2019年1月16日水曜日

筋肉連鎖と贈与の連鎖(互酬的贈与)~お返しをしたいという反応

身体機能解説や身体操作法の解説を仕事にしている人は、この本の内容を理解するといいかもしれません。

贈与論 (ちくま学芸文庫) マルセル モース


贈与論 より

『贈与論ーアルカイックな社会における交換の形態と理由』 は、フランス出身の社会学者、文化人類学者であるマルセル・モースによる社会学、文化人類学の書籍。

モースは本書において、贈与の仕組みと、贈与によって社会制度を活性化させる方法を論じた。

贈与の義務

物を与え、返すのは、互いに敬意を与え合うためである。人は自分自身や自分の財を他者に負っており、何かを与えるのは自分自身を与えることにつながる。贈与は双方的なつながりを作って他者を受け入れることにつながり、集団間の戦いを防ぐ。また、集団間の贈与で獲得した財は構成員に再配分される。このため、贈り物は与えなくてはならず、受け取らなくてはならず、しかも受け取ると危険なものになり得る。モースは贈与を構成する3つの義務として、与える義務、受け取る義務、返礼の義務をあげた。

1)与える義務:与えるのを拒んだり、招待をしないのは、戦いを宣するに等しい。ヨーロッパの伝承にもあるように、招待を忘れると致命的な結果となる。
2)受け取る義務:贈り物を受け取らなかったり、結婚によって連盟関係を取り結ばない、といったことはできない。受け取りを拒むのは、返礼を恐れているのを表明することにもつながる。
3)返礼の義務:この義務を果たさないと、権威や社会的な地位を失う。権威や社会的地位が財や富に直結する社会では、返礼が激しい競争をもたらす場合がある。

贈与と霊的な力

モースは、贈り物は人に対してでありつつも、神々や霊、自然の存在を念頭になされている点を指摘した。この世にある物の真の所有者は神々や霊であり、したがって交換が必要な相手、交換が危険な相手、そして交換が容易な相手も彼らだという思想にもとづく。

贈り物には霊的な力が宿っており、贈り物はもとの所有者や聖所に戻りたがるという性質も持つ。

引用ここまで

わかりやすくまとめてあります → 1507夜『贈与論』マルセル・モース|松岡正剛の千夜千冊

おそらく本当の価値観の互酬性を、今日の社会はほしがっているのである。それはポイントカードでは得られない。グルナビでも得られない。価値観の相当と充当は収入だけでも得られない。

 ポリネシアの「マナ」(大切にするもの)についての記述をあらかた了えて、モースはこう、書いていた。「贈与がもたらすもの、それは存在の名誉というものなのである」。

引用ここまで


筋肉連鎖と贈与の連鎖のシステムはよく似ています。

筋肉連鎖が感情をベースに行われることを考えたら、似ていて当然です。


思い出してみましょう。

1)贈与する義務
贈らないことは礼儀に反し、リーダーのメンツは丸つぶれに
2)受け取る義務
たとえ「ありがた迷惑」でも拒否する権利はない
3)返礼する義務
お返しは絶対。

これ、筋肉連鎖の初動と同じです。

与えられた動きを受けとないわけにはいかないし、返さないといけません。

末端から動きを始めるにせよ、中心から動きを始めるにせよ、原則は同じです。

末端から中心へ、中心から末端へ、動きという贈り物が連鎖していく。

それが、運動連鎖です。


翻って、身体操作法で生きていくということは、どういうことか?

これがわからない人は、体験レッスンやキャンペーンをうちます。

わかっている人は、ごにょごにょします(笑)。

贈与の連鎖を理解できていれば、筋肉連鎖も容易く理解できるのです。


現実社会の方がわかりやすいので、生活ネタで書いてみましょう。

『上から目線でアドバイスしてくる人(見下し感満載)』の人。

『まわりからアドバイスを求められる人(愛され感満載)』の人。

前者は憎まれ、後者は愛されます。


贈与の連鎖です。


上から目線で語られるアドバイスなど、誰も受けとりたくはありません。

結果的に、視ない・聴かないという返礼に出ます。

悪意には悪意が返ってくるのです。

シンプルです。


リキんだ動きを贈ると、故障(ケガ)が返ってくるのと同じです。


この理由で、リキみがある人は互酬的贈与の感覚が狂います。

結果、身体操作法の指導で食べていけないという事態に陥ります。


と、ここまで書いてみて、これは文章では伝わらないなと思いました。

明日の塾生講座で解説します。

2019年1月15日火曜日

熟達すれば結局全てのトレーニングが体幹トレーニングになる~中心でコントロールしきれれば末端は弛緩できる。

為末さんの一連のTweetが話題です。













→ 私のパフォーマンス理論 vol2 -体幹について-

体幹のようなものはどうしても魔法のように語られがちだが、結局使いこなすためには地道な試行錯誤しかない。体幹に力が入るようになれば何が起きるか。まず肩の力が抜け柔らかくなる。肩や身体の末端部に力が入るのは、中心部でコントロールしきれていないものを調整するために負荷がかかっているからだ。中心でコントロールしきれれば末端は弛緩できる。

引用ここまで

安部塾身体操作技法『Kagachi』

昨日、安部塾身体操作技法『Kagachi』の解説をしました。

「中心をコントロールする」というコンセプトで、2018年の1年間試行錯誤を重ねてきました。

これまでの『IBUKI』の動きで、「身体をつなげて使う」ということを意識させてきました。

しかし、一部の「首や肩に力が入ってしまう人たち」には、効果が出にくい傾向がありました。

2018年後半に、トリガーポイントセラピーの解説をしていて気がつきました。

「身体の末端部の脱力ができていない」

そこから、身体を中心で操作する龍舞の考えを全面的に取り入れた技法へのシフトが始まりました。


これは現実世界=実生活でも同じで、物事は中心から始めればうまくいきます。

身体操作が下手な人は、すぐに他人をコントロールしようとします。

身体操作が上手い人は、まずは自分をコントロールしようとします。

脳にとっての中心は自分自身なので、自分をコントロールするのが合理的です。


よく、自分の現実世界=実生活は全然うまくいっていないのに、他人の世話を焼きたがる人がいます。

心理学的には、うまくいっていないから余計な世話を焼きたがるとされています。

身体の末端に、不要な力が入りまくっています。

そして、身体を中心でコントロールすることができません。


結果、口(言葉)で他人をコントロールしようとします。

しかし、末端に力が入っている人の声は他人の心に響きません。

結果、言葉すら聞いてもらえないということになります。

原因が自分の身体操作の未熟さにあることに気がつくまで、この負の連鎖は止みません。


人は、握手をした瞬間、「この人は安心できる」と瞬時に判断します。

安心できる人の手には、余計な力が入っていないのです。

手に力が入っている人は、相手をコントロールしようとする人です。

安心できるはずがありません。


そんなわけで、やさしいタッチは、身体を中心でコントロールすることによって可能になります。

各地の集中講座で、解説していこうと思います。

2019年1月13日日曜日

足の裏をほぐす~足底外側バンドをやわらかくしよう

前回の塾生講座の復習用記事です。

足の裏を見てみましょう。

かかと⇔母趾球 > かかと⇔小趾球

って感じになっているかと思います。

このバランスが狂うと、いろいろ不具合が起こります。


外側バンド

で、外側バンドです。

ここが固まると、いろいろアレな状態になります。

一般的には、こんな対処をします。

足底のお手入れ

外側バンドの機能が改善すると、頭部まで好影響があることがあります。

いまでは日本全国津々浦々、普及していますが、外側バンドのテクニックは重要です。


安部塾では、もうちょっとマニアックにアプローチします。

動きが変わります♡

2019年1月12日土曜日

関節は骨と骨を連結し滑らかに動く仕組みになっています

説明が素晴らしいので、引用します。

関節の障害(膝関節を中心に) 近藤 泰紘
関節は骨と骨を連結し滑らかに動く仕組みになっています。

正常な関節では、骨と骨(膝関節では、大腿骨と下腿骨)との連結部は直接骨同士が接触してなくて、その接触面は軟骨が覆っていて軟骨面で互いに対面しています。

そしてその対面している軟骨の間には潤滑剤として粘液状の滑液(関節液)があり、関節の滑らかな運動ができるようになっています。

運動時の関節の摩擦は非常に少ないとされ、例えば氷の面でその上に氷を滑らせる状態と同じ程度のものといわれています。

この潤滑のための滑液を造るのが関節を包んでいる滑膜という薄い膜です。

この滑膜には、主に二種類の細胞群が並んでいて、一つは滑液を造る細胞群であり、もう一つは排物処理を行う食細胞群で、この二つの細胞群の機能により、関節内は絶えず新しい滑液に入れ替わり、良好な潤滑の状態が保たれています。

さらには、滑液は軟骨への栄養を補給するという大きな役目をしています。

軟骨には血管がありません。

他の大部分の組織は血液で栄養を受けて生きていますが、軟骨は滑液が軟骨の中に染み込むことによって栄養を受けているのです。

まとめると、滑膜は関節の潤滑と軟骨の栄養という二つの大きな役目を持っているということです。

これらの仕組みにより関節は滑らかで滑りのいい動きをしてくれています。

引用ここまで

関節 

安部塾の身体操作では、関節をなめらかに美しく動かすようにします。

骨と骨をぴったりと密着させて、流れるような動きをつくっていきます。

骨と骨をぶつけるような動きは避けます。

そのために、プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系と実際の触知によって、視覚的なイメージづくりに力を入れます。

プロメテウス解剖学アトラス 解剖学総論/運動器系 (第3版) 監訳:坂井 建雄/松村 讓兒


よく知られているように、僕たちは「視覚的にイメージできない動き」はできません。

目に焼きつけるようにお手本となる動きを視て、正確になぞる(トレースする)必要があります。

さらに、プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系の内容を、その動きとリンクさせます。

意味がわかった瞬間、動きが舞(人の本来の動き)になります。


プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系の書評です。

現場の教員と学生の悩みを汲み取って作られたアトラス
書評者:尾﨑 紀之(金沢大教授・機能解剖学)

 解剖学の教育が難しい理由の一つは,予備知識の全くない学生に(最初に学ぶ専門科目),2次元である教科書やスライドを用いながら,3次元である人体の構造をイメージさせ,難しい漢字(他の分野ではおそらく一生,書いたり読んだりしない)や英語で書かれた名称(解剖学用語)を,大量に(8,400語以上,臨床現場ではまだ全然足りない),しかも短時間(解剖学の講義実習時間はどんどん減っている)で身につけさせることだと思う。そのために一番有効なのは,解剖実習であるが,それをいかに実りあるものにするか,解剖学の教員は頭を悩ます。学生は「圧倒的な量の事実」を前に,途方に暮れる。解剖学は精巧で神秘的な私たちの体を自らの手で学ぶ興奮に満ちた学問であるのに。そしてそれらの学生が高学年に上がると,臨床の先生方から「解剖学の勉強が足りない」と暖かい叱咤激励を頂く。

 解剖学の教育が難しい二つ目の理由は,臨床を知らない学生に,その意義に基づいて教えることだと思う。

 『プロメテウス解剖学アトラス』は,現場の教員と学生の悩みを汲み取って作られた。

美しいイラストは,人体を立体的にしっかりと再現している。初学者にとって理解が難しい,構造と構造の境界や重なり,前後関係を『プロメテウス解剖学アトラス』は正確に描画しつつ,必要なところはしっかりと強調している。また,さまざまな角度からのあるいは深さのイラストが充実している。

人体の理解のために模式図は有効で,学生はそれで理解をする(した気になる)けれど,次にその模式図と実物との解離に悩む。『プロメテウス解剖学アトラス』の清潔感と実在感のあるイラストは模式図と実物との橋渡しをしてくれる。学生は,見たことのない言葉(解剖学用語)で書かれている解剖書を外国語のように読むが,『プロメテウス解剖学アトラス』では,図に書いてあることすべてが本文で説明されている。そして索引が充実している。さらに,その構造の理解がなぜ必要なのか,臨床医学との関連に基づいて説明してくれる。これほどの初学者目線が可能になったのは,学生の優れた学習環境を作るという目標の下,解剖学の基礎的理解と臨床上の意義という視点で本書が作られているからだろう。この構想は見事に成功した。

引用ここまで

僕が、プロメテウス解剖学アトラスをおすすめする理由そのものです。


話を戻して、骨と骨を連結し滑らかに動く仕組みを理解することが大切だと思います。

健康になる動きを探し求めるのではなく、不健康になる動きをやめるのが安部塾の流儀です。

そのための基礎を学ぶ講座を、マニアックな視点で解説する講座が始まります。

→ 体感する解剖学基礎講座


基礎の基礎を、堅実に地味に学びたい方は、ぜひ♡

2019年1月11日金曜日

関節はアルゴリズムによって動く~『関節の動き=感情』は脳内の生化学的プロセスによって生み出される


アルゴリズムとは より

ある問題状況において、正解を引き出すための一定の手続きまたは思考方法のこと。その通りに実行すれば必ず特定の結論に達するというもので、数学の公式やコンピュータのプログラミングはアルゴリズムの代表といえる。

数学や情報科学,あるいは関連する分野において,有限回の手続きによって,問題を解決するための一定の手順。

ある特定の問題を解いたり、課題を解決したりするための計算手順や処理手順のこと。これを図式化したものがフローチャートであり、コンピューターで処理するための具体的な手順を記述したものがプログラムである。

引用ここまで



ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来 ユヴァル・ノア・ハラリ 著

ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ユヴァル・ノア・ハラリ 著

もし「自由意志」とは自分の欲求に即してふるまうことを意味するなら、たしかに人間には自由意志がある。

人はこれらの願望のひとつとして自分では選んでいない。特定の願望が自分の中に沸きあがってくるのを感じるのは、それが脳内の生化学的プロセスによって生み出された感情だからだ。そのプロセスは決定論的かもしれないし、ランダムかもしれないが、自由ではない

引用ここまで

特設サイト →「ホモ・デウス」テクノロジーとサピエンスの未来 特設サイト|河出書房新社

すごくわかりやすい図解 → ホモデウス図解、要約してみた|nogacchi|note


「生き物はアルゴリズム」
「生命はデータ処理」


僕たちは、外界からの刺激を受けて感情を発生させます。

その感情に基づいて、アウトプット(行動)を実行します。

関節の動き=感情は、脳内の生化学的プロセスによって生まれるのです。

感情はプログラムなのです。


感情は、外界からの刺激に対するアルゴリズムとして組み込まれています。


これが、関節の動きを改善しようと指導したときに、感情的に反発される理由だと思います。

人間(生物)の思考・感情・行動は、脳内物質などがもたらす生化学的なアルゴリズムに従っている。

と、いうことです。

AI(人工知能)とは、人間のアルゴリズムをコンピューターのアルゴリズムに置換したものです。

ホモ・デウスにあるように、これからの世界は『データ主義』に移行すると思います。

僕はもう実行していますが、データに基づいて行動した方が好結果となります。


さて、関節の動きを理解するためには、人間が幸福感を感じる仕組みを理解する必要があります。

人間という生物は、生化学的に逆説的な有機生命体です。

このため、『苦』という要素が必要になります。

何か満たされない問題があって、それを解決・解消できたときに幸福感を感じるというアルゴリズムを採用しているからです。

このアルゴリズムで動いている人の関節の動きはなめらかで美しいのが観察できます。


何か満たされない問題があるとき、他の何かに依存してしまうというアルゴリズムを採用している人もいます。

そんな人の関節の動きはぎくしゃくしており美しくありません。

扁桃体が過興奮(暴走)しやすく、『闘争・逃走反応』モードにすぐに入ります。

結果、関節の動きが悪いだけでなく、同時に慢性痛を抱えています。


生化学的に、慢性痛を感じているときには、幸福感を感じることはできません。

正しく身体を動かすと、闘争・逃走反応を引き起こしている生化学物質が消費されます。

この結果、生化学的に慢性痛が消失します。

正しい運動をすると幸福感を感じるはメカニズムです。


つまり、苦しみをなくそうとすると、同時に幸福感も消失してしまうことになります。

逃れることができない『生きる苦しみ・死ぬ苦しみにきっちり向き合うこと』が必要なのです。

人間という有機生命体のアルゴリズムは、そうなっているのです。

なので、他人がつくった「しあわせになる方法」は無効=ただの依存だということになります。


「俯瞰して自ら正しく考え、自ら正しく行動する」というアルゴリズムが採用できれば面白いことになります(という判断すら、アルゴリズムで決まるのですが)


こんな研究があります。

→ 動物の争いでいつ降参するかを決める神経回路 -手綱核-脚間核神経回路が争いの優劣を決めるメカニズムに関与-

研究チームは、闘争や逃走、すくみ反応など、動物のさまざまな防御行動に関わるとされる中脳水道周囲灰白質(PAG)[1]に情報を伝える、「手綱核—脚間核神経回路[2]」に注目しました。この神経回路は、魚類からほ乳類まで進化的に保存されています。

背側手綱核の2つの回路のうち、外側からの回路の働きを人工的に抑制すると、魚は負けやすくなり、内側からの回路を抑制すると、負けにくくなりました。さらに詳しい解析により、背側手綱核の外側からの回路は闘争を持続させやすくし、内側からの回路は闘争を終わらせやすくするように働いていることを発見しました。このことは、手綱核と脚間核をつなぐ2つの回路が競合し、いわゆる「逃走か、闘争か」という正反対の行動のうちの1つが誘導されて、動物同士の優劣が決定されることを示しています。

これらの回路は魚からヒトまで共通であることから、広く動物の闘争行動を制御していると考えられます。ヒトの社会におけるさまざまな優劣が決定される過程にも、関与している可能性があります。

いつ争いを終わらせるかは、争いにおける身体的ダメージなどの蓄積によって受動的に決まるのではなく、両者の力関係を脳内で計算し、その情報を基に手綱核の外側、内側の2つの回路が競合した結果判断される可能性が示されました。

引用ここまで


もうおわかりだと思いますが、関節を壊すような動きをしている人がその動きをやめるのは、身体ダメージの蓄積によって受動的に決まるのではないようです。

自分の関節がどうなっているのかを脳内で計算した結果、やめることができるのです。

つまり、どこまで関節が壊れても、計算ができない人は問題のある運動をやめないということになります。

言い換えれば、『自滅するアルゴリズム』に操られている(自由意思がない)ということになります。


昨年の年末、ホモ・デウスを熟読したことで、いろいろ諦めることができました。

「積極的に諦める」というアルゴリズムを採用したということになります。

「他人の思考・感情・行動を変えることはできない」のは、それがその人のアルゴリズムによるものだからです。


ホモ・デウスより

人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け、繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。

引用ここまで

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉

「人生を通じて変化すること。そのために、柔軟な心を持つことが、とても大切です」


ここで、『易経(変化の書)』が活きてくることになるわけですが、それについては今日の塾生講座で解説します。

最新の脳科学研究と、古代の易経の内容を照合すると面白いです。


真面目なインストラクターの多くが悩んでいる問題。

「どうして、間違った動きをやめてくれないのだろう。話を聴いてくれないのだろう」

その答えは、相手のアルゴリズムがそうなっているからであり、問題の責任はすべて相手自身にあるということにあります。

改善するためのアルゴリズムが生化学的なものであるので、言葉による解説が難しいのです。


そう。

「言葉による解説を理解して、自分自身を作り変える」という人にだけ効果があるということになります。


というか、正解を引き出せないのであれば、それはアルゴリズムというよりは自滅プログラムなんですよね。

自分で自分を攻撃する人については、この記事がわかりやすいかもしれません。

→ 人の細胞の中にある自滅するシステム。アポトーシス。

自己免疫性疾患と同じようなメカニズムが、自分で関節を壊す人にもはたらいているというわけです。


今日の塾生講座で、「関節の動きとアルゴリズム」の解説をします。

2019年1月10日木曜日

2019年は、身体を変えるのに最適な年です。関節を密着させてぴったりとハメましょう。

2019年は、「変化の年」です。

つまり、「やりたいことをやる年」となります。

正確には、「ほんとうにやりたいことをやる年」です。

ほんとうにやりたい目標であれば、自然と仲間が集まり、好結果が得られます。


間違った目標を立ててしまうと、変化の年だけに、一気に破綻に向かいます。


身体を変えるのにも最適な年です。

選ぶトレーニング(エクササイズ)とトレーナーが正しければですが。

間違ったトレーニングやトレーナーを選ぶと破綻します。

球関節

目標を間違わないためには、関節をぴったりと密着させることが必要です。

ぴったりとハマった関節は、とても滑らかに美しく動きます。

関節がぴったりとはまっている人の姿は、ただ立っているだけで見惚れてしまうほどです。

関節から脳への雑信号(ノイズ)がいかないので、思考が冴えわたります。


関節をハメる動きとしては、安部塾身体操作技法IBUKIの屈曲・伸展・対角線連鎖がおすすめです。

14日の薬院校集中講座で、IBUKIの進化型の『Kagachi』の解説をします。

関節をハメることに特化した、寝転がって実践する身体操作シークエンスです。

大きく進化したのは、肋骨と骨盤の動きの改善です(これにより効果が爆あげ)。


ぴったりと密着してハマった関節。

そんな最適化された関節の状態で、「やりたいことリスト」をつくりましょう。


有名どころでは、この本です。

人生の100のリスト  著:ロバート・ハリス

ほとんどの人は、自分がほんとうにやりたいことが明確になっていません。

なので、まずは「やりたいことリスト」をつくる必要があります。

このとき、「実現できるかどうか?」を考える必要はありません。

そしてここで、2019年安部塾独自の(笑)、関節機能テストをやってみましょう。


球関節である肩関節と股関節と眼球・眼窩。

球関節とは、「関節のうち接合部分が球状をしており、最も自由度の高い運動が可能なもの」です。

ピッタリとハマった肩関節・股関節の動きはなめらかで美しいというのは、さっき書きました。

同じ理由で、ぴったりと眼窩にハマった眼球の動きも滑らかで美しいのです。

球関節

何が言いたいかというと、間違った目標設定をしている人の関節の動きはぎくしゃくしているということです。

目標設定が正しい人の関節の動きは、なめらかで美しいというわけです。

つまり、関節の動きを観察すれば、目標設定が正しいかどうかは瞬時に判別できます。

顔写真と立ち姿勢の静止画像でも判断できます。


目標設定を間違っている人の目のヤバさは、素人目にもわかると思います。

「目を合わせたくない」と感じるはずです。

腕や脚の動きも、「なんだか詰まったような感じ」がするのでわかると思います。

ほとんどの場合、目がヤバイ人の関節の動きはぎくしゃくしているはずです。


これに対し、目標設定が正しい人の目は「目を合わせたくなる」ものです。

目を合わせて、見つめ合いたいと思わされるのです。

腕や脚の動きも、「ずっと見ていたい」「このまま時間が止まればいいのに」的な美しさです。

ほとんどの場合、目を合わせたい人の関節の動きはなめらかなはずです。


他にも、「重心の位置」に決定的な違いがあります。

目標設定が正しい人の重心は安定しています。

目標設定を間違っている人の重心は不安定です。

触れてもらえばすぐに判別できますが、目標設定が間違っている人のタッチは雑です。


目標設定が正しい人のタッチは、ずっと触れていて欲しいと思わせる精妙さがあります。


重心の位置のとり方が悪いとケガをします。

この理由で、タッチが荒くて雑な人は、しょっちゅうケガをしています。

関節が不要な衝突を繰り返すので、軟部組織が破壊されて炎症状態となります。

詳しくは、身体運動学で学んでください。


大幅に話を戻して、自分の目標設定が正しいかどうかを、関節の機能テストで精査しましょう。

ほんとうにやりたいことであれば、関節の機能テスト結果は良好なはずです。

寂しかったりとか、欲に目がくらんでのやりたいことであれば、不良だと思います。

関節機能テストの結果が不良の場合は、やりたいことリストから外すのが安部塾流です。


僕のTwitterで、いろいろTweetしていますので、興味がある方はフォローしてください。


関節機能から考えてみると、「今年は~します」と宣言したことは実現しにくいのです。

これに対し、「ほんとうにやりたい」と「ときめいたこと」は実現しやすくなります。

「僕のことを認めて欲しい・かまって欲しい」という承認欲求を世界に向けてもハブられるだけです。

寄ってくるのは、孤立感(寂しさ)を利用してやろうという悪質な人たちばかりです。


良質な関節の動きは、良質な思考を生みだします。

良質な思考は、良質な行動を生み出します。

良質な行動は、良質な人たちとのつながりを生み出します。

良質な人たちとのつながりは、良質な関節の動きを生み出します。


『良質な変化』とは、そういうものです。


良質な変化が起き出すと、悪質な人たちとの縁が切れていきます。

関節がぴったりと密着してハマりだすと、関節をハメようとしない人たちとの縁が切れるのです。


「バラバラになったものを、くくる」

2019年の安部塾のテーマは、「くくる」です。

関節をくくっている靭帯・関節包・筋肉・腱・筋膜などなど。

行動の最小単位である関節の動きでつまずかないために、くくることから始めましょう。


長文になりましたが、「関節の凹(陰)と凸(陽)が密着してぴったりとハマっている状態で、目標を設定しましょう」ってことです(笑)。

国東 陰陽和合

今日の塾生講座は、「関節をくくる」「やりたいことリストと関節」の解説をします。

(13:30~、15:30~、21:00~の怒涛の勢いです)

2019年という身体変化のチャンスを逃さないよう、御参加ください(笑)。

2019年1月9日水曜日

すべての関節の動きを最適化する身体操作技法『Kagachi』~身体操作の基礎である『這(は)い』を極める。

1月14日(月・祝)の薬院校集中講座で公開する身体操作技法『Kagachi(かがち)』。

マット上で、「あおむけ」「よこむき」「うつぶせ」で行うシークエンスです。

すべての関節の動きを最適化することを目的とします。

当然のことですが、全身のすべての関節が練習の対象となります。


体位は、床に寝た状態で行います。

仰臥位(ぎょうがい)=背臥位(はいがい)=あおむけ

・側臥位(そくがい))=横臥位(おうがい)=横向き
※右側を下にした姿勢を右側臥位・左側を下にした姿勢を左側臥位といいます。

伏臥位(ふくがい)=腹臥位(ふくがい)=うつぶせ


蛇のように這(は)って行うので、蛇(へび)の古語である「かがち」から命名しました。

吉野裕子先生は、「日本の土俗のマツリの根幹には『蛇』がある」と書いてあります。

僕たち日本人は、動きを蛇に見立てるという能力があります。

日本人のための身体操作を考えるとき、この点は外せないと思います。


『Kagachi』命名の、きっかけは『香々地(かかぢ)』です。

大分県豊後高田市香々地 夷谷

山脈が蛇の這う状態をしています。

「床で身体を研磨する(フロアワーク)」ということを考えたとき、香々地の山のイメージが浮かびました。

そして、2018年の大晦日に、龍神社前にて華鳥風月の舞を降ろさせていただきました。




舞を降ろす二人を見つめながら、「Kagachiを本気で仕上げたい」と感じました。

安部塾身体操作技法IBUKIで舞う二人も美しかったのですが、香々地で舞うのであれば身体操作技法Kagachiで舞を降ろすのが道だと思いました。


安部塾の身体操作のテーマとして、「日常の動作のすべてが舞となる」というのがあります。

「舞うように生きる」のが、僕が考える身体操作の究極形態です。

舞うために必要な基礎とは何か?

『這(は)いの動き=這うという動作』です。


最近ではスポーツトレーニングの世界で、発育・発達の解説がなされています。

薬院校開校当時の安部塾でも、その視点でさまざまな動作をしてきました。

同様に、トカゲの動きも流行しました(武術の世界の『這い』も含みます)。

そんな中、「やはり、蛇の動きを目指すべき』だという想いが強くなりました。


僕たちは、蛇をまつってきたDNAをもつ日本人です。

その誇りを、忘れてはならないと思ったのです。


とはいえ、別にクネクネするわけではありません。

すべての関節の動きを最適化するために、設計された機能通りに関節を動かします。

結果として、蛇のような動きができるようになりますが、それはあくまで結果です。

プロメテウス解剖学を基礎に据え、正確無比な身体操作を目指します。


シークエンス化したので、自主練習が捗(はかど)ります。

福岡以外の各地では、2月よりKagachiのシークエンスを降ろします。

楽しみにお待ちください。