自然な歩き方を探っていくと、1つの重要な原理にたどり着きます。それは「頭は常にあらゆる動きをリードする」ということです。
すべての動物は、頭がリードする形で動くのです。だからこそ、主要な感覚器官(目、耳、鼻、舌)がすべて頭に備えられています。実際の動きの中でこの原理を応用している人はほとんどいません。
※『アレクサンダー・テクニーク完全読本 医道の日本社』より引用
「頭は常にあらゆる動きをリードする」という指示は、誤解を生みやすいように思います。文字通りに頭で動きをリードしようとすると、その動きは機能的とはいえないものになりがちです。
私は古典的な指示である「首は自由に」「頭(おでこ)が前に」「頭が上に」という言葉が好きです。動き始める前に、この3つを確認する「間」をとることで、多くの問題が解説に向かうからです。
「頭は常にあらゆる動きをリードする」という指示のもつ意味の重さや深さを、文章で伝えることは不可能に近いのではないかと感じております。実際にその動きを目の当たりにしてはじめて「あぁ、そういうことなのか!」と体感して『体解』するものだと思います(※「体」は、物事がはたらくことのもとをなすもの、本質。「解」は理解すること。よって、「体解」とは、「その本質を理解すること」の意)。頭でわかったような気になるのは知解でしかありません。自分が学んだ知識=知解分別は、ただの知識なのです。
自分が体解していることを言葉で説明するのは困難です。というか、無理だと思います。知識は不可欠なだけで、それは「知識がないとお話にならない」というだけで、知識があれば動けるかというと、そんなことはないのです。妄想と現実の違いといってもいいかもしれません。現実の動きは、その動きができるようになってはじめて、「わかった!」という感覚を得る性質のものなのです。
姿勢にせよ動きにせよ体型にせよ、頭でわかったつもりになっている人で改善していく人を見かけません。みな、計画は立派なのですが、「やり遂げたこと」も「それを継続=維持できたこと」もない机上の空論でしかありません。何の世界でもそうだと思いますが、結果を出し続けていない人の言葉には、何の力も宿らないような気がいたします。
知識の上で、頭をどう使っているのか?
動きの上で、頭をどう使っているのか?
「考える」という頭の使い方と、「動く」という頭の使い方。
どちらの意味でも、「頭は常にあらゆる動きをリードする」なのだと思います。
6月の集中講座とレッスンは、「頭」の使い方について解説したいと思います。
☆東京集中講座
■6月11・12・13日(金・土・日)→ 詳細
☆新宮校集中講座
■6月18日(金)→ 詳細
■6月20日(日)→ 詳細
☆神戸集中講座
■6月19日(土)→ 詳細
☆大阪集中講座
■6月24日(木)→ 詳細
☆名古屋集中講座
■6月25日(金)→ 詳細