2024年6月19日水曜日

上手に出来るようになるまでは、人に知られないようにこっそりと習って、 うまくなってから出ていったら格好いいだろう」という人はなにも身につけることはできない。

卜部兼好

徒然草 第百五十段

 芸能を身につけようと志す人。うまく出来るようになるまでは、芸能を学んでいるいることを人に知られないようにして、まだ、どうしようもなく未熟な状態のうちから、上手の人々に混じってやっていると、笑われたり馬鹿にされたりするが、それでも平気な顔をして練習を続けていく人。

 生まれつき、芸のDNAがあるというのでなくとも、芸道に停滞するということをせず、いい加減にせず、天性の良いものを持っている人だが、練習に励まない人よりも、品格もそなわってきて、世間からも高く評価され、一流のレッテルも貼られるようになる。

 はじめのうちは下手だという評価もあり、ひどい侮辱などもあったのであるが、それぞれの通の教えに従って、これを守り、怠けていなければ、世の権威ともなり、指導者ともなるということ。

徒然草 第百五十一段

 ある人が言っていた。50歳になっても身につかないような芸は止めた方がよい。努力してみたところで将来性は無いのだから、将来性が無いということでは、老人を笑うことは出来ないではないか。

 多くの人と交際していくのも、相応しくないし、みっともない。世俗的なことはみんな止めてしまって。世俗的なことに携わって一生涯暮らすなど、下等な人間のすることである。

 (世俗的なことで)知りたくなるようなこと があったら、人に聞く程度で、その簡単な趣旨が分かり、覚束ない程度でそれ以上の詮索はしないのがよい。

 それよりも、何にも知りたいと思わない方が最も良いのだ。


 「上手に出来るようになるまでは、人に知られないようにこっそりと習って、 うまくなってから出ていったら格好いいだろう」という人はなにも身につけることはできません。

 未熟なうちから、上手な人に交じって、笑われようとも恥ずかしがらず、平気で押し通して練習に励む人は、生まれつきの才能がなくても、何年も練習に励んでいると、そこそこにはできるようになるものです。

 そして、50歳にもなって身についていないなら、可及的速やかにやめた方がいいといいのです。将来性はまるでないので。老人が若い人たちに交じって練習しても、痛々しいし見苦しいものです。

 百五十段で上達法を書いてからの百五十一段のモノになってなきゃやめてしまえというコントラストが冴えています。「やめどき」でやめた方がいいんですよね。

 百六十六段、「人の生命は長いと思っていても、下から消えていく生命は雪のような儚いものである。それなのに、一生懸命に働き続けて、(間もなく人は死んでしまうというのに)その成果を長く待っているような人が多い。」と、書いてあります。人は努力が報われることを期待してしまうものですが、そうこうしている間に死を迎えることになります。

 無常迅速……人の世の移り変わりがきわめて速いこと。人の死が早く来ること。

 歳月は人を待たず、人の死は思いがけず早く訪れます。だからこそ今生きていることに感謝し、かけがえのない時間を大切にして生きていきたいと思います。