機能解剖学 熊本 |
機能解剖学を学ぶことで、それが可能になります。
別に、僕に習う必要はありません。
機能解剖学が素晴らしいのは、答えがひとつしかないこと。
誰に習っても、同じ成果が出せます。
成果が出ないのは、講師の勉強不足です。
習う回数や、講師の人数は、多い方がいいです。
そのぶんだけ、偏見がなくせますから。
これ、とても大切なことだと思います。
たとえば、コブラのポーズと上を向いた犬のポーズの違い。
コブラのポーズ・上を向いた犬のポーズ |
機能解剖学を学んでいる人たちに答えを聞いたら、全員同じことを答えます。
各関節の構造や筋肉の協働・拮抗などの精密な説明を受けれます。
これに対し、ヨガマニュアルしか学んでいない人たちの答えはまちまちです。
下手すると、答えてもらえません。
マニュアルに書いていないことは、わからないからです。
機能解剖学を学んでいれば、そのポーズを見せてもらえば、すぐに答えが出ます。
この違いは大きいと思います。
僕たちが師事すべきなのは、特定の個人や団体ではありません。
機能解剖学という知識そのものなのです。
人体の設計図と仕様書。
先人たちが積み重ねてきた学問の力そのもの。
その力を元に、自分で考える。
それは、とてつもなく楽しい体験です。
いろいろな理由をつけて、自分を師事させようとする指導者。
それは、支配であり、操作でしかありません。
他者支配や操作は、身体操作に必要ありません。
自分の身体と向き合うのが、身体操作なのですから。
僕は、支配されるのも操作されるのも嫌いです。
支配されたがる人や操作されたがる人も嫌いです。
支配したがる人や操作したがる人は、さらに嫌いです。
対等な関係でいるのが、大好きなのです。
他人に支配されたり操作されたりしたいとかって、不健全だと思います。
他人を支配したり操作したいとかってのも、不健全。
僕が能解剖学を学ぶのは、対等であることの大切さを実感できるからです。
誰に学んでも同じ答えを得られるからこそ、誰に学ぶかの選択を楽しめます。
選んでもらう立場になったときに必要なのは、学問の力がどれだけあるかだけ。
相手を支配したり操作したりしなくていいのは、とっても気楽です。
特定の個人を師事しなくていい状況で、師事したい相手を選ぶ。
それが、健全な世界というものだと思います。
他人を操作することが当たり前になっている不健全な世界。
そんな世界に住んでいても、学問の力はつきません。
お互いを尊敬できる世界=ありのままの相手を、ありのままに認めれる世界。
そんな世界にいると、自然と学問の力が身につきます。
というわけで、3月12・13日の東京集中講座に向け、学びを深めたいと思います。
塾生講座で、内容の濃いヨガアナトミーリハーサルやりますよ~