2015年4月3日金曜日

軸伸展と脱力~安部塾身体操作法の原点~感情の解放とは無駄な力を抜くということ

僕は、身体操作法において、誰も師事したことがありません。

必要がなかったからです。

僕は、元々身体の使い方ができていました。

よくわかるのが、僕の幼少時の写真です。

安部吉孝幼少時の立ち姿勢・身体操作操作

この頃の僕は、完璧な身体操作ができていました。

現在の僕が指導している基本が、すべてここにあります。


誰にも習う必要がないのです。


この後、周りの『りきむことが正義』の悪影響を受けてしまうことになります。

力を込めて頑張るという間違った価値観を押し付けられたのです。

それからしばらくの間、僕の身体感覚はおかしくなってしまいます。

完璧な軸伸展と脱力ができていた身体は、醜く歪んでしまいました。


安部塾身体操作法の特徴は、『やっている気がしないこと』です。

つまり、『手を抜いているようにしか見えない』のです。

無駄な力を入れることが正義という感覚の人には理解ができません。

そうして、りきむことを強いられて壊されてしまったのです。


そう。感情を抑圧する=無駄な力を入れる人には、わからないのです。

この繊細な感覚は。

回復させるためには、幼少時の心を取り戻す必要がありました。

うまく成功できたわけですが(嬉)。


交流分析より

子供の行動は、自由な子供(FreeChild/NaturalChild)(自然奔放)か、他者順応な子供(AdaptedChild)のどちらかである。それぞれの状態は、個人の行動、感情、思考において影響を与え、有益的(積極的)または、破滅的/反生産的(悲観的)になるといえる。

・人はみなOKである。それゆえ、個々人は、正当性、重要性、平等性の敬意を受けることができる。

人はみな(僅かな例外を除いて)、A(Adult)として、考える能力を持つ。
人はみな、それぞれのストーリーと運命を決定する。しかしながらその決定は、変更が可能なものである。

子供の頃に埋め込まれた環境不適合というストーリーからの脱却は、不公平で不誠実な「今-ここ」の人生に基づいた感情、不適切、虚偽からの開放のために、求められているものである。(すなわち、子供時代の苦悩、自己への同情、他人の心理戦、強制的な行動、人生の失敗の繰り返しといったものからの開放である)

・交流分析は、目標思考であり、問題思考ではない

交流分析の基で変える目標は、自立性(子供の頃の脚本からの脱却)、自発性、親愛性、「逃避」や「受身」といった問題の解決、「進化」ではなく個人の治療、新しい選択肢を学ぶことである。

引用ココマデ


現在の僕の言動が自由な子供(FreeChild/NaturalChild)の心全開な理由です。

そんな僕は、相手の自由な子供(FreeChild/NaturalChild)の心を召還できます。

安部塾で自由さと自然さが推奨されている最大の理由です。

他者従順な状態=りきんだ状態は奨められません。


自分に素直になることと、他者に従順であることは相反します。

他者に従順であるということは、他者にもそうあることを求めるということ。

それが、りきみの正体です。

自由な子供の心なくして、軸伸展と脱力はできません。


そんなわけで、我らが安部塾では子供連れが推奨されています。

子供が自由でいれない世界で、完璧な身体操作なんてできないのです。

子供が自らルールを守りながら自由に遊んでいる中で練習する。

子供をコントロールしたいという願望を手放して、自分の練習に集中する。


それが、自由な子供の心を取り戻すということです。

よく言うことを聞く子供が良い子供?

そんなことはありません。

単に感情を抑圧された歪んだ子供でしかありません。


自由な子供の動きは美しいので、見惚れてしまいます。

従順な子供の動きは醜いので、鬱陶しくなります。

命令形で話す親の子供がウザイ理由です。

自立性=親自身の環境不適合のストーリーからの脱却が大切なのです。


持論なのですが、指導者の役目は『相手の成長を邪魔しないこと』です。

基本好きにやらせて、問題があれば本気で口を出すということです。

最優先すべきことは、指導者自身が自立性・自発性・親愛性を取り戻すことです。

そうしていれば、自由な子供の心を取り戻したい人たちが集まってきます。


まあ、あくまで従順な子供の心に囚われていたい人とは縁ができませんが。

それもまた本人の問題なので、指導者は自分の問題に取り組めばいいと思います。

『自ら考え、自ら行動する』のが安部塾の基本ですから。

GW集中講座までに、幼き頃の完璧な身体操作感覚を取り戻したいと思います。