2021年11月11日木曜日

地道な努力を継続していると、物事がうまくいきやすい。

  目的を達成したり、目標に到達するためには、それ相応の努力が必要になります。地味な努力を嫌がれば嫌がるほど、目的の達成や目標への到達は遠ざかります。ごく当たり前のことですが、人としても魅力は「地道に努力を積み重ねること」によって増大していきます。鍛えあげられたアスリートや磨き抜かれた芸などがわかりやすいですが、「その領域に到達する前に積み重ねてきた努力」が透けて見えるからこそ、憧れや魅力を感じます。

 「簡単に」「楽に」というキーワードは、いきなり結果だけを得ようとする人がよく使います。では、その人たちが魅力的かというとそんなことはなく、同じところをぐるぐる回りながら失速して転落していっていることが多いように思います。地道な努力の積み重ねの末に、それまで困難だったこと・できなかったことが簡単に・楽にできるのであって、ショートカットはできないのだと思います。近道は存在しないのだと。

 「~になれるまでの~年間の軌跡」が心を打つのは、「やめずに続けたことが結果につながった」という物語がそこにあるからだと思います。簡単なやり方・楽なやり方を探し求めているうちに~年間を無駄にしてしまう人は何者にもなれないままであり、なれた人となれなかった人を比較したときの魅力の差はとてつもなく大きなものとなっています。

 地味な努力を嫌う人ほど大言壮語(実力もないのに不相応な大きなことをいうこと。)しがちです。そして、大げさな告知はするけども結果報告はないという展開になっているようです。実力がないから、宣言したような結果は出せないのです。そもそも魅力がないので人が集まりません。偉そうにしたからといって人が集まってくれるわけではないのです(むしろ遠ざかっていきます)。

 「自分の時間や労力・コストを対価にしてでも、その人に会いに行きたい」というハードルは想像以上に高くて、生まれつき(代々のご先祖さまが積み重ねてきた努力)のものと生まれてきてからの自分自身の努力の総量が足りなければ、人は魅力を感じてはくれず、足を運んではくれません。詐欺的なやり方で一時的に人を集めることは可能ですが、長くは続きませんし、ジリ貧になっていきます。

 身体操作の世界でもそれは同様で、地味な基礎練習による基礎体力構築の土台の上にしか複雑な動きは実現しません。基本の動きができないのに複雑な動きができるはずがないのです。気が遠くなるほどたくさん存在する基本の動きをもれなく身につけていかないと、その先はありません。というより、やらなければ老化とともに能力が失われていく一方です。

 妄想をどれだけ積み重ねてみても、たいしたことはできないと思います。イメージトレーニングは、すでにそれを見につけている人が行なうから効果があるのであって、身についていない人が行なえば妄想がさらにひどくなってしまうだけの結果に終わるだけではないでしょうか。

 地道な努力を継続していると、物事がうまくいきやすくなるように思います。一時的・短期的な視点ではなく、視座を高く保ち、長期的視野をもって基礎練習を積み重ねていくことが大切だと思います。