できないこと自体は、決して恥ではありません。 むしろ、みんな、できないのですから。 できなくて当たり前なのです。
失敗することもは、決して恥ではありません。失敗したことで落ち込んでしまって、クヨクヨ思い悩んで、本来の力を発揮できない弱さこそが恥なのです。
失敗したら、そこから何かを学べばよいのです。何度でも同じ失敗をしてもいいから、何かを学んで、成長を遂げていけれればよいのです。
重ねた失敗こそが財産であり、良き思い出となります。
ネガティブな感情を抱えている質(たち)の悪い人は、他者の過去の失敗に対して、罰しようとします。「失敗するなんて恥ずかしい」という謎の思い込みを押しつけます。
最近よく言われるようになりましたが、「質の悪い人とは関わらない」の一択です。
大事なことは「罰」ではなく、「どうやったらできるようになるか」を考えることです。罰により追い込まれた人は、失敗を恐れない思い切った行動をとることができなくなります。本来、人生のイベントは「楽しむ」ものです。失敗したからといって罰を与えることは「楽しみ」を奪う質の悪い行為なのです。
あと、単純に他者の失敗を責める(怒る)と、責めている人の心身の調子まで狂ってしまうのもあります。これはかなり重要な現象で、責められている人は気分が良くないのが当然ですが、責めている人は確実にそれ以上に気分が悪くなるのです。
いわゆる「自分の言葉を一番身近で聞いているのは自分」だからです。
この記事を思い出しました → カメムシは、自分たちの臭いで死んじゃう!?
カメムシが嫌われるのは、なんといってもあの臭いでしょう。
この臭い、タイ料理によく使われるパクチーに似ているともいわれます。パクチーの臭いがダメで食べられない人は、この臭いを不快・危険と感じる遺伝子を持っていて、カメムシの臭いにも同じように反応するのだそうです。パクチー好きな私は、カメムシの臭いもけっこう大丈夫。
でもこの臭い、カメムシ自身も耐えられないらしく、密閉容器に入れておくと、自分たちの臭いで死んでしまいます。研究員に頼まれて直径10センチほどの密閉容器に4〜5匹入れて渡したところ、1時間もせずに死んでしまったんです。
普通、この容器に昆虫を入れて酸欠になることはありません。その後、臭い成分の中に毒性のあるアルデヒドが含まれているとわかって、自分の臭いで死んでしまったことが判明しました。
引用ここまで
他者の失敗を責めている人を観察していると、本人自身が耐えられなくなって、いろいろよろしくない展開になっていくのがわかります。カメムシの自家毒中毒に似てますね。
というか、見た目もカメムシに似てるような……。