今回のコロナ禍にて、「正しい情報取得の大切さ」を実感いたしました。高度な知識を有する専門家の意見に耳を傾けず、ワイドショーやネットのデマを信じ込んでしまうことの危険性が浮き彫りとなりました。不安を煽られて、すぐに行動化してしまう怖さを目の当たりにしました。
全く間違ったことを主張してプロに論破されている姿はとても恥ずかしく哀れなのですが、それを恥ずかしいと思わず堂々とやり続けることで一定の支持者を得ることができるという事例を散見します。もちろんアカデミアには残れないわけですが、なぜか在野でしぶとく生き残りますね。誰か命名して欲しい。— 手を洗う救急医Taka (@mph_for_doctors) May 28, 2020
これはおそらくどの業界でも同様で、まったく間違ったことでも、堂々とやり続けることで一定の支持者を得ることができるのが在野の世界です。「破れ鍋に綴じ蓋」ということわざがありますが、「破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ」なのだと思います。今回のコロナ禍においては生命がかかっていたので、デマは流すのもよくないけど信じるのもよくないなと思いました。
「抽象的な思い・考えを具体的に言語化して書く」という行為の重要性を痛感いたしましたので、再起動後の中心的な活動としてやっていこうと思います。「書く」という技法についてもまったく間違ったことが堂々とやり続けられていて、一定の支持者を得ている状況です。この状況自体は、外からの力で変えることはできないかもしれません。しかし、正しい「抽象的な思い・考えを具体的に言語化して書く」という訓練をすることでカウンターを入れることは可能だと考えております。
身体操作能力を着実に向上させるために必要なのは「語彙力(その人がもっている単語の知識と、それを使いこなす能力)」「国語力(文章を読む力と文章を書く力。あらゆる学力の基礎)」です。うまく動けない=うまい人の動きを真似することができない人は、語彙力・国語力を伸ばすことから始めることが大切です。3月以前の安部塾では、語彙力と国語力の養成がダメでした。
コロナ禍の渦中に全国で観測されたクレーマーの方々の言動の録画映像を解析してみると、総じて「文章が読めない」ということがわかります。「文章が読めない」ために「相手の動作の意図が読めない」ので、「大声で文句を言う」という展開になるのです。これは運動時も同様で、自分の動作を言語化できないということは、「雑に大雑把に身体を動かす」ということです。「痛みのサイエンス」などの資料を元に、これまで欠けていたピースを生めていきたいと思います。
再起動後しばらくの間は、以前の人数には戻らないと予想しております。そのぶん、コアな参加者が学びに来てくれると思います。以前の「知識を詰め込む」という様式ではなく、「具体的に言語化して書く」という新様式を実行していきたいと考えております。後ほど、各地の講座の内容をアップいたします。
経済学者のみなさまは一旦西浦先生の試算の批判をやめていただいて、接触機会を何割削減したらどの程度の経済的損失が出るのかをシミュレーションしていただけないでしょうか。「接触機会を減らさなくてよい」は無理があるので、減らすとどうなるかを教えて欲しいです。— 手を洗う救急医Taka (@mph_for_doctors) May 29, 2020