人がもつ癖を矯正する働きをもつ。個々人が生活の中で身につけてしまった誤った動きを、より高次の合理性をもった正しい動きへとつくり替えるのが、型の働き。癖は、否定される。— 安部吉孝@身体操作指導者 (@yocchan19681) 2019年1月30日
この仕事をしていると、間違った動きを身につけている人に出会います。
そして、その動きが正しくなる確率は、限りなく低かったりします。
ネガティブなことは頭に残りがちという「バックファイア効果」とは? より
ヒトは、自分の考え方に対して挑戦的なものが現れると、より強く自分の考え方を信じようとする傾向にある.
自分の考えを脅かすものや、それまで自分が想定していた概念と相反するものに出会うと、立ち止まり、注意を払う.
引用ここまで
間違った動きを修正するときにも、これが起きるということです。
現在自分が信じ込んでいる情報を否定する情報を突きつけられたとします。
すると、自分の考えを中立的に修正しようとはしません。
逆に、さらに自分の考えを盲信します。
より強く、これまでの自分の考え方を信じ込んでしまうというわけです。
なんて記事を書いていたら、こんなTweetがあがってきました。
他の修行者を批評することは、おまえさんを高慢にすることを招くだけじゃ。そんなことをする代わりに、自分自身を観察せい。熱心に礼拝して、自分自身のプライドを捨てちまうことだ。— アーチャン・チャー手放す生き方 (@AchaanChahBot) 2019年1月30日
間違った動きをしている人は高慢です。
なので、他人を批評してばかりいます。
他人を批評すればするほど、自分の誤りを修正するのは難しくなります。
短い期間で自滅してしまうことになります。
自滅しても、いや、自滅するほど、自分の考えに固執します。
というか、そもそもがふしあわせなんですよね。
動きの修正ができない=謝ることができない人って。
自分を幸せにしたかったら、今の自分の不幸に向き合うしかない。— 心理カウンセラー 三浦望 (@hr_m_nozomi) 2019年1月28日
今の自分が幸せでない、って受け入れるしかない。
他人の人生に足や首を突っ込んでいる暇なんかない。
誰かをコントロールして幸せにしてもらおう、という企みは必ず失敗する。
だから自分の幸せのために、今必死になろう。
「謝れない人」それは罪悪感がMaxだから。生きる価値ギリギリの自分が何かやらかしたら、もう生きることも許されないと感じる。だから失敗は絶対に認めないし、誰かや状況のせいにする。「ありがとう」も言えない。「生きてるだけでごめんなさい」なのに、感謝や喜びを感じるのはおこがましいから。— 心理カウンセラー 三浦望 (@hr_m_nozomi) 2019年1月29日
「生きているだけでごめんない」と考えている人は、謝りません。
言葉だけで謝るのですが、謝ってはいません。
当然、感謝もしません。
謝意を感じないので、「ありがとう」が言えません。
言葉だけの「ありがたい」なので、2回続けて言います。
同じ言葉を2回続けて繰り返すのは、「不安」からだとされています。
自分の言葉を信じたい=嫌われたくないという不安です。
嘘を信じ込みたい・信じ込ませたいわけです。
饒舌になり、余計なことまでしゃべりだします(問うに落ちず語るに落ちる)。
間違った動きを指摘されたとき、自己肯定感が高い人は瞬時に修正できます。
自己肯定感が低い人の場合、修正は困難を極めます。
罪悪感マックスなので、謝れないのです。
同じことを2回言ったら、それは本心ではない可能性が高いのです。
研究者「同じミスを何度も繰り返す人は脳が上手く機能していない」より
自分の間違いについて指摘されているとき、一部の被験者の脳内では非常に活発な反応がみられた。このような人たちは、2回目以降の計測が明らかに前回よりも改善していることが判明。彼らは、「経験から学び、同じミスを繰り返さないタイプの人」だといえる。
それに対し、脳内にほとんど反応がみられなかった被験者たちの場合、計測と解説を何度繰り返しても結果があまり改善されていなかったそうだ。両者の違いは顕著だったという。
引用ここまで
引用元に画像がありますが、ほんとに無反応です。
自分が信じたくない情報や、自分に都合が悪い証拠に遭遇したとき、信念を変えるのではなく、むしろそれを拒否して、当初の信念をより強めてしまう人の脳内にも、反応は見られないのかもしれません。
正しい認知ができず、事実を認められないということになります。
こちらのサイトが面白いです。
→ 認知的不協和とは?理論とすっぱい葡萄と甘いレモンの例と解消法とマーケティング
個人のもつある認知と他の認知との間に不一致・不調和が生じることを、認知的不協和といいます。
認知的不協和が起きると不協和を低減する行動が起きます。
矛盾した2つの認知がある場合、その不協和を解消するために、比較的変えやすいほうの認知を変えて、協和している状態にしようするのです。
この理由でも、間違った動きの修正は難しいのです。
人は、自分が時間を費やしたものに対して、「これは価値がある」と妄信しがちです。
「なぜなら、自分がそれに時間を費やしてきたから」という思考停止な理由で。
偏った学びをしてきた人ほど、費やした時間が膨大なので、間違いの修正が困難になります。
これが、正しい動きを躍起になって否定する理由なのだと思います。
というわけで、「三年稽古するより、三年かけて良い師を探せ」です。
間違った動きを反復練習して高慢になり、自滅するという展開にならないように。
間違った動きを信じ込んでいる人に対する反論は、むしろ逆効果です。
この理由で身体操作指導者は、「自分の動きを修正したい人」にのみ関わります。
動きを修正する気になるのは、本人の問題ですから。
課題の分離ですね。
間違いをあっさり認めて、即修正する人は可愛いんですけどね。
なので、性別問わずにモテます(安心感あるし)。
自己栄光化願望丸出しの不安な人は可愛くありません。
なので、性別どころか動物からさえ嫌われます(不安感煽るし)。
間違った癖がつく前に、正しい型に出会えた人は好運です。
生き方も、ある意味「型」ですから、素敵な人生になります。