2023年3月2日木曜日

自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣をもつ不幸な人。客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている幸福な人

 自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣をもつ不幸な人。

 彼は、あるべき自分の理想像を抱いており、その理想像は現実の(あるがままの)自分の姿と個別に衝突している。

 彼が心から望む喜びは、ただひとつ、幼い時に経験した記憶のある、母親からほめられて愛撫される喜びなのである。

 彼は全く自己のことで満たされ、自分自身に対して己が神であり世界そのものとなる。

自己の立場を過大評価するという本質、ならびに自己と異なるすべてのものに対する憎悪はナルシシズムの通例である。

 一方で幸福な人は、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている。

幸福論(ラッセル) (岩波文庫)著者 : B.ラッセル 安藤貞雄

 「ラッセル幸福論」は、世界三大幸福論のひとつで、著者は歴史的な数学者であり論理学者であったバートランド・ラッセルです。

 ラッセルは、不幸の最大原因は「自己没頭=自己陶酔」だと言います。自己没頭とは、自分の内にこもってしまうことです。自己没頭として、「罪びと」「ナルシシスト」「誇大妄想狂」をあげています。

 自己陶酔には多くの種類がある。ごくありふれたタイプとして、「罪びと」、「ナルシシスト」、「誇大妄想狂」の3つのタイプをとりあげてみよう。

Self-absorbtion is of various kinds. We may take the sinner, the narcissist, and the megalomaniac as three very common types.

 ナルシシズムは、ある意味で、習慣的な罪の意識の裏返しである。

Narcissism is, in a sense, the converse of an habitual sense of sin.

 誇大妄想狂は、魅力的であるよりも権力を持つことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める点で、ナルシシストと異なる。

The megalomaniac differs from the narcissist by the fact that he wishes to be powerful rather than charming, and seeks to be feared rather than loved.


 罪びととは、罪の意識にとりつかれた人のことです。実際に罪を犯した罪人という意味ではありません。

 ナルシシストとは、自分自身を賛美し、人からも賛美されたいと願う習慣をもつ人です。この習慣自体は多かれ少なかれ誰もがもっているものだと思いますが、度が過ぎた場合には不幸の原因になります

 誇大妄想狂とは、魅力的であることよりも権力をもつことを望み、愛されるよりも恐れられることを求める人で、具体例としてナポレオンやアレクサンダー大王(アレクサンドロス)をあげています。

 ラッセルは、「ねたみは、人間の情念の中で最も普遍的で根ぶかいものの一つ」だといいます。たとえば、よい身なりの女性が歩いてきたら、他の女性たちは一つでも彼女の悪いところを探そうとやっきになります。男性の場合は、特に同業者に対してねたみを抱きやすいのが特徴だといいます。

 ねたみが人を不幸にするのは、「自分の持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出している」からだと指摘します。好きと嫌いは紙一重ということです。

 ねたむのをやめるには、自分と他人を比較することをやめることがいちばんの解決法となります。または、相手を賛美するという方法もあります。自分と他人を比較しているうちは、物事を心から楽しむことはできません。小さな世界で隣人と比較しないことと、大きな視野をもつことが必要となります。

 ラッセル先生ここまで

 ナルシシズムと言えば、フロム先生。

「ナルシシズムは愛ではありません。自己愛とは対極にあり、愛とは正反対のものです。ナルシシズムの状態にある人は、自分(のこと)にしか関心がありません。」

悪について (ちくま学芸文庫) 文庫 エーリッヒ フロム  (著) 渡会 圭子 (翻訳)

ナルシシズムの二つの極端な例

・新生児の一次的ナルシシズム

 赤児はまだ外界とのつながりを持たない。外的世界はまだ存在してない。赤児は外界にまだ「関心をもって」いない。赤児にとって唯一の実在は赤児自身である。

・狂人のナルシシズム

 狂人と赤児とは本質的には違いのない状態にある。しかし赤児にとって外界は、「現実としてまだ現れていない」のに対し、狂人にとって外界は、「現実ではなくなってしまった」のである。精神病は絶対的ナルシシズムの状態である。外的事実と全く断絶し、そして自分自身を現実に対する代償とする。

 彼は全く自己のことで満たされ、自分自身に対して己が神であり世界そのものとなる。

ナルシシズムの対象

 ナルシシズムの対象は、まず自分自身の「人格(身体・精神・感情・利害など)」である。ナルシシズムの最も基本的な例は、普通の人びとの自分自身の肉体に対する態度に現れている。関心や情熱は、自分自身の「願望(感情)」や、自分にとって利害のある「現実」に対してのみに向けられる

 従ってナルシスティックな人は、「他人の現実が自分の現実とは違う」ことを認識できないのである。

 ナルシスティックな人は、必ずしも自分の「全体の人格」を対象とするのではなく、人格の一部分をナルシシズムの対象とする

例えば、

 自分の「名誉」、自分の「知力」、自分の「勇気」、自分の「機知」、自分の「美貌」などに、自分の関心や情熱を注ぐのである

 また、彼自身を構成するすべての部分は、ナルシシズムの対象となる。その部分は彼の性質にまで及んでおり、「彼」は彼を構成する部分と同一視されるようになる。

 自分がその所有物で代表されているような人にとって、ナルシシズムの対象は自分自身の人格だけではなく、自分が所有する物や、自分と関連のあるすべてのものに及ぶようになる。

ナルシスティックな人の特徴

 ナルシシズムの状態にある人は、自分自身にしか関心を示さない。つまり外界や他人にはまったく関心がない。一般に彼は他人の言葉を聞いていないし、他人には本当の関心を示さない。外界に対して真の関心が欠如していることは、ナルシシズムのあらゆる形に共通である。

 自分自身、自分の良心、他人の自分に関する批評などに関心を持っている。自分に対するいかなる批評に対しても過敏である。彼のエネルギーは自己称賛のために使われる

 ナルシシスティックな人は、失敗の事実を認めたり、他人の正当な批判を受け入れたりすることができない。

 自分がその所有物で代表されているような人にとっては、自分の所有物に対する脅威は、自分の生命を脅かすものとなる。自分がその知性で代表されるような人にとっては、プライドが傷つくような事実は、非常に彼を苦しめ、その結果ひどく憂鬱な気分に陥りやすい。非常にナルシシスティックな人は絶え間なくしゃべることが多い。

ナルシシズムの病理

 ナルシシズムの病理的な特徴は、合理的判断を歪めること、理性を制限すること、客観性と合理的判断を欠くこと、などの面にあらわれる。

 自己の立場を過大評価するという本質、ならびに自己と異なるすべてのものに対する憎悪はナルシシズムの通例である。

 良性のナルシシズムは、対象をその人の努力の結果とする。自分の仕事と、自分が作り上げたものへと関心が向かうのだ。良性のナルシシズムはセルフ・チェックによって作動する。

 悪性のナルシシズムの場合、対象はその人が持つものになる。自分が成し遂げたものではなく、自分が所有しているものに由来する。誰とも関わる必要がなく、努力も必要ないことから、現実を自分から分離していくことが加速する。結果として、ナルシスティックな中に閉じ込もらざるを得なくなる。

 ナルシシスティックな人は、批判されると激しく腹を立てる。その怒りの激しさを完全に理解するためには、ナルシシスティックな人は世界と関わらず、その結果、孤独でありおびえていることを頭に入れておく必要がある。この孤独と恐怖の感覚を埋め合わせるのが、ナルシシスティックな自己肥大化である。

 彼が世界なら、外部には彼を脅かす世界はない。彼がすべてなら、彼は孤独ではない。したがってナルシシズムが傷つけられたとき、彼は自らの全存在が脅かされたと感じる。恐怖から身を守ってくれるはずの自己肥大化が脅かされたとき、その恐怖が噴出し、激しい怒りがもたらされることになる。

フロム先生ここまで

 フロム先生は、火の玉ストレートなのがいいです。悪性のナルシシズムを動力源とする活動は不幸しかもたらしません(自分比)。創作活動においては、特にそうだと思います。ナルシシストが創作するものは、どこか幼稚で学芸会・お遊戯会的なのですが、ラッセル先生の言う「彼が心から望む喜びは、ただひとつ、幼い時に経験した記憶のある、母親からほめられて愛撫される喜びなのである。」という言葉を重ねてみると、なるほどな気がします。

 考えてみると、「自分自身に対して己が神であり世界そのものとなり、自己の立場を過大評価する」なんて状態で生きている時点で、かなり不幸な状況です。悪性のナルシシスティックな自己肥大化がもたらすのは、うざすぎる自己賞賛の嵐だけです。人生をかけて自己の立場を過大評価して自己賞賛し続ける不幸な人のまま終わることになります。

 「余計なことをしない」というのは「悪性のナルシシズムに基づく言動を控える」ということです。「やるべきことをする」いうのは「良性のナルシシズムに基づく言動を心がける」ということです。悪性のナルシシズムに突き動かされている人はいつも過剰な緊張状態にあり、陰にこもって湿っぽく、ジトジトしています。良性のナルシシズムで動いている人は、陽なたっぽくてカラッとしています。

 というわけで、ラッセル先生とフロム先生おすすめです。