姐さんのブログ記事。
見えちゃうのは、イヤかなぁ。より
前にアシュタンガヨガのスタジオで置きマットが(ブラックマットは重いので、スタジオに料金払って置かせてもらうシステム)使用期限切れで、棚から外され処分待ちの状態にあったのね。それで、新しいしなんか勿体無いなぁ~と思い、
「勿体無いですね!これ、譲ってくれれば使いたいな」
と、言った事があるんです。ブラックマット、軽く一万円越えの値段だし(笑)
そうしたら、担当の先生がなんと言ったと思います?
「練習途中で挫折した人の、念が残っているようなマット使っちゃダメ」。
おぉ~、そう来たか!!結構、アシュタンガでは草分け的な理論派の先生ですよぉ。意外や、意外でビックリしましたけど(笑)
引用ココマデ
僕も(自称)理論派だけど、そう思う。
実際、挫折した人が使っていたモノは、マットに限らずダメゼツタイ。
逆に、成就者が使っていたモノは、全力で推奨。
どういう仕組みかわからないけれど、想念はモノに宿る。
そう。
挫折した人が使っていたモノに宿る残像思念。
文字通りの『残念』
残念なことになりがちだから、避けるにこしたことはない。
あ、自らが残念な状態のままだと、良い思念体につながれない。
だから、残念な想いは手放した方が(・∀・)イイ!!
自ら良質な思念体に成ろうとする努力。
その姿勢が、良い思念体=成就者につながる道をひらいてくれる。
残念な人たちで固まっていても体調は良くならない。
小手先のゴマカシをいくら積み重ねても、良い方には向かわない。
『地道な努力の積み重ね』
それができる人たちとつながることが大切。
いちばんいいのは、共有することなんだけどね。
『こんなに哀しい景色を 君が光に変えていく』
『こんなに明るい世界へ 君が私を連れていく』 的な。