昔は“女性は男性の裸よりも内面に興味があるもの”と語られがちだったが、もはやそんな時代はとっくに過ぎてしまったのだろうか。
アメリカの学者が性欲の解読に挑戦した『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』(オギ・オーガス、サイ・ガダム:著、坂東智子:訳/阪急コミュニケーションズ)によれば、「女性は、(男性の)体のパーツについては男性よりもはるかにこだわらないし、ペニス崇拝のある男たちと違って、男のペニスを見ることにもほとんど興味がない」という。その証拠に、男性向けアダルト動画サイトのカテゴリーには「巨乳」「本物のオッパイ」「脚とストッキング」といった項目が並ぶが、女性向けアダルト動画サイトには「体のパーツのカテゴリーはひとつも見当たらない」と書いている。しかし、例外がひとつだけある。それは「お尻」である。「女性は一般に、引き締まった、アスリートのようなお尻を好む」という。
他方、日本の学者による『女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム』(守 如子/青弓社)では、レディースコミックやハードなBLといった女性向けポルノコミックを分析し、女性の性欲について考察しているのだが、ここに興味深い話が掲載されている。たとえば、ハードなBL誌に寄せられた女性読者からの声に、「Hで、だけどHだけじゃなくてちゃんと愛もあるから好きです」という意見と、「手枷、4P、調教、といったオプションが加わり、快楽に落ちていく所なんか大好物です」という、一見相反する意見が共存しているのだ。いわば「恋愛を強調する読者」と、「ポルノ表現を歓迎する読者」に二分化しているというのである。ここから見えてくるのは、「ポルノグラフィに楽しみを見い出す自分自身を受容することが難しい女性の存在」。いくらハードなH雑誌を買っていても「愛」を持ち出さないとポルノを楽しむことができないのでは? というのだ。
社会では、長い間、男性が性に奔放なのは許容され、女性は「ふしだらだ」と後ろ指を指されてきた。この性のダブルスタンダードは、今も是正されたわけではない。だが、女性たちが自分の性を自分の言葉でもっと語るようになれば、きっとアダルトサイトのカテゴリには、さまざまな男性の身体のパーツが並ぶのではないか。そう考えると、ドラマに登場した男性の裸が大きな話題になるのは、そうした未来の予兆なのかもしれない。ともかくドラマ制作者のみなさん、次は「お尻」で視聴率アップを目指してみる……というのも手かもしれませんよ。
引用ココマデ
映画『HK 変態仮面』 より |
Tジョイ博多にHKを観に行ったら、大半が女性客だった。
男性が全裸で街を駆け抜ける時代なのだなと思った。
そういえば、みどり姐さんも僕のお尻をかじりたいとか言ってたな。
そう言ってもらえるうちが華かもね。
『他人の肉体に楽しみを見出す自分を受容できるか?』
意外とこれが課題なのかもしれない。
人間なんてみんな一皮剥けば、煩悩まみれでふしだらな存在。
性欲を抑圧すると、歪んだ形で噴出してしまう。
そもそも、裸体は内面そのもの(僕の持論)。
『裸よりも内面に興味がある』は、僕的にはオカシイ。
内面の構成情報により構築された肉体に興味を持つのは健全。
内面同様に裸も受容して肯定しようよ。
そりゃそうだよね。
元々、よりよいパートナーと結びつくための美しい体型なのだもの。
そこを否定してしまえば、美しい体型の存在意義が消失してしまう。
男性も女性も『美しいお尻』であることは、規定事項なのだ。
『不純な動機ほど長続きする(^_^;』
パリ在住の某ジョシが、そうコメントしてくれてた。
僕は問いたい。
『清純な動機なんて、存在するのか??』と。
純粋な動機は存在するんだろうけどね。
サトヴィックなものばかり選り好みしても、期待したような展開にはならない。
食事もそう。偏ってると無理が生じてくる。
火宅無常の現実世界で、『生きるって素晴しい』って感じれないと。
自分に合わないものを拒絶するより、自分の適応能力を発揮したい。
一心不乱にね。