2018年11月13日火曜日

『うまくいかない認知』を継続するのは大変です。そしてその認知を変えたくない人に対して、周りの人たちは何もできません。

認知(にんち)とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。


『うまくいかない結果につながる認知』でいると、うまくいきません。

それでもなお、その認知を継続するのは、けっこう大変なことだと思います。

そして私には、「いまの認知を変えたくない」という人には、私は何もできません。

壊れていく姿を、見続けることになります。


アドラー先生

だいぶ下火になりましたが、アドラー先生の言葉を、もう一度読んでみましょう。

「ライフスタイルは、幼少期に経験した困難から生まれ、その人独自の目標を目指す努力によって形成されている、環境によって機械的に決まっているわけではない」

「人は誰もが等しく同じ事を経験しているのではない」

「ライフスタイルは一人一人違うもので、例え同じ経験をしたとしても、同じライフスタイルになる事はない。ライフスタイルは自分が決めているので、いつでも変えることができる」

「人はライフスタイルを10歳くらいまでに自分で決めて完成させる、そしてそれを一生使い続ける」

「現実を変えたいならば、あなたのライフスタイルを再選択しなければならない!」

使い続けたライフスタイルが支障をきたしても、人はそれを変えようとはしない。現実をねじ曲げてでも、自分は正しいと思い込むのである


人には、自分に都合のいい情報だけを取り入れる傾向があります。

一方で、都合の悪い情報は例外として排除しがちです。

情報を、自分にとって都合のいいようにねじ曲げます。

「自分の考え方は正しいいのだ」と、現実を曲解しながら正当化します。


いわゆる『認知バイアス』というやつです。

認知バイアス(にんちバイアス、英: cognitive bias)とは、認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。また、これが動因となって虚偽に係る様々なパーソナリティ障害に付随するため、謬想ないし妄想などを内包する外延的概念に該当する。転じて認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪める。

引用ここまで


認知バイアスでググると、いろいろわかって面白いです。


過去の自分の考え方を否定すると、不安になります。

なので、記憶を改変してまでも、認知を変えないことが自分にとって楽なのです。

どんなに現実生活がみじめになっていったとしても、現実をねじ曲げて解釈して、自分は間違っていないと思い込みます。

おかしな人たちに引っかかって、のめり込みます。


いちばん最初の段階での認知が歪んでいるので、何もかもがうまくいきません。

それでもなお、その認知を変えようとはしません。


アドラー先生は言います。

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えなさい。

そして、課題の分離をしなさい。

どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きしなさい。

他者の課題には介入しなようにしつつ、自分の課題には誰ひとりとして介入させないようにしなさい。

自分の人生をどう生きるか、どう行動を起こすかは「自分の課題」です。

それを他の人がどう思うか、どう評価するかは「他者の課題」です。

承認欲求を捨てて、嫌われることを恐れないことで、人は自由になれるのです。


有名な、ラインホルド・ニーバーの言葉。

神よ。
変えられるものは変える勇気を。
変えられぬものは受け入れる冷静さを。
そして、それを見分ける知恵を、授けたまえ。



自分の課題に向き合えば、人間関係の大半の問題は解消します。

積極的に自分の認知を変えるのです。

自分の人生に集中すること。

そこから、怒涛の改善が始まります。