『母親が罪悪感で子供を操作するような人間だった場合、その子供は問題解決能力が低下する。罪悪感は脳機能を容易に壊してしまう。母親に過剰に干渉されて育った人の人生どん詰まりぶりは、容易に観察できる。母親と同じように他人に干渉し、罪悪感で操作しようとするからである。感謝されたい=認められたいという気持ちが透けて見えるので、めんどくさがられ、敬遠されるようになってしまう』
『視機能の改善によって脳機能の入力状態が好転しても、母親の影響が大きい情緒的意味づけ機能が壊れたままだと、機能の改善はできない。身体の痛みが消えない理由である。無意識に他人を操作しようとしてしまう習慣をやめてしまわない限り、小手先のセラピーをつまみ喰いしても、何も良くはならない。』
で、そんなことを考えていたら、これ思い出しました。
アドラー先生の言葉 http://matome.naver.jp/odai/2140396034406363501 |
「悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために泣いているのだ」
感情が人を突き動かすのではなく、人は目的のために感情を使用する。
世話好きな人が、どん詰まる理由はこれだと思います。
自分が重要な人間であると主張する人は、鬱陶しいので浮いてしまいます。
だから、依存してくれる対象を探し求めます。
満たされることのない承認欲求は、人間関係をしちゃがちゃにしてしまいます。
そして、身勝手にこう決めつけます。
「他人は私を裏切る。傷つける。誰も信用できない!」
自分で、そんな人たちばかりを選んでくっついてるだけなんですけどね。
現実的で冷静な人の目には、そう映ります。
また、涙で他人を操作しようとする行為も、人生をどん詰まらせます。
むしろ、世話好きよりもまずいです。
感情を他人を操作するために使うと、筋肉と関節が悲鳴をあげます。
同情を集めるために泣くという手段を使っている人って、体調不良がデフォルトです。
操作的な母親の悪影響を、どの様に克服するか?
それはある種のゲームのようなものです。
人生を賭けた、逃れることができないゲームです。
他者との関わりの中で、何度も何度も向き合わされます。
どんなに現実逃避しても、逃げ切れるものではありません。
他人のせいにしても、しきれるものでもありません。
自分で問題をつくり出すのをやめるまでずっと……
近いうちに、重くて深い母親のワークをやろうと思います。