目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗/著 |
通常、人間の脳は左右の目から届く情報の「ずれ」によって、対象までの距離や立体感を把握しています。しかしバリーは斜視で、長い間それができなかった。バリーの脳は、よく見える方からくる情報だけを「信用」して、もう片方の目からくる情報は「無視」していた。代わりに彼女は頭を細かく動かし、無理矢理視覚に「ずれ」を作ることで、なんとか距離感を把握していました。それでも車の運転だってこなしたし、研究者として膨大な量の文献を読み、論文を発表していました。
そんな彼女が48歳にしてはじめて立体視ができるようになった。物の立体感や、物と物の距離感が分かるようになったので、初めての部屋に入ってもとまどうことはありません。内装がどうなっているか、その全体を一瞬で把握することができるようになったからです。つまり、「空間とは何か」がわかるようになったのです。そのれは「魅力的でうっとりする」感覚だったとバリーは言います。空間の中にテーブルや椅子があり、その同じ空間に自分もいる。「自分がちゃんと世界に存在している感じ」を、バリーは48歳にして初めて手に入れたのです。
そんな大きな変化を経験した彼女において、情報を処理する仕方はどんなふうに変わったのでしょうか。彼女によれば、初めての部屋に入って空間の全体をぱっと把握できるようになったように、たとえば論文を読むときにも、全体を一気に把握することができるようになったそうです。それまでの彼女の情報処理の仕方は、「部分の積み重ねの結果、全体を獲得する」というものだった。ところが立体視ができるようになったことで、「まず全体を把握して、全体との関係で細部を検討する」という思考法ができるようになったのです。視覚の能力が思考法にも影響を与える、興味深い例です。
引用ここまで
私が目の完全矯正をオススメしている理由は、まさにこれです。
考え方そのものが、目の見え方によって変わってしまうのです。
「まず全体を把握する」という立体視ができないと、考え方の上でもできません。
頭を細かく動かすとしたら、その疲労が思考に影響を与えます。
他の視機能や見え方においても同様です。
目からの情報が80~90%であるという事実を、よく考える必要があります。
ただ、いま私が書いているこの文章も、見えていない人には把握することができません。
把握できるのは、見えている人たちだけということになります。
「話が通じない」わけですね。
また、見えていない目は、「表現する器官としての目の機能」も損ないます。
目の表情が死ぬと、表情筋で顔をつくろうとするので、顔面の筋膜がかたまります。
顔面フィードバック機能がマイナスに働くので、認知が歪みます。
歪んだ認知が、「私の目は見えている」という勘違いを起こさせます。
パーソナリティ障害や愛着障害を、矯正や視機能訓練でどうこうすることはできません。
愛がないという自分の現実が見えて、かえって安定性を失う場合もあります。
見えないということで、どうにか生きていられる人もいるということです。
これらの障害に対しては、それ用の対処が必要です。
メガネをかけている人をバカにする人たちは、基本的にパーソナリティ障害です。
自分が助かる方法を実践している他者をバカにしたツケは、数倍返しで戻ってきます。
見えているということは、とても大切なことなのです。
思考は、視覚の能力の影響を受けます。
今日の大手門塾生講座で、詳しく解説します。