2021年12月15日水曜日

ヨガのバランス系基本ポーズとコア・プログラムのバランシング・エクササイズで心身が安定する

 ヨガのバランス系基本ポーズとコア・プログラムのバランシング・エクササイズで心身が安定する感覚を得ることができます。不調のときは、バランス系基本ポーズをとり続けることができません。片脚立ちでバランスがとれないということは、両脚立ちもできていないということですし、本来の歩き方ができていないということになります。歩くことは健康の維持増進に役立ちますが、バランスを崩した状態での歩行は気持ちがあがりませんし、無理やり歩き続ければトラブルにつながるかもしれません。

 私自身、バランス関係は多種多様なプログラムをこなしております。多くのメリットがあり、時間がないときでもバランス系のエクササイズは欠かさなかったので、特にトラブルなく過ごせています。ただし、何ごともそうですが、原理原則を理解してやらないと、好結果を得ることは難しいと思います。

 12月17日(金)の名古屋集中講座、18日(土)の神戸集中講座で、ヨガのバランス系基本ポーズとコア・プログラムのバランシング・エクササイズの組み合わせ方を解説いたします。御参加、お待ちしております。

2021年12月9日木曜日

「よく動き、よく食べ、よく眠る」という基本とコア・プログラム

 12月10・11・12日(金・土・日)、東京ワークショップです。→ 詳細

 今回の東京ワークショップでも、身体のコア(センター)を鍛え整えます。マットワークに加え、ポイやファンベールを用いたエクササイズを行います。



 本来は、「腕のプログラム」を行なうのですが、なかなか効果を得にくいのが現実です。この点、ポイをスイングすることで、「動くときに両肩を下げる」「肋骨をつねに下げ続ける」「腕を後ろに動かすとき、背中がアーチ状に反らないにする」「肩甲骨の間のスペースを保ち、腕を長く使う」などの基本が身につきます。

ファンベールを振ることで、肩関節の使い方が身につきます。


 マットワークで体幹部をつくっても、手先・足先までつながっていなければバランスよく疲労することができません。偏り疲労があると、ぐっすりと眠ることができなくなります。そうなると、疲労が抜けないために動くのが億劫になります。そうなると御飯が美味しくなくなり……という負の連鎖に陥ることになります。

 合わせて、バランス系のヨガのアーサナを実践することで、さらに眠りが深くなります。 「よく動き、よく食べ、よく眠る」という基本を守ることで、いろいろなことがうまくまわるようになります。今回の東京ワークショップも、内容てんこ盛りでやりたいと思います。

2021年11月29日月曜日

コツコツ地味に基礎練習を繰り返して基本を身につけることが大切なのです。

最近、ブログを書いておりません。なので、私のおすすめ「松尾佳世子のブログ」を紹介させていただきます。薬院校時代から、私の塾に通ってくれているインストラクターです。

脊柱の中

基礎体力は。

心の反応と筋肉の反応を。。。

肩の関節は〇〇の働きによって安定

体で覚える。

変化することを避ける

自分でかえようと思ってもかえれないもの

地味な動きほど。

……面白いので、遡って読んでみてください。

 人という生き物は、なかなか変われません。一発逆転で輝けるようなうまい方法を探し求めてやるべきことを疎かにしていると、うまくいくことはほとんどありません。自分に無限の可能性や才能があるなどという幻想に囚われてしまうと、本来できたはずのこともできなくなります。現在、12月の集中講座の配布資料「コア・プログラム基礎」を再編集しておりますが、地味な身体の使い方の練習を10年続けることができる人は希少です。

 何でもそうだと思いますが。きちんとできるようになるためには10年程度の基礎訓練が必要になると私は考えております。年々、やることがしょぼくなっていく人たちを観察してみると、長くて4年、短ければ2年以内に「次の何か」に乗り換えてしまいがちです。きちんとひとつのことを身につけていないので、すべてが中途半端というか使いものにならないレベルとなってしまっています。

 彼らの口癖には、「だいたいわかった」「もう学ぶことはない」といった特徴があります。1年そころくらいでそんな言葉を口にするようになるのですが、20年以上地道にやっている人たちはそんな姿を観て、("゚д゚)ポカーンとなっています。まったく動けないのに運動の指導をしようとしたり、まったく声が出ないのにボイストレーニングの指導をしようとしたり……そういえば某スペースで「しあわせじゃない人は、人の相談に乗るような仕事はできない」という発言を耳にしました。実際、うまくいっている人は、わざわざ意味不明なうまくいく方法を語ったりすることはありません。

 基礎ができていると、新しい動きを短時間で身につけることができます。コア・プログラムは、「できる運動の幅」を飛躍的に拡大してくれます。


2021年11月18日木曜日

11月の東京・大阪・名古屋・神戸集中講座の御案内。

11月の東京・大阪・名古屋・神戸集中講座予定です。

☆東京集中講座

■11月19・20・21日(金・土・日)→ 詳細

☆大阪集中講座

■11月25日(木)→ 詳細

☆名古屋集中講座

■11月26日(金)→ 詳細

☆神戸集中講座

■11月27日(土)→ 詳細

 「STUDIO IBUKI」での東京集中講座は11月で終了し、12月より他地域同様に会場をレンタルしての開催となります。原点に還って、ヨガベーシックやコアプログラムベーシックをみっちりやりたいと思います。

 大阪・名古屋・神戸の集中講座は、全身と手の連動をテーマに解説したいと思います。「お腹と腰の力を使って腕を動かす」という感覚を学びます。日常の生活動作の基本ですが、ロープスイングで感覚の修正をすると全身の動きがよくなります。

 


 


体型を改善しようとして運動しようとする人たちが挫折する中、運動するのが楽しくて仕方がない人たちの体型が改善されていくという現象。

 みんなが楽しそうに身体を動かしているとき、自分だけその動きができない……そんなとき、どんな態度をとるか? ふてくされたり、怒ったり、帰ったり……という態度を選択する人たちの体型には、独特の特徴があります。そして、その体型が変わることはほとんどありません。理由は簡単で、「現在の自分の状態でできること」「できるだけ新しい動きを習得しないですむこと」「楽に簡単にできること」しか選ばないためだと思われます。いま現在できない動き=新しい動きを習得しないということは、新しい動きに必要な変化をしないということを意味します。

 自分だけその動きができないとき、気が遠くなるような試行錯誤を繰り返すことを選択する人たちは、その動きができるような体型に変化していきます。  そして体型が変化することにより、同系列の動きはすぐにできるようになっていきます。そうなってくると、新しい動きを習得するのが容易になるため、次々に挑戦していくようになっていきます。学力もそうだと思いますが、分数とか基本的なところでつまずくと、それ以降のことが何も理解できなくなります。小学生レベルの基礎をやり直すことで学力が向上する例はたくさんあります。

 自分だけできないときに、「魔法」を探し始めるのは賢い選択ではないと思います。ラッキー(幸運)さを求めてみても、運動能力も学力も向上はしません。理屈通りにきちんとやることでしか、結果は出ない仕組みになっています。厄介なことに、自分の身体を思い通りに動かせないときほど、他人を思い通りに動かしたくなってしまうため、ますます動けなくなってしまうという展開になりがちなのだと思います。

 ごく当たり前のことですが、「これまでできなかったことができるようになる」ということは楽しいものです。自分の身体を思い通りに動かせるという喜びは、動かせなくなったときに強く実感することができます。

 練習を放棄してふてくされて、できている人たちの楽しそうな雰囲気をぶち壊そうとしてみたところで、永遠に「自分がその動きをできるようになり、思い通りに身体が動かせているという喜び」を味わうことなどできはしません。できないならできないなりに、きちんと練習をすることで、達成できたぶんだけの喜びを味わうことができます。

 私たちが体型が整っている人に好感を持ってしまうのにはさまざまな理由があると思いますが、そのひとつに「この人はコツコツ地道にやるべきことをやる人なんだな」と感じてしまうというのがあるように思います。筋力トレーニングなんかがわかりやすいですが、筋肉はそんなに簡単につくものではないので、筋肉をきっちりつけている時点で努力ができるひとだと感じるのではないかと思います。これは、作法などの繰り返しそうしないと身につかないこと全般に言えると思います。

 体型が整っている人たちはそれ相応の動きを身につけていますし、運動の絶対量を確保しています。体型が崩壊している人たちはそれ相応の動きしかできませんし、運動の絶対量がまるで足りていません。できないときにふてくされて練習を放棄してきた結果が現在の体型だということになります。体型を改善するのは簡単なことではありませんが、やりがいはすでに整っている人よりあるような気がいたします。

 子どものような表情で舞龍を操る自分の姿を観ていて、「はじめて手にした10mの道具をいきなりここまで操れるオッサンがこれまで積み重ねてきた努力の威力」を実感しました。練習を放棄してふてくされて、簡単にできることを探し求めるという選択をしなくてよかったと心から思います。


2021年11月12日金曜日

12/4(土)深坂自然の森・森の家下関にて舞の稽古をします。

 12/5(土)に、深坂自然の森・森の家下関~龍舞合宿を予定しております。稽古だけの参加を希望される方のために、深坂自然の森・森の家下関~舞稽古をすることになりました。参加希望者は、それぞれのリンク先よりお申し込みください(fecebookでつながっている方は、メッセージください)。

 内容は、①舞扇(ファンベール)②珠(クリスタルボール)③刀剣(ソード)④龍舞を予定しております。基本の動きをていねいに繰り返していきます。それぞれの動かし方を知ってから舞を観ると、それまでとは違った楽しみを味わえるかと思います。難しいことはやりませんので、お気軽に御参加ください。

舞扇

刀剣



2021年11月11日木曜日

地道な努力を継続していると、物事がうまくいきやすい。

  目的を達成したり、目標に到達するためには、それ相応の努力が必要になります。地味な努力を嫌がれば嫌がるほど、目的の達成や目標への到達は遠ざかります。ごく当たり前のことですが、人としても魅力は「地道に努力を積み重ねること」によって増大していきます。鍛えあげられたアスリートや磨き抜かれた芸などがわかりやすいですが、「その領域に到達する前に積み重ねてきた努力」が透けて見えるからこそ、憧れや魅力を感じます。

 「簡単に」「楽に」というキーワードは、いきなり結果だけを得ようとする人がよく使います。では、その人たちが魅力的かというとそんなことはなく、同じところをぐるぐる回りながら失速して転落していっていることが多いように思います。地道な努力の積み重ねの末に、それまで困難だったこと・できなかったことが簡単に・楽にできるのであって、ショートカットはできないのだと思います。近道は存在しないのだと。

 「~になれるまでの~年間の軌跡」が心を打つのは、「やめずに続けたことが結果につながった」という物語がそこにあるからだと思います。簡単なやり方・楽なやり方を探し求めているうちに~年間を無駄にしてしまう人は何者にもなれないままであり、なれた人となれなかった人を比較したときの魅力の差はとてつもなく大きなものとなっています。

 地味な努力を嫌う人ほど大言壮語(実力もないのに不相応な大きなことをいうこと。)しがちです。そして、大げさな告知はするけども結果報告はないという展開になっているようです。実力がないから、宣言したような結果は出せないのです。そもそも魅力がないので人が集まりません。偉そうにしたからといって人が集まってくれるわけではないのです(むしろ遠ざかっていきます)。

 「自分の時間や労力・コストを対価にしてでも、その人に会いに行きたい」というハードルは想像以上に高くて、生まれつき(代々のご先祖さまが積み重ねてきた努力)のものと生まれてきてからの自分自身の努力の総量が足りなければ、人は魅力を感じてはくれず、足を運んではくれません。詐欺的なやり方で一時的に人を集めることは可能ですが、長くは続きませんし、ジリ貧になっていきます。

 身体操作の世界でもそれは同様で、地味な基礎練習による基礎体力構築の土台の上にしか複雑な動きは実現しません。基本の動きができないのに複雑な動きができるはずがないのです。気が遠くなるほどたくさん存在する基本の動きをもれなく身につけていかないと、その先はありません。というより、やらなければ老化とともに能力が失われていく一方です。

 妄想をどれだけ積み重ねてみても、たいしたことはできないと思います。イメージトレーニングは、すでにそれを見につけている人が行なうから効果があるのであって、身についていない人が行なえば妄想がさらにひどくなってしまうだけの結果に終わるだけではないでしょうか。

 地道な努力を継続していると、物事がうまくいきやすくなるように思います。一時的・短期的な視点ではなく、視座を高く保ち、長期的視野をもって基礎練習を積み重ねていくことが大切だと思います。

2021年11月5日金曜日

ヨガと螺旋(らせん)の動き~しなやかでバランスの良い身体をつくる

  ロープスイング(棒まわし)やソードスイング(刀まわし)、スティックスイング(棒まわし)の練習をすると、ヨガのポージングがとても楽になります。原理を説明すると長くなるのですが、らせんの動きが身につくことによってバランスが整い、しなやかな身体に変化していくということになります。

 以前、記事にしました → 手と足の使い方。末端から身体を動かす。

PNFパターン上肢

PNFパターン下肢

 明日(11/5)の下関集中講座にて、らせんの動きについての解説をいたします。

2021年11月4日木曜日

ロープスイング(縄まわし)で姿勢を改善し身体を引き締める。

  各地でロープスイング(縄まわし)を教えておりますが、どの会場でも効果を確実に出せております。明日の新宮校集中講座(平日)でも、基本に忠実なロープスイングの指導をしたいと思います。

 ロープスイングは、無理なく楽しめるエクササイズであり、全身を連鎖的に動かすので、腕~肩~首の緊張が抜けて強張りがほぐれ、お腹まわりの引き締め効果があります。さらに、無理なく手首・腕・肩の柔軟性・強靭さを高めることができます。両手をバランスよく動かせるようになり、リズム感もよくなり、結果的に全身の動きがとてもよくなります。 


 何でもそうですが、基本原理を理解せずに練習してしまうと変な癖がついてしまい、後で矯正するのが困難になります。基本原理を理解しながら基礎練習を繰り返すことが大切だと思います。11月各地の講座でロープスイングを指導する予定です。

2021年10月28日木曜日

全身の動きを連動させる~縄まわしエクササイズとファンベールエクササイズ

10/31(日)の新宮校集中講座、11/6(土)の下関集中講座、11/7(日)の機能運動学大牟田サークルの内容は、縄まわしとファンベールとなります。

 ■縄まわし

①前まわし

②後ろまわし

③分割まわし

④分割運足展開

比礼之舞

■ファンベール

①フラッターズ(はためき)

②ウエーブズ(波)

③両手の動き

④バタフライ(蝶)

⑤エクステンション(伸展)

⑥ドラゴン(龍)

⑦2ビート

⑧バレルターン

⑨エクステンションターン

全身の動きが連動するようになります。


縄振りエクササイズ~手、腕、肩、お腹、足腰の使い方を学ぶ

 

縄跳びの縄を切って作成

 「縄跳びの効果は、跳ぶことだけではなく、縄をまわすことによって得られているのではないか?」ということに気がついて以来、「そういうことか」というセリフが口をついて出ています。左手と右手を縄でつないでしまうと、縄をまわす効果は半減します。左手と右手がつながっていないことが、縄をまわす効果を得ることにつながると思います。

 安定して縄をまわすためには、全身を連動させる必要があります。結果として、お腹が疲れます。そして、お腹の使い方を体得できることで、多方面に好影響が出てきます。場所も取りませんし、コストもかかりません。思いついたときに、サッと取り出して練習することができます。セロトニンの分泌促進効果も期待できるようで、気分がとてもよくなります。

 本日の大手門グループレッスン、10月31日(日)の新宮校集中講座で解説予定です。明日、飯塚でもやります。


2021年10月20日水曜日

手首の使い方と足の使い方の連動を学ぶ~ファンベールを振りましょう。

10月の名古屋・神戸の集中講座は、ヨガベーシックとファンベールの振り方をやります。
■10月22日(金)名古屋集中講座 → 詳細
■10月23日(土)神戸集中講座  → 詳細

ファンベールは、こんな感じで振ります(持っていない方にはお貸しいたします)。基本中の基本からやりますので、未経験の方ほど楽しめるかと思います。

手首の使い方を学ぶのには最適だと思います。何より、やっていて楽しいです。各地の講座でも、とても盛り上がっております(休憩をとってくれないほどに)。特に優れているのは、手首の使い方と足の使い方の連動を学べるという点です。コツコツやると、こんな感じでどんどんうまくなるので、遊びながら身体の機能を高めることができます。

11月も引き続き、各地の講座でファンベールをやっていく予定です。通常クラスで、ファンベールのクラスと刀術のクラスをやりたいなとも考えております。 


2021年10月16日土曜日

基礎体力の錬成が大切。「健康に生活するための体力=防衛体力」と「運動をするための体力=行動体力」。

 「体力」は、「健康に生活するための体力=防衛体力」と「運動をするための体力=行動体力」に分類されます。

 防衛体力は、病原菌やウイルスから体を守るための免疫力や、心的ストレスから体を守るための体力だとされています。運動に必要な体力=基礎体力は行動体力に分類されます。

 外部環境が変化しても内部環境を常に一定に維持しようとするホメオスタシス:恒常性の能力、外界からの刺激に対してしなやかに適応する適応性の能力、さまざまな病原菌やウイルスに対する抵抗力(免疫力)などの働きによって、生体をとりまく外界からのいろいろなストレスに耐えて、健康を積極的に維持しようとする自動調節能力が防衛体力です。

 基礎体力には、「運動を力強く、速く行うための能力」、「運動を長く続ける能力」、「運動を調整する能力」などがあります。基礎的運動要因である体力と、基礎的運動能力である運動能力の歯車が噛み合わせることが大切だと考えています。基礎体力の錬成を怠ったまま小手先の技術ばかりを増やしていくと、いずれは破綻してしまうように思います。

 脳・神経系の発達による動作の習得のピークは8歳前後だとされています。この時期は、いろろな動きを経験することでを自分の体を操作する能力を高めることができます。バランス能力も、この時期に伸びるとされています。あとで取り戻すのは大変なので、この機会を逸しないようにした方が良いと思います。

 現実的には、動作の習得を年をとってからやっていくより先に、基礎体力の錬成に注力した方が良いように思います。運動が苦手な人は、運動そのものを避けてしまいがちなので基礎体力が低い傾向があると感じております。筋力・持久力・柔軟性・バランス能力の向上に心血を注ぐことで、基礎的な運動スキルを学び直す土台ができてきます。

 私は「動作の修正」を仕事にしておりますが、8歳前後で身に着けた動きの修正にはかなりの時間と訓練が必要であると実感しております。体型や姿勢を含め、さまざまな影響を身体に及ぼしているからです。考え方も、身体の使い方の影響を強く受けていると考えられます。姿勢と感情の関連性を考えてみればすぐにわかりますが、動作の修正は簡単なことではないと思います。

 「地道にコツコツ努力する」という行動様式も、これまでの動作パターンがつくりあげてくれるものだと考えております。すぐに飽きてしまって堪え性がなく目移りを繰り返し、5年間以上継続的な努力ができない場合、基礎体力も基礎的な運動スキルも低いのが観察できると思います。地道にコツコツ努力するための基礎体力がないということです。厄介なことに、基礎体力をつけるためには地道にコツコツ努力しなければなりません。

 そう言った意味で、尻を叩いてくれる良質な指導者がいるのは良き結果につながっていきます。できない人に丁寧に指導するのはとてつもなく消耗する行為なので、わざわざそれをしてくれる指導者は稀有な存在です。悪質な指導者は、自分よりできない人をカモにして耳障りのいい嘘を並べて改善の機会を奪ってしまいます。自分の動作を変えていくのは簡単なことではないし、耳に痛いことばかり言われるのが基本だと私は考えています。

 人生は一度きりですし、自分の肉体はひとつしかありません。体力は人生における財産であるとともに原動力でもあると思います。日々、自身の肉体を研磨し、体力を錬成していくことが大切だと思います。

2021年10月15日金曜日

引き締った、強く、無駄のない身体をつくるコアプログラム・レッスン。

  本日(10/15)19:30~KANONにてグループレッスンを予定しております。コロナ禍以降、ひさしぶりの金曜日のレッスンとなります。内容はいつも通りの地味なコアプログラム・レッスンとなります。

 姿勢を良くし、柔軟性やバランスを向上させると同時に、筋力を強化し調子を整え、引き締った、強く、無駄のない身体をつくるコアプログラム・レッスンは、一部の筋肉を過剰に発達させたり大きく固めてしまうことなく、あらゆる筋肉を刺激することができます。硬く盛り上がった筋肉に魅力を感じる人も多いのですが、私は、『やわらかく引き締った丈夫な筋肉』に魅力を感じます。

 ただ、コアプログラム・レッスンの良さを実感できるようになるのにはタイムラグ(遅延時間・時間のズレ)があるので、大半の人たちは効果が出てくるまでレッスンを継続することができないという現実があります。実際に流行るのは、音楽に合わせて身体を動かすとか、意識を身体の内的感覚ではなく振り付けに向けるとか、真逆のベクトルのレッスンばかりです。

 私は、「やった感のある動き」は危険だと考えております。アライメント(配列)の力を使った動きは「やった感がない動き」です。やった感があるということは、アライメントが狂っているということだと考えております。正しい構造で動くと、その動きには『りきみ』が感じられません。正しくない構造で動くと、その動きから『りきみ』が伝わってきます。

 『りきみ』とは、からだに力を入れること。また、力が入ること。つよがり。負けん気。気負いを意味します。りきんでいると大言壮語するようになりがちです。できそうにもないことや威勢のいいことばかり言ったり、口では大きなことを言っても実行が伴わないという状態に陥るわけです。逆に言えば、力みが抜ければ、分相応(身分や能力にふさわしい)なことを考えれるようになります。身の丈に合ったことを考えるためには、身の丈をわかっていないといけないということです。

 コアプログラム・レッスンの動きは簡単すぎるように見えますが、きちんと理解して正確に動くのは困難を極めます。数年続けていると、ある日突然「あぁ、そういうことだったのか!」という気づきが得られます。その感覚は、本を読んだりとか動画を観たりとかでは得ることができない性質のものです。できているという錯覚に陥っている間はこの感覚は得られないのです。

 ギリシャ神話にシーシュポスの神話があります。神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けます。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまいます。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかなりません。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出しました。

 大半の人は、意味があると思えることなら単純な反復練習に耐えることができます。しかし、「いま自分がやっていることに、一体何の意味があるのだろうか?」と思うようなことを反復練習することに耐えるのは困難です。単純な反復練習をやる意味は、機能解剖学や機能運動学を学ぶことで理解することが可能です。ただ、私は「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返すことができる」という能力が大切だと考えております。

 そして、「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返すことができる」という能力を養うためには、実際に「意味はわからなくても、コツコツ地道に指導された内容通りに動きを繰り返す」ということが必要だと思っております。結果を出せているのは、それをやってきた人たちばかりなように思います。今後も、コツコツ地道な反復練習を気が遠くなるほどに繰り返していきます(笑)。

2021年10月14日木曜日

基本の動きを反復練習することが大切。一芸に秀でる者は多芸に通ず。

  身体の動かし方を教えていると、少しできるようになると飽きてしまったり、「だいたいわかった」とか「もう学ぶことはない」と早合点してしまったりして、基本の動きを深めようとしない人たちに出会うことがあります。何の分野でもそうだと思いますが、10年以上にわたり数万時間を費やしてもなお「全然わからない。学びが終わらない」というのが身体操作の世界だと、私は感じております。

 「一芸に秀でる者は多(万)芸に通ず」ということわざがあります。何かひとつのことを熟達すると、他の何かに共通した原理のようなものが身につき、他のことをしても応用が利いて、すぐに習熟し、うまくできるようになるというものです。

 自称「私は器用」という人がいたので観察をしてみましたが、何ひとつ習熟できてはいませんでした。いわゆる「全然できていないのに、できているような気になっているだけ」というだけで、自ら「できていますアピール」しないといけない状態だというのがすぐにわかりました。基本をやらない人独特の「現実を見ていない感」が観察されました。

 基本の動きは、そこから先に展開するすべての動きの元となる動きです。つまり、基本の動きに少しでも狂いがあれば、そこから先の動きはすべてが狂っていくということになります。小手先(その場しのぎで、将来を見通した深い考えのないこと)の修正を繰り返せば繰り返すほど基本の動きも狂っていくことにもなります。感覚が狂うことになるので、多方面に問題が生じる結果となります。

 逆に、基本の動きを繰り返し練習して身につけていると、初見の動きがいきなりできたりします。身についている動きを組み合わせるのは難易度が低いので、予想以上に簡単にこなせてしまいます。これに対し、基本の動きが身についていない場合は、何度見ても動きを真似ることができません。自分にできる動きを組み合わせてみても、要求される動きができないのであれば、真似ることはできないためです。

 コロナ禍以降、基本の動きの反復練習にたっぷりと時間を使うことができております。指導時間が激減した代わりに、自分自身の基本の動きの見直しができ、たくさんの気づきとともに、基本の動きの大切さを再認識することができました。内容的にはこれまで通りの「永遠の初心者クラス」ですが、より深く掘り下げていきたいと思います。

 10月15日(金)・17日(日)の新宮校での集中講座で、基本の動きの大切さと練習の仕方について解説したいと思います。今回は、ファンベールを使います。

☆新宮校集中講座(平日)

10月15日(金)

→ 詳細


☆新宮校集中講座(休日)

10月17日(日)・31日(日)

→ 詳細

2021年10月7日木曜日

10月8・9・10日東京集中講座は、「ヨガ~正確なアライメント(整列)に基づく姿勢の保持」です。

 10月8・9・10日(金・土・日)の東京集中講座は、「ヨガ~正確なアライメント(整列)に基づく姿勢の保持」です。→ 詳細

 二子玉川(東京校)での集中講座も、11月までとなりました。御参加、お待ちしております。

 2013年頃は吉祥寺でヨガの講座を開催しておりました。当時の私のコンセプトは「永遠の初心者クラス」でした。そしてそれは、現在も変わっておりません。地道に基本の動きの反復練習をすることが大切だという思いは、年々強くなっております。コロナ禍をきっかけに、ヨガブームは終焉を迎えましたが、基本の動きの反復が好きな人たちは影響を受けることなくブームに無関係に練習を積み重ねておられます。 

2013/09/28-29 東京ヨガ(吉祥寺)

 現在、東京集中講座のお世話をしてくれているROKUも、この頃からの参加です。当時は手技療法をやっていて、その顧客でもありました。偶然ですが、この写真には今月のテーマである「掌の横アーチ~母指と小指の対立運動」が写っております。現在は、袴が似合うくらいに鍛えられ(?)てあります。

2013/09/28-29 東京ヨガ
 
 10月東京集中講座は、2013年頃の私の東京での活動を振り返りつつ、今後の活動をどのようにしていくか考えたいと思います。

2021年10月1日金曜日

やわらかい手首をつくる「手の内」の秘密

 手首がやわらかく使える人は、母指と小指の対立運動が得意です。安部塾では棒まわしなどで母指と小指を正しく使うことを学び、肩の位置を正し手首をやわらかく使えるように改善しております。

母指と小指の対立

 母指を小指の先をつける運動は対立運動と呼ばれております。グリップ(握り動作)や繊細な作業では母指を使うため、母指の関節は多方向の動きが可能な構造になっています。動きが不安定な人の母指の動きを観察してみると、母指を手のひらに押しつけるような握り方をしているのがわかります。不必要な筋肉の過緊張が連鎖的に起きるため手首が固まり、関節が痛くなりがちです。

 これに対し、対立運動は母指と小指を同時に動かすため、関節や筋肉をバランスよく使えます。見た目に手首がやわらかく使えているように見えますし、全身の動きが協調連動するため美しく整っていきます。我が国の刀法・刀術では「手の内」として知られており、その昔は口伝・秘伝だったそうです。

 安部塾では、珠(たま)や刀をまわすことで、指の使い方を矯正していきます。

安部塾身体操作技法「珠まわし」
 

安部塾身体操作技法「刀まわしの握り」

 この動きを見ただけでパクるのは困難を極めます(笑)。意味を理解してやらないと、かえって手首の動きがかたくなってしまう結果となります。できているかできていないかは、母指の腹の向きを見ればわかります。

 10月の各地の講座で怒涛の解説をおこなってまいります。

10月2日(土)下関集中講座 → 詳細

10月3日(日)大牟田・機能運動サークル → 詳細

10月8・9・10日(金・土・日) 東京集中講座 → 詳細

10月15日(金)新宮校集中講座 → 詳細

10月17日(日)新宮校集中講座 → 詳細

10月22日(金)名古屋集中講座 → 詳細

10月23日(土)神戸集中講座 → 詳細

10月29日(金)飯塚ヨガワークショップ → 詳細調整中

10月31日(日)新宮校集中講座 → 詳細



2021年9月29日水曜日

10月の講座の予定~ヨガ・ベーシックと手首の使い方(全身の運動連鎖)

 10月の各地の講座は、ヨガべーシックと手首の使い方(全身の運動連鎖)をやります。地味ですが、とても大切な内容です。左右の足への荷重移動など、たくさんの要素を含みます。よつんばいで手首が痛い場合や支える力が入らないのは、手首の使い方に問題があることが多いものです。

 KANON塾生講座での手首の使い方解説です。棒をまわすことで、自分の動きの何がダメなのかを知ることができます。

 

10月2日(土)下関集中講座 → 詳細

10月3日(日)大牟田・機能運動サークル → 詳細

10月8・9・10日(金・土・日) 東京集中講座 → 詳細

10月17日(日)新宮校集中講座 → 詳細

10月22日(金)名古屋集中講座 → 詳細

10月23日(土)神戸集中講座 → 詳細

10月29日(金)飯塚ヨガワークショップ → 詳細調整中

10月31日(日)新宮校集中講座 → 詳細

 御参加、お待ちしております。

2021年9月21日火曜日

11月21日(日)安部塾東京校「IBUKI」を閉校します。10月8・9・10日(金・土・日)の東京集中講座は、原点に還ってヨガをやります。

  コロナ禍以降も、安部塾東京校「IBUKI」での身体操作講座を継続してまいりましたが、来年度の更新はしないことにいたしました。11月21日(日)の講座をもちまして、閉校いたします。今後は、都度ごとに会場を借りての開催となります。閉校式を予定しておりますので、足が遠のいてしまった方も、IBUKIとのお別れに参加していただければと思います。

 10月8・9・10日(金・土・日)の東京集中講座は、原点に還ってヨガをやります。12年前、東京で教え始めた頃を振り返りつつ、永遠の初心者クラスを深めてまいりたいと思います。闇雲に柔軟性を追及したりとか、曲芸に走ったりとかはせず、正確なアライメント(整列)に基づく姿勢の保持を見つめ直します。2013年頃は、コアな参加者しかいませんでした(笑)。いまも続いているのがすごいと思います。

2013年9月  東京ヨガ講座(中目黒?)

2013年9月 東京ヨガ講座(吉祥寺)

 7年ほど前、各地をさまよって動き方を教えていた流浪の民だった私が身体操作の塾を始めることになり、福岡の薬院と東京に安部塾を開校しました。その後、薬院校から新宮校に移転し、今回は東京校が閉校となります。時の流れははやいものです。あっという間ですね。コロナ禍以降は、教えることよりも自身の修練に励んでおりますが、その成果を役立てることができる日は、まだずっと先になりそうです。

 世阿弥のことば、「初心忘るべからず」があります。「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法=試練を乗り越えていく考え方を意味し、どうやってそれをを乗り越えていったのか、という経験を忘れてはならないということだそうです。

 「老後の初心忘るべからず」ということばもあり、老いたなら老いにあった芸風を身につけることが「老後の初心」であるとされます。老いても、はじめて遭遇し、対応しなければならない試練がやってきます。その都度、はじめて習うということをやっていかねばならず、これを「老後の初心」というそうです。経験したことがないことに対して、自分の未熟さを認め、新しい事態に立ち向かっていく心構えをもたなければならないと思います。失敗を身につけていかなくてはなりません。

 12月以降は、新宮校を本拠地とした地味な活動に励んでまいります。各地域を流浪しながら、身体操作の楽しさを伝えていければなと考えております。アフターコロナまで数年はかかりそうなので、具体的にどうなるかはまったくの未知数ですが、これまで以上に「正確な基本動作の反復練習=地味練」をきちんと継続していきたいと思います。

2021年9月18日土曜日

手首をやわらかくしなやかに使うと、なめらかで力強い動きが生まれます。

 ハンマー(かなづち)で釘を打つ動作をイメージしてみましょう。

手首の使い方

 うまく打てる人は、手首を柔らかくしなやかに使います。うまく打てない人は、手首を固めて使い、肘から先を上下に動かして打とうとします。

 手首を支点にしてハンマーを使うと、てこの原理でヘッドスピードが増し、正確に強く釘を打てます。見た目は軽く打っている様に見えます。良い姿勢で身体の左右のバランスも良く軸があり、なめらかな動きです。フォロースルーまでも正しい軌道となっています。安全に、真っ直ぐにくぎを打つことができます。

 手首を固めて支点にせずにハンマーを使うと、力みが生じます。タイミングが狂い、リズムにのれません。いわゆる「手打ち」の状態となります。姿勢が悪くバランスが崩れ軸もなく、ぎくしゃくした動きです。すべてが間違った軌道となります。釘を持った手を叩いてしまったり、釘が曲がってしまったりします。

 各地の講座で「手首の使い方」の解説をします。御参加、お待ちしております。

9月23日(木・祝)新宮校集中講座 → 詳細
9月24日(金)名古屋集中講座 → 詳細
9月25日(土)神戸集中講座 → 詳細

2021年9月9日木曜日

手のアーチ機能を改善すると、首・肩の機能も改善することがあります。

手のアーチ(手弓)

  てのひらを上に向けた状態を「あけ」、てのひらを下に向けた状態を「ふせ」といいます。手のひらを上に向けて力を抜くと、母指と小指が向き合って手根部が丸くくぼみ、手首アーチができるはずです。この状態であれば、血流や神経のはたらきがじゅうぶんに確保できます。

 手根にくぼみができていない状態=手首アーチが崩れていると、血流や神経のはたらきが障碍されます。

 手のアーチ機能は首・肩の機能と関連が強いため、手のアーチ機能が低下することで首・肩の機能も低下することがあります。この場合、手のアーチ機能を改善することで、首・肩の機能も改善することがあります。

 明日からの東京集中講座と、各地の講座で「手のアーチの機能改善」の解説をします。御参加、お待ちしております。

9月10・11・12日(金・土・日)東京集中講座 → 詳細
9月23日(木・祝)新宮校集中講座 → 詳細
9月24日(金)名古屋集中講座 → 詳細
9月25日(土)神戸集中講座 → 詳細

2021年9月6日月曜日

手の小指の使い方(基礎)

  今月の各地での講座で「小指の使い方」を解説してまいります。最近の身体操作界での定番ネタですが、安部塾での小指の使い方の考え方もそれなりに面白いと思います。有料オンライン塾生講座で公開しているので、オンライン塾生さんはチェックされてください。

 基本的な小指の使い方のひとつは「小指を折り込む」というものです。小指に力が入ると、腹横筋下部繊維・骨盤底筋群(≒丹田)やハムストリングス≒腿裏にも力が入り、腰が安定し、脚を振り出しやすくなります。ピラティスやヨガで、小指の使い方をやかましく指摘されるのはこのためです。筋トレのサムレスグリップなんかもそうですね。

 日本の伝統的な構えの手である「わし手(ワシのくちばしの形)」が体感しやすいと思いますが、こうすると上腕三頭筋(二の腕)が締まります。

小指の使い方(わし手)

 よく勘違いされている手の型なのですが、親指と人差し指に力を入れてしまう人がいます。そうすると、つまむ動きになってしまうために小指が抜けて二の腕がゆるみます。

 刀剣で説明するとわかりやすいのですが、振る動きのときは小指で握り、まわす動きのときは親指と人差し指でつまみます。まわすときは、小指を立てます。物を握るときは小指は立ちませんが、まわそうとする≒つまもうとするときは立ちます。小指を伸ばす伸筋を緊張させ、人差し指を曲げる屈筋の力と拮抗させることで微妙な力加減を調節することができます。引き換えに、小指を曲げて屈筋を使ったときに得られる鋭いパワーを失います。

刀剣を握る・つまむ

 ちなみに、微妙な声の調整をしようとすると、マイクを持った手の小指が立ちます。声にパワーを込めるときは、小指を曲げてマイクを握りしめているはずです。

 そんなこんなで、手の小指が使えないと、身体全体の動きがよくなりません。各地の講座で詳しく解説したいと思います。

9月10・11・12日(金・土・日)東京集中講座 → 詳細
9月23日(木・祝)新宮校集中講座 → 詳細
9月24日(金)名古屋集中講座 → 詳細
9月25日(土)神戸集中講座 → 詳細

2021年8月25日水曜日

股関節・肩関節を潰(つぶ)さない・詰まらせない身体の使い方

  身体の動きが悪い・きたない人の股関節・肩関節の使い方を観察してみると、潰したり、詰まらせたりして動いているのがすぐにわかると思います。脊柱の伸長と荷重移動ができていないこととが主たる原因であることが多いと思いますが、股関節窩(か)・肩関節窩に大腿骨頭・上腕骨頭を引き込むような過剰緊張状態があるはずです。

 結果として、骨頭が関節窩の正規の位置から外れて動くこととなります。当たり前のことですが、本来の位置に骨頭がないということは、本来の機能を発揮することができなくなり=正しく動くことができなくなり、身体全体の動きのコーディネーション(適切に組み合わせること)ができなくなってしまいます。

 コーディネーションができていない動きは円滑さ(スムーズさ)がありません。ギクシャク(間がきしんで、なめらかに動かないさま。)した動きとなり、姿勢の制御に脳神経系のリソースをとられる結果、さまざまな処理能力の低下をきたし過緊張状態を悪化させることになります。詳細は、松尾佳世子さんのこの記事をお読みください。

→ 常に脳は、体の安定性を優先させたい。より抜粋引用

 ヒトの体は、「物事を認知する」ことよりも「姿勢のバランスを保つ」方を優先させる。歩きながら会話したり、お昼何を食べようかなと考えたりすることはそんなに難しいわけではないと思います。それがもし、安全装置無しで綱渡りしながらだとどうでしょう? 

 会話する余裕もなければ、考える暇もなくなると思います。

 最終的に脳は、認知機能よりも身体的機能を優先させるようになる。しつこいが、常に脳は、体の安定性を優先させたい。だから、姿勢の制御で脳が手一杯のときはいろいろと考えるとか理解するといったことは後回しにされる

 つまり、体がうまく動けなくなればなるほど、相手の話の内容が理解できなかったり、外の世界の状況や環境が把握出来なくなる確率が上がってくる。空気読めず、変な態度とったり、言わなくていいことを言ってしまったり。気まずい雰囲気になっても、認知機能が低下していると気づくのは難しい

引用ここまで

 動きがきたない人が対人関係でやらかすことが多いのは、姿勢の制御でいっぱいいっぱいになってしまう結果であることが多いという推測が成り立つと思います。実際、股関節や肩関節がぴったりとハマって全身のコーディネーションができている動きが綺麗な人は、打てば響く(働きかけるとすぐに反応する。)ものです。動きがきたない人は、まわりの状況にまるで気がついていないことすらあります。

 8月28日(土)の神戸集中講座、8月29日(日)の新宮校集中講座、9月4日(土)の下関集中講座、9月10・11・12日(金・土・日)の東京集中講座で詳しく解説いたします。緊急事態宣言下での開催となりますので、安全な対人距離をとり、感染予防対策いたします。御参加、お待ちしております。

2021年8月22日日曜日

自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。

 「自己肯定感」という言葉がブームになって、かなりの時間が経過しました。自己肯定感は、「自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情」とされています。

 「自己肯定感が高い状態」というのは、「自分に対しても、相手に対しても、世界にたしても、肯定=OKを出している状態」です。なので、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。求められてもいないアドバイスしたがったり、誰かを変えようとしている人の自己肯定感はボトムラインだと私は考えております。

 よくある勘違いに、地道な努力で変えられる部分を変えようとしないというのがあります。変えれることを変えない人の自己肯定感が高くはなることはありません。ダメな自分が嫌いなのに、そんな自分を好きになろうとするとか、そういった努力次第で変えられる自分の嫌いな部分を変えないままで、自分を肯定しようとする人をよくお見かけいたします。ただの現実逃避に過ぎませんし、単に面倒くさいことをしたくないだけです。

 自分のことが嫌いだった人が、地道な努力を積み重ねることで結果を出して自信をつけて自分のことを好きになるという展開が王道だと思います。努力次第で変えられる自分のダメな部分を変えようとせず自己肯定感を高めたいとか土台が無理な話だと思います。そして、やらなければならないことをやるために、しなければならないことがあります。そう。自分は何ができて何ができない人間なのかという、「身のほど・分際を知る」ということです。

 自己肯定感を高めるために私がおすすめしているのは、「諦めなければならないことを諦める」ということです。自分ができないこと=不得意なことを認めて受けいれるということです。これができれば、やらかしをしてしまうことがなくなります。できもしないのに謎の自信をもってステージにあがったらどうなるかは、実際にやらかしている人たちを観察すれば秒でわかります。努力で変えられないほど才能がないのが誰の目にも明らかであるのに、その努力もしないでステージにあがりボロカスに酷評されている姿は、自己肯定感を勘違いした人の末路だなと感じております。さすがに下火になってきましたが、自分の容姿を肯定的に勘違いして自撮りをSNS上に拡散する人たちもいます。これも、ほんとに容姿端麗眉目秀麗であればいいのですが、そうでなければテロ行為と認識されていることが多いようです。

 できていないこと自体は良くも悪くもありません。問題は、できていないことを認めていないという点です。できていない自分を自覚し懸命に努力してステージにあがっていればそれほどひどい目にはあわないでしょうし、支援者もあらわれると思います。見た目がよくないと自覚してSNS上に自分をさらす行為にも、それほど悪意は向かわないような気がいたします。私は最近、拙い粘土細工の舞面をSNS上にアップさせていただいておりますが、ダメな作品だという自覚があるため、怒られが生じずに済んでおります。

 おそらく、自己肯定感を勘違いすると、「私は特別な存在」という得意満面な状態に陥ってしまうのだと思います。無意識に相手を見下したような態度をとってしまうため、相手の反感を買うことになります。「私はすごい人」という盛大な勘違いにより、まわりの人たちを肯定しないというNG行為に及んでしまうことになり、破綻してしまうという展開になりがちです。他の人にできないことができるという能力は、他の人を楽しませるために使うものであり、決して自慢するために使うものではありません。まして、能力的にたいしたことがないのであれば、「見苦しいものをお見せして申し訳ありません」というくらいの気持ちでないと、怒られが発生するように思います。

 なぜだか、やらかす人たちはみな謎の自信に満ちていたりします。妄想の中では、自分が世に出れば注目され絶賛されると感じているからです。妄想は妄想でしかありませんので、現実化することはありません。現実化するのは、ろくに努力をしていないのが誰の目にも明らかなため、まったく評価されないという状況です。妄想に耽っている怠惰な思考に基づく言動による結果が現実化するのであって、妄想が妄想のままに現実化するわけではないのです。

 繰り返しになりますが、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。このことを知っていれば、後者の人たちがいかによろしくない状態に陥っているかが判別できると思います。

2021年8月21日土曜日

8月28日の神戸、29日の新宮校、9月4日の下関の集中講座は、コロナ対策のため非接触にてワークを行ないます。

  9月12日までの緊急事態宣言が発出されました。新型コロナウイルスデルタ株の感染拡大対策のため、8月28日の神戸集中講座、29日の新宮校集中講座、9月4日の下関集中講座は、非接触にて姿勢と動きの改善のテクニックとストレッチングを行ないます。当初は、パートナーワークを予定しておりましたが、デルタ株の感染力の高さとワクチン接種のタイミングを考え、今回は距離をとってのワークといたします。

 現在、私はほぼ自宅に引きこもってステイホームしております。公共の施設が使えないため、各地のレッスンや講座がほとんどお休みとなってしまったためです。使用できる会場が確保できた地域のみで、感染対策をした上でレッスンや講座をやっております。全国的に医療逼迫が深刻化しているため、感染予防を徹底したいと考えております。

 先行きは不透明ですが、自分の身は自分で守るフェーズに入っていると思います。デマ(誤った情報)を信じることなく、正確で基本的な対処を徹底してまいりましょう。



2021年8月18日水曜日

妄想と現実~やらかして後悔することのないように身のほどを知る

 「世界に向かって自分を発信すれば、人生が良い方に変わる」

 そう信じ込んで自己発信した人たちが、次々に行き詰っています。

 ブロガーになりたい→ブログ書く→読んでもらえないor酷評→フェードアウト

 インスタグラマーになりたい→投稿する→見てもらえないor酷評→フェードアウト

 youtuberになりたい→投稿する→観てもらえないor酷評→フェードアウト

 歌手(シンガー)になりたい→歌う→聴いてもらえないor酷評→フェードアウト

 PV出したい→撮影・編集する→観ても聴いてももらえないor酷評→フェードアウト

 ダンサーになりたい→ステージで踊る→酷評→フェードアウト

 舞台に立ちたい→舞台に立つ→観客白けるor凍りつく→フェードアウト

 アドバイザーになりたい→自画自賛宣伝する→依頼者が現れない→フェードアウト

 ……例をあげればきりがありませんが、何をやっても好い反応がないため、いつの間にか消えてしまいます。原因は極めて単純で、才能もなければ努力も足りないということなのだと思います。発信していない=知られていないから廃れているのではないのです。単に「つまらないから関心をもってもらえない」というだけなのです。見る価値も聴く価値もないものをしつこく押しつけられれば、ミュートされるかブロックされておしまいです。

 単なる社交辞令(つきあいをうまく進めるための儀礼的な褒め言葉)を真に受けて、自分に価値があると思い込み、暴走し突き進んでしまった結果がどうなるのかは、「世界に向かって自分を発信すれば、人生が良い方に変わる」と信じ込んで行動した人たちを観察すれば、とてもよく理解ができると思います。求められてもないのに前に出れば、待っているのは残酷な現実だけだと思います。やってダメなら諦めがつくという理由でやるのなら、まだ救われるかもしれませんが。

 私自身は、「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」という考えなのですが、普通に考えてやらない方がいいと思うことはやりません。人が死ぬ間際になると、やってしまった後悔よりも、やらなかったことへの後悔の念が強くなるそうです。ただこれも「やればできたはずなのにやらなかったこと」に限ると思います。やるかやらないかで迷っていることが、自分がやりたいことであればやっておいた方がいいと思いますが、それが「他人に賞賛されたい・チヤホヤされたい」とかいう性質のものだったら、やらない方がいいと思います。

 他者の存在がからむことがらの場合、やると後悔し続ける結果になる可能性が高いと思います。迷惑がられたり、困らせてしまったり、嫌われてしまったり、そんな結果になりがちなのです。他人がからむことで失敗した場合、後悔する余裕もなく逝ってしまうことになります。やって後悔は、メンタルはもちろんのこと、それ以外に色々なものを失うことになるのです。他者を巻き込んでしまった代償は、とても大きくなってしまいます。

 他者の存在がからまない自己完結してしまうことがらの場合は、やって後悔することはほぼ無いように思います。いわゆる趣味領域のことは、むしろ積極的にやるべきかもしれません。自分の努力次第でどうにかなることに全力を注ぐのは充実した好い経験となって、その後の人生を豊かなものにしてくれます。自滅だけで済むのなら、やった方がいいことはたくさんあるように思います。

 得るものと失うものを天秤にかけてみて、失うものの方がはるかに多いとしたらやらない選択をする方がいいかもしれません。やらない選択をする=現状維持を選ぶというのは、後ろ向きなことではないと思います。前向きに無謀なことをやるよりも、好い流れになっていくことが多いように感じます。やって後悔するときの無残な結果が出てしまったという現実の後に残るのは失敗したという残酷な事実しかありません。そう。やった後悔は、後々まで長く引きずることになりがちなのです。

 夢は必ず叶うという精神論を振りかざし、無責任に背中を叩く輩もいますが、彼らは何の責任もとってはくれません。「夢が叶う」という甘言に騙されて人生を棒に振る人たちも多くいるようです。成功の見込みが一切ないのに、思いあがって突撃すれば、結果は火を見るよりも明らかです。夢を追ってはみたたけど叶わなくて哀しいことになってしまうだけです。「人生は一度きり。チャンスは必ずつかむ!!」とかいう安易な煽りに乗ってしまうリスクは大きいように思います。

 他者を大切にし、きちんとした準備・計画をしたにも関わらず、様々な悪条件が重なって失敗した人を嗤う人はほとんどいないと思いますが、他者を大切にせず、ろくな準備・計画もせずに思い込みで突っ走って失敗した人は嗤われます。あまり考えない猪突猛進型の人たちを観察してみればすぐにそれがわかると思います。自分のやることは特別なことだからと、他者をないがしろにして無計画な突撃を繰り返し失敗を重ねています。

 「身のほど知らず(自分の身分や能力などの程度をわきまえないこと。また、そのさまや、その人。)」という言葉があります。自分の分際をわきまえずに、出しゃばった行動をする人のことです。『キーワード「身の程知らず」の四字熟語』を読んでみると、耳が痛い言葉が多くて学びになります。「知小謀大(ちしょうぼうだい)=見識が浅いにもかかわらず、大きなことを企てること。自分の力を考えず、むやみに大きな計略をめぐらすこと。」は、やって後悔でよく見かけるパターンですね。

 現在の自分の状況は、これまで自分が考えてきたことや、やってきたことの結果です。思考が現実化するというよりは、現実は自分の思考の結果だという感じです。何かを妄想したから現実が妄想通りになるのではなく、妄想していると往々にして恐ろしい展開になるから気をつけましょうということなのだと思います。身のほどを知り、きちんと準備・計画を立て、他者を尊重してやっていくことが大切なように思います。

 

2021年8月17日火曜日

9月12日まで緊急事態宣言期間となるため、自由ヶ丘・福津・大牟田のレッスンが中止となりそうです。

 新型コロナウイルス対策で、政府は、緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県を追加し、期間は8月20日から9月12日までとする方針です。東京など6都府県の宣言も延長する方針で、17日、専門家に諮った上で、正式に決定することにしています。

 まだ連絡は受けておりませんが、9月12日までの自由ヶ丘・福津のグループレッスンと、大牟田サークルは中止となる予定です。

 よろしくお願いいたします。

2021年8月16日月曜日

何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。

  

新たな感染者数

 ここのところ、自らの感染予防及びに感染拡大対策のために、ステイホームしております。

 加藤諦三先生の言葉

「寂しい人は、注目を引くためにさまざまな問題を起こします。」

「不安な人ほど思い込みが激しいです。」

「人間は自分の存在に意味を感じなくなると、衝動の罠に落ち込んでいきます。」

「人間は自分の存在に意味を感じなくなると、衝動の罠に落ち込んでいきます。」

「自分に対する他人の態度がおかしい時は、「なんでかなあ」と考えてください。あなたがおかしいのかもしれませんから。」

「不安な気持ちに負けていると、いつまでも不幸と別れることはできません。」

神経症者の要求の特徴4より

 自分がしたいことをして、結果として「恵まれた人生」になった人と、皆が「わー、凄い」と言うことをして、恵まれた人生になった人では、同じように社会的経済的には恵まれていても幸福感は全く違う。皆が「わー、凄い」と言うことをして成功した人は、端から見て恵まれていても、生きるのが辛い。

 「理想の自分」とは要するに、皆から「わー、すごい」と賞賛されるような人間である。もちろん心理的に健康な人も皆から「わー、すごい」と賞賛されたい。しかしそれはあくまで自分が好きなこと、自分の適性にかなったことで成功して褒められたいということで、神経症者の様に自分の適性と関係なく、褒められたいとは思わない

 神経症型の人は現実の自分の実力、能力を無視して、何としても理想の自分になろうとする

 神経症者は失敗を受け入れることが出来ない。受け入れることが出来ないとは、失敗すると失敗を嘆いてばかり居ると言うことである。心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、失敗してもしたことに対する満足はある。失敗に対する態度でその人の神経症の程度は分かる。神経症者は自分を大切にした生き方をしていないから、失敗したら後悔だけの人生である。

 そして成功しても幸せになれない人である。なぜなら何事も自分の意志でしているのでないから。成功しても達成感、満足感がない。

 なぜ思惑がはずれたかを反省していない。相手を見ていないから努力が生きてこない。相手が何を望んでいるかを考えない。自分の世界観だけで努力する。だから「こうなる」と思ってしたことが、「こうならない」。 

 なぜなのだろうと考えないで、「もっと」同じことをする。さらに努力をする。

 神経症者は相手を見ていない。相手を理解していない。ではなぜ人を好きになるのか?なぜ人を嫌いになるのか?それは相手が自分の何かを誉めてくれた、自分のコンプレックスを癒す一言を言ってくれたからである。その一言で好きになる。逆に自分のコンプレックスの部分を逆撫でする一言を言い、傷つけたから嫌いになる。神経症型の人は相手がなんでそれを言ったかも考えない

 神経症者には、見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが最初にあるから、現実の自分には不可能としか考えられない様な大成功を求める。見返すために必要な成功、それが自分に対する非現実的な期待である。もともと無理なことを望んでいるのだから出来るわけがない。そしてそれができないから悩んでいる。現実の自分を無視してしまうのはまず見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが無意識の領域で先行するからである。

 例え望むだけの成功をして見返したと思っても、その時点での屈辱感を癒すものでしかない。その成功は長い人生の収穫になるものではない。自分のコンプレックスを処理しておかなければ、またすぐに惨めになる。

 自分は自分であるということのどうしようもない事実を喜んで受け入れることが出来るか出来ないかに、神経症と心理的に健康な人との分かれ目がある。「見返してやりたい」と努力する人は神経症。自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人。

 自分を受け入れられるようになってみると、自分を受け入れないのは太陽が東から昇ることを受け入れないのと同じくらい滑稽に感じる。つまり神経症型の人は実際の自分の能力を受け入れられないというよりこの世の現実を受け入れられないのである。

 何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。生き方を間違える人は今現在を大切に生きていない。人生を間違える人は毎日毎日することをきちんとしていない。

 とにかく自分の身になることを毎日続けなさい。どんなことでも毎日続けることは大変なことである。そのくじけそうになる気持ちを持続させることが、達成感を生んでくる。神経症的傾向を直したいと思えば、まず日常の生活態度をきちんとすることである。日常のことをきちんとする。毎日の積み重ねのなかで何かを感じる。例えば一年続ける。するとそこに達成感が生まれる。そして「こんな小さなことでもこんな気持ちがいいのだからもっとして見よう」と言う気持ちになるだろう。

引用ここまで(リンク先で全文を読んでみてください)


 行動原理が復讐=見返したい=怨念(うらみに思う気持ち)だと、だいたいうまくはいかないと思います。自分の適性に合わないことを選びがちだからです。これに対して、好きでやっていること=自分の適性に合っていることは続けることができます。期待に応えようとして自分の適性に合わないことをやっても、たいしてうまくはいきません。自分の適性に合ったことであれば、それなりにうまくいきます。

 日常生活をきちんとしている人は、生き方を間違えにくくなります。毎日毎日することをきちんとしているわけですから、そのぶんだけ勘違いをしにくくなるということです。日常生活をきちんとしていない人ほど、魔法のような開運法を探し求めがちですが、すべて役に立ちません。スタート地点から勘違いの連続なので、ずっと間違い続けることになります。

 よくある勘違いに、「ステージにあがりさえすれば、きっと賞賛される」というものがあります。実際に起きるのは、「日常生活をきちんとしていないという積み重ねが姿勢と動きと呼吸にあらわれて酷評される」という現象です。ステージ上では、普段やっていることしかできません。ひとりよがりな人は、ステージ上で文字通り「ひとり」となってしまいます。奇跡は起きません。

 適性がないことを、あると勘違いして行動すると、現実の壁が立ちふさがります。そこで現実を受けいれるか、受けいれないかという選択をすることになります。私は、すぐに現実を受けいれるようにしています。加藤先生の「実際の自分の能力を受け入れられないというよりこの世の現実を受け入れられないのである。」という言葉が脳裏をよぎるからです。

 適性のひとつに、「容姿(すがたかたち。顔だちと体つき。容貌風姿。)」があります。現実問題、容姿の良し悪しというのは大きな影響があります。先天的なものであれ後天的なものであれ、見た目の良し悪しでその後の展開は大きく変わることになります。ルッキズム(外見にもとづく差別)は批判されますが、現実世界からルッキズムが消えることはおそらくないのではないかと思います。もちろん、見た目を気にしない人たちはたくさんいますので、その世界で生きていくのが楽でいいかと思います。

■真の花(まことのはな)

能で、鍛練と工夫の末に得た、芸の真実の面白さ。永久不変の舞台上の芸のうまさ。

■時分の花(じぶんのはな)

能で、年齢の若さによって現れる、芸以前の一時的な面白さ。

 時分の花は、40を過ぎれば失われていきます。それ以降は真の花を咲かせていかねばならないように思います。日常生活をきちんとやることで永久不変の魅力というものが生まれてくるように思います。

「何事においても生き方を間違える人は、地に足のついたことをしないで派手なことをしたがる。人生でつまずいて立ち上がれない人はまず日常の生活をきちんとしていない。」という加藤先生の言葉を心に刻み、ステイホームに励みたいと思います。

2021年8月14日土曜日

自分の身は自分で守るフェーズに入ったと思います。できる限りの感染対策を講じましょう。

  新型コロナウイルスCOVID-19デルタ株・ラムダ株感染予防のため、自宅に引きこもってステイホームしております。不確実情報ですが、「ラムダ株は、中和抗体を弱める特性があり、ワクチンの効きが悪い恐れがある」との特性が指摘されております。インド由来で感染力が強い「デルタ株」を含む「懸念される変異株」より警戒度は低いとされていますが、脅威には変わりません。感染者数の増加によって医療体制は逼迫しており、迷惑はかけれない状況だと認識しております。

 私の第2回目のワクチン接種予定日は、8月22日です。計算上は、9月の中旬くらいには効果を得ることができそうです。そのくらいから、少しずつ活動を戻していければと考えております。とはいえ、公共施設が借りれないので、以前のような活動に戻すことはできませんが。コロナ禍以前の状態に戻ることはないでしょうから、そろそろ今後の活動内容を見直さないといけません。ただ、先が見えない状況で悪足掻きしても良い結果にはつながりませんので、コツコツ基本動作の反復練習を積み重ねております。 

デルタ株

 いずれにしても、現在はもう「自分の身は自分で守る」というフェーズだと思います。デルタ株には、ヒトの細胞にくっつきやすいという特性があり、肺の細胞に入り込んで感染しやすく、急激な重症化につながるとされております。コロナウイルスのくっつきやすさを変えることはできませんが、人が周りに吐き出したり吸い込んだりするウイルス数は減らすことができます。いままで以上に、人が集まる場での高性能マスクの着用、こまめな換気、t者との距離をとる、手洗いをするなどの基本的な感染予防対策をすることが重要となります。

 何ごとも、基本の徹底が大切だと思います。デルタ株に感染しないために、各自ができることは従来株と同じです。密集、密接、密閉の3密を避け、適切なマスクの着用、手洗いの徹底ができていれば、リスクを低下させることができます。加えて、「飲酒を伴う懇親会等」「大人数や長時間におよぶ飲食」「マスクなしでの会話」「狭い空間での共同生活」「居場所の切り替わり」を最大限に回避することを心がける必要があります。

 後遺症として、倦怠感、頭痛、息切れ、体の痛み、持続性の咳などがあり、一部の方には微熱、胃腸の不調、動悸や心拍数の変化などに加えて集中力の低下や脳の霧(brain fog)、耳鳴り、四肢の感覚の低下などの神経学的な症状が出ているそうです。とにかく、「感染しないためにできることはすべてやる」ようにしていきたいと思います。

2021年8月10日火曜日

日本人の身体操作の要は「小指の使い方」~「日本刀と扇子」

  東京集中講座が中止になったため、8月6日から9日まで自宅で自主練習に励んでおりました。私は元々が引きこもり体質なので、本来の在り方だなと実感しておりました。この間、紫水堂さまで刀をお受けして、日本刀身体操作のお稽古をしておりました。

紫水堂さまでお受けした刀

 一時期、古武術がブームになったこともあり、いまでは和の身体操作ができる人たちがたくさんおられます。私は、機能運動学的な身体操作指導を生業としておりますが、居合術や抜刀術の達人の動きの合理性に学ぶところが大きくあります。特に「刃筋を立てる」という操作には、「刃を中心に据えて自分はそれに従う」という基本姿勢を見ることができ、エゴを肥大させがちな身体操作指導者には、良き戒めになるように感じております。

 そして、「扇子(扇を閉じた状態)」のお稽古の重要性を再認識しております。

白扇

 日本刀も扇子も、「小指」で握ります。残りの指には力を入れません。逆に、曲芸的にぶんまわすときは、「母指と示指」で握り、残りの指には力を入れません。

 日本刀は刃筋を立てて振ると、「ひゅっ」という風斬り音(刃鳴り)が生じます。試してみるとすぐにわかりますが、5本の指でしっかり握りしめて振ると音がしません。扇子は。小指で扇子の要(かなめ)を押さえて握ります。試してみるとわかりますが、この握り方以外の握り方では、上体が崩れてしまいます。

 両手で刀を握るときは、右手が上・左手が下となり、左手の小指で握るとうまく振れます。右手で刀を握るときは、右手の小指で握ります。私は、白鞘の舞踊刀を常用しておりましたが、普段から扇子を小指で握るように習慣化しておりましたので、左右共に片手振りは円滑に行なえます。

 「機能運動学的に正しい動きは美学的に美しい」と、されております。逆に言えば、機能運動学的に正しくない動きは、美学的に美しくないということだと思います。エゴが強くなればなるほど、機能運動学的に正しくない動きとなっていきます。当然の結果として、誰も美しくない動きは見たくありませんので、見てもらえないということになります。厄介なことに、エゴが強い状態のときほど人前で披露したがるため、まずい結果になってしまいがちです。

 「たかが小指、されど小指」なのだと、しみじみ思います。「たか(高)が」は、「問題にするほどの価値のないさま」を意味し、「されど」は、「前述の事柄を受けて、相反する内容であることを表す。そうではあるが。しかし」を意味します。小指は目立ちませんが、目立たない小指が活化されているからこそ、全身の動きがよくなるのです。

 今日の塾生講座で、小指の使い方について解説いたします。有料オンライン塾生講座に内容をアップする予定です。

2021年8月6日金曜日

長い人生のうちには悪いときもあればよいときもある。悪いことばかりが続くものではない。

■雌伏(しふく)

今の状況に身を置きながら、実力を養いつつ、活躍の機会を待つこと。⇔雄飛

■雄飛(ゆうひ)

飛揚するように、勢い盛んに勇ましく活動すること。⇔雌伏

 観阿弥が息子の世阿弥に、「人生には雄(お)とき=何をしてもうまくいく時がある。幸運にのって一生懸命すればいいが、慢心したりすれば、たちまちに何をやってもうまくいかなくなる、雌(め)ときが訪れる。ここで我慢して辛抱していれば雄ときはまたやってくる」と、言ったそうです。

 雄ときは運が良いとき。何をしてもうまくいき調子に乗ってるとき。

 雌ときは運が悪いとき。何をしてもうまくいかず調子に乗れないとき。

 雄ときには驕り高ぶらないこと。油断せずに自分を戒めること。雌ときにはじっと耐え忍ぶこと。そして自分の在り様を見つめ直し自分を改変成長させるときです。

■禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

 わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸は縄をより合わせたように交互に絡み合い表裏をなす。一時のそれに一喜一憂しても仕方がない。

「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨」≒「禍(わざわい)に因(よ)りて福(ふく)と為す。成敗(せいはい)の転ずること、譬(たと)えば糾(あざな)える墨(ぼく)のごとし」。

■塞翁が馬(さいおうがうま)

 人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。「人間万事塞翁が馬」

 昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。「淮南子(えなんじ)人間訓」

■沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

 長い人生のうちには悪いときもあればよいときもある。悪いことばかりが続くものではないというたとえ。

■楽は苦の種苦は楽の種

 楽は苦を、苦は楽を生むもとになる。今の苦労は将来の楽につながるから耐え忍ばなければいけない。


 これから新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延が本格化します。この局面で私にできることは「ステイホーム」だと考えております。自分が感染しないため。そして、他者に感染させないためです。ステイホーム(stay home)とは、「家に居よう」「といった意味の表現であり、2020年春に新型コロナウイルス感染症の拡大・蔓延が危惧される中で提唱された行動様式を示すスローガンです。現在は死語になってしまっておりますが、いまこそ家に居ることが重要だと考えております。

 私たちの仕事は「人を集めること」で成立しています。現在の「人を集めてはいけない」という状況は、文字通りの「雌とき」だと言えます。ここで悪足掻きしても未来は暗くなるように思います。じっと耐え忍び、自分の在り様を見つめ直し自分を改変成長させるときだと認識しております。どういう展開になるか想像もつきませんが、ワクチンに続き治療薬がつくられない限り、いろいろと難しいような気がしております。

 8月中~下旬がひとつのヤマだと感じております。その後どうするか現在の私にはわかりませんが、いまは自分のトレーニングに励もうと思います。

2021年8月3日火曜日

8月の東京・名古屋・大阪の集中講座の開催を中止いたします。

  新型コロナウイルス・デルタ株が蔓延しつつあります。感染予防のため、東京・名古屋・大阪の集中講座を開催を中止いたします。国境を越えた大運動会が開催される中、県境を越えた講座を中止にするのはいささか納得がいかない気持ちですが、人命を第一に考えることにいたしました。

 私自身のワクチン接種(2回目)が8月22日であることもあり、私自身の身を守るためにも、8月はできる限りのステイホームを心がけることにいたしました。9月の日本国全体の状況がどうなっているかを考えてみたとき、どうなっているのか想像がつきませんが、いまはおとなしく命を大切にしたいと思います。

 みなさまも、命を落とさないよう、また、回復したとしても数年にわたる後遺症に苦しむことのないよう、できる限りの感染予防対策を講じてください。やらかして一生後悔するより、いま本気の我慢をするほうがずっといいはずです。デルタ株の次に来る株はさらに強力でしょうから、用心に用心を重ねてください。

2021年8月1日日曜日

8月の「福津グループレッスン」と「宗像グループレッスン」をお休みさせていただきます(福岡県にまん延防止等重点措置が適用されるため)。

  8月2日から再び福岡県にまん延防止等重点措置が適用されることになり、会場の夜利用ができなくなりましたので、8月の「福津グループレッスン」と「宗像グループレッスン」をお休みさせていただきます。なかなか出口は見えませんが、生きていられるだけで尊いことですから、命を大切に、健康を大切に、感染防止を心がけてまいりましょう。深刻な後遺症に悩まされることにならないよう、回避に回避を重ねてまいりましょう。

 私は、本日が第1回目のワクチン接種です。9月中旬にはある程度の抵抗力を得ることができているかと思います。しかしおそらく、COVID-19のほうも変異してワクチンの効果を無効にすることが予想されます。いずれはイタチごっこになるかもしれませんが、とりあえずの安心感を得たいと思います。現在は2回接種ですが、すぐに3回接種となりそうです。

 経済面のダメージは、いまは耐えるしかないと思います。命があるだけでよしとして、何とか乗り切ってまいりましょう。

2021年7月30日金曜日

首をほぐすうつぶせでの腕引き、腰をほぐすうつぶせでの脚引き。

 腕引き、脚引きともに、うつぶせのほうが効果的です。しかし、気をつけねばならない点は、あおむけよりも多くなります。


うつぶせでの腕引き

うつぶせの脚引き

各地の講座にて、うつぶせでの腕引き・脚引きの解説をしていく予定です。

今後の予定です。

7月31日(土)下関集中講座 → 詳細

8月1日(日)機能運動学大牟田サークル → 詳細

8月6・7・8日(金・土・日)東京集中講座 → 詳細

2021年7月27日火曜日

腰の緊張をゆるめる~脚を長く伸ばす

  お腹が出て腰が緊張しているとき、脚が短縮していることがあります。脚を長く伸ばすとお腹が引き締まり、腰の緊張が抜けます。

脚を長く伸ばす

 股関節から脚を引き抜く意識で脚引きをする派もありますが、私は頭蓋骨から半身全体をやさしく引くように奨めております。施術者の緊張はすぐに相手に伝わってしまい無効化してしまうので、脱力して姿勢を正し、姿勢の力で引くようにしなければ効果は得られません。

 各地の集中講座で指導してまいります。

今後の予定です。

7月31日(土)下関集中講座 → 詳細

8月1日(日)機能運動学大牟田サークル → 詳細

8月6・7・8日(金・土・日)東京集中講座 → 詳細

2021年7月26日月曜日

首肩をほぐす~腕を長く伸ばす

 各地の集中講座で、コロナウイルス対策をした上で「腕を長く伸ばす」という手技をお伝えしております。

腕を長く伸ばす

 このタイプの手技は、動画や静止画や文字情報などでは伝わらないように思います。実際に引っ張ってもらうことで、施術者の姿勢や体の使い方によって効果がまるで変ってしまうということを知ることができます。

 手首の詰まり、肘の詰まり、肩の詰まり、首の詰まりは、腕が長く伸びることで解消することが多いものです。手技を身につけるにはそれなりの練習量が必要ですが、積み重ねていくと応用が効くようになります。

今後の予定です。

7月31日(土)下関集中講座 → 詳細

8月1日(日)機能運動学大牟田サークル → 詳細

8月6・7・8日(金・土・日)東京集中講座 → 詳細


2021年7月21日水曜日

筋肉がほぐれにくいのは、施術者の緊張が受術者に伝わってしまうからという場合が多いようです。

 筋肉をほぐそうとして施術しても、筋肉がほぐれるどころか、ますますガチガチに固まってしまうという結果になってしまうことがあります。これは、施術をする側の緊張が施術を受ける側に伝わってしまうからという場合が多いようです。つまり、まず最初に施術者自身が緊張をほぐしておかないといけないということになります。施術者を目指す人の中には、過緊張で自身の体調を悪化させていたという人がおられます。現在進行形で、過緊張をほぐせてない人も多いかと思います。

 安部塾では、自分で自分の筋肉をほぐす技術を学ぶことを奨めております。他者の緊張をほぐせるレベルに達するということは、最低限、自身の過緊張程度は自身でほぐせるということだと考えております。逆説的になりますが、他者の過緊張に触れることで「適正緊張と過緊張の違い」を理解することで、自身の過緊張をほぐせるようになり、他者の過緊張をほぐすお手伝いができるようになるということになります。

7月22・23・24日の、大阪・名古屋・神戸での集中講座で解説いたします。

☆大阪集中講座

7月22日(木)

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☆名古屋集中講座

7月23日(金)

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☆神戸集中講座

7月24日(土)

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2021年7月16日金曜日

ガチガチに固まった筋肉をやわらかくする。手技療法による体ほぐし・伸ばし。

 7月の大阪・神戸・名古屋の集中講座は、手技療法による体ほぐし・伸ばしの実技解説をいたします。「なぜ、筋肉がガチガチに固まってしまうのか?」「どのようにしたら『ふわふわの筋肉』になっていくのか?」について、詳しく説明いたします。筋肉がガチガチに固まっていまう=筋肉が過剰緊張状態になったままになってしまうと、心身両面に悪影響が出てまいります。

体伸ばし

 ガチガチに固まった筋肉をいきなり強い力で押したり揉んだりするのは、少し考えたら「やってはいけないこと」であるのはすぐにわかると思います。多くの場合、筋肉が固まっている理由は、不安や怒りなどの緊張による随意的な抵抗によるものです。そこに強い刺激を与えればどうなるかなんて火を見るより明らか(きわめてはっきりとしており、疑いようのない)です。

 手技療法に限りませんが、触れる側の緊張は、触れられる側にストレートに伝わります。緊張が伝達することで緊張がほぐれることはあり得ません。触れる側自らが深いリラックス状態にないと、触れられる側をリラックス状態に誘導することはできません。体を伸ばせていない人に触れられるとさらに緊張が高まり、体を伸ばせている人に触れられると(相性が良ければ)リラックス状態が訪れます。

 突き(パンチ)でいうところの「浸透する力」を使えば、極軽いタッチで内部に圧を浸透させることができます。結果的に、触れられる側だけでなく、触れる側の体調もよくなります。

 7月の大阪・神戸・名古屋の集中講座は、触れる側の姿勢のつくり方を中心に、「緊張せずに他者に触れる技術」について解説していきます。

☆大阪集中講座

7月22日(木)

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☆名古屋集中講座

7月23日(金)

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☆神戸集中講座

7月24日(土)

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2021年7月14日水曜日

同側で体をつないで楽に動く

同側で体をつなぐ

 例えば、うつぶせで右腕と左脚を浮かせるとき、対角線でつないでいる人は右腕と左脚を浮かせるというそのままの指示を自分に出していると思います。安部塾では、同側を意識するため、右脚が床のほうへさがりながら右腕が浮いていき、左腕が床のほうへさがりながら左脚が浮いていくというように指示を出します。

 片脚立ちやY字バランスも同様で、右脚支持であれば右腕をつないでバランスをとることで左脚を浮かせていきます。

 同側で体をつなぐことで姿勢が安定し、楽に動けるようになります。その上で、対角線連鎖を使うことで、素早い動きや軽い動きをすることができます。

 この考え方は、手技療法における筋ほぐし・伸ばしにおいても重要です。7月22~24日の関西での講座で詳しく解説いたします。

☆大阪集中講座

7月22日(木)

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☆名古屋集中講座

7月23日(金)

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☆神戸集中講座

7月24日(土)

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2021年7月8日木曜日

「外見だけは力のあるふりをする。自分の弱い所を隠すために、逆に強がった様子でふるまう。」薄っぺらいことを偉そうに発信してみても、よい結果にはつながりません。

 他者をやたら見下す態度をとる人を観察してみると、その人自身のネガティブ(否定的)感情から逃げ出しているのがすぐにわかると思います。ネガティブな感情と向き合わず、、そこから逃げようとしてしまったがために、他者を見下すことでしか心の安寧を得られなくなってしまうのではないかと思います。

 例えば、怒りですが、「第二次感情」とされています。怒りは何もないところから生まれることはありません。「第一次感情」とされる「孤独感・寂寥感」「悲哀」「不安感」が溢れたときに生まれます。根源に、怒りとは別の感情があるとされます。クレーマー、~警察、「反~」、その他の方々の怒りの根源を観察してみると、いろんな感情が交錯しているのがわかると思います。

 感情は、生存のための反応的プログラムだとされています。感情が起こらないようにするのは困難です。反応として湧いてきたプログラムに、自分で身勝手な解釈をしないことが大切だと考えられています。

 過剰な筋緊張があると、「現在、この場所」に起きている不快な身体感覚と、過去の嫌な思い出や、将来への不安を結びつけてしまいがちとなり、負の感情が無限連鎖的に増幅され続けていきます。それに伴い、筋緊張レベルもより高くなっていきます。そして、虚勢を張るようになります。

 虚勢とは、「外見だけは力のあるふりをする。自分の弱い所を隠すために、逆に強がった様子でふるまう。」ことです。「自分の弱い所を隠して、外見だけは威勢のあるふりをする。からいばりをする。」ようになるのです。

 当たり前のことですが、結果を出せていないことをいちばんよくわかっているのは自分自身です。だから、わざわざ外に向けて、上から目線の態度で発信することになるのです。私の友人が、「薄っぺらいことを偉そうに発信する方、好きになれないです。」と言っていました。「私も同じく」と応えました。ペラッペラなのは、その姿を画像で一瞥しただけですぐにわかります。映像ならなおさらです。発する言葉が上から目線であればあるほど、単純に嫌われてしまうことになります。

 そして、虚勢を張った結果として嫌われることで、ほんとうの意味での自信がガリガリと削られていきます。そうすると、派手さだとか豪華さだとか、そういった小手先の演出に頼ることになります。重厚な人が派手にしたりとか豪華にするのは観る者の好感を得るのですが、薄っぺらい人が派手にしたりとか豪華にすると、観る者に激しい嫌悪を感じさせることになります。

 私は、自分のネガティブ感情に向き合うということは、自分の過剰な筋緊張に向き合うことだと考えております。過剰な筋緊張を適正化していくことが王道だと思います。

 明日からの東京集中講座で、物理サイドからの筋緊張適正化の解説をいたします。

☆東京集中講座

■7月9・10・11日(金・土・日)

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