生きていれば、苦しみがあり、うまくいかないのが当然です。期待して裏切られたと感じ、絶望して生きることに疲れ果ててしまうのは、非合理的なのです。何ごとにも期待しないで生きている人は、「期待を裏切られた」という感覚がありません。
期待して、それが叶わなかったがゆえにストレスを感じてしまうのです。「~という展開になって欲しい」と期待して行動した結果、実際には思い通りにいかなかったときに嫌な気分になるのです。他者に対して「~してくれたらなぁ」とか「~してくれるはず」と身勝手に期待して、それが叶わなかったときに相手に対して不信感や憤りを感じてしまうのです。
自分自身に対しても、「もっとよい自分」を期待しているからこそ、その期待と一致しないことに嫌悪感を抱き、勝手に傷ついてしまうことになります。
うまくいかない人を少し観察してみると、その人の裏側には「自分に期待しすぎてる」という問題が隠れてることがあります。「自分はこれくらいできるはず」と無自覚に思い込み、自分に求める基準が高くなりすぎています。自己評価が高すぎるのだから、うまくいかないのが当然です。自分に対する期待値が高すぎるため、客観的には滑稽な言動を重ねていくことになります。
自分の人生に期待する人は、「人生は楽しくてしあわせなものであるべき」というイメージを持っていると思います。人生への期待が強すぎると、つらいことが起きる度にふしあわせに感じ、楽しいことがない日々をつまらないと感じてしまうようになります。期待が強すぎるために、ごく些細なことで裏切られたように感じてしまうのです。
少し冷静になってみると、生きることがつらいのではなく、自らつらくなるような生き方を選択しているだけなのかもしれません。
「自分に期待をしない」というのは、「自分なんてどうせ何もできないつまらない存在だし」と自己卑下するような否定的な考え方ではありません。自分が何か失敗して、見下されたり笑われたりしても、「自分大好き」という自己肯定感を持てている状態です。自分がやったことの結果に期待しないということです。
「自分を見てほしい」「話を聞いてほしい」「誰かに褒めてほしい」「高く評価してほしい」「自分の考えを肯定してほしい」といった「他者から認められたい」という欲求に支配されている人は、めんどくさいと思います。
他者からどれだけ認められても、自分で自分を認めることができなければ、結局は幸福感には満たされません。自分で自分を認めるということは、他者から認められることよりも大切なのです。自分で自分を認めることができないために、自分以外の人から認めてもらおうとするのです。結果、他者から認めてもらおうとするめんどくさい人と化してしまうのです。
そもそも論、いつも他者から認められている人は、それほど強く他者から認められることを必要としませんし、認めてアピールもしません。すでに満たされているからです。一方、他者から認められた経験があまりない人は、承認欲求不満の状態にあり、より強く認められることを求め、認めてアピールを繰り返します。
自分の成果や実績について積極的にPRしたり、自慢話ばかりします。褒めてもらえると、モチベーションが上がり頑張ります。地位・名声といったステータスを得たいと願います。
一方で、自分が高く評価されず、他者が自分より高く評価されたりすると、強く嫉妬します。自分を高く評価しなかった人たちに対する不平不満や愚痴が止まりません。自分の考えが否定されると強い怒りを覚えたり、否定されることを強く恐れたりします。なので、いつも不機嫌な顔をしています。
他者を認めると、相対的に自分の評価が低くなると感じます。自分の評価が低くなることに抵抗を覚えるために、素晴らしい他者を素直に認めることが難しくなります。
そもそも論、現実的に考えて、すべての人から認めてもらうなんてことは無理なのです。自分を認めてもらえなくても執着せずに、世の中とはそういうものなのだと価値観の多様性を認めた方が合理的です。
そんなわけで、自分に期待しないで生きていくと、幸福感が高まります。失敗しても、ネタが増えたくらいにしか感じませんので、楽しみが加速度的に増えていきます。自分で自分を認めることができれば、自分のやっていることの結果に対する執着は消えてなくなります。
自分にも他者にも期待しない人は、一緒にいて居心地がいいので良縁に恵まれます。