2013年11月1日金曜日

努力の方向が間違っていないか?

自分が『正しい』と思い込んでやっている努力。

傍目には『間違った方向に進んでいる』ことがある。

自分に必要なことがわかっていない状態でガムシャラに努力する。

カラダやココロを壊してしまうことになる。


何らかの方法論や誰かに依存してしまっているときは特にそう。

下手すると、調子を崩しているのに調子がいいと錯覚。

認知的不協和(cognitive dissonance)を解消しなくてはならなくなる。

思考様式が行動と合致する方向に徐々に修正されてしまう(自己正当化)。


人間という有機生命体は『自分の選択は正しかった』と思い込みたいもの。

何かに対して熱心になりすぎているときは大体そう。

そんなときの努力の方向性は、たいがいが明後日の方向。

ややこしいことに、うまくいかなければいかないほど熱心になってしまう。


ここで、努力の方向を正しくしてくれるのは『仲間』。

客観的に判断してくれるので、いまの自分に何が必要かビシビシ教えてくれる。

そういった意味で、普段から『脱・めんどくさい人』してないといけない。

めんどくさい人のまわりは『イエスマン』しかいないからね。


誰も言動を修正してくれないという恐怖。

自分に何が必要なのかを明確してくれる存在=仲間は至宝。


あるセンセイが面白いことをおっしゃられてあった。

『相手を最善に生かすことを最優先に考えておけばいいのですよ』

なるほど、そうしようと思えば主体性を失うことはない。

依存した状態では、相手を最善に生かすことなどできはしないものね。


主体性を持って、正しい努力を重ねていきたい。

大切な仲間たちとともに。