この世に完璧な人は存在しません。自分も他者も完璧ではないので、失敗するのは当たり前だし、うまくいかないのも当たり前なのです。自分に過度に期待するのも、他者に期待するのも意味がないので、すっぱり諦めて期待するのをやめた方がいいのがわかります。自分の失敗を気に病むのも、他者の失敗を責めるのも、結局は自分が苦しむことになるだけなのでやめておいた方がいいことも。
失敗して当たり前なので、非難されるのも当たり前、ダメで当たり前と思うと、ずいぶん楽になると思います。
他者から良く思われようとコントロールしようとする人、上から目線でアドバイスしたがる人、マウントをとりたがる人、イライラして怒ってばかりの人、人の嫌がることばかりする人……基本的に、みんな、不しあわせな人たちなのだということも、すぐに理解できると思います。
他者を攻撃する人というのは、自分の人生がうまくいっていなくて、不満やストレスを抱え込んでいるものです。本人は自覚してなくても、家庭を含めた対人関係がうまくいっていないのが透けて見えるはずです。うまくいかないストレスを攻撃という形で他者にぶつけているだけだったりします。うまくいっているしあわせな人は、他者を攻撃しようとか思いません。
そもそも、よく思われたいなんて気持ち自体、ただのエゴイズム(自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式)そのものでしかありません。よく思うか悪く思うかは相手次第なのです。コントロールできないことをコントロールしようとしてみても、うまくいくはずがありません。
自分と他者の境界を明確にできたら、生きるのが楽になります。
他者からの評価を気にせずに、楽しいこと(やりたいこと)を優先する。他者に期待せず、他者の期待に必要以上に応えようとしない。ほんとにやりたいことなら、「頑張る」なんて発想は湧いてはきません。やりたいからやってるだけですから。他者に評価されようなんてエゴイズムで動いているからこそ、「認めてもらうために頑張る」という発想に陥って苦しむことになるのです。
認知的不協和(矛盾する認知を同時に抱えた状態、またその際に覚える不快感やストレス)に陥るので、「自分のやってきたことは間違いではなかった」とか「頑張ってきてよかった」という定番のコメントを連発し始めたら、かなりまずい状況だと思います。多くの場合、認知的不協和に耐えきれずに、長文で長々と自分語りが始まります。
やりたいことをやった後の感想は、「楽しかったなあ」とか「夢のような時間だったなあ」みたいな感じです。やりたいことをやっているときは、失敗という概念がなくなります。何もかもが思い出に残る貴重な体験となるのです。
「白黒思考とは、状況を連続体ではなく、たった2つの極端なカテゴリーで捉えること」ジュディス・ベック
白黒思考(物事を白か黒かと二分して捉える思考)はやめた方がいいです。 「スプリッティング(分裂)」「全か無か」「0か100か」というスタンスをやめて、グレーであったり、中途半端であったり、50であったり、バリエーション豊かな捉え方ができるようになる方が楽しい人生になります。極端に走れば走るほど、生きるのがつらくなります。白黒思考が強すぎると、不適切な行動選択をしやすくなるからです。
ひとつの考えに固執する、好きと嫌いが両極端、あいまいな状況に耐えられない。人の好き嫌いが激しく、敵か味方かに分け、勝つか負けるかをはっきり考えたり、自分か相手のどちらかが悪いと決めつけがちなときは、白黒思考に陥っています。正義の味方と悪者のいる勧善懲悪的なストーリーを好む幼稚な発想は、最終的に自分の首を絞める展開になります。
白黒がはっきりしない状況でも、結論を急がずに自然に身を任せ、曖昧なままにしておく「塩漬け能力」を研磨すると、生きるのが楽になり、楽しい時間を過ごせるようになります。