2015年6月12日金曜日

操作するのではなく受容する

「なぜIBUKIをすると、子供みたいな顔になるのか?」

昨夜、そんなテーマでお話をしました。

『自由な子供の心』を取り戻すためにまとめたのがIBUKIです。

取り戻す過程で『反抗する子供の心』が現れてきます。

『従順な子供の心』からの、最初の変化です。


指導者は、反抗されたとき、どうしたらいのでしょうか?

「操作するのではなく受容する」

定番の態度ですね。

受容することで、いろいろうまくいきます。


操作した場合は、えらいことになります。


昨日、舞さんと毒舌対談しました。

「会話というのは、本来こうあるべきだよなw」と思いました。

お互いに受容し合える関係は、自由な心を取り戻すことにつながります。

お互いに操作しあうコントロール合戦は、支配と服従しか生み出しません。


コントロール合戦をしている限り、子供みたいな顔にはなれません。

きつい顔になってしまうので、人が散ってしまいます。

受容する覚悟を決めてしまうと、心が自由になります。

穏やかでやさしい子供のような顔になるので、人が寄ってきます。


単純な話、周りの人たちから尊重されていたら、受容できているということ。

周りにいる人たちは、自分自身の鏡ですから。

他人を変えようyとせずに尊重したいものです。

受容した上で意見を言うのは操作ではないので大丈夫です。


質が良い筋肉をつくりたいのなら、操作をやめればいいだけです。

受容が生み出す良質な筋肉が、僕は大好きです。