2017年1月11日水曜日

生物の証は、対称性と規則性。歌と舞と踊り~正しい身体操作の行き着く先。

普通にすごいです。




安部塾でも、下関で聖子ちゃんが熱唱してくれました。

ひふみちゃんとの、旧朝活メンバーコラボが楽しかったです。


澄田さんが、こんな記事を書いておられます。

7:わたし的舞い舞い日記 ~ キリギリスを貶めないで

芸術は、物質的生産性からほど遠いところに存在しています。

そういった生産性を離れないと、生まれないものだから。

ですから、
芸術家にパトロンやスポンサーがつくのは
至極自然なことのように思ったりします。

お互いに足りないものを補い合い
お互いの魅力を引き出しあうことが
ともに生きる意味ですから。

引用ココまで。

高千穂夜神楽 御神体 イザナミがイザナミに

あ、これは……

イザナギが妻イザナミに「あなたの身体はどのようにでき上がっていますか」と尋ねると、「私の身体は成りに成って、足りないところが一か所あります」と答えた。そこでイザナギが「私の身体は成りに成って、余っているところが一か所あります。だから私のこの余っているところで、あなたの足りないところを刺し塞いで国を生もうと思うが、どうですか」と言うと、イザナミは「いいでしょう」と答えた。

ですね(笑)。


この後、柱を立てて、その周りを歌いながらまわるわけですが、歌なんですよ。

創世神話の始まりって。

で、柱をまわる螺旋の動きが、『舞』となるわけです。

踏む動きは、『踊り』となります。



そういえば、こんなツイートが。


生物の証は、対称性と規則性。

生物の証は、対称性と規則性。

生物の証は、対称性と規則性。

大切なことなので、3回書きました。


正しい身体操作には、対称性と規則性があります。

生きている証ですね。


話を戻して、

身体操作研究の行き着くところは、歌と舞と踊りです。

ならば、最初から、歌い、舞い、踊ればいいのです。

それが、最適解です。