痛み、トラウマ、または一般的な精神的な問題において、ネガティブな記憶や思考パターンに働きかけ、変容させるアプローチは、認知行動療法(CBT)の枠組みを超えて多岐にわたります。
特に、感情や過去の記憶に深くアプローチし、その影響力を変えていくことに焦点を当てた心理療法は、「第三世代の認知行動療法」やその他のトラウマ治療法に分類されます。
1. 第三世代の認知行動療法
「思考や感情を変える」というよりは、「思考や感情との付き合い方を変える」ことに焦点を当てています。
① アクセプタンス&コミットメント・セラピー (Acceptance and Commitment Therapy: ACT)
認知行動療法の最新のアプローチの一つです。
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| 認知、感情、行動への働きかけ |
② マインドフルネスに基づく認知療法 (Mindfulness-Based Cognitive Therapy: MBCT)
仏教瞑想の要素を取り入れ、認知行動療法の知見を融合した手法です。
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| 認知、感情への働きかけ |
2. 過去のネガティブな記憶・トラウマへのアプローチ
慢性痛患者の中には、過去のトラウマや心理的ストレスが痛みの固定化に影響している場合があります。記憶に直接働きかける手法が有効なことがあります。
① EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)
(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)
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| 記憶への働きかけ、感情と認知の再構成 |
EMDRの概要と仕組み
EMDRは、トラウマ体験が脳内で不完全に処理され、ネガティブな感情や身体感覚とともに「閉じ込められた」状態にあるという適応的情報処理(AIP)モデルに基づいています。
1. 記憶の再処理を促す
トラウマ的な出来事の記憶は、適切に処理されずに残ってしまうと、その後の人生にまで影響を及ぼします。EMDRは、脳が本来持っている情報処理システム(AIP)を活性化させ、その記憶を「過去のもの」として適切に整理し直すことを促します。
2. 両側性刺激(BLS)の活用
EMDRの中心的な手法は、クライエントがトラウマ記憶を思い浮かべながら、左右交互の刺激を受けることです。
眼球運動: セラピストの指や光を、頭を動かさずに目で左右に繰り返し追います。
タッピング: 両手の甲や膝を左右交互にトントンと叩きます。
音響: ヘッドホンで左右の耳に交互に音を聞かせます。
この左右交互の刺激(BLS: Bilateral Stimulation)が、レム睡眠(夢を見ている状態)中の眼球運動と似た働きをし、脳内の記憶処理を促進すると考えられています。
3. 効果(脱感作と再処理)
脱感作(Desensitization): トラウマ記憶を思い出したときに感じていた強い恐怖や不安、苦痛といったネガティブな感情の強度を和らげます。
再処理(Reprocessing): ネガティブな自己認識(例:「私は無力だ」「私が悪かった」)が、より現実的でポジティブな認知(例:「私は生き延びた」「私は何も悪くない」)へと置き換えられます。記憶自体が消えるわけではなく、その記憶が持っていた感情的な毒性が薄まります。
EMDRの治療プロセス(8段階)
EMDRは、決まった手順に従って進められる構造化された治療法です。主な段階は以下の通りです。
病歴聴取と治療計画: 症状とトラウマの関連を評価し、治療対象とする記憶を決定します。
準備 :クライエントにEMDRの仕組みを説明し、治療で感情が不安定になった場合に備えて安全な場所(落ち着ける場所のイメージ)を作るなどの対処スキルを練習します。
アセスメント: 治療対象とするトラウマ記憶を選び、それに伴うネガティブな認知、感情の強さ、身体感覚を特定し、治療目標とするポジティブな認知を決定します。
脱感作: トラウマ記憶を思い浮かべながら、両側性刺激を繰り返します。感情的な苦痛が減少するまで続けます。
設置: 苦痛が十分下がった後、治療目標としたポジティブな認知(例:「私は安全だ」)を記憶と結びつけ、その肯定感を高めるように両側性刺激を行います。
ボディ・スキャン: 身体のどこかにまだ緊張や不快感が残っていないか確認し、あればそれに対して両側性刺激を行います。
終結: セッションで起きた変化を確認し、次のセッションまでの対処法を話し合います。
再評価: 次のセッションの冒頭で、前回の記憶処理の効果が維持されているかを確認します。
📌 慢性痛への適用
EMDRは、トラウマや心理的ストレスが原因で慢性痛が続いているケースや、痛みの発症や悪化にネガティブな出来事が深く関わっている場合に適用されることがあります。痛みの原因となった過去の体験や記憶を処理することで、神経系の過敏性を下げ、痛みの軽減を目指します。


