2025年11月1日土曜日

人間の精神や性格は固定されたものではなく、脳の機能の結果として絶えず変化する流動的なものだと認め、変化を恐れずに自己の可能性を信じ、行動を通じて自己を更新していく自由を享受する

心は存在しない―不合理な「脳」の正体

 毛内拡(もうないひろし)氏の著書『心は存在しない―不合理な「脳」の正体を科学でひもとく』は、「心(こころ)は最初から存在しない」という生物学的な視点から、その正体を科学的に解き明かす一冊です。🔬


🧠主なポイント

  • 心の非存在説: 著者は、一般的に考えられている「心」は、脳の働きが生み出した結果(副産物)であり、解釈にすぎないと主張します。生物学的に見れば、「心」という実体は存在しないとしています。

  • 不合理な行動の理由: わたしたちが「感情に振り回されてしんどい」と感じたり、「不合理な判断ばかりしてしまう」のは、「心」があることを前提に考えてしまうためです。本書を読むことで、「心」の実態がわかり、そうした悩みが軽くなることを目指しています。

  • 心と脳・身体の関係: 心は脳の機能の一つであり、身体を統合するためのものと捉えられます。脳と身体はインプット・アウトプットでお互いに深く作用しあっており、その結果が心として現れるという考え方です。

  • 「私」の同一性: 身体の細胞や脳脊髄液は日々入れ替わっており、数年前の自分と今日の自分が生物学的に同一であることを保証するのは難しいという点にも触れ、自己の同一性についても考察しています。

  • 性格診断への批判: 脳は高い可塑性(かそせい)を持っているため、性格診断などで決めつけることは、自分の可能性を狭めることにつながると批判的な見解を示しています。

🧠 「心」が錯覚である主な理由

1. 心は脳の「副産物」である

 一般に実体として捉えられがちな「心」は、実際には脳という臓器の複雑な情報処理や機能の結果として現れる現象(副産物)であると説明されます。

  • 脳の機能の結果: 脳が身体の情報を統合し、環境に適応するために活動した結果を、わたしたちは「心」や「意識」として解釈しているにすぎません。

  • 「解釈」にすぎない: 「悲しいから泣く」のではなく、「泣く」という身体的な反応や脳の処理が先にあり、それをわたしたちが「悲しみ」という感情(心)として後付けで解釈している、という立場をとります。

2. 「私」の恒常性の欠如

 「心」の土台となるはずの「自分(わたし)」の同一性(恒常性)が、生物学的には保証されないことが指摘されます。

  • 細胞の入れ替わり: 身体の細胞や脳脊髄液は日々入れ替わっており、数年前の自分と今日の自分が、物質的な側面では同一ではないにもかかわらず、わたしたちは「同じ自分」であると感じます。この「一貫した自分」という感覚は、脳が生み出す錯覚に近いとされます。

  • 遺伝子発現の可変性: 遺伝子は絶対的なものではなく、その発現の仕方によって結果が変わり得るため、「本質的な私」は一貫しておらず、曖昧な存在であるという見方を示します。

3. 不合理な行動の説明

 人間が感情に流されたり、不合理な判断を下したりするのは、「心」という実体があることを前提にしてしまうからです。

  • 脳の仕組み: 脳の働きは必ずしも論理的・合理的ではなく、生存や適応を最優先するために、時として不合理に見える判断を下します

  • 悩みの解放: 「心」を脳の単なる機能や解釈と捉え直すことで、「なぜ自分は感情に振り回されるのか」といった悩みが、「脳の仕組みがそうさせている」という理解に変わり、精神的な負担が軽くなることを示唆しています。


💡 結論

毛内氏の主張は、「心」を精神的な実体としてではなく、あくまでも身体を統合し、環境に適応するための脳の機能(アウトプット)として捉え直すことで、これまで神秘的だった「心」の正体や、わたしたちの不合理な行動の理由を科学的に説明しようとするものです。この「機能の結果」を、人間があたかも独立した実体のように感じていることが「心」が錯覚である所以とされます。

🎭 感情の正体:情動(じょうどう)と解釈

 「感情」は以下の二段階のプロセスを経て生まれると考えられています。

1. 情動(反射的な反応)

 「情動」は、喜び、怒り、恐怖といった原始的かつ反射的な心の動きであり、脳で解釈されたり言語化されたりする前の「快・不快」の感覚に近いです。

  • 生きるためのアラート: 情動は、外界からの刺激に対して、身体的な変化や即時の行動(逃走や攻撃など)を促すための「生存のための信号」です。

  • 関わる脳部位: 扁桃体(へんとうたい)が特に重要な役割を果たします。例えば、「恐怖」のような不快な情動は扁桃体が深く関わっており、危険な状況に対してアラートを出し、即座の行動反応を引き起こします。

2. 感情(解釈された結果)

「感情」は、この情動による反射的な反応を、脳のより高次な部分が認識し、文脈や背景を判断して解釈し、言語化した結果であるとされます。

  • 例:「泣く」という現象: 涙が出る(情動による反射)という現象自体には、「嬉しい」のか「悲しい」のかという感情は含まれていません。涙が出た後に、「嬉しくて泣いている」「悲しくて泣いている」といった背景を判断することで、初めて裏にある感情がわかります

  • 脳は臓器である: このように感情を「脳の働きの結果」と捉えることで、ネガティブな感情も「気の持ちよう」ではなく、ある程度は脳という臓器の正常な働きとして捉えられ、悩みが軽減されるとされます。


⚙️ 感情の仕組みを司る主な神経回路

 感情の基盤となる神経回路には、様々な脳領域が関わっています。

  • 扁桃体 (Amygdala)恐怖、不安などの情動処理の中心的な役割を果たします。外界からの危険な刺激を認識し、すばやく身体を反応させます。

  • 視床下部 (Hypothalamus):情動に伴う身体的な反応(心拍数の増加、血圧の変化、ホルモンの放出など)を制御します。

  • 腹内側前頭前野 (VMPFC)・前頭葉 (Frontal Lobe)情動のコントロール抑制、そして複雑な社会的感情に関わります。例えば、怒りのコントロールには腹内側前頭前野が関わっていることが示されています。

  • 報酬系・懲罰系:

    • 報酬系:快感(ポジティブな感情)を発生させ、生存に有利な行動を促します。

    • 懲罰系:不快や痛み(ネガティブな感情)を発生させ、危険を警告し、有害な行動を避けるように制御します。

感情は、これらの神経回路が連携し、外界からの刺激の生物学的意義(有害か否か)を評価する過程で生じ、ヒトや動物を行動に駆り立てる性質を持っています。

🕊️ 心を理解することで得られる3つの自由

1. 感情からの解放(自己の許容)

 従来の「心」の概念では、ネガティブな感情は「気の持ちよう」や「精神力の弱さ」として捉えられがちでした。しかし、「心」を脳の機能として捉え直すことで、以下の自由が得られます

  • ネガティブな感情の受容: 感情(特にネガティブなもの)を、生存のために不可欠な脳の機能の結果として客観視できます。「しんどい」「不安だ」といった感情は、自分の意志の弱さではなく、脳という臓器が正常に働いている証拠であると理解できるようになります

  • 「気の持ちよう」という呪縛からの解放: 感情を「脳の仕組み」として捉えることで、「すべては気の持ちようでどうにかなる」という認知バイアス(脳が省エネするために生み出す思考のショートカット)から解放されます。

2. 不合理な行動からの解放(客観的な対処)

 人間がしばしば不合理な判断を下したり、感情に流されたりする理由を科学的に理解することで、自己の行動を客観視し、対処する自由が得られます。

  • 仕組みの理解と対処: わたしたちの行動や判断は、しばしば生存や適応を最優先する脳の反射的な働きによって行われます。この仕組みを理解することで、「なぜ自分はいつもこうしてしまうのか」という悩みが、「これは脳がそうさせているのだ」という客観的な理解に変わり、合理的な対処法を模索できるようになります

3. 「変わらない自分」という固定観念からの解放

「心」が実体ではなく、細胞が絶えず入れ替わる脳の機能の結果であると認識することで、「自分はこういう人間だ」という固定観念から解放されます。

  • 可塑性の肯定: 脳は高い可塑性(かそせい:変化する能力)を持っています。「昨日の私と今日の私は同じではない」という事実を受け入れることで、性格や能力が固定されているという考えから脱却し、「自分はいつでも変われるという自由な発想を持てるようになります

  • 可能性の拡張: 性格診断や過去の自分に縛られることなく、新たな行動や経験を通じて、脳の働きや解釈を変え、自己の可能性を広げる自由が得られます。

🧠 可塑性の肯定とは

 「可塑性(かそせい)」とは、もともと「形を変えやすい性質」を指す言葉で、脳科学においては脳の神経回路が経験や学習、環境に応じて変化する能力を意味します。可塑性の肯定とは、この脳の可塑性を認め、以下の点を肯定的に受け入れることです。

1. 「変わらない自分」という固定観念からの解放

 「心」が脳の機能の結果にすぎず、脳自体が常に変化していると認識することで、「自分はこういう性格だ」「私はこれが苦手だ」といった固定観念から解放されます

  • 過去の自分との非同一性: 脳の細胞は入れ替わり、機能も絶えず変化しています。したがって、「昨日の私と今日の私は同じではない」という事実を認めます。

  • 「本質」の否定: 生まれ持った遺伝子や過去の経験が、今の自分の全てを決定しているわけではないと捉えます。

2. 性格診断やレッテル貼りからの自由

血液型や特定の性格診断の結果などによって、自己の可能性を不必要に狭めてしまうことへの批判と、それからの解放を指します。

  • 決めつけの危険性: 性格や能力を固定的なものとして決めつけてしまうと、脳の持つ高い可塑性を活かせなくなり、自己成長の機会を失ってしまいます。

  • 無限の可能性: 脳は常に変化できるため、「自分はいつでも変われる」という自由で前向きな視点を持てるようになります

3. 行動による自己変革の肯定

 「可塑性の肯定」は、知識として知るだけでなく、意識的な行動を通じて脳を変化させることを積極的に捉える姿勢です。

  • 脳の変化は行動から: 脳の神経回路は、新しい経験や学習、そして情動を喚起するような体験によって作り替えられていきます

  • 「新奇体験」の推奨: 脳を活性化させ、ネガティブな感情のループから抜け出すためには、いつもと違うことをする「新奇体験」(例:一人旅、新しい趣味、いつもと違う道を選ぶなど)が有効であると推奨されています

 要するに、「可塑性の肯定」とは、人間の精神や性格は固定されたものではなく、脳の機能の結果として絶えず変化する流動的なものだと認め、変化を恐れずに自己の可能性を信じ、行動を通じて自己を更新していく自由を享受することです。