この経典におけるムドラーは、単に「手で形を作る(手印)」だけにとどまりません。「全身のポーズ」「呼吸法(クンバカ)」「意識の集中(ドリスティ)」、さらには肉体の締め付け(バンダ)までを高度に組み合わせた「エネルギーの強力なコントロール法」として位置づけられています。
七支ヨガの第3ステップである「安定(Sthirata)」をもたらすための、非常に重要かつ、古典ハタヨガの真骨頂とも言えるセクションです。
ゲーランダ・サンヒターにおけるムドラーの目的
経典の中では、ムドラーの絶大な効果について以下のように非常に熱く語られています。
「ムドラーの修練によって、肉体の衰え(老化)を防ぎ、死を克服することができる。また、体内に眠る聖なるエネルギー『クンダリニー』を覚醒させるための最高の手段である」
アーサナ(ポーズ)で肉体という器を頑丈に鍛えた後、このムドラーを行うことで、体内の生命エネルギー(プラーナ)を外に漏らさないように「密閉(ロック)」し、脳や高次のチャクラへと突き上げていくのが目的です。
25種類のムドラー・バンダ全リスト
経典に記載されている25種類は、大きく「ムドラー(印)」「バンダ(締め付け)」「ベーダ(浸透・結合)」に分類できます。
- マハー・ムドラー(大いなる印)
- ナボー・ムドラー(天空の印)
- マハー・バンダ(大いなるロック)
- マハー・ヴェーダ(大いなる浸透)
- ケーチャリー・ムドラー(空間を飛ぶ印 ※舌を喉の奥に巻き入れる秘伝)
- ウッディヤーナ・バンダ(お腹をへこませるロック)
- ムーラ・バンダ(会陰部を締め付けるロック)
- ジャーランダラ・バンダ(喉を締め付けるロック)
- ヴィパリータ・カラニ(逆転の結び・印)
- ヨギ・ムドラー(ヨガ・ムドラー)(ヨガの印)
- ヴァジュローリー・ムドラー(金剛の印)
- シャクティ・チャーラニー(エネルギーを動かす印)
- タダーギー・ムドラー(池の印)
- マンドゥーキー・ムドラー(カエルの印)
- シャーンバヴィー・ムドラー(シャーンバヴィの印 / 眉間を凝視する)
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パンチャ・ダーラナー(5つの元素への集中法:地・水・火・風・空の5種類を1つずつカウント)
- 地(パルティヴィ・ダーラナー)
- 水(アンバシ・ダーラナー)
- 火(アグネーイー・ダーラナー)
- 風(ヴァーヤヴィー・ダーラナー)
- 空(アーカーシー・ダーラナー)
- アシュヴィニー・ムドラー(牝馬の印 / 肛門の収縮)
- パーシニー・ムドラー(投げ縄の印)
- カーキー・ムドラー(カラスの嘴の印 / 口を尖らせて息を吸う)
- マータンギー・ムドラー(象の印)
- ブジャンギー・ムドラー(蛇の印)
現代でも重要視される代表的な技法
25種類の中から、特に現代のハタヨガや呼吸法(プラーナーヤーマ)の実践においてもベースとなっている重要な技法をいくつか紹介します。
1. 三大バンダ(エネルギーのバルブ)
エネルギーを体内に閉じ込めるための「締め付け(ロック)」の技法です。
- ムーラ・バンダ: 会陰部(骨盤底筋群)をキュッと引き上げる。
- ウッディヤーナ・バンダ: 息を吐ききり、お腹を肋骨の奥にグッと引き込む(消化器の活性化にも絶大)。
- ジャーランダラ・バンダ: 顎を強く引き、胸に押し当てて喉をロックする。 ※これら3つを同時に行うことを「マハー・バンダ(大いなるロック)」と呼びます。
2. ヴィパリータ・カラニ(逆転のムドラー)
現代では「壁に足を上げるポーズ」としてリラクゼーションに使われることが多いですが、古典では「骨盤を浮かせた逆立ち(肩立ちのポーズに近い形)」を指します。
頭を下、骨盤を上にすることで、頭頂から漏れ出ている「月からの生命の蜜(アムリタ)」が、お腹にある「太陽の火」に焼かれて消費されるのを防ぎ、若返りをもたらすとされています。
3. シャーンバヴィー・ムドラー(眉間の凝視)
目を半開きにし、意識と視線を「眉間(アージニャー・チャクラ)」に一点集中させる技法です。これを実践することで、マインド(思考の揺らぎ)が瞬時に静まり、深い瞑想状態への扉が開かれます。
まとめ:アーサナからムドラーへの流れ
『ゲーランダ・サンヒター』において、アーサナが「肉体という外枠の安定」だったのに対し、ムドラーは「内側のエネルギー(気)の安定」を担当しています。
ポーズによって身体の歪みを整え、強固な土台を作ったからこそ、ムドラーによる強力なエネルギーの駆動やロック(バンダ)に肉体が耐えられるようになります。現代のヨガで「ポーズの最中に呼吸や骨盤底(ムーラバンダ)に意識を向ける」というアプローチの源流は、まさにこの古典的なムドラーの思想に深く根ざしているのです。
『ゲーランダ・サンヒター』の第5章では、七支ヨガの第5ステップである「プラーナーヤーマ(Pranayama=調息・呼吸法)」について説かれています。 経典では、呼吸をコントロールすることで「身体の軽快さ(Laghava)」と「明晰な知覚」を得られるとされています。
特徴的なのは、単に「呼吸のテクニック」を実践するだけでなく、「いつ、どこで、何を食べて行うか」という事前の環境づくり(食事法・適切な季節・場所)に非常に大きなページが割かれている点です。これらが整って初めて、安全かつ効果的に呼吸法が進められると説かれます。
以下に、その前提条件と、経典に登場する8種類の調息法(クンバカ)について詳しく解説します。
呼吸法を始めるための「4つの必須条件」
ゲーランダ尊師は、いきなり呼吸法を始めるのは危険であり、以下の4つを必ず整えよと警告します。
- 場所(スターナ): 遠すぎる外国や森の中、騒がしい都市を避け、治安が良く食料が手に入りやすい静かな場所に庵(小屋)を構えること。
- 時期(カーラ): 春(バサンタ)または秋(シャラド)に始めること。極端に暑い夏や寒い冬に始めると、病気になるとされています。
- 食事(ミターハーラ / 適量食): ここが非常に重要です。 胃の半分を純粋な食物(サトヴィックなもの)で満たし、4分の1を水にあて、残りの4分の1は空気(呼吸)のために空けておく「腹八分目(あるいは六分目)」の食事法を厳守します。
- ナーディ・シュッディ(気道の浄化): 体内のエネルギーの通り道(ナーディ)が詰まった状態で呼吸法を行うと効果が出ないため、事前にマントラや呼吸を使って気道を徹底的にクリーニングします。
8種類のプラーナーヤーマ(サヒタ・クンバカ)
準備が整った後、実践する8種類の主要な呼吸法です。ハタヨガにおいて呼吸を止めることを「クンバカ」と呼ぶため、これらは呼吸法の種類であると同時に、8つのクンバカの技法でもあります。
1. サヒタ(Sahita / 伴うクンバカ)
意識的に呼吸のコントロールを伴う、最も基本的かつ重要な呼吸法です。これにはマントラを心の中で唱えながら行う「サガルバ(有種)」と、唱えずに行う「ニガルバ(無種)」の2種類があります。
2. スーリヤ・ベーダナ(Surya-bhedana / 太陽の貫通呼吸)
右の鼻孔から吸って、クンバカ(息止め)し、左の鼻孔から吐き出す呼吸法です。右の鼻は「太陽のエネルギー(陽・熱)」を司るため、体内の熱を高め、消化力を増進させ、頭脳を明晰にします。
3. ウッジャーイー(Ujjayi / 勝利の呼吸)
両鼻から息を吸う際、喉の奥を軽く狭めて「摩擦音(シューという音)」を立てながら吸い込み、クンバカした後に左の鼻孔から吐き出します。現代のパワーヨガやアシュタンガヨガでもベースとなる呼吸法ですが、古典では息止め(クンバカ)がセットになります。粘液の病気を取り除くとされます。
4. シータリー(Sitaly / 冷却呼吸)
舌をストローのように丸めて口から突き出し、そこから空気をスーッと吸い込みます。クンバカした後に両鼻から吐き出します。体内の熱を下げ、喉の渇きや飢えを癒やす「冷却効果」があります。
5. バストリカ(Bhastrika / ふいご呼吸)
鍛冶屋が使う「ふいご」のように、お腹を激しく動かして両鼻から「シュッ、シュッ」と素早く強烈な吸気・呼気を繰り返します。その後、深く吸ってクンバカします。体内の火のエネルギーを一気に燃え上がらせる、非常にパワフルなデトックス呼吸法です。
6. ブラーマリー(Bhramari / 蜂の呼吸)
息を吸った後、完全に息を吐き出す際に、喉の奥で「ウーーー」と黒蜂の羽音のようなハミング(共鳴音)を響かせる呼吸法です。この音の振動が脳や神経系を深くリラックスさせ、至福感をもたらします。
7. ムールッチャー(Murccha / 気絶呼吸)
息を深く吸い込んだ後、クンバカ(息止め)を限界まで長く維持し、意識を眉間に集中させます。マインドの働きを一時的に「気絶(停止)」させることで、雑念を完全に消し去り、精神を静寂に導きます。
8. ケーヴァラ(Kevala / 純粋なクンバカ)
吸う・吐くという作為的なコントロールを超え、自然に呼吸がスーッと止まってしまう究極の息止め状態です。これが達成されると、過去・現在のあらゆる業(カルマ)から解放され、高い瞑想状態(サマーディ)へと直結するとされています。
なぜ呼吸を止める(クンバカ)のか?
『ゲーランダ・サンヒター』をはじめとするハタヨガの思想では、「呼吸の揺らぎ(プラーナの動き)=心の揺らぎ(マインドの動き)」と考えます。
つまり、呼吸を完全にコントロールして「止める(クンバカする)」ことができれば、心も完全に静止させることができるというロジックです。
ポーズで肉体を固め、ムドラーでエネルギーの漏れを防ぎ、この8つのプラーナーヤーマによってプラーナを完全に掌握することで、ヨギは心をも支配し、次のステップである「ディヤーナ(瞑想)」へと進むことになります。