超訳・易経 2018年3月4日絶版 |
「力に頼らず、勝とうとしないで負けない」もので、とくに見事だといいます。
七十代になるというその師範も、若い頃には前へ前へと
積極的に攻め入る戦い方をしていたそうですが、
あるときから試合中、ぴたっと動かなくなったそうです。
静かに空気が流れるなかで、相手が攻めてくると一瞬で勝負を決めてしまう。
その優雅でしなやかな動きは、ほれぼれするほど美しいというのです。
師範はいつも弟子に
「先に打つな、下がるな。相手がしかけてきた時に打て」
と指導しているそうです。
引用ここまで
陰の期間は、本当の力をつけるための準備期間と考えていいと思う。
じっくりと力を蓄えておかないと、『その時』が来た時に動けない。
インスタントに得たものは、何も残らない。
無理やり自分を認めさせようとしても、虚しい結果に終わる。
人知れずよいことを行う者には、必ず目に見えてよいことが返ってくる.
善行を重ねているような人の家庭には、自然にめでたいことが集まってくる。
人知れず善いことを積み重ねていくよう努力することは決して無駄にはならない。
歯磨きをするように陰徳を積むことが大切なのだ。
自分がしあわせになるために、誰かから奪ってばかりいると、人生が冴えなくなる。
上から目線で偉そうに言うことを聞かせたいとかは最悪の展開をたどる。
「愛とか、恋とか」って嘲笑している人ほど、愛に飢えている。
愛を馬鹿にする人は、愛を欲している(酸っぱい葡萄)。
誰にも愛されなかった、そして誰にも愛されていない哀しい人だ。
お金を払ったり、セミナーを受ければ愛を受けとれるとかやらかせば詰む。
「誰でもできる」「楽して~」は、全部集金システム(笑)。 https://t.co/DzATaSbSrF— 安部吉孝@身体操作指導者 (@yocchan19681) 2019年6月25日
「仕組みをつくって楽に生きる」とか、集金システムの構築ばかり考えている人に愛はない。
陰徳どころか陽徳すら積まず、インスタントな成果ばかりを求め続ける。
まともな人たちは、誰も相手にしてくれなくなる。
資金が尽きれば、まともでない人たちからすら見捨てられてしまう。
行き着く先は、孤立感溢れる孤独な日々。
孤独をこじらせると、取り返しがつかなくなる。
その人の身体には、その人の生き方があらわれる。
死後、解剖してみれば、その人がどんな人生を生きてきたかがわかる。
機能解剖学ですら、現在その人がどんな生き方をしているのかをある程度見抜ける。
陰徳を積んでいる人の身体は健康的だ。
陰徳を積んでいる人は対人関係が万徳円満と化すので、孤独にならない。
健康を害する最大要因の孤独から解放されているかが身体にあらわれる。
陰徳あれば陽報あり。
人知れず、日々、身体操作技法訓練を積もう。
あまり知られていないが、地道な身体訓練は最大の陰徳積みだとされている。
6月30日の新宮校集中講座の小話で解説したいと思う。