2016年4月7日木曜日

激しいエクササイズ依存症になってませんか? 否認ばかりしていませんか?

身体を壊すような激しいエクササイズに依存する人たちがいます。

そして、依存させ続けようとする人たちがいます。

「重要な社会的・職業的・娯楽的活動を放棄・減少させる」

「精神的・肉体的・社会的問題が起こっても、対象に執着し続ける」

依存症でない人たちから見ると、刺激を追い求める異常な状態に見えます。


「やっている気がするエクササイズ」を求めるのは依存だと考えています。

構造的に正しくて、美学的に美しい動きは、「やっている気がしない」ものです。


逆に、「改善のための努力をしない依存」というのもあります。

こちらはこちらで、精神的・肉体的・社会的問題が起きます。


どちらも、脳の機能異常だと考えています。


依存症

依存症(いそんしょう、いぞんしょう、英: dependence)とは、世界保健機関の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと。

渇望が生じている状態を「依存が形成された」と言う。依存は、物質への依存(過食症、ニコチン依存症やアルコール依存症といった薬物依存症)、過程への依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)、人間関係や関係への依存(共依存、恋愛依存症、依存性パーソナリティ障害など)があり、重大な精神疾患にいたるケースもある。

大量・長時間・長期間にわたって依存対象に異常に執着するため、重要な社会的・職業的・娯楽的活動を放棄・減少させる。また、精神的・肉体的・社会的問題が起こっても、対象に執着し続ける。

依存症患者は、病的な心理的防衛機制である「否認」を多用するため、しばしば依存症は『否認の病』とも言われる(否認言動は診断に必須ではない)。また、家族や恋人などが依存症患者に共依存している場合、共依存している者も否認を行う。否認は、その対象によって以下のように分けられる場合がある。

第一の否認〜「自分は大丈夫!」
「少し多めに買い物をしても、返せないほどの借金があるわけではない」、「タバコ吸っていても、自分は今まで癌になっていない」、「マリファナは害が少ないから、やっても大丈夫」など、依存による有害性を過小評価・歪曲して、自らの問題性を否認する。
「最近はパチンコに行く回数が減ったから大丈夫」などと、周囲の者すら「第一の否認」をすることもある。

第二の否認〜「やめさえすれば大丈夫!」
依存によって依存対象以外にも生じてしまった問題を否認することが、第二の否認と呼ばれる。周囲との人間関係やコミュニケーション、経済問題やその人の内面などに問題があることを否認する。「酒さえやめれば、元通りいくらでも働ける」、「クスリをやめさえすれば、俺も家族も問題はない」など。
また「パチンコさえしなければ、申し分なくいい人なのに」と周囲者が「第二の否認」をすることもある。
否認は病的防衛機制として、病気利得を得るために(つまり、依存を続ける言い訳として)なされる。たとえば、
「世の中、面白くないことばかりだ」  (世の中のせいで依存し続ける)
「私はかわいそうな人なの」(だから依存し続けても仕方ないの)
「人間は誰だって死ぬんだ」(だから依存し続けても同じだ)
「使っていれば落ち着くんだ」(だから依存し続けるメリットがある)
「法律に違反しているわけではない」(だから依存し続けてもよい)
嗜癖性を持つ物質への依存では、離脱症状の発現を抑えることが病気利得となり、否認行動を強化する。このため、多くの嗜癖性物質は法的に厳しく規制されている(麻薬・覚せい剤・大麻など)。

依存症は、中枢神経に作用する向精神物質によるもの(薬物依存症)と、ギャンブル、セックスなど特定の行動に対するもの(行為依存症)に大別できる。 前者では、摂取した依存性物質が、中脳辺縁系の脳内報酬系においてドパミン放出を促進し快の感覚を生じ、それが一種の条件づけ刺激になると考えられている。後者でも、特定の行為を行うことで、薬物依存と同様にドパミンを介したメカニズムで報酬系が賦活され快の感覚を感じ、条件づけにより依存が形成される。

離脱症状も依存の重要な要素である。依存に陥った者は、不愉快な離脱症状を軽減したり回避したりするため、同じ物質(または関連物質)を探し求め、摂取する。離脱症状のため、依存は強化される。

依存性をもつ物質は、ドパミン神経系(脳内の報酬系)を賦活することで作用するが、連用によりドパミン受容体がダウンレギュレーション(受容体の数を減らして適応すること)する。そのため、以前と同じ量の物質を摂取しても快の感覚が小さくなる。これが耐性である。

また、ダウンレギュレーションした状態では、外部からの物質摂取がないとドパミン系の神経伝達が低下した状態になる。この状態が離脱症状であり、自覚的には不安症状やイライラ感など不愉快な気分を生じる。

快感状態を伴わない依存も存在する。携帯依存などでは携帯によるコミュニケーションが妨げられている状態に置かれた際扁桃体により伝達された不安症状が海馬や大脳皮質と言った高位脳で抑制できなくなり、離脱症状に似た不安症状やイライラ感が生じることとなる。このような依存の場合、基本的に報酬系による快感状態からの離脱が不快の起点となるわけではなく、不安といったような不快そのものが起点となる。

引用ココマデ


僕は、不安を煽って依存させるような行為が嫌いです。

なので、機能解剖学や生体力学を学んで不安感を減少させるという方法をとります。

依存症の根っこには『痛み』があると考えています。

身体的・精神的な痛みです。

身体の痛みも心の痛みも、脳が感じています。

だから、脳脊髄神経系の機能について学ぶのが最良の選択だという判断です。


で、問題を生じている人は、

「依存による有害性を過小評価・歪曲して、自らの問題性を否認する」

ものです。


で、問題をしてきてくれた相手を否定し始め、改善の機会を失います。


激しいエクササイズに依存してしまった人たちと、座学にハゲんだ人たちを比較してみましょう。

わずか1年間で、とんでもなく差がひらきます。

依存している人独特の、「座学否定」をしながらもボロボロな身体。

一方、座学派の見た目に美しい機能的な身体。


座学を否定する人で、好調な人を知りません。

僕たちは、物理法則に逆らうことはできません。

物理法則に逆らえばどうなるかなんて、すぐにわかります。

身体についての構造的な理解を深めることが最優先なのです。


今日の塾生講座では、このあたりのお話を足の構造とからめて説明します。