2021年8月22日日曜日

自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。

 「自己肯定感」という言葉がブームになって、かなりの時間が経過しました。自己肯定感は、「自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情」とされています。

 「自己肯定感が高い状態」というのは、「自分に対しても、相手に対しても、世界にたしても、肯定=OKを出している状態」です。なので、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。求められてもいないアドバイスしたがったり、誰かを変えようとしている人の自己肯定感はボトムラインだと私は考えております。

 よくある勘違いに、地道な努力で変えられる部分を変えようとしないというのがあります。変えれることを変えない人の自己肯定感が高くはなることはありません。ダメな自分が嫌いなのに、そんな自分を好きになろうとするとか、そういった努力次第で変えられる自分の嫌いな部分を変えないままで、自分を肯定しようとする人をよくお見かけいたします。ただの現実逃避に過ぎませんし、単に面倒くさいことをしたくないだけです。

 自分のことが嫌いだった人が、地道な努力を積み重ねることで結果を出して自信をつけて自分のことを好きになるという展開が王道だと思います。努力次第で変えられる自分のダメな部分を変えようとせず自己肯定感を高めたいとか土台が無理な話だと思います。そして、やらなければならないことをやるために、しなければならないことがあります。そう。自分は何ができて何ができない人間なのかという、「身のほど・分際を知る」ということです。

 自己肯定感を高めるために私がおすすめしているのは、「諦めなければならないことを諦める」ということです。自分ができないこと=不得意なことを認めて受けいれるということです。これができれば、やらかしをしてしまうことがなくなります。できもしないのに謎の自信をもってステージにあがったらどうなるかは、実際にやらかしている人たちを観察すれば秒でわかります。努力で変えられないほど才能がないのが誰の目にも明らかであるのに、その努力もしないでステージにあがりボロカスに酷評されている姿は、自己肯定感を勘違いした人の末路だなと感じております。さすがに下火になってきましたが、自分の容姿を肯定的に勘違いして自撮りをSNS上に拡散する人たちもいます。これも、ほんとに容姿端麗眉目秀麗であればいいのですが、そうでなければテロ行為と認識されていることが多いようです。

 できていないこと自体は良くも悪くもありません。問題は、できていないことを認めていないという点です。できていない自分を自覚し懸命に努力してステージにあがっていればそれほどひどい目にはあわないでしょうし、支援者もあらわれると思います。見た目がよくないと自覚してSNS上に自分をさらす行為にも、それほど悪意は向かわないような気がいたします。私は最近、拙い粘土細工の舞面をSNS上にアップさせていただいておりますが、ダメな作品だという自覚があるため、怒られが生じずに済んでおります。

 おそらく、自己肯定感を勘違いすると、「私は特別な存在」という得意満面な状態に陥ってしまうのだと思います。無意識に相手を見下したような態度をとってしまうため、相手の反感を買うことになります。「私はすごい人」という盛大な勘違いにより、まわりの人たちを肯定しないというNG行為に及んでしまうことになり、破綻してしまうという展開になりがちです。他の人にできないことができるという能力は、他の人を楽しませるために使うものであり、決して自慢するために使うものではありません。まして、能力的にたいしたことがないのであれば、「見苦しいものをお見せして申し訳ありません」というくらいの気持ちでないと、怒られが発生するように思います。

 なぜだか、やらかす人たちはみな謎の自信に満ちていたりします。妄想の中では、自分が世に出れば注目され絶賛されると感じているからです。妄想は妄想でしかありませんので、現実化することはありません。現実化するのは、ろくに努力をしていないのが誰の目にも明らかなため、まったく評価されないという状況です。妄想に耽っている怠惰な思考に基づく言動による結果が現実化するのであって、妄想が妄想のままに現実化するわけではないのです。

 繰り返しになりますが、自己肯定感が高い人は、正当な理由なく相手を否定したり、世界を非難したりしません。他者を否定している状態にある人たちは、「自分以外の誰かを変えようとしたり、支配・操作(コントロール)しようとしたり、マウントをとろうとしたり(優位に立とうとしたり)したがります。このことを知っていれば、後者の人たちがいかによろしくない状態に陥っているかが判別できると思います。