2013年10月22日火曜日
『私は中心という言葉を使うのが好きだ』 パールズ先生語録
記憶のゴミ箱―パールズによるパールズのゲシュタルトセラピーを読んでいる。
124Pより
私は「正常」という言葉を創造的中立性を指すものとして使いたくない。
それは、多くの場合平均を指すものとして使われ、最善の機能を意味することはない。
私は「完全」という言葉を創造的中立性を指すものとして使いたくない。
それは達成と賞賛の匂いがする。
私は中心という言葉を使うのが好きだ。
それはいつも大当たりの矢が当たる標的。
私は右や左、上や下に外れる不完全なすべての矢が好きだ。
何千もの失敗した試みが好きだ。
そこには一つの標的と何千の善意がある。
友よ、完全主義者になってはいけない。
完全主義こそ呪いであり、重荷だ。
失敗してはいけないと思うから震えて標的を外してしまうのだ。
放っておけば、そのままであなたは完全なのに。
友よ、失敗を恐れてはいけない。
失敗は罪ではない。
失敗は何かを違うやり方でやるための方法なのだ。
たぶん新しい創造的なやり方で。
友よ、失敗を後悔してはいけない。
誇りに思いたまえ。
あなたは自分自身を与える勇気を持っていたのだ。
中心にいることを学ぶには何年もかかるし、
「今」に生きることを学ぶにはさらに何年もかかる。
それまでは両極端に気をつけることだ。
完全主義と即席の癒し、即席の喜びと即席のセンサリーアウェアネス。
それまでは援助しようとしてくる者に気をつけることだ。
援助者とは当てもないのに約束だけする詐欺師だ。
援助者はあなたを甘やかし、依存させ、成熟させないようにする。
僕は、フレデリック・サロモン・パールズ(Frederick Salomon Perls)先生の影響をモロに受けている。
今の僕があるのは、ひとえに彼の残してくれた言葉の御蔭である。
画像引用元URL http://barryraphael.wordpress.com/2013/07/08/friedrich-frederick-salomon-perls-july-8-1893-berlin-march-14-1970-chicago-aka-fritz/
もしもこの世に彼が生まれていなかったらと思うと、ゾッとしてしまう。
僕が今の仕事をやっていく上で、とても役立っているページがある。
はじめてこの文章を読んだときは衝撃だった。
これからも、この文章が役に立つ場面がやってくるかもしれない。
僕が塾をつくろうと覚悟を決めたのは、彼のエサレン研究所でのエピソードを知っていたから。
アイダ・ロルフのロルフ式身体統合法(ロルフィング)と彼のゲシュタルトセラピーの親和性は高かったらしい。
『中心』と『統合』
安部塾の基本に『全体性』を据えて、じっくりと取り組んでいきたい。
『~でなければならない』という『べき思考』
いわゆる『完全主義』の立場はとらない。
インスタントな癒しもしない。
あなたはあなたのために生き、僕は僕のために生きる。
特定の師や流派に対する安易な依存は、自己統合の妨げになる。
理想化の後には「こきおろし」が待っている。
中心にいることを学んで欲しい。
「今」に生きることを学んで欲しい。