2021年10月15日金曜日

引き締った、強く、無駄のない身体をつくるコアプログラム・レッスン。

  本日(10/15)19:30~KANONにてグループレッスンを予定しております。コロナ禍以降、ひさしぶりの金曜日のレッスンとなります。内容はいつも通りの地味なコアプログラム・レッスンとなります。

 姿勢を良くし、柔軟性やバランスを向上させると同時に、筋力を強化し調子を整え、引き締った、強く、無駄のない身体をつくるコアプログラム・レッスンは、一部の筋肉を過剰に発達させたり大きく固めてしまうことなく、あらゆる筋肉を刺激することができます。硬く盛り上がった筋肉に魅力を感じる人も多いのですが、私は、『やわらかく引き締った丈夫な筋肉』に魅力を感じます。

 ただ、コアプログラム・レッスンの良さを実感できるようになるのにはタイムラグ(遅延時間・時間のズレ)があるので、大半の人たちは効果が出てくるまでレッスンを継続することができないという現実があります。実際に流行るのは、音楽に合わせて身体を動かすとか、意識を身体の内的感覚ではなく振り付けに向けるとか、真逆のベクトルのレッスンばかりです。

 私は、「やった感のある動き」は危険だと考えております。アライメント(配列)の力を使った動きは「やった感がない動き」です。やった感があるということは、アライメントが狂っているということだと考えております。正しい構造で動くと、その動きには『りきみ』が感じられません。正しくない構造で動くと、その動きから『りきみ』が伝わってきます。

 『りきみ』とは、からだに力を入れること。また、力が入ること。つよがり。負けん気。気負いを意味します。りきんでいると大言壮語するようになりがちです。できそうにもないことや威勢のいいことばかり言ったり、口では大きなことを言っても実行が伴わないという状態に陥るわけです。逆に言えば、力みが抜ければ、分相応(身分や能力にふさわしい)なことを考えれるようになります。身の丈に合ったことを考えるためには、身の丈をわかっていないといけないということです。

 コアプログラム・レッスンの動きは簡単すぎるように見えますが、きちんと理解して正確に動くのは困難を極めます。数年続けていると、ある日突然「あぁ、そういうことだったのか!」という気づきが得られます。その感覚は、本を読んだりとか動画を観たりとかでは得ることができない性質のものです。できているという錯覚に陥っている間はこの感覚は得られないのです。

 ギリシャ神話にシーシュポスの神話があります。神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けます。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまいます。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかなりません。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出しました。

 大半の人は、意味があると思えることなら単純な反復練習に耐えることができます。しかし、「いま自分がやっていることに、一体何の意味があるのだろうか?」と思うようなことを反復練習することに耐えるのは困難です。単純な反復練習をやる意味は、機能解剖学や機能運動学を学ぶことで理解することが可能です。ただ、私は「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返すことができる」という能力が大切だと考えております。

 そして、「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返すことができる」という能力を養うためには、実際に「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返す」ということが必要だと思っております。結果を出せているのは、それをやってきた人たちばかりなように思います。今後も、コツコツ地道な反復練習を気が遠くなるほどに繰り返していきます(笑)。