2021年7月8日木曜日

「外見だけは力のあるふりをする。自分の弱い所を隠すために、逆に強がった様子でふるまう。」薄っぺらいことを偉そうに発信してみても、よい結果にはつながりません。

 他者をやたら見下す態度をとる人を観察してみると、その人自身のネガティブ(否定的)感情から逃げ出しているのがすぐにわかると思います。ネガティブな感情と向き合わず、、そこから逃げようとしてしまったがために、他者を見下すことでしか心の安寧を得られなくなってしまうのではないかと思います。

 例えば、怒りですが、「第二次感情」とされています。怒りは何もないところから生まれることはありません。「第一次感情」とされる「孤独感・寂寥感」「悲哀」「不安感」が溢れたときに生まれます。根源に、怒りとは別の感情があるとされます。クレーマー、~警察、「反~」、その他の方々の怒りの根源を観察してみると、いろんな感情が交錯しているのがわかると思います。

 感情は、生存のための反応的プログラムだとされています。感情が起こらないようにするのは困難です。反応として湧いてきたプログラムに、自分で身勝手な解釈をしないことが大切だと考えられています。

 過剰な筋緊張があると、「現在、この場所」に起きている不快な身体感覚と、過去の嫌な思い出や、将来への不安を結びつけてしまいがちとなり、負の感情が無限連鎖的に増幅され続けていきます。それに伴い、筋緊張レベルもより高くなっていきます。そして、虚勢を張るようになります。

 虚勢とは、「外見だけは力のあるふりをする。自分の弱い所を隠すために、逆に強がった様子でふるまう。」ことです。「自分の弱い所を隠して、外見だけは威勢のあるふりをする。からいばりをする。」ようになるのです。

 当たり前のことですが、結果を出せていないことをいちばんよくわかっているのは自分自身です。だから、わざわざ外に向けて、上から目線の態度で発信することになるのです。私の友人が、「薄っぺらいことを偉そうに発信する方、好きになれないです。」と言っていました。「私も同じく」と応えました。ペラッペラなのは、その姿を画像で一瞥しただけですぐにわかります。映像ならなおさらです。発する言葉が上から目線であればあるほど、単純に嫌われてしまうことになります。

 そして、虚勢を張った結果として嫌われることで、ほんとうの意味での自信がガリガリと削られていきます。そうすると、派手さだとか豪華さだとか、そういった小手先の演出に頼ることになります。重厚な人が派手にしたりとか豪華にするのは観る者の好感を得るのですが、薄っぺらい人が派手にしたりとか豪華にすると、観る者に激しい嫌悪を感じさせることになります。

 私は、自分のネガティブ感情に向き合うということは、自分の過剰な筋緊張に向き合うことだと考えております。過剰な筋緊張を適正化していくことが王道だと思います。

 明日からの東京集中講座で、物理サイドからの筋緊張適正化の解説をいたします。

☆東京集中講座

■7月9・10・11日(金・土・日)

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