2020年12月7日月曜日

自分と相手の境界線を踏み越えない~健全な人間関係は、適切な境界が土台となった感情的空間において成り立つ。

 「私」は「私」で、「あなた」は「あなた」。「私」と「あなた」はまったく違う別の人間です。なので、まったく違う別の価値観を持っています。その違いを認め合える関係は永く続きます。お互いの人間性を尊重することができるからです。

「私は私、あなたはあなた」という境界線が守れていると、お互いに脅威を感じることがありません。なので、安全にやりとりをすることができます。意見が合わないからといってムキになって相手の意見を変えようとすることもありません。意見が違うのは、そもその別の人間なのだから当たり前だからです。意見交換ができるのは、相手を尊重しているからです。

自分と相手の境界線を踏み越えて自己主張すると関係は途絶えます。境界線を侵して相手の安全=力を奪おうとするのは、支配・被支配の関係を求める行為だからです。

また、誰かに強く必要とされることで自分の存在意義を確認しようとする共依存関係も、、支配・被支配の関係同様に相手から力を奪い、依存的な関係になってしまいます。


個人の境界線より

個人の境界線(こじんのきょうかいせん, Personal boundaries)、他者との境界線(たしやとのきょうかいせん)、バウンダリーとは、自分に対して行動をとってくる他人に対して、合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するために個人が作成する、ガイドライン、ルール、制約である。それらのガイドラインは、結論、信念、意見、態度、過去における経験、社会学習の組み合わせから築かれる。

境界線は個人の定義に役立ち、それは好き嫌いをおおまかに判別し、他人が接近できる距離を設定するものだという。境界線には身体的、精神的、心理的、精神的といった種類が存在し、それらは信念、感情、直感、自尊心などによって編成されるという。ジャック・ラカンは、この境界線はピラミッド型に階層化されており、「人の生物学的・社会的地位のすべてを連結した包絡線」に基づくとしている。境界線は人間関係の相互作用において、内的・外的の2方向それぞれに影響する。これらは時に、「保護」として働くこともあれば、「封じ込め」として働くこともある。

個人の境界の概念は、他人をコントロールしようとする人や、自分の人生に責任を負っていない人がいる場面で特に有効である。

依存症患者はしばしば、他人を自分のコントロール下に置くことが、人生において成功と幸福を達成する方法だと信じている。この手法を取る人は大抵、それを幼少時に生存スキルとして使い、そして習得したのである。彼らがその手法を使い続ける限り、誰も彼らの気持ちを窮地に追い込むことはできない。

共依存患者は、しばしば自分のニーズよりも他人のニーズを優先し、他人の問題解決に夢中である。

共依存関係は、家族、仕事、友情、ロマンチック、ピア、コミュニティなど、あらゆる種類の人間関係で起こり得る。

健全な人間関係は、適切な境界が土台となった感情的空間において成り立つのだが、 共依存者はそのような限界線を設定することが困難なのである。境界を適切に守るスキルは、精神的健康を取り戻すには不可欠である。

共依存関係においては、共依存者の目的意識は、パートナーのニーズを満たすために極度の犠牲を払うことなのである。共依存関係とは、当人が自給性や自律性を持たない不健全なペアを意味する。すなわち、ペアの一方または両方が、自身の充足の為に、もう一方に依存しているのである 。多くは、自分の価値は他人に由来するという誤った考えのために、無意識的に他人の人生を第一義に考えているのである。

引用ここまで

「どこからが自分で、どこからが他人なのか?」

「他人と自分を区別する自分と他人の境界線がない問題」を抱えてしまうと、健全な人間関係が築けません。自分の人生における行動の責任は自分自身でとらなくてはなりません。同じように、相手の行動の責任は相手自身がとらなくてはなりません。自分が責任をとる機会を逃してはいけませんし、相手が責任を機会を奪ってはいけません。

善意のつもりで相手の境界を侵すと、関係が悪化したり破綻したりします。相手の所有物を粗雑に扱ったり、相手の時間を奪ったり、相手がやるべきことを代行したり、相手の個人的な世界を知りたがったり、相手に自分の期待通りにして行動して欲しがったり、自分の好みや考え方を押しつけたり……そんな人は、健全な対人関係を築くことができません。

なので、「集客」が必要な仕事はできません。過干渉で教えたがりな人たちがうまくいかないのは、簡単に境界線を踏み越えてしまうからです。相手との境界線をあっさり超えて侵入してしまう人は、いつも対人トラブルに見舞われています。そんな人ほど、「こうすればうまくいく」という話をしたがったりします。

孤立して孤独化してしまっている人を観察してみると、対人関係がうまくいかないのを相手のせいにしているのが、すぐにわかると思います。自分が「相手との境界線を踏み越えている」という「原因」に目を向けません。当たり前のことなのですが、境界線を踏み越えてこられたら、健全な関係は終焉を迎えてしまうのです。そして、孤立すればするほど、境界線を踏み越えようとしてしまうという負の連鎖を引き起こしてしまうようになります。

境界線を引く

来年は、「他者との境界線を守れない人」にはキツイ年になるそうです。今年は、境界線を守れるようになる準備期間だったそうで、コロナ禍もその流れでの出来事とのこと。来年からの安部塾の活動は、「自分と相手の境界線を守れる人」のみでやっていくことにいたします。