「正確無比な美しい動きは、健全な心をつくる」
「不正確で穢(きたな)い動きは、不健全な心をつくる」
で、これ、逆も言えるなって。
「健全な心は、正確無比な美しい動きをつくる」
「不健全な心は、不正確で穢い動きをつくる」
心と動きは、同期していますからね。
祈りの型 |
動きが崩壊すると、心も壊れます。
姿勢の改善に本気で取り組み始めて、そう感じることが多くなりました。
そして、姿勢の改善に本気で取り組んでいる仲間たちも、そう感じています。
動きを改善した後には、なんともいえない解放感と爽快感があるのです。
「心の状態が良くなったら、いつか練習に行きます」
心が壊れている人が、よく発する言葉です。
そして、その「いつか」はやってはきません。
石にかじりついてでも練習に行き続けていれば、心の状態はよくなるものです。
僕が小さい頃、こんな言葉を発する大人たちがいました。
「いつか時間ができたら、やりたいことをやる」
「いつかお金ができたら、やりたいことをやる」
そしてその「いつか」は、やってはきませんでした。
みんな死んでしまいました。
「そのとき、その場で動く」
そうでないと、意味がないのです。
そうしないと、心が壊れてしまいます。
壊れた心で思いつけることは、不健全なことだけです。
恐れと不安に支配され、怒りを抑圧し、そうして心が壊れていく。
壊れた心は依存心を生み出し、すべてをまわりのせいにしだします。
まわりのせいにすればするほどに、自信を失い、卑屈になります。
壊れた心は、自律的に回復することはありません。
何は手はないのでしょうか?
『正確無比な美しい動きを自分のものにする』
これしかないと思います。
姿勢と動きが美しくなった瞬間、心の再構築が完了すると信じています。
正確無比な美しい動きは、基本動作の積み重ねでしかつくれません。
人体の設計図(仕様)どおりに体を使う練習をするしかありません。
運良く、幼少時から『美しい動きをする大人』に育てられていれば幸運です。
多くの人たちは、壊された不正確な動きを修正する必要があります。
動きを修正した人たちの、充実した表情と、しあわせそうな雰囲気。
それをリアルタイムで見る度に、姿勢と動きと呼吸の改善の仕事をしていてよかったって思います。