2017年8月23日水曜日

壊れた脳機能が、正しい運動でよみがえります~痛みと脳。努力の方向を、優越することではなく、人とふれ合う方向に。

度重なるストレス反応で、暴走する扁桃体と萎縮する海馬。

扁桃体と海馬

腰痛や肩こりをはじめとする、身体の痛み。

うつ状態と記憶障害。

壊れた脳を、一体どうやって回復させればよいのでしょうか?

コーピング? マインドフルネス?


現代の二大潮流です。


安部塾では、「正しい運動」を提案します。

脳機能レベルが高い=頭がいい状態をつくれるように、プログラムをつくります。

幼少時に壊された脳に対しても、正しい運動は好影響を与えます。

世界各地で、実証されている通りです。


進化の歴史を学び、私たちが獲得してきた身体機能を理解することをお奨めします。

なぜ、手が生まれたのか?

なぜ、横隔膜が生まれたのか?

なぜ、授乳するようになったのか?

なぜ、胎生になったのか?

なぜ、白目があるのか?

なぜ、言葉を使えるようになったのか?

さまざまなことを学ぶ中で、脳機能がよみがえっていきます。


すべての身体機能は、愛し合うために発達してきました。

私たちホモサピエンスは社会的生物であり、孤独になると心身を壊してしまいます。

「ひとりぼっち」だから、身体のあちこちが痛いのです。

孤独感で脳が壊れてしまったことが、さまざまな身体の痛みの原因なのです。


どんなに周りに人がいても、そこに愛がなければ孤独です。

愛されているという実感がなければ、ストレス反応は止まりません。

ひとりぼっちで自分を見つめて、データ上だけ改善していても、止まりません。

私たちは、愛されないと成長できないのです。


愛されるためには、優越しようとすることや、変わったことをするのをやめる必要があります。


劣等感がなくなる方法

人は劣等感を乗り越えるための努力で劣等感を深刻化する。人は劣等感を乗り越える心の姿勢で根本的な間違いを犯す。

劣等感を解消しよう、解消しようとして逆に劣等感を深刻化していく。劣等感は劣等感の上に積み重なる。そして劣等感が心の中に山積みになる。

屈辱感を乗り越えようとして「オレは凄いんだ」と言っている人が居る。その場を何とか心理的に治める。

しかしそれはなんの解決にもなっていない。それはカレン・ホルナイの言う神経症的解決である。真の解決ではない。

過去の屈辱感が「優越したい」と言う願望を生む。人は優越することで、心の葛藤を解決しようとしている。

優越することで心の葛藤を解決しようとすると、どうしても普通の人よりも生きる障害が多くなる。

たとえば自分が優越することの障害になる人が出てくる機会は普通の人より多い。そしてその人を許せない。

自分の神経症的要求を妨害する人が許せない。

努力の方向が優越することから、人とふれ合う方向に舵を切れるかどうかが、その人の幸せと不幸の分かれ道である。

「私たちという感情」を持つように舵を切れるかどうかで生きづらさは違ってくる。

深刻な劣等感で生きることが辛い人は、今までの不幸な歴史を検証することが先決である。

自分への失望に気がつき、視野を広げることができない限り、幸せになることは出来ない。

生まれてから受けてきた様々な自分に対する否定的メッセージに気がつくことである。

その自分に対する不当な否定的メッセージを乗り越えることが先決である。

人と心がふれあうことで劣等感は解消できるのに、劣等感を解消しようとして逆に相手に優越しようとする。

だからこそ劣等感のある人は、努力するにもかかわらず劣等感がどんどん深刻になる。

劣等感は依存症である。

アルコール依存症の人は、アルコールを飲めばその時には一瞬楽になる。しかし問題は解決していないどころか、深刻化している。

深刻な劣等感のある人は競争に勝てばその時にはほっとする。その時だけは楽である。しかし心の葛藤は深刻化している。競争に勝っても負けても劣等感は深刻になっている。

アルコール依存症の人がアルコールを飲まないではいられないように、劣等感の深刻な人は優越しようとしないではいられない。

しかし優越しようとすることは人との心のふれあいをさらに難しくする。

優越できなければ、不安になり自分の独自性の強調になる。人と違ったことをして他人に自分を印象づけようとする。

不安になれば不安になるほどほど、競争心が強くなり、優越できなければ変わったことをして人に自分を印象づけようとする。

自分は「変わっている」ということで世の中の普通の基準で評価されることから逃げる。

ただの我が儘を「私、平凡な生き方って好きじゃないんですよね」と芸術家や革命家を気取ったりする。

深刻な劣等感のある人は身勝手な自分のことを個性的と解釈しようとする。

夏に毛皮のコートを着て、ファッショの最前線であると気取るような人である。

深刻な劣等感から「変わっている」ことをして、それを個性と言い張る。

いずれにしろ優越することが「緊急の必要性」なのに優越できない。

そこで「個性的な自分」と言う自己像に固執する。現実の世界から想像の世界に逃避する。

そうして神経症的競争意識がますます酷くなり、ますます人と心のふれあいを失う。

人は他人に自分を強く印象づけようとして不安になれば不安になるほどほど、競争心は強くなる。

「註、Paul Gilbert*, Kirsten McEwan, Rebecca Bellew,

Alison Mills and Corinne Gale

The Mental Health Research Unit, Derbyshire Mental Health Trust, University of Derby, Derby, UK

The dark side of competition: How competitive behavior and striving to avoid inferiority are linked to depression, anxiety, stress and self- harm

Psychology and Psychotherapy: Theory, Research and Practice (2009), 82, 123-136

® 2009 The British Psychological Societ,P.124」

アルコール依存症の人がアルコールを飲み続けていよいよアルコール依存症が深刻になるのと同じである。

優越できても、優越できなくて独自性を強調しても、いよいよ劣等感は深刻になる。

独自性を強調できなくて「どうせ」とすねる人も出てくる。これらの心理の解説がこの本の目的である。

アルコール依存症の人は、自分がアルコール依存症であることを否定するが、心の底ではアルコール依存症であることを知っている。

しかし深刻な劣等感のある人は、心の底でも自分が依存症であることに気がついていない。

引用ここまで


正しい運動の基本は、「私たちという感情」で動けているかどうかです。

変わった服を着て、変わった動きをしているうちは、劣等感は解消できません。

他人に対して、自分を強く印象づけようとすればするほど、詰むことになります。

「触れ合う」という方向で動くことを選択しましょう。











40歳近くになってもまだ、「悪いのは他人」という人がいました。

誰からも相手にされず、疎ましがられ、避けられ、無視されていました。

人間関係は、トラブルだらけでした。

立ち直り方は提案しましたが、実行してくれそうにないので、あのままかもしれません。






そう。

嫌われる人は、相手の扁桃体を暴走させる人なのです。

好かれる人は、海馬の萎縮を止め、豊かにしてくれる人なのです。










私たちのすべての身体機能は、愛し合うために発達してきました。

その事実を認めることができれば、楽に生きていけます。