2019年7月13日土曜日

学ぶ側の一心の求めに対して、師も一心に応えることでさらに内容が深まる。

「易経」一日一言 竹村亞希子


易経一日一言0712より


僕はずっと、習いに来る人の「学びたい」「知りたい」に応えてきた。

これからも、そうしていこうと思っている。


そのとき、そのときに合ったことをやっていくこと。

易は「易わる」……「変化」の意味。

変化するのは「時」。

自然の変化に則した、この世の中の時の変化変遷の法則。

易経の「時」は、時間だけでなく、空間・場所・状況・立場・地位をも含む。


孟子の「去る者は追わず、来る者は拒まず」

孟子は「仮に私の弟子達が盗んだにせよ、それは大したことではない。私は学問の意志さえあれば誰でも弟子にするし、去っていく者は追わない。これが私の主義だ。」といった。 人とつきあうときには、淡々とした精神が大切であり、学ぼうとしてやってきた者はその過去にこだわることなく受け入れるべきであり、去っていく者は追ってもしかたがない。 相手の自由意志にまかせ、自分は淡々とするのが一番良いということ。

引用元: http://maki.life.coocan.jp/haha/koji/koji-3.html


僕も、去る者は追わない。

追っても仕方がない。

学ぶ意志があれば拒まない。

学ぶ意志がなければ拒む。


自分から離れて行こうとする者は、その意志に任せて、強いて引き留めない。

人と人の関係はあっけないほど簡単に壊れるし、なくなってしまう。

関係は変わり、終わり、離れ、変化していく。

相手に執着して関係の維持のために苦しむのは、変化を受けいれないからだ。


荘子先生は言います。

「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」

[意味]物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ。つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ
参考:故事百選

君子は人と交わるのに、水のようにさっぱりしているので、友情は永く変わることがない。

執着しない。

依存しない。

それは、自分の心に素直に生きるということ。

「この人なしには生きていけない」と感じるのは依存。

自分に嘘をついて、相手におもねることになる。

だから、自分の心に素直に、水のように淡くあればよい。


なんてことを考えていたら、今朝のFacebookにこんな記事が。




コツコツ地道に積み上げていると、時期が来たらあらわれるんですよね。

会うべきときに、会うべき人が。


「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに。しかし、縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに至らずと知るべし森信三」


好い出会いは、いくらでもクリエイトできます。

地道に学び続け、地道に行動し続けていれば。

そして、可能な限り他者貢献できるように努力していれば。

妄想するだけで行動(他者貢献)しない人に、好い出会いはありません。


腐っている人は、まず、この人は自分にとって得かどうかを考える。

自分に何らかの利益をもたらすか、そうでないのかを考える。

そして、何も得にならないと思うと、相手にしない。

得になると思うと付き合おうとする。


そんな人の顔貌は貧相で、日に日に孤立してくことになる。

会うべき人に会うというのには、怖い面もある。

いわゆる「怨憎会苦(会いたくない人に会う苦しみ)」。

損得で他者を見ている人は、会いたくない人にばかり出会うことになる。


ひきつった(凍りついた)笑顔をしているのですぐにわかると思う。


対して、行動(他者貢献)しようとする人は、人に恵まれる。

いつも、しあわせそうな顔をしている。


中島みゆきさんの『糸』より

「縦の糸はあなた 横の糸は私

 逢うべき糸に 出逢えることを人は仕合わせと呼びます」

仕合せには『めぐりあわせ』の意味がある。


話を戻して、

一心に学ぶことを求めていればいい。

そうすると、一心に応えてくれる。

今日のヨガ講座も、そんな感じで(笑)。