2013年5月9日木曜日

練習途中で挫折した人の念が残っているようなマット使っちゃダメ

姐さんのブログ記事。

見えちゃうのは、イヤかなぁ。より

前にアシュタンガヨガのスタジオで置きマットが(ブラックマットは重いので、スタジオに料金払って置かせてもらうシステム)使用期限切れで、棚から外され処分待ちの状態にあったのね。それで、新しいしなんか勿体無いなぁ~と思い、

「勿体無いですね!これ、譲ってくれれば使いたいな」

と、言った事があるんです。ブラックマット、軽く一万円越えの値段だし(笑)

そうしたら、担当の先生がなんと言ったと思います?

「練習途中で挫折した人の、念が残っているようなマット使っちゃダメ」。

おぉ~、そう来たか!!結構、アシュタンガでは草分け的な理論派の先生ですよぉ。意外や、意外でビックリしましたけど(笑)

引用ココマデ



僕も(自称)理論派だけど、そう思う。

実際、挫折した人が使っていたモノは、マットに限らずダメゼツタイ。

逆に、成就者が使っていたモノは、全力で推奨。

どういう仕組みかわからないけれど、想念はモノに宿る。


そう。

挫折した人が使っていたモノに宿る残像思念。

文字通りの『残念』

残念なことになりがちだから、避けるにこしたことはない。


あ、自らが残念な状態のままだと、良い思念体につながれない。

だから、残念な想いは手放した方が(・∀・)イイ!!

自ら良質な思念体に成ろうとする努力。

その姿勢が、良い思念体=成就者につながる道をひらいてくれる。


残念な人たちで固まっていても体調は良くならない。

小手先のゴマカシをいくら積み重ねても、良い方には向かわない。

『地道な努力の積み重ね』

それができる人たちとつながることが大切。


いちばんいいのは、共有することなんだけどね。


『こんなに哀しい景色を 君が光に変えていく』

『こんなに明るい世界へ 君が私を連れていく』 的な。