明日から3日間(12・13・14日)、東京集中講座です。
動きがきれいな人は「基本の動き」を組み合わせて、複雑な動きである「応用の動き」をやります。動きがきたない人は「応用の動き」を、いきなりやろうとします。
動きがきれいな人は、兎にも角にも「基本の動きの徹底」にこだわります。基本がしっかりしていないと、応用の動きがつくれないからです。動きがきれいな人ほど、単純なことを繰り返し反復練習しています。そして、良い結果を出し続けています。基本の動きの徹底は、すべての土台となるのです。
動きがきたない人は、「卒業」という言葉をよく使います。「ある段階や時期を通り過ぎること。全過程を修了すること」という意味です。「ステップアップ」という発想なので、そうなるのだと思います。基本の徹底をしないため、いつまでたっても土台がつくれません。組み合わせる基本がないのですから、まともに機能しないのです。
動きがきれいな人に「卒業」という概念はありません。「永遠の基本稽古」という概念があります。基本の動きの組み合わせが洗練されて、自由自在に応用の動きができます。応用の動きをやろうとはしません。その生涯を、基本の動きの徹底に捧げる覚悟ができています。というより、基本稽古が楽しくて仕方がないのです。動きがきれいになるためには、気が遠くなるような努力と、膨大な時間が必要です。
動きがきたない人は、短期的に考える習性があります。すぐに、「世界に向けて発信」し始めるのですが、基本が来ていないために相手にしてもらえません。思ったような結果が出ないので、気分が落ち込み、諦めてしまいます。数か月から2年くらいのサイクルで、「卒業」という名の「努力の放棄」を繰り返していきます。大成することはありません。妄想に明け暮れる毎日となり、動きはますますきたなくなっていきます。
動きがきれいな人は、その努力の方向性を基本の動きの反復に絞ります。動きがきたない人は、多種多様な動きに幅をひろげてしまうため、そのどれもが中途半端なものとなります。
2014年、鹿児島県の指宿長崎鼻で「竜宮城まつり」のお手伝いをしました。
2014年 竜宮城まつり |
「過去と現在を未来に紡ぐ3日間」という言葉の意味は、単発のイベントを成功させるという発想ではなく、生涯をかけて粘り強く基本的な活動を繰り返していくという発想を大切にすることなのだなと、最近になって思うようになりました。